ふたつ名の令嬢と龍の託宣【第二部公爵夫人編開始】

古堂 素央

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第2章 氷の王子と消えた託宣

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     ◇
 ダンは雇われ店主だ。若い時分は金のためなら何でもやる、人様には言えないような後ろ暗い人生を送ってきた。だが、何の因果か、今では平凡な小さな店の店主に納まっている。

 へまをやらかして死にかけたとき、自分を拾ってくれたもの好きな男がいた。彼に出会わなかったら、今、自分がこうしてこの狭いカウンターの中で、グラスをみがいていることなどありはしなかっただろう。

 不意に扉が開く。客が来るにはまだまだ早い時間だ。最近、貴族街の店にならってドアベルをつけるのが流行はやっているらしいが、狭い厨房ちゅうぼうに小さなカウンター、客が座るテーブルは三つしかないさびれたこの店に、そんなこじゃれた物は似合わない。

 ここで出てくる物は、安い酒とこんがり焼いた肉のかたまりだけだ。味付けも塩と胡椒こしょうで十分だ。うまいものが食いたかったら、大通りの流行りの店に行けばいい。ここは後ろ暗い人生を生きている、そんな奴らがふらりと立ち寄る場所だ。

 そんな場末ばすえの店に、普段ならやってこないような身なりのいい青年が現れた。少年と言うにはすきがなく、男と言うには物足りなさすぎる。そんな微妙な年頃だ。

「これはカイ坊ちゃん、ずいぶんと久しぶりで」

 ダンはグラスを磨く手を止めて、その青年、カイを見た。前に会った時は、もっと子供子供していたように思う。時が過ぎるのは早いものだ。そんなふうに思うのは、自分も年を取ったということなのだろう。

「やあ、ダン、久しぶりだね」

 そう言ってひとなつっこそうに浮かべる笑みは、ここ数年で見られるようになったものだ。初めて出会った頃の彼は、にこりともしないクソガキだった。この青年もまた、あの男に魅入みいられ、救われた者のひとりなのだと改めて思う。

「そろそろ帰ってきてるかと思って寄ってみたんだ。イグナーツ様はいる?」
「いや、生憎あいにくとまだもどってきておりやせん。今年の冬の寒さはいつも以上で、どこぞの山奥で氷漬けになってやしないかと、あっしたちも心配していたとこでさぁ」
「はは、イグナーツ様、意外と抜けたところあるからなぁ」

 まったく心配している感じがしないところが、またカイらしい。イグナーツを師とあおいだ時点で、ろくな人間にならないのも道理といえるか。良家のボンボンの師となるには、あの男はろくでなしすぎる。

 そんなカイの後ろから、子供がひとり顔をのぞかせた。茶色の髪をしたやせぎすの子供だ。長すぎる外套を引きずるように肩にかけ、その胸に大事そうに紙袋を抱えている。

「カイ坊ちゃん、いつから幼女趣味に目覚めたんで?」
「この子はそんなんじゃないよ。ルチアは、オレの運命の女の子」

 余計にたちが悪いのではと思ったが、いつものおふざけのたぐいだろう。子供の方が心底いやそうな顔をしている。

「それにしても、あの時を思い出しやすな。いもうと殿どのはお元気にしておいでで?」
「ああ、彼女もすっかり独り立ちして、今は別件で仕事してるよ」
「さいですか。あの時もこんなふうに痩せこけたガキ、あ、いや、小さい子供をつれておいででやしたからね。で、カイ坊ちゃん、その運命の幼女をどこで拾って来たんで?」

 子供に視線を向けると、カイの後ろに隠れてしまった。まあ、自分のこのなりは、子供の頃の自分が見ても、しょんべんをちびるくらいにはビビると思うが。

「ルチアはこんがり亭のお客だよ。オレはここまで道案内しただけ」

 カイは押し出すように子供を前にやる。肩に手を乗せたままなのは、子供がまだ怖がっているせいだろう。

「ほら、ルチア。ここに用があったんでしょ?」

 うながされ子供はおずおずと顔を上げた。茶色の真っ直ぐな髪に隠れて目は見えない。やせぎすの薄汚い子供だ。年は十いくかいかないくらいか。実は少年かとも思ったが、やはり女の子らしい。正直、どう扱っていいのか対処に困るが、とりあえず怖がらせないようにと笑っておいた。

