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第2章 氷の王子と消えた託宣
第12話 白の夜会 –前編-
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【前回のあらすじ】
エラに占いの話を聞いて、心を躍らせるリーゼロッテ。そんな彼女をジークヴァルトは占いの店へと連れていきます。
貴族街の聖女と呼ばれるその占い師の正体は、実はクリスティーナ王女。そのことに気がつきつつも、ジークヴァルトは黙ってリーゼロッテに占いを受けさせます。
しかし、その占いは龍の託宣を映すもので……。
リーゼロッテに課せられた託宣と、王女の関わりとは?
謎を残しつつ、白の夜会の当日を迎えるのでした。
デビュタントのための舞踏会である白の夜会は、王城にある夜会専用の広間で行われる。
年に一度開催されるこの夜会には、国中の貴族が参加するため、広間は豪華絢爛を極めていた。己の威信をかけて着飾った紳士淑女たちが一堂に会するその様は、どの夜会よりも見目麗しく華やかなものだ。
ある者は互いの装いを褒めそやし合い、ある者は初々しいデビュタントたちに好奇の視線を向ける。紳士の多くは政治や領地経営を語り、淑女のほとんどは噂話という名の情報交換に熱が入っていた。
また、良縁を求める貴族は、お互いに物色し合いながらその距離を測り、いたるところで駆け引きが行われている。これはどの夜会でもよく見る光景だ。
しかしこの白の夜会は、あくまでデビュタントたちが主役である。デビューを果たす者は、父親や後見人を務める貴族と共に参加する。
この夜会で社交界デビューを迎える者は、ひとりひとり王族に挨拶するのがしきたりとなっていた。王に声をかけてもらってはじめて、貴族の一員として認められるのだ。
「挨拶の順番もようやく子爵家に入ったようね」
「ここ数年は男爵家のデビュタントが多くて……本当に微笑ましいこと」
挨拶に上がるデビュタントたちをひとりひとり丁寧に論評していたご夫人方が、扇で口元を隠しながら囁き合う。
王族への挨拶は、爵位の低い者から順に行われる。今期、デビューを果たす令息令嬢の半分以上を、男爵家が占めていた。
「ディートリヒ王は慈悲深い方でいらっしゃるから、その恩恵に預かれた者は幸運ね」
「ええ、本当に。良き王に恵まれて、わたくしたちも誇りに思わなくては、ね」
「ほら、ご覧になって。あの栗毛の男爵令嬢、危うく転びそうになって可愛らしく頬をそめていらっしゃるわ」
「まあ、なんて初々しい。きっと慣れない場所で緊張なさっているのね。それにあの方、お召しのドレスがとてもよくお似合いじゃなくって?」
「あんなにカラフルなフリルがたくさんついたドレスは、なかなかお目にかかれないわね。きっと新進気鋭のデザイナーにおたのみになったのよ。とても斬新だわ」
ディートリヒ王が平民に男爵位を与えるたびに、そのことをよく思わない貴族も多かった。一代限りの爵位を貴族と認めない者すらいる。
この会場でも、社交界慣れしていない低爵位の者を、着飾った言葉で貶める会話がそこかしこで繰り広げられていた。
「あとご挨拶を控えているのは、子爵家が三人で、伯爵家と侯爵家がおふたりずつね」
「そう言えば、ランド侯爵様のご令嬢が今年のデビューを見合わせたという話はご存じ?」
「ええ、わたくしも耳にしたわ。でもランド家でご不幸があった話は聞かないけれど……」
成人を迎える十五の年でデビューを果たす者が大半だが、家の事情でデビューを遅らせる貴族も中にはいる。その理由は、身内の不幸だったり経済的事由だったりと様々だ。
だが上位貴族では少々事情が異なることもしばしばだった。
「ほら、今年はダーミッシュの妖精姫がデビューされるでしょう? なにしろランド侯爵様は大事な一人娘を溺愛なさっていますもの。デビューを華々しくするためにも、準備を万全になさりたいのね」
要は話題をさらうような令嬢と一緒にデビューさせたくないのである。
できることなら自分の子供を主役にしたい。そう思う親馬鹿な貴族は少なからずいる。
「良縁を逃すまいと勇み足でデビューなさる家も多い中、さすがランド侯爵様ですわね」
婚約者のいない令嬢を持つ親は、王太子妃の座を巡ってしのぎを削っている。その戦いに参加するために、わざわざ違約金を払ってまで婚約を破棄する家もあるくらいだ。
それに男爵位以下の貴族は、親の爵位があるうちにどこかの貴族と縁続きになりたいと思う者がほとんどだった。王太子妃にはなれなくとも、親子ともども婚活に熱が入るのはしごく当然のことだろう。だがそれをあさましいと感じる上位貴族の態度は冷ややかだ。
