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第2章 氷の王子と消えた託宣
第11話 宿世の理
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【前回のあらすじ】
社交界デビューを数日後に控え、王都のタウンハウスに移動したリーゼロッテは、いきなりやってきたジークヴァルトに連れられて、貴族街にお忍びで出かけることに。
護衛として同行したエーミールは、エラの無知なる者の力に興味を示します。
途中、別行動になったエーミールとエラは、貴族の間で話題の占いの店に辿りつくのでした。
「さあ、早速占いましょう?」
涼やかな声に促されて、戸惑いつつもエラは置かれた椅子に腰かけた。二人を隔てるテーブルには左右対称に燭台が置かれ、その中央に球状の水晶が鎮座している。サテンの黒い布で覆われた台座に乗せられた水晶は、そのつるりとした表面に蝋燭の揺らめく炎を映していた。
テーブルをはさんだ向こうにいた占い師の女性は、エラが座るのを確認すると自身も向かいの椅子に優雅に腰をかけた。白いロングドレスを身に纏い、頭と顔の下半分は白いヴェールで覆われている。
見えるのは額に輝く一粒のクリスタルとブルーグレイの瞳だけだ。しかし占い師はかなり若く、そして美しい顔立ちの女性であることが伺えた。
「今日は何について占いましょうか、貴族のお嬢様」
斜の姿勢で座ったまま、占い師は目の前に置かれた水晶に両手をかざした。手の甲のみを覆うノーフィンガーの白い長手袋から、美しい指がすらりと伸びている。その指はゆっくりとした動きで、水晶の上を優雅に交差していく。その動きと共に中指のつけ根にある飾りのクリスタルが、蝋燭の炎をキラキラと返した。
その非日常的な光景にエラはただ圧倒されていた。雰囲気に飲まれて、まるでおとぎの国の世界に紛れ込んだような気分だ。
「お嬢様?」
「は、はい! ええとその、でしたらわたしがお仕えしているお嬢様のことなどを占っていただけたら……」
はじめから占いを受けるつもりで来たわけではなかったので、エラは咄嗟にそう口にした。だがその言葉に、目の前の占い師はくすりと密やかな笑いをこぼした。
「ここは来た者の宿世を占う場所。あなた自身の事以外は占うことはできないわ」
「あ、そうなんですね……」
急に言われても占ってほしいことなどすぐには思いつかない。大切な主人に仕え、恵まれた環境で充実する毎日だ。十分すぎる給金もいただいてお金に困っているわけではないし、健康運と言っても体力にはすこぶる自信がある。
エラが返事をしあぐねていると、占い師はくすくすと笑いを深めた。
「考えているところ悪いけれど、水晶がもう答えを出してしまったようね」
その言葉と共に丸い水晶がほのかな白い光を放つ。その光は球状に広がって、次第にまばゆく室内全体を強く照らした。
かざした指先をすり抜けた光が、占い師のヴェールをいたずらな風のようにはためかせる。まるで占い師自身が光をおびているかのごとく、白光がその体に纏いついた。
貴族街の聖女とは誰が言い出したのか、その姿は純白のドレスを纏う本物の聖女が体現したかのごとくに思えて、その現実離れした光景をエラはただ呆気に取られて眺めていた。
貴族街の聖女が伏せていた瞳を上げる。明るく照らし出された室内で、ブルーグレイだと思っていた瞳は青みのある紫だったことが分かる。その開かれた菫色の瞳は、エラを見ているようで見ていない、そんなうつろな印象を与えた。
「汝、新しき風となる者……世の理のまま、ただ流れゆく……ゆえに古きが強く焦がれ、また同じく強く疎みし存在……」
うわ言のように発せられた言葉とともに、水晶がさらに強く光を放つ。その眩さにエラは思わず目をつぶった。
しばらくの後、エラの耳に、じじ……という蝋燭の炎が焦れる音が届く。そっと瞳を開けると、そこは始めと同じ蝋燭の炎のみがほのかに照らす室内だった。
「……あなたは選ぶ側の人間ね。こんなに占いが克明に出るなんてなかなかないわ」
先ほどとは違う意思を持った声が向かいから発せられる。顔を上げると手をかざしたままの状態の貴族街の聖女が、やさしげに目を細めていた。
「選ぶ側の人間……?」
「ええ。あなたはたくさんの者から求められる。多くがあなたを欲し、手に入れようと手をのばしてくるわ。今も思い当たることがあるのではなくて?」
そう問われ、エラは公爵家での自分のモテぶりを思い出した。老若男女問わずエラの取り合いが繰り広げられる公爵家での日々は、ちょっと辟易するくらいのものだった。しかしダーミッシュ領ではまったくそんなことはおきないし、王城では粉をかけてくる人間はいるにはいたが、常軌を逸するほどの話ではなかった。
「その顔は思い当たることがあるようね。……あら? でもあなた最近、男運が壊滅状態だったでしょ。ああ、でももうその時期は去ったようね。よかったわね、あなた、幸せな結婚ができるわよ」
「え? わたしは結婚する気はありません。お仕えするお嬢様に人生を捧げるつもりです」
エラはとんでもないとばかりに貴族街の聖女の言葉を否定した。生涯リーゼロッテに尽くすと、そう決めたのだ。
「ふふふ、あなたがどう思っていようと宿命は変えられないの。あなたは、そうね……これから三人の異性と出会う……いえ、もうその者たちとは出会っているはずだわ。あなたはいずれ、その三人の中から一人を選ぶことになる」
「え……」
もう出会っていると言われて、エラの頭に浮かんだのはエーミールだった。しかし侯爵家の人間であるエーミールが自分を望むなど、現実的に見てあり得ない。ましてや自分が選ぶ立場にあるなど不敬すぎると、慌ててその考えを否定した。
「だとしても、誰も選ばないということもあるのでは……」
「言ったでしょう? あなたは選ぶ側の人間。三人のうち、必ず誰かの手を取ることになるわ」
きっぱりと言われて、釈然としない気持ちになる。
「誰の手を取っても、あなたは幸せになれる。ただ、その度合いはあなたの努力次第、といったところね」
いまいち納得できなくて、「はあ」とエラは微妙な返事を返した。
「その時が来れば必然とあなたにも分かるわ。宿世とは逆らえぬ深き業。どの道を辿ろうとも行く先はただひとつ……」
そう言って細められた瞳は、蝋燭の炎を映してあやしく揺らめいた。
社交界デビューを数日後に控え、王都のタウンハウスに移動したリーゼロッテは、いきなりやってきたジークヴァルトに連れられて、貴族街にお忍びで出かけることに。
護衛として同行したエーミールは、エラの無知なる者の力に興味を示します。
途中、別行動になったエーミールとエラは、貴族の間で話題の占いの店に辿りつくのでした。
「さあ、早速占いましょう?」
涼やかな声に促されて、戸惑いつつもエラは置かれた椅子に腰かけた。二人を隔てるテーブルには左右対称に燭台が置かれ、その中央に球状の水晶が鎮座している。サテンの黒い布で覆われた台座に乗せられた水晶は、そのつるりとした表面に蝋燭の揺らめく炎を映していた。
テーブルをはさんだ向こうにいた占い師の女性は、エラが座るのを確認すると自身も向かいの椅子に優雅に腰をかけた。白いロングドレスを身に纏い、頭と顔の下半分は白いヴェールで覆われている。
見えるのは額に輝く一粒のクリスタルとブルーