ふたつ名の令嬢と龍の託宣【第二部公爵夫人編開始】

古堂 素央

文字の大きさ
上 下
295 / 528
第2章 氷の王子と消えた託宣

しおりを挟む
(それにしても、A. S……アニサ Sか)

 ルチアの母親が教会を避けているのは間違いなさそうだ。教会をたどれば上には神殿が待っている。ひいては貴族、そして王家にもつながる。

(犯罪者……と言うより、見つかるのを避けているのか?)

 だが、誰に?
 もしかしたらルチアは、貴族の誰かの落としだねなのかもしれない。愛人の子供の存在が知れて、本妻に命を狙われるという事案は、過去にいくつも存在する。

 それが男児だった場合、跡目あとめ争いの種になる。子供の命を守るために、男児を女として育てることもあり得る話なので、カイは先ほどさりげなくルチアに触れて確かめた。

(ルチアは間違いなく女の子みたいだし……)

 本妻が嫉妬深く、用心を重ねて生きているのかもしれない。だが、愛人を囲うような貴族の近辺はすでに一通り調査済みだ。

 市井しせいまぎれた貴族の血筋をたどるのは容易なことではない。当事者が名乗りを上げないことには、その存在は永遠になかったことになる。

(少し調べる必要があるか)

 A. Sというイニシャルの貴族女性かそれに近しい存在。アニサと言う名前はおそらく偽名だろうが、ルチアの生まれた年の近辺でおきた社交界の動向から何かがわかるかもしれない。

 ハインリヒの託宣の相手が貴族の中で見つからない今、もはや市井からその存在を見出すしかない。ほんの少しの手がかりでも、ひとつひとつ情報を確かめていくより方法はなかった。

(案外、ルチアに龍のあざがあったりして……なんて、そんな簡単に行くなら苦労はないか)

 それでも確かめる価値はある。だが、今ここで彼女を裸にひんむいて、あざの有無を調べるわけにもいかないだろう。ルチアがもう少し年頃の娘だったのなら、カイにもやりようがあるのだが。本人に直接聞いて、いらぬ警戒をされて逃げられるのも避けたいところだ。

(やっぱり彼女がいないと不便だな)

 彼女がいれば世話を焼く形で、体の隅々すみずみまで確認が取れるのに。だが、彼女は今、別件で任務遂行中だ。

(もう一度、様子を見に行きがてら、ついでに回収しに行くか)
 その前にイジドーラにも報告をしなくては。事前に根回しがあった方が、カイとしても動きやすい。

 カイがそんな思案を巡らせていると、手紙に目を通したダンが一度立ち上がった。

「カイ坊ちゃんの運命の幼女殿」
「ルチアよっ!」

 ルチアが憤慨したようにダンを見上げた。殺し屋フェイスにはもう慣れたようだ。

「失礼、カイ坊ちゃんの運命のルチア殿。しばし待っていておくんなせぇ」

 厨房の奥に引っ込んでいくダンの背中に「ただのルチアよ! 変な前置きつけないで!」とルチアが叫んだ。ダンはその言葉に軽く片手をあげると、そのまま奥に姿を消した。しばらくして小さな麻袋あさぶくろを手に戻ってくる。

 ダンは手にした麻袋を、ルチアに手渡した。小さいと思っていた袋はルチアの両手にはみ出すくらいの大きさと重量があった。じゃりとした音と感触に、その中に大量の硬貨が入っているだろうことがわかる。ルチアは手のひらの重みに驚いたように目を見開いた後、ダンの顔を勢いよく見上げた。

「旦那に、アニサと言う女性が訪ねてきたら、それを渡すよう言われていやした。だから、それは好きに使ってくだせぇ」
「母さんがここへ来たら?」

 ダンは頷くと、盛大ににたりと笑った。くどいようだが、ルチアを安心させるためにだ。

「でも、こんな大金……本当に、本当にもらっても大丈夫なの?」
「もちろんでさぁ。旦那は女運はからきしでも、金だけは有り余るくらい持っている御仁ごじんでやす。金品にはまったく頓着とんちゃくしないお方でやすし、安心して受け取ってくだせぇ」

「……もしかして、ゲオって人、わたしのお父さんなの?」

 ルチアの言葉に後ろにいたカイが吹きだした。そのまま忍び笑いをこらえるように、口元に手を当てて肩を震わせながら悶絶もんぜつしている。それをちらりと見やったルチアは、すぐに無視するようにダンに視線を戻した。

