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第2章 氷の王子と消えた託宣
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◇
帰りの馬車は、行き以上に沈黙に包まれていた。口を開く者はなく、ただ車輪が回る音のみが響いている。外は日暮れを迎え、遠くまでは見渡すことはできない。窓にうつる自分の姿を、揺られながらただぼんやりとリーゼロッテは眺めていた。
こてんとジークヴァルトの胸に頭を預けると、そのままやさしく髪を梳かれた。どうしてだか帰りの馬車でも、リーゼロッテはジークヴァルトの膝の上に乗せられた。抗議する気力も湧かずに、リーゼロッテはおとなしくジークヴァルトの腕の中におさまって今に至る。
「ヴァルト様……あれは本当にわたくしのせいではなかったのでしょうか?」
ジークヴァルトの胸の外套のボタンを見つめながらぽつりともらすと、ジークヴァルトの髪を梳く手が一瞬だけ止まった。
「あれはダーミッシュ嬢のせいではない。先方もそう言っていただろう?」
安心させるように再び髪が梳かれていく。
「怖かったのか?」
「いえ……ジークヴァルト様がそばにいてくださいましたから……」
「そうか」
そこで会話が途切れて、再び沈黙が訪れる。はじめての外出で思いのほか疲れてしまったのかもしれない。馬車の揺れとジークヴァルトの手つきに、リーゼロッテは少しまどろみかけていた。
(結局は占いの内容もよくわからないものだったし……神社のおみくじのようなものなのかしら……)
そんなことを思いながら、リーゼロッテの意識はいつしか深く沈んでいく。
「お嬢様、タウンハウスに到着いたしましたよ」
エラがそう声をかけるもリーゼロッテの瞳は閉じられたままだ。
「いい。オレが運ぼう」
ジークヴァルトの言葉に頷くと、エーミールに手を取られてエラは先に馬車を降りていった。ジークヴァルトはリーゼロッテを抱えなおそうと、一度リーゼロッテを膝から椅子へと降ろした。その刺激でまどろんでいたリーゼロッテの意識が浮上する。
「……ジークヴァルト様?」
「起きたか。オレが抱くからそのままでいい」
その言葉にぼんやりしていた意識が一気に覚醒した。膝裏に差し込まれそうになった腕を、咄嗟に掴んで止めさせる。
「いえ、起きましたので、自分で行きますわ」
その言葉にジークヴァルトは無言で視線を返してきた。青い瞳とじっと見つめ合う。納得していなさそうな表情を前に、リーゼロッテは寝起きの頭で思考をフル回転で巡らせた。
「あ、あの、ジークヴァルト様。今日はこのまま公爵家にお戻りになられるのですよね。でしたら、わたくしを中まで送らずとも、このまま馬車に乗っていていただいてよろしいですわ」
「必要ない。ダーミッシュ伯爵夫人に挨拶せずに帰るわけにはいかないだろう」
そう言ってジークヴァルトは再びリーゼロッテに手を伸ばしてきた。
「で、でしたら! あの、その、あーんを……今日の分のあーんを今ここでしていただきたいのです!」
咄嗟に口走った言葉に、リーゼロッテはその頬を赤らめた。しかし、言った後に妙案だったと自ら思った。ジークヴァルトの事だ。このままタウンハウスのエントランスに抱えられて行ったら、その後にクリスタたちが見ている前で、臆面もなくあーんをかましてくるのは目に見えている。
「お願いです、ヴァルト様、あーんを今ここで」
ふたりきりの馬車の中、ジークヴァルトの腕を引き寄せる。寝起きの潤んだ瞳でジークヴァルトの顔を間近から覗き込んだ。
どすっ、と鈍い音がして、リーゼロッテは反射的に身を引いた。見ると、ジークヴァルトが自らの腹に拳を突き立てて、背中を丸めて身もだえている。
「じ、ジークヴァルト様……?」
呆気に取られながらも声をかけると、ジークヴァルトは拳を腹にめり込ませたまま「問題ない」と顔を上げた。いつも通りの無表情だが、その目は涙目になっている。