「あら、子爵家のご挨拶も無事に終わったみたい。あとは、ブラル伯爵家とダーミッシュ伯爵家、キュプカー侯爵家、それにクラッセン侯爵家の四家のを残すのみね」
デビュタントにそれほど興味を示していなかった貴族も、ブラル伯爵の名が呼ばれるとみながそちらに視線を送った。見事な縦ロールの令嬢が父親にエスコートされて入場してくる。
「ブラル伯爵家のイザベラ様ね。伯爵夫人に似てお美しいご令嬢だわ」
「あのドレスはマダム・ヤンディールのデザインよ。同じフリルの多いドレスでも、こうも上品に仕上げてくるなんて。伯爵家ともなるとやっぱり格が違うわね」
ブラル伯爵と令嬢が、王族の前で優雅に礼をとっている。貴族によっては王族と会話を交わす最初で最後の機会となる。王に何事か話しかけられ、令嬢は臆せず言葉を返しているようだ。
「さすが伯爵家のご令嬢ね。王の御前だと言うのに、とても初舞台とは思えない堂々たる振るまいだわ」
「まあ、ご覧になって。王太子殿下は相変わらずのご様子のようよ」
「さすがは孤高の王太子でいらっしゃるわ。どんなに可愛らしいご令嬢が熱い視線を送っても、にこりともなさらないもの」
ディートリヒ王とイジドーラ王妃が並んで座る斜め後ろに、ハインリヒ王子がしかめ面をしたまま立っている。宙を睨んで微動だにせず、笑顔を返すどころかデビュタントたちに目を向けることすらしない。
「王太子殿下は結婚相手をお選びなる気はおありなのかしら? 噂通りに女性にご興味がない……なんてことがないとよろしいのですけれど」
「フーゲンベルク公爵様が殿下のご寵愛を受けているというのは、あながちただの噂ではないのかも」
「あら、でも、公爵様は婚約者がいらっしゃるって話よ。先日、貴族街にお相手のご令嬢とお姿を現したと大騒ぎになっているもの。なんでもとても大事そうにエスコートなさっていたとか」
「それって本当の話なの? 王妃殿下のお茶会の噂だって眉唾物だわ。だってあの公爵様よ」
広い会場の一角に視線を送る。そこにはぐるりと人だかりに囲まれている長身で黒髪の青年貴族がいた。
無表情だが眉間にしわを寄せるその様は、とても社交に熱心とは言い難い。その雰囲気に臆しているのか、公爵を取り巻く者たちも、一定の距離を開けて恐る恐る話しかけているようだ。
「そうなのよね。あのジークヴァルト・フーゲンベルク様が、女性をエスコートする姿なんて想像もつかないわ」
「でも驚くことに、お相手はダーミッシュ伯爵のご令嬢だと言うのよ。噂では王妃様のお茶会で、公爵様自らが婚約者だと宣言されたとか」
「まあ! それは本当なの? あの深窓の妖精姫が……?」
奇しくも次に呼ばれるのはダーミッシュ伯爵家だ。
ブラル伯爵が王の前から退場していくと、会場にいたほとんどの貴族が、デビュタントの登場口である大きな二枚扉に視線を向けた。その空気に気づかないのは、そんな事情を知らぬ新参の貴族くらいである。
それでなくともダーミッシュの妖精姫は、幻の令嬢として社交界ではたびたび話題に上る。そのふたつ名の通りに妖精のように可憐であるとか、その正体は悪魔のように醜いのだとか、様々な憶測が飛び交っているのだ。
貴族の容姿は実物を超えて褒めそやされることが常である。肖像画などはその最たるものだ。上位貴族の子息・令嬢ならばどんなに凡庸であろうとも、噂も肖像画も称賛の声までもが美男美女と化す。
妖精が出るか悪魔が出るか。そう言った意味合いでもダーミッシュ伯爵令嬢は、今期のデビュタントの中で注目を一番に集める存在だった。
フーゲンベルク公爵との婚約話の真偽のほども、今宵、すべてが明かされるだろう。なにせ役者がこの場にそろうのだ。暇を持て余す貴族たちにとって、これほど好奇心を満たしてくれる話題はそうそうあるものではない。
「フーゴ・ダーミッシュ伯爵、リーゼロッテ・ダーミッシュ伯爵令嬢、ご登場!」
よく通る声が高らかに響いた。それと同時に大きく重い二枚扉が開け放たれる。付近にまで詰め寄っていた貴族たちの会話が途切れ、誰かののどがごくりと鳴った。
エラに占いの話を聞いて、心を躍らせるリーゼロッテ。そんな彼女をジークヴァルトは占いの店へと連れていきます。
貴族街の聖女と呼ばれるその占い師の正体は、実はクリスティーナ王女。そのことに気がつきつつも、ジークヴァルトは黙ってリーゼロッテに占いを受けさせます。
しかし、その占いは龍の託宣を映すもので……。
リーゼロッテに課せられた託宣と、王女の関わりとは?