「いや、それだけはないと思いやすぜ。何しろ旦那は、逃げちまった奥方を十年以上探して回っていやすから。なんでもその奥方は山奥にいるらしいですぜ」
「それじゃあ、ゲオって人は今も奥さんを探しに行ってるの?」
「まあ、そういうことでさぁ」

 ルチアは分かったような分からなかったような、そんな微妙な顔をして、再び手の中の麻袋を見つめた。袋の口をそっと開いてみる。隙間から見えた金貨のきらめきに、ルチアは驚いてその麻袋を取り落とした。勢いで跳ね出た幾枚いくまいかが、涼やかな音を立てて床の上を転がっていく。

 ルチアはそこに銅貨が入っているのだと思っていた。ルチアが日がな一日懸命けんめいに働いて、やっと銅貨一枚がもらえるかどうかという毎日だ。それがこの中につまっているのだと思うと、その重みも増すと言うものだ。
 だがそこには金貨がつまっていた。金貨は銅貨の百倍の価値がある。ルチアは今までお目にかかったこともなかった金貨が、落とした麻袋の口から散らばっているのを呆然と見つめた。

「こんなもの……意味もなくもらえないわ……」
「大丈夫、大丈夫。イグナーツ様にとってこのくらいのお金は痛くもかゆくもないから。遠慮せずにもらっとけば?」

 カイがこぼれた金貨を麻袋に戻して、それを再びルチアの手のひらに乗せた。

「イグナーツ?」
「ああ、ゲオ様ね、ゲオ様。そのゲオ様は、無類の女好きだし、なーんにも遠慮することはないよ」
「ゲオ様は愛妻家じゃないの?」
「愛妻家なら奥さんは逃げていかないんじゃないかな?」

 ルチアが訳が分からないといったふうに首をかしげた。

「ねえ、ルチア。ルチアって今いくつ?」
「何よ、急に」
「いや、こーんなに小さいのに、苦労してるんだって思ってさ」

 カイが押しつけるようにルシアの頭に手を置くと、ルチアは払いのけるようにその手を持ち上げる。

「失礼ね! わたしはもう十三よ。年が明けたらすぐ十四になるんだから!」

 子供扱いが嫌だったのか、ルチアはカイの手をぺいと投げ捨てた。カイはそれをおもしろそうにみやっている。

(十三か……やっぱり思ってたより上だったな)

 だがそう言われても目の前のルチアは十歳かそこらにしか見えない。あと一年ちょっとでこの国での成人を迎える年になるとは思えない発育不良ぶりだ。今までの生活のレベルの低さが伺える。

「なんにせよ、そのお金があれば、母さんは病院できちんとした治療を受けられるんじゃない? 母さんは病院に任せて、ルチアはイグナ……ゲオ様が戻ってくるまで、こんがり亭にいればいいよ」
「こんがり亭に?」
「ああ、それがいいでやすな。何、安心してくだせぇ。屋根裏でよければ使っていない部屋がありやすし、あっしには死ぬほど愛する恋人がおりやす。カイ坊ちゃんのルチア殿に、狼藉ろうぜきを働くなんてことは万が一にもありやせんぜ」
「だからわたしはカイのものじゃないってば!」

 だんっと足を踏み出してルチアがダンをにらみあげた。

「なぁにぃ。今日は随分と騒がしいのねぇ」
しおりを挟む
※小説家になろうグループムーンライトノベルズにて【R18】ふたつ名の令嬢と龍の託宣 不定期投稿中☆
 第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣 スタートました♡
※アルファポリス版は第1部令嬢編として一度完結としましたが、ムーンでは第6章を継続投稿中です。
 こちらはR18ですので、18歳以上(高校生不可)の方のみ閲覧できます。
感想 2

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】愛してるなんて言うから

空原海
恋愛
「メアリー、俺はこの婚約を破棄したい」  婚約が決まって、三年が経とうかという頃に切り出された婚約破棄。  婚約の理由は、アラン様のお父様とわたしのお母様が、昔恋人同士だったから。 ――なんだそれ。ふざけてんのか。  わたし達は婚約解消を前提とした婚約を、互いに了承し合った。 第1部が恋物語。 第2部は裏事情の暴露大会。親世代の愛憎確執バトル、スタートッ! ※ 一話のみ挿絵があります。サブタイトルに(※挿絵あり)と表記しております。  苦手な方、ごめんなさい。挿絵の箇所は、するーっと流してくださると幸いです。