どう見ても問題ありありなのだが、ジークヴァルトが気を取りなおしたように「あーん」と菓子を差し出してきたので、リーゼロッテはそれ以上聞き返すことはできなかった。
(ヴァルト様って、実は自虐趣味がおありなのかしら……)
以前、公爵家の玄関先で、自らの頬を力いっぱい叩いていたことを思い出す。
将来、夫婦となった暁に、寝所でムチや蝋燭など取り出されたら自分にうまく対応できるだろうか。とろけるチョコ菓子をその口に含みながら、リーゼロッテはそんなことを考えていた。
ぼんやりと考え事をしているうちに、気づくとジークヴァルトに横抱きに抱えられて、馬車の外へと連れ出されていた。
「あ、あの、ヴァルト様っ」
焦ったように言うも、ジークヴァルトはすでにタウンハウスの玄関へと向かっている。もうこうなったら潔く運ばれるしかない。観念したところで、リーゼロッテははたと大事なことに気がついた。
「あの、今日のあーんのお返しと、たまったノルマは、いずれ公爵家にお伺いしたときにまとめて消化いたしますから……」
このままでは結局、義母たちの前であーん劇場が開幕されてしまう。それだけは何とか阻止したかった。
(ログボは次の日には繰り越せないのに……)
ジークヴァルトにソシャゲの概念を説くわけにもいかず、リーゼロッテは何とか説得を試みた。
「ヴァルト様のお帰りも遅くなってしまいますし、わたくしも今日は早めに休みたいので……」
「……そうか」
白の夜会も近いせいか、ジークヴァルトはそれで納得してくれたようだ。ほっと胸をなでおろす。
ジークヴァルトはクリスタに挨拶すると、リーゼロッテの髪をひとなでするだけで返事通りにおとなしく帰って行った。
帰りの馬車は、行き以上に沈黙に包まれていた。口を開く者はなく、ただ車輪が回る音のみが響いている。外は日暮れを迎え、遠くまでは見渡すことはできない。窓にうつる自分の姿を、揺られながらただぼんやりとリーゼロッテは眺めていた。
こてんとジークヴァルトの胸に頭を預けると、そのままやさしく髪を梳かれた。どうしてだか帰りの馬車でも、リーゼロッテはジークヴァルトの膝の上に乗せられた。抗議する気力も湧かずに、リーゼロッテはおとなしくジークヴァルトの腕の中におさまって今に至る。
「ヴァルト様……あれは本当にわたくしのせいではなかったのでしょうか?」
ジークヴァルトの胸の外套のボタンを見つめながらぽつりともらすと、ジークヴァルトの髪を梳く手が一瞬だけ止まった。
「あれはダーミッシュ嬢のせいではない。先方もそう言っていただろう?」
安心させるように再び髪が梳かれていく。
「怖かったのか?」
「いえ……ジークヴァルト様がそばにいてくださいましたから……」
「そうか」
そこで会話が途切れて、再び沈黙が訪れる。はじめての外出で思いのほか疲れてしまったのかもしれない。馬車の揺れとジークヴァルトの手つきに、リーゼロッテは少しまどろみかけていた。
(結局は占いの内容もよくわからないものだったし……神社のおみくじのようなものなのかしら……)
そんなことを思いながら、リーゼロッテの意識はいつしか深く沈んでいく。
「お嬢様、タウンハウスに到着いたしましたよ」
エラがそう声をかけるもリーゼロッテの瞳は閉じられたままだ。
「いい。オレが運ぼう」
ジークヴァルトの言葉に頷くと、エーミールに手を取られてエラは先に馬車を降りていった。ジークヴァルトはリーゼロッテを抱えなおそうと、一度リーゼロッテを膝から椅子へと降ろした。その刺激でまどろんでいたリーゼロッテの意識が浮上する。
「……ジークヴァルト様?」
「起きたか。オレが抱くからそのままでいい」
その言葉にぼんやりしていた意識が一気に覚醒した。膝裏に差し込まれそうになった腕を、咄嗟に掴んで止めさせる。
「いえ、起きましたので、自分で行きますわ」
その言葉にジークヴァルトは無言で視線を返してきた。青い瞳とじっと見つめ合う。納得していなさそうな表情を前に、リーゼロッテは寝起きの頭で思考をフル回転で巡らせた。