謎を残しつつ、白の夜会の当日を迎えるのでした。
デビュタントのための舞踏会である白の夜会は、王城にある夜会専用の広間で行われる。
年に一度開催されるこの夜会には、国中の貴族が参加するため、広間は豪華絢爛を極めていた。己の威信をかけて着飾った紳士淑女たちが一堂に会するその様は、どの夜会よりも見目麗しく華やかなものだ。
ある者は互いの装いを褒めそやし合い、ある者は初々しいデビュタントたちに好奇の視線を向ける。紳士の多くは政治や領地経営を語り、淑女のほとんどは噂話という名の情報交換に熱が入っていた。
また、良縁を求める貴族は、お互いに物色し合いながらその距離を測り、いたるところで駆け引きが行われている。これはどの夜会でもよく見る光景だ。
しかしこの白の夜会は、あくまでデビュタントたちが主役である。デビューを果たす者は、父親や後見人を務める貴族と共に参加する。
この夜会で社交界デビューを迎える者は、ひとりひとり王族に挨拶するのがしきたりとなっていた。王に声をかけてもらってはじめて、貴族の一員として認められるのだ。
「挨拶の順番もようやく子爵家に入ったようね」
「ここ数年は男爵家のデビュタントが多くて……本当に微笑ましいこと」
挨拶に上がるデビュタントたちをひとりひとり丁寧に論評していたご夫人方が、扇で口元を隠しながら囁き合う。
王族への挨拶は、爵位の低い者から順に行われる。今期、デビューを果たす令息令嬢の半分以上を、男爵家が占めていた。
「ディートリヒ王は慈悲深い方でいらっしゃるから、その恩恵に預かれた者は幸運ね」
「ええ、本当に。良き王に恵まれて、わたくしたちも誇りに思わなくては、ね」
「ほら、ご覧になって。あの栗毛の男爵令嬢、危うく転びそうになって可愛らしく頬をそめていらっしゃるわ」
「まあ、なんて初々しい。きっと慣れない場所で緊張なさっているのね。それにあの方、お召しのドレスがとてもよくお似合いじゃなくって?」
「あんなにカラフルなフリルがたくさんついたドレスは、なかなかお目にかかれないわね。きっと新進気鋭のデザイナーにおたのみになったのよ。とても斬新だわ」
ディートリヒ王が平民に男爵位を与えるたびに、そのことをよく思わない貴族も多かった。一代限りの爵位を貴族と認めない者すらいる。
この会場でも、社交界慣れしていない低爵位の者を、着飾った言葉で貶める会話がそこかしこで繰り広げられていた。
「あとご挨拶を控えているのは、子爵家が三人で、伯爵家と侯爵家がおふたりずつね」
「そう言えば、ランド侯爵様のご令嬢が今年のデビューを見合わせたという話はご存じ?」
「ええ、わたくしも耳にしたわ。でもランド家でご不幸があった話は聞かないけれど……」
成人を迎える十五の年でデビューを果たす者が大半だが、家の事情でデビューを遅らせる貴族も中にはいる。その理由は、身内の不幸だったり経済的事由だったりと様々だ。
だが上位貴族では少々事情が異なることもしばしばだった。
「ほら、今年はダーミッシュの妖精姫がデビューされるでしょう? なにしろランド侯爵様は大事な一人娘を溺愛なさっていますもの。デビューを華々しくするためにも、準備を万全になさりたいのね」
要は話題をさらうような令嬢と一緒にデビューさせたくないのである。
できることなら自分の子供を主役にしたい。そう思う親馬鹿な貴族は少なからずいる。
「良縁を逃すまいと勇み足でデビューなさる家も多い中、さすがランド侯爵様ですわね」
婚約者のいない令嬢を持つ親は、王太子妃の座を巡ってしのぎを削っている。その戦いに参加するために、わざわざ違約金を払ってまで婚約を破棄する家もあるくらいだ。
それに男爵位以下の貴族は、親の爵位があるうちにどこかの貴族と縁続きになりたいと思う者がほとんどだった。王太子妃にはなれなくとも、親子ともども婚活に熱が入るのはしごく当然のことだろう。だがそれをあさましいと感じる上位貴族の態度は冷ややかだ。
「あら、子爵家のご挨拶も無事に終わったみたい。あとは、ブラル伯爵家とダーミッシュ伯爵家、キュプカー侯爵家、それにクラッセン侯爵家の四家のを残すのみね」
