ふたつ名の令嬢と龍の託宣【第二部公爵夫人編開始】

古堂 素央

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第2章 氷の王子と消えた託宣

第13話 白の夜会 –後編-

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【前回のあらすじ】
 社交界デビューである白の夜会で、粗相なく王に挨拶を済ませたリーゼロッテ。
 安堵するのも束の間、ジークヴァルトとダンス中に異形の者が乱入してきて……。どうにか事なきを得たものの、大勢の貴族たちが見守る中、結局はジークヴァルトに抱き上げられるはめに。
 様々なうわさが飛び交う中、ふたりの婚約は社交界で周知のこととなったのでした。




「特にお怪我はしておられないようですな」

 リーゼロッテを診察していた老齢の医師が、ジークヴァルトを振り返った。

「ただし慣れない靴で少し足を痛めておいでのようです。歩くには支障はないでしょうが、今日の所はあまりご無理なさいませんよう」

 それだけ言い残すと医師は頭を下げて部屋をしていった。

 ここは夜会の会場にある休憩室の一室だ。その中でも広く豪華な部屋に通された。公爵であるジークヴァルトへの待遇だと考えれば納得もいく立派な部屋だ。

「ジークヴァルト様。先ほどは危ないところをありがとうございました」

 デビューの舞踏会で子供抱きにされて運ばれるなど、ものすごく恥ずかしかったが、助けてもらったことはまた別問題だ。リーゼロッテは立ちあがって淑女の礼をとった。

「いい。座って休んでいろ」

 そう言いながらジークヴァルトはリーゼロッテをソファへと座らせ、次いでテーブルの上にあった菓子をひとつつまみあげた。

「あーん」
(うん……そう来るわよね)

 いつ何時なんどきもぶれないジークヴァルトに、あきらめの境地でリーゼロッテは口を開いた。エラが後ろでニコニコしながら立っているが、夜会の会場でやられるよりも何万倍も気が楽と言うものだ。そのエラの横にはエーミールが表情を変えず腕を組んで立っている。

 さすが、王家主催の夜会、休憩室に置いてあるお菓子も一級品だ。疲れた体に糖分が染み渡る。黙ってもくもくと口を動かしていると、部屋の扉がたたかれた。

「リーゼロッテ様」

 夜会仕様で着飾ったエマニュエルが心配そうな顔をして入ってきた。胸の谷間を強調したなんとも目のやり場に困るドレスだ。エマニュエルと踊る紳士は、それはもうムフフな思いができることだろう。

「ダンス中に転倒事故に巻き込まれたとか。お怪我はなさいませんでしたか?」
「エマ様、ご心配をおかけしました。ジークヴァルト様がいてくださったので事なきを得ましたわ」
「それはよかったです。ダーミッシュ伯爵様たちも、とてもご心配されていましたから」

 エマニュエルがほっとした顔をすると、リーゼロッテはエラを見やった。

「エラ、疲れているところ悪いのだけれど、お義父とうさまたちにわたくしは大丈夫だと伝えてきてくれないかしら?」
「はい、承知いたしました。すぐにお伝えして参ります」

 二つ返事で部屋を出ていこうとするエラを一同は黙って見送る。

「エーミールもエデラー嬢についていってくれ」
「ですがわたしは……」

 ジークヴァルトの元を離れるのを躊躇ちゅうちょしてエーミールは渋るように言った。

「問題ない。しばらくはここにいる」

 そっけなく言ったジークヴァルトに、エーミールは仕方なしに頷いてそれに従った。エラを追いかけて部屋を出ようとする。

「エーミール、先ほどは助かった、礼を言う。……だが、エデラー嬢を振り回すのはこれきりにしてくれ」

 よろこんだのもつか、ジークヴァルトにそうくぎを刺されて、エーミールは渋い顔をして部屋を出ていった。

 程なくして再び扉がノックされたかと思うと、誰何すいかする前に乱暴に扉が開け放たれた。間髪かんぱつおかずにひとりのご令嬢が飛び込んでくる。

「リーゼロッテ! 怪我はない!?」
「アデライーデ様?」
 飛び込んでくるなりいきなりぎゅうっと抱きしめられて、ソファに座ったまま視界が塞がれた。一瞬のことで令嬢の顔を確認できなかったが、この声は確かにアデライーデだ。

「ジークヴァルト様のおかげで、わたくし、何も怪我はしませんでしたわ。お騒がせして申し訳ありません」
「遅れてやって来てみれば、ダンスフロアは騒然そうぜんとしているし、令嬢がひとり倒れているし、リーゼロッテはジークヴァルトに抱えられているしで、ほんっとに心配したわ」
「……本当にお騒がせいたしました」

 羞恥しゅうちで頬が赤くなる。アデライーデによしよしと背中をさすられ、リーゼロッテもアデライーデをきゅっと抱きかえした。

「いい加減離れろ」とジークヴァルトの声がして、アデライーデの抱擁ほうようが解かれる。
「まったくもう。少しくらいいいでしょ、別に」

 腰に手を当てて、アデライーデはジークヴァルトを呆れ気味に見やった。

(アデライーデ様……!)