「あ、あの、ジークヴァルト様。今日はこのまま公爵家にお戻りになられるのですよね。でしたら、わたくしを中まで送らずとも、このまま馬車に乗っていていただいてよろしいですわ」
「必要ない。ダーミッシュ伯爵夫人に挨拶せずに帰るわけにはいかないだろう」
そう言ってジークヴァルトは再びリーゼロッテに手を伸ばしてきた。
「で、でしたら! あの、その、あーんを……今日の分のあーんを今ここでしていただきたいのです!」
咄嗟に口走った言葉に、リーゼロッテはその頬を赤らめた。しかし、言った後に妙案だったと自ら思った。ジークヴァルトの事だ。このままタウンハウスのエントランスに抱えられて行ったら、その後にクリスタたちが見ている前で、臆面もなくあーんをかましてくるのは目に見えている。
「お願いです、ヴァルト様、あーんを今ここで」
ふたりきりの馬車の中、ジークヴァルトの腕を引き寄せる。寝起きの潤んだ瞳でジークヴァルトの顔を間近から覗き込んだ。
どすっ、と鈍い音がして、リーゼロッテは反射的に身を引いた。見ると、ジークヴァルトが自らの腹に拳を突き立てて、背中を丸めて身もだえている。
「じ、ジークヴァルト様……?」
呆気に取られながらも声をかけると、ジークヴァルトは拳を腹にめり込ませたまま「問題ない」と顔を上げた。いつも通りの無表情だが、その目は涙目になっている。
どう見ても問題ありありなのだが、ジークヴァルトが気を取りなおしたように「あーん」と菓子を差し出してきたので、リーゼロッテはそれ以上聞き返すことはできなかった。
(ヴァルト様って、実は自虐趣味がおありなのかしら……)
以前、公爵家の玄関先で、自らの頬を力いっぱい叩いていたことを思い出す。
将来、夫婦となった暁に、寝所でムチや蝋燭など取り出されたら自分にうまく対応できるだろうか。とろけるチョコ菓子をその口に含みながら、リーゼロッテはそんなことを考えていた。
ぼんやりと考え事をしているうちに、気づくとジークヴァルトに横抱きに抱えられて、馬車の外へと連れ出されていた。
「あ、あの、ヴァルト様っ」
焦ったように言うも、ジークヴァルトはすでにタウンハウスの玄関へと向かっている。もうこうなったら潔く運ばれるしかない。観念したところで、リーゼロッテははたと大事なことに気がついた。
「あの、今日のあーんのお返しと、たまったノルマは、いずれ公爵家にお伺いしたときにまとめて消化いたしますから……」
このままでは結局、義母たちの前であーん劇場が開幕されてしまう。それだけは何とか阻止したかった。
(ログボは次の日には繰り越せないのに……)
ジークヴァルトにソシャゲの概念を説くわけにもいかず、リーゼロッテは何とか説得を試みた。
「ヴァルト様のお帰りも遅くなってしまいますし、わたくしも今日は早めに休みたいので……」
「……そうか」
白の夜会も近いせいか、ジークヴァルトはそれで納得してくれたようだ。ほっと胸をなでおろす。
ジークヴァルトはクリスタに挨拶すると、リーゼロッテの髪をひとなでするだけで返事通りにおとなしく帰って行った。
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※小説家になろうグループムーンライトノベルズにて【R18】ふたつ名の令嬢と龍の託宣 不定期投稿中☆
第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣 スタートました♡
※アルファポリス版は第1部令嬢編として一度完結としましたが、ムーンでは第6章を継続投稿中です。
こちらはR18ですので、18歳以上(高校生不可)の方のみ閲覧できます。
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こちらはR18ですので、18歳以上(高校生不可)の方のみ閲覧できます。
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