デビュタントにそれほど興味を示していなかった貴族も、ブラル伯爵の名が呼ばれるとみながそちらに視線を送った。見事な縦ロールの令嬢が父親にエスコートされて入場してくる。
「ブラル伯爵家のイザベラ様ね。伯爵夫人に似てお美しいご令嬢だわ」
「あのドレスはマダム・ヤンディールのデザインよ。同じフリルの多いドレスでも、こうも上品に仕上げてくるなんて。伯爵家ともなるとやっぱり格が違うわね」
ブラル伯爵と令嬢が、王族の前で優雅に礼をとっている。貴族によっては王族と会話を交わす最初で最後の機会となる。王に何事か話しかけられ、令嬢は臆せず言葉を返しているようだ。
「さすが伯爵家のご令嬢ね。王の御前だと言うのに、とても初舞台とは思えない堂々たる振るまいだわ」
「まあ、ご覧になって。王太子殿下は相変わらずのご様子のようよ」
「さすがは孤高の王太子でいらっしゃるわ。どんなに可愛らしいご令嬢が熱い視線を送っても、にこりともなさらないもの」
ディートリヒ王とイジドーラ王妃が並んで座る斜め後ろに、ハインリヒ王子がしかめ面をしたまま立っている。宙を睨んで微動だにせず、笑顔を返すどころかデビュタントたちに目を向けることすらしない。
「王太子殿下は結婚相手をお選びなる気はおありなのかしら? 噂通りに女性にご興味がない……なんてことがないとよろしいのですけれど」
「フーゲンベルク公爵様が殿下のご寵愛を受けているというのは、あながちただの噂ではないのかも」
「あら、でも、公爵様は婚約者がいらっしゃるって話よ。先日、貴族街にお相手のご令嬢とお姿を現したと大騒ぎになっているもの。なんでもとても大事そうにエスコートなさっていたとか」
「それって本当の話なの? 王妃殿下のお茶会の噂だって眉唾物だわ。だってあの公爵様よ」
広い会場の一角に視線を送る。そこにはぐるりと人だかりに囲まれている長身で黒髪の青年貴族がいた。
無表情だが眉間にしわを寄せるその様は、とても社交に熱心とは言い難い。その雰囲気に臆しているのか、公爵を取り巻く者たちも、一定の距離を開けて恐る恐る話しかけているようだ。
「そうなのよね。あのジークヴァルト・フーゲンベルク様が、女性をエスコートする姿なんて想像もつかないわ」
「でも驚くことに、お相手はダーミッシュ伯爵のご令嬢だと言うのよ。噂では王妃様のお茶会で、公爵様自らが婚約者だと宣言されたとか」
「まあ! それは本当なの? あの深窓の妖精姫が……?」
奇しくも次に呼ばれるのはダーミッシュ伯爵家だ。
ブラル伯爵が王の前から退場していくと、会場にいたほとんどの貴族が、デビュタントの登場口である大きな二枚扉に視線を向けた。その空気に気づかないのは、そんな事情を知らぬ新参の貴族くらいである。
それでなくともダーミッシュの妖精姫は、幻の令嬢として社交界ではたびたび話題に上る。そのふたつ名の通りに妖精のように可憐であるとか、その正体は悪魔のように醜いのだとか、様々な憶測が飛び交っているのだ。
貴族の容姿は実物を超えて褒めそやされることが常である。肖像画などはその最たるものだ。上位貴族の子息・令嬢ならばどんなに凡庸であろうとも、噂も肖像画も称賛の声までもが美男美女と化す。
妖精が出るか悪魔が出るか。そう言った意味合いでもダーミッシュ伯爵令嬢は、今期のデビュタントの中で注目を一番に集める存在だった。
フーゲンベルク公爵との婚約話の真偽のほども、今宵、すべてが明かされるだろう。なにせ役者がこの場にそろうのだ。暇を持て余す貴族たちにとって、これほど好奇心を満たしてくれる話題はそうそうあるものではない。
「フーゴ・ダーミッシュ伯爵、リーゼロッテ・ダーミッシュ伯爵令嬢、ご登場!」
よく通る声が高らかに響いた。それと同時に大きく重い二枚扉が開け放たれる。付近にまで詰め寄っていた貴族たちの会話が途切れ、誰かののどがごくりと鳴った。
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