 リーゼロッテは思わず立ち上がって胸の前で祈るように手を組んだ。

 そこにいたのは鮮やかな臙脂えんじの生地に黒いレースをあしらったゴシックドレスをまとったアデライーデだった。美しく髪を結い上げて、その左目には赤い薔薇ばらと黒いレースが施された眼帯がつけられている。

 美しすぎる。ただその一言に尽きた。目の前に立つアデライーデは、まるで等身大の緻密ちみつなビスクドールのようだ。

(はうっ、グッジョブ マダム!)

 瞳の中にハートマークが飛びまくる。仮縫い時にアデライーデのドレスを見て、眼帯もゴシック調にしてほしいとマダムに頼んでみたのだ。
 似合いすぎてドキドキが止まらない。こんなレイヤーがいたら、大勢のカメコに取り囲まれること間違いなしだ。

「これ、リーゼロッテのデザインなんですって?」

 ゴシック眼帯を指さしながら、アデライーデは少し困ったように微笑んだ。その様子にリーゼロッテは我に返る。

「あ……差し出がましいことを」
「あら、なかなか好評でしたわよ?」

 エマニュエルがいたずらっぽく言うと、アデライーデも同意するように頷いた。

「マダムもこれを流行らせたいって言っていたわ。わたしはその広告塔なんですって」
「新しもの好きのご夫人たちが興味津々でいらっしゃいましたものね」

 その会話にリーゼロッテは胸をなでおろす。だが、厨二病が荒ぶって暴走するのはほどほどにしなくてはと心を改めた。

「それよりも、リーゼロッテ。今日のあなたはとても素敵だわ。オクタヴィアの瞳もよく似合ってる。……デビューおめでとう。本当に綺麗だわ」
「ありがとうございます、お姉様」

 はにかむように笑うと再びアデライーデにかき抱かれた。

「ああん! かっわっいっいぃ! こんなことなら騎士服を着てくればよかった。そうすればリーゼロッテとまた踊れたのに」
「ああ? そんなことしたらパートナーがいなくなってオレが困るだろうが」

 いきなり会話に参加してきた赤毛の男を、リーゼロッテは驚いて見上げた。いつの間にいたのだろう。見知らぬ男だが、どこかで会ったことがあるような気もする顔立ちだ。

「そんなこと知らないわよ。わたしを令嬢けに使うのはいい加減やめてほしいんだけど」

 アデライーデはリーゼロッテから離れると、当たりのようにその男の横に立った。

 燃えるような見事な赤毛に金色の瞳をしたその男は、上質な夜会服をまとい、その胸には王家の人間であるあかしの龍の紋章が刺繍ししゅうされている。

(ディートリヒ王!?)

 なぜすぐにわからなかったのか。赤毛に金色の瞳をした王族など、ディートリヒ王以外あり得ない。飛び上がるように驚いて、条件反射のように礼を取ろうとした。

「ああ、いいのよ。この人はただのバルバナス様だから」

 アデライーデにそう制されて、リーゼロッテはぽかんと赤毛の男を見上げた。

(ただの、ばるばなすさま……?)

 どこかで聞いた事がある名だ。こてんと首をかしげてから、リーゼロッテはすぐにその答えに行きついた。

王兄おうけい殿下でんか……!」

 慌てて一度はくずした礼の姿勢を再びとる。バルバナスはディートリヒ王の実兄じっけいだ。騎士団の総司令官であり、大公の地位につく紛れもない王族だった。

「ああ、いいっていいって。大公とは名ばかりで、まあ、好き勝手やらしてもらってるからな」

 そう言いながらバルバナスは腰を曲げてリーゼロッテにぐいと顔を近づけた。あごに手を当て、品定しなさだめするようにまじまじとのぞき込んでくる。

「はあん? 話には聞いていたが本当にマルグリットそっくりだな」

 ふいにバルバナスに手を取られ、リーゼロッテは片手を高く持ち上げられた。そのままその場で一回転させられ、リーゼロッテのドレスがふわりと広がる。片足をじくにして、リーゼロッテはくるくるともう二回転させられた。