危害を加えられたので予定よりも早く婚約を白紙撤回できました

しゃーりん
恋愛
階段から突き落とされて、目が覚めるといろんな記憶を失っていたアンジェリーナ。 自分のことも誰のことも覚えていない。 王太子殿下の婚約者であったことも忘れ、結婚式は来年なのに殿下には恋人がいるという。 聞くところによると、婚約は白紙撤回が前提だった。 なぜアンジェリーナが危害を加えられたのかはわからないが、それにより予定よりも早く婚約を白紙撤回することになったというお話です。

【完】夫から冷遇される伯爵夫人でしたが、身分を隠して踊り子として夜働いていたら、その夫に見初められました。

112
恋愛
伯爵家同士の結婚、申し分ない筈だった。 エッジワーズ家の娘、エリシアは踊り子の娘だったが為に嫁ぎ先の夫に冷遇され、虐げられ、屋敷を追い出される。 庭の片隅、掘っ立て小屋で生活していたエリシアは、街で祝祭が開かれることを耳にする。どうせ誰からも顧みられないからと、こっそり抜け出して街へ向かう。すると街の中心部で民衆が音楽に合わせて踊っていた。その輪の中にエリシアも入り一緒になって踊っていると──

【完結済】隣国でひっそりと子育てしている私のことを、執着心むき出しの初恋が追いかけてきます

鳴宮野々花@書籍2冊発売中
恋愛
 一夜の過ちだなんて思いたくない。私にとって彼とのあの夜は、人生で唯一の、最良の思い出なのだから。彼のおかげで、この子に会えた────  私、この子と生きていきますっ!!  シアーズ男爵家の末娘ティナレインは、男爵が隣国出身のメイドに手をつけてできた娘だった。ティナレインは隣国の一部の者が持つ魔力(治癒術)を微力ながら持っており、そのため男爵夫人に一層疎まれ、男爵家後継ぎの兄と、世渡り上手で気の強い姉の下で、影薄く過ごしていた。  幼いティナレインは、優しい侯爵家の子息セシルと親しくなっていくが、息子がティナレインに入れ込みすぎていることを嫌う侯爵夫人は、シアーズ男爵夫人に苦言を呈す。侯爵夫人の機嫌を損ねることが怖い義母から強く叱られ、ティナレインはセシルとの接触を禁止されてしまう。  時を経て、貴族学園で再会する二人。忘れられなかったティナへの想いが燃え上がるセシルは猛アタックするが、ティナは自分の想いを封じ込めるように、セシルを避ける。  やがてティナレインは、とある商会の成金経営者と婚約させられることとなり、学園を中退。想い合いながらも会うことすら叶わなくなった二人だが、ある夜偶然の再会を果たす。  それから数ヶ月。結婚を目前に控えたティナレインは、隣国へと逃げる決意をした。自分のお腹に宿っていることに気付いた、大切な我が子を守るために。  けれど、名を偽り可愛い我が子の子育てをしながら懸命に生きていたティナレインと、彼女を諦めきれないセシルは、ある日運命的な再会を果たし────  生まれ育った屋敷で冷遇され続けた挙げ句、最低な成金ジジイと結婚させられそうになったヒロインが、我が子を守るために全てを捨てて新しい人生を切り拓いていこうと奮闘する物語です。 ※いつもの完全オリジナルファンタジー世界の物語です。全てがファンタジーです。 ※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

なにをおっしゃいますやら

基本二度寝
恋愛
本日、五年通った学び舎を卒業する。 エリクシア侯爵令嬢は、己をエスコートする男を見上げた。 微笑んで見せれば、男は目線を逸らす。 エブリシアは苦笑した。 今日までなのだから。 今日、エブリシアは婚約解消する事が決まっているのだから。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

その眼差しは凍てつく刃*冷たい婚約者にウンザリしてます*

音爽(ネソウ)
恋愛
義妹に優しく、婚約者の令嬢には極寒対応。 塩対応より下があるなんて……。 この婚約は間違っている? *2021年7月完結

処理中です...