「ルチア、怖くないよ。あれは、こんがり亭のダン。地獄の門番みたいな顔してるけど、あれで精いっぱい笑ってるんだ」

 ニコニコしながら出る台詞は、あまりフォローになっていない。肩を押されるルチアは、抵抗するように足に力を入れて、カイに背中を押し付けてくる。

 スキンヘッドのダンは、クソ寒い冬でも基本いつでもタンクトップ姿だ。浅黒く日に焼けた顔や体のあちこちに刀傷が走っている上、盛り上がった筋肉がとてもではないが堅気かたぎには見えない。こんがり亭などという可愛らしい名前の店の主と言うより、殺し屋と言われた方が納得するような風貌ふうぼうだ。

「んー? ルチア、大事な用事があったんじゃないの?」

 カイがルチアを包み込むように後ろから抱きしめて、その頭の上にあごを置いた。はっとしたルチアは、頭を押さえてカイの腕から乱暴に逃れると、胸に抱えていた紙袋をカイに押し付けた。

「荷物持ちはここで終わりよ」
 そのままくるりと向き直ると、意を決したようにルチアはダンのいる厨房へと目を向ける。

「あ、あの、ここにゲオって人はいますか? アニサの娘が来たって伝えてほしいんです」
「へ? ゲオ?」

 間抜けな声を出したのはカイだ。

「ああ、彼はまだ山から帰ってきていませんぜ」
「いつ頃戻ってきますか? わたし、母さんに言われて来てて」
「今日かもしれやせんし、一週間待っても戻って来ないかもしれやせんね。旦那は毎年、雪解けとともに出て行って、冬になるとふらりと帰ってくるんでさぁ。帰ってこなかった冬は一度もありやせんが、今年は特に遅いかもしれやせんね」
「そんな……」

 こわばった声でそう言った後、ルチアはダンに詰め寄った。

「何かあったらここを頼るように母さんに言われてるの! 今、母さん、病院にいて、でもお金がなくて、もう出ていかなきゃならなくて、一度家に戻ったら別の人が住んでて、大家さんにどうせもう戻ってこれないだろうからって言われて、わたし、わたし……っ」

 嗚咽おえつをこらえながらルチアは言葉を詰まらせた。ダンは手を止めて黙ってその様子を見つめている。

「どうして教会を頼らないの? 医者にはかかれなくても、母さんだって温かいベッドで眠れるはずだよ?」

 そういう制度があると知らない子供がいるかもしれない。カイは静かに問うてみた。しかし、ルチアは動揺したように首を振った。

「教会はだめ! 絶対にだめ!」
「どうして? 温かい食事だってもらえるよ?」
「だめ、だめなの、だって母さんが……!」

「そこまでにしてやってくだせぇ、カイ坊ちゃん」

 厨房から出てきたダンが、ルチアの前に片膝をついた。目線を合わせるように屈みこむ。

「よかったら、事情を詳しく話してくだせぇ。なに、あっしは旦那にここをまかされてるんでさぁ。彼を頼ってきた女を放っておいたとあっちゃあ、あとで何を言われるかわかりやせん」

 殺し屋の顔でダンはにたりと笑った。もちろん、ルチアを安心させるためだ。ルチアはぎゅっと唇をかむと、ポケットにしまっておいたり切れた紙を取り出し、ダンに差し出した。

 先ほどカイに見せたものとは別の紙で、それは手紙のようだった。カイは手渡される前にそれをさっと盗み読む。

 親愛なる I Geo L様 
 どうかこの娘が独り立ちできるまでお力をお貸しください。                    
                A. S 

 女性が書いたような美しい文字だ。そこには教養が伺える。

( I Geo L……イグナーツ・ゲオ・ラウエンシュタインか)

 カイは内心あきれかえっていた。ゲオとはイグナーツの託宣名だ。託宣を受けた者は、みな必ずミドルネームを持っている。それは表に出すようなものではないし、まして他人に教えるなど、王家や神殿にとっては禁忌きんきの事だった。
 カイですらおいそれと他人の託宣名を口にすることはできない。たとえそれを知っていたとしても。

(そもそも龍に目隠しされるはずなのに)

 託宣の存在を知る自分ですら口にできたということは、龍がそれを黙認しているということか。
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※小説家になろうグループムーンライトノベルズにて【R18】ふたつ名の令嬢と龍の託宣 不定期投稿中☆
 第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣 スタートました♡
※アルファポリス版は第1部令嬢編として一度完結としましたが、ムーンでは第6章を継続投稿中です。
 こちらはR18ですので、18歳以上(高校生不可)の方のみ閲覧できます。
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