ふたつ名の令嬢と龍の託宣【第二部公爵夫人編開始】

古堂 素央

文字の大きさ
上 下
286 / 528
第2章 氷の王子と消えた託宣

しおりを挟む
     ◇
「リーゼは大丈夫かしら……?」

 夜会会場の休憩室の一室で、クリスタは不安げに息を漏らした。
 遠目にダンスフロアをながめていたが、転んだのは別の令嬢でリーゼロッテはうまいことけていたようだ。フーゴは最愛の妻を安心させるように穏やかな笑顔を向けた。

「ジークヴァルト様がついていらっしゃるし、きっと大丈夫だよ。確認には行かせているから、今は待とう」
「ええ。そうね、あなた」

 クリスタは自分に言い聞かせるように頷いてから、赤らんだ顔のフーゴの顔を心配そうにのぞき込んだ。

「あなた、少し飲みすぎたのではない?」
「ああ……今日はリーゼロッテの婚約で、挨拶あいさつに来る方が多いからね」

 純粋に社交界デビューの祝辞しゅくじを告げに来る者もいるが、そのほとんどが公爵との婚約の真偽を直接確かめに来た貴族たちだった。
 昔から付き合いのある者から、お互い名前を知っている程度の者まで、ひっきりなしに呼び止められる。

 公爵家と縁続きになると分かって、過度にこびを売ってくる貴族も少なくなかった。
 ひたすら挨拶して、相手が満足する程度の情報を与えて。きりのない状況を何とか抜けだして、休憩室に入ったのはつい先ほどの事だ。

 リーゼロッテの婚約を周知するためだ。公爵には特別、婚約披露の機会を設けるつもりはないと言われているため、今この場で知らしめるのがいちばん手っ取り早い。
 二人の婚約は王命であると説明すれば、リーゼロッテに求婚してくる者たちも素直に引いてくれるだろう。
 貴族である以上、社交は大事な務めだ。それは領地経営を円滑えんかつに行うために必要だし、自身を守るためにも不可欠ふかけつなことだった。

 中にはやはり悪意ある者もいる。この婚約は身分不相応だと不満を持つ貴族も少なからずいて、あからさまな言葉はないにしても、そういったたぐいの人間を相手にするのは思いのほか精神が疲弊ひへいする。
 だが、そういった手合いは対応も簡単である。リーゼロッテのためだと思えば、フーゴにとってはなんということはなかった。

 フーゴを悩ませるのは、もっと根深い問題だ。
 フーゴとクリスタに似ても似つかないリーゼロッテを見て、疑問を持つ者は多い。リーゼロッテが養子であることを伝えれば、それは問題ないのだが。
 リーゼロッテの容姿は、見る者が見たら、彼女がラウエンシュタイン家の血筋であると言うことは容易にわかる。そのことこそ問題だった。

 フーゴと同じ世代から上の貴族なら、マルグリットのことを知らぬ者はいないだろう。公爵令嬢だったマルグリットはその美しい容貌ようぼうもあって、社交界では常に話題の人物だった。
 その彼女に瓜二つのリーゼロッテが、なぜ縁もゆかりもない伯爵家の養子となったのか。

 ラウエンシュタイン家は、女公爵が代々当主を務めることで知られている。
 その跡取りと言える一人娘が、なぜ下位の家に養子に出されたというのか。しかもその養子縁組先で、王家によって嫁ぐ家まで決められている。

 極めつけは、ラウエンシュタイン家の当主がということだ。

 フーゴ自身、リーゼロッテの実親が亡くなったという話は聞かされていない。その証拠に、王家から毎年出される貴族きぞく名鑑めいかんには、今もマルグリットとイグナーツが、ラウエンシュタイン公爵家の当主とその伴侶としてっている。

 だがダーミッシュ家がリーゼロッテを養子に迎え入れる前後で、ふたりは社交界から忽然こつぜんと姿を消した。王家からそのことに関しての情報は何もない。
 知らされないと言うことは知る必要がない、いや、知るべきではないということだ。調べれば何か得られるかもしれないが、それは王家への背信はいしんを意味する。

 なぜリーゼロッテがダーミッシュ家に養子に出されたのか。
 フーゴはその問いに対する答えを持ちあわせていない。唯一分かっているのは、リーゼロッテが正真しょうしん正銘しょうめいダーミッシュ家の人間であるということだけだ。
 今日、王の前でそれが認められたのだ。公然たる事実として、そこに口を挟まれる余地はない。

 リーゼロッテ自身は、本当の両親はすでに亡くなっていると思っているようだ。現状で、それを否定することも、肯定することも、フーゴにはどちらもできなかった。

 リーゼロッテが辿たどる数奇な運命は、これからどうなっていくのか予想もつかない。ただ、嫁ぐ先で幸せな人生が歩めればそれでいいと、フーゴはただひたすら願う。今日は父として、改めて強くそう感じさせられる一日だ。

 その時、休憩室にエラがやってきた。

「旦那様、奥様、こちらにいらしたのですね」
「リーゼロッテに何かあったの? エラはあのあとずっと一緒だったのでしょう?」
「お嬢様は大丈夫です。お怪我などはされていませんし、今は公爵様と別の休憩室にいらっしゃいます」

 エラのその言葉にクリスタは安堵あんどの息を漏らした。

「それと広間で先ほど、クラッセン侯爵様が到着されたと案内がされていました。旦那様もお顔を出された方がよろしいのでは」
「ああ、トビアス殿は間に合ったんだね。そうか、わかった」

 フーゴとクリスタにとって、アンネマリーは可愛いめいだ。リーゼロッテ同様、デビューを祝ってやりたい。アンネマリーはリーゼロッテより一つ年上だが、デビューはふたり一緒にしようと幼いころから両家で決めていた。