「ははは! どこから見てもマルグリットだ! イグナーツの要素がまるでない!」

 リーゼロッテをコマのように回転させて、バルバナスは心底たのしそうな笑い声を上げた。目を回しはじめたリーゼロッテがふらつくと、バルバナスは握る手に力を込めてその回転を止めさせた。

「龍の執念しゅうねんとは恐ろしい」

 打って変わった冷たい声音こわねが響く。金色の瞳に射抜かれて、リーゼロッテは不敬になることも忘れ、あからさまにおびえた表情をした。
 握られた手は痛くはないが、その冷たい指先に否応いやおうなしに緊張をいられる。

たわむれはそれまでにしてください」

 ジークヴァルトに後ろから引き寄せられ、リーゼロッテの体はぽすりとその腕の中に収まった。安心感からか、体から一気に力が抜ける。

「ジークヴァルト……お前にまでそんな顔をさせるとは」

 そんな顔、と言われ、リーゼロッテはその腕の中でジークヴァルトの顔を見上げた。そこにいるのはいつもと変わらない無表情のジークヴァルトだったが、なんだか怒っているように感じられる。

「託宣はもはや呪いだな」

 吐き捨てるように言ったバルバナスの頭が、背後からすこん、とたたかれた。

「って」

 後頭部を押さえて振り向くと、たたんだおうぎを手にしたアデライーデが半眼でバルバナスをにらんでいる。

「おい、アデリー。そんな鈍器ブツで上官を殴るやつがあるか。騎士ならば正々堂々と剣をふるえ」
「何が正々堂々よ。わたしの可愛いリーゼロッテに手を出しておいてぬけぬけと。か弱い令嬢におうぎではたかれるくらいなんだっていうの。むしろ当然のむくいだわ」
「か弱い令嬢ねぇ」

 今度はまじまじとアデライーデを見やる。

「なっ!? こんな格好をさせられたのも誰のせいだと思ってるのよ! そもそもバルバナス様が」
「ああ、わかったわかった、オレが悪かった」

 面倒くさいというように、バルバナスは両手を上げた。

「ったく、姉弟そろって骨抜きにされやがって。……まあ、こんないたいけな可愛い娘ちゃん相手なら、そうなるのは分からなくもねーけどよ」

 バルバナスはリーゼロッテの頭に手を乗せて、かき回すように無造作むぞうさになでた。リーゼロッテの頭が人形のようにぐりぐりと回る。
 途端とたんに体を奥に引かれ、気づくとリーゼロッテは、ジークヴァルトとアデライーデにはさまれるように抱きこまれていた。

「ふたりしてそんな怖い顔すんなって」
「こんな顔になるのもバルバナス様のせいでしょう!?  ああん、もう、リーゼロッテの綺麗な髪がもうぐちゃぐちゃだわ」

 無言のジークヴァルトに対して、アデライーデは先ほどからバルバナス相手に言いたい放題だ。リーゼロッテはどうしたらいいかわからずに、抱きしめるふたりの顔を交互に見上げた。

「ああ、お前らはもう帰れ。どうせ先ほどの騒ぎも異形のしわざなんだろう? ディートリヒにはオレから言っといてやるから、さあ、とっとと帰った帰った」

 しっしと追い払いように手を動かす。

「じゃあ、お言葉に甘えて遠慮なく帰りましょう、リーゼロッテ」

 アデライーデが嬉々とした顔でそれに答える。

「ああ? いや、ちょっと待て。アデリー、お前は今日一日オレのそばにいる約束だぞ」
「今帰っていいって言ったじゃない」
「アデリーには言ってねえだろ。そもそもオレとの勝負に負けたお前が悪い。騎士ならば最後まで約束を守れって話だ」
「ちっ」
「あん? お前、今舌打ちしたろう? 王兄おうけい殿下でんかサマに向かって公爵令嬢ともあろうやつが」
「何よ、都合のいい時ばっかり令嬢扱いして! バルバナス様なんて、も げ て し ま え!!」
「ぬあっ、お前、股間がきゅんとするようなこと言うんじゃねえよ!」

 ぎゃんぎゃんと言い合うふたりを、リーゼロッテはぽかんとながめていた。そのすきにジークヴァルトがリーゼロッテの乱れた髪を整えるように黙々といている。

「……いったい何のお話ですか」

 騎士団へ入ってからというもの、アデライーデの口は悪くなる一方だ。呆れたようなエマニュエルのため息は、しょうもない口げんかの中にかき消されていった。
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