 酔いもだいぶ冷めてきた。リーゼロッテのためにも、もうひと踏ん張り挨拶回りを頑張ろうと、ダーミッシュ夫妻は夜会の喧騒けんそうの中へと戻っていった。
しおりを挟む
※小説家になろうグループムーンライトノベルズにて【R18】ふたつ名の令嬢と龍の託宣 不定期投稿中☆
 第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣 スタートました♡
※アルファポリス版は第1部令嬢編として一度完結としましたが、ムーンでは第6章を継続投稿中です。
 こちらはR18ですので、18歳以上(高校生不可)の方のみ閲覧できます。
感想 2

あなたにおすすめの小説

完結 「愛が重い」と言われたので尽くすのを全部止めたところ

音爽(ネソウ)
恋愛
アルミロ・ルファーノ伯爵令息は身体が弱くいつも臥せっていた。財があっても自由がないと嘆く。 だが、そんな彼を幼少期から知る婚約者ニーナ・ガーナインは献身的につくした。 相思相愛で結ばれたはずが健気に尽くす彼女を疎ましく感じる相手。 どんな無茶な要望にも応えていたはずが裏切られることになる。

異世界転移聖女の侍女にされ殺された公爵令嬢ですが、時を逆行したのでお告げと称して聖女の功績を先取り実行してみた結果

富士とまと
恋愛
公爵令嬢が、異世界から召喚された聖女に婚約者である皇太子を横取りし婚約破棄される。 そのうえ、聖女の世話役として、侍女のように働かされることになる。理不尽な要求にも色々耐えていたのに、ある日「もう飽きたつまんない」と聖女が言いだし、冤罪をかけられ牢屋に入れられ毒殺される。 死んだと思ったら、時をさかのぼっていた。皇太子との関係を改めてやり直す中、聖女と過ごした日々に見聞きした知識を生かすことができることに気が付き……。殿下の呪いを解いたり、水害を防いだりとしながら過ごすあいだに、運命の時を迎え……え?ええ?

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】愛してるなんて言うから

空原海
恋愛
「メアリー、俺はこの婚約を破棄したい」  婚約が決まって、三年が経とうかという頃に切り出された婚約破棄。  婚約の理由は、アラン様のお父様とわたしのお母様が、昔恋人同士だったから。 ――なんだそれ。ふざけてんのか。  わたし達は婚約解消を前提とした婚約を、互いに了承し合った。 第1部が恋物語。 第2部は裏事情の暴露大会。親世代の愛憎確執バトル、スタートッ! ※ 一話のみ挿絵があります。サブタイトルに(※挿絵あり)と表記しております。  苦手な方、ごめんなさい。挿絵の箇所は、するーっと流してくださると幸いです。

【完】夫から冷遇される伯爵夫人でしたが、身分を隠して踊り子として夜働いていたら、その夫に見初められました。

112
恋愛
伯爵家同士の結婚、申し分ない筈だった。 エッジワーズ家の娘、エリシアは踊り子の娘だったが為に嫁ぎ先の夫に冷遇され、虐げられ、屋敷を追い出される。 庭の片隅、掘っ立て小屋で生活していたエリシアは、街で祝祭が開かれることを耳にする。どうせ誰からも顧みられないからと、こっそり抜け出して街へ向かう。すると街の中心部で民衆が音楽に合わせて踊っていた。その輪の中にエリシアも入り一緒になって踊っていると──

【完結済】隣国でひっそりと子育てしている私のことを、執着心むき出しの初恋が追いかけてきます

鳴宮野々花@書籍2冊発売中
恋愛
 一夜の過ちだなんて思いたくない。私にとって彼とのあの夜は、人生で唯一の、最良の思い出なのだから。彼のおかげで、この子に会えた────  私、この子と生きていきますっ!!  シアーズ男爵家の末娘ティナレインは、男爵が隣国出身のメイドに手をつけてできた娘だった。ティナレインは隣国の一部の者が持つ魔力(治癒術)を微力ながら持っており、そのため男爵夫人に一層疎まれ、男爵家後継ぎの兄と、世渡り上手で気の強い姉の下で、影薄く過ごしていた。  幼いティナレインは、優しい侯爵家の子息セシルと親しくなっていくが、息子がティナレインに入れ込みすぎていることを嫌う侯爵夫人は、シアーズ男爵夫人に苦言を呈す。侯爵夫人の機嫌を損ねることが怖い義母から強く叱られ、ティナレインはセシルとの接触を禁止されてしまう。  時を経て、貴族学園で再会する二人。忘れられなかったティナへの想いが燃え上がるセシルは猛アタックするが、ティナは自分の想いを封じ込めるように、セシルを避ける。  やがてティナレインは、とある商会の成金経営者と婚約させられることとなり、学園を中退。想い合いながらも会うことすら叶わなくなった二人だが、ある夜偶然の再会を果たす。  それから数ヶ月。結婚を目前に控えたティナレインは、隣国へと逃げる決意をした。自分のお腹に宿っていることに気付いた、大切な我が子を守るために。  けれど、名を偽り可愛い我が子の子育てをしながら懸命に生きていたティナレインと、彼女を諦めきれないセシルは、ある日運命的な再会を果たし────  生まれ育った屋敷で冷遇され続けた挙げ句、最低な成金ジジイと結婚させられそうになったヒロインが、我が子を守るために全てを捨てて新しい人生を切り拓いていこうと奮闘する物語です。 ※いつもの完全オリジナルファンタジー世界の物語です。全てがファンタジーです。 ※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

処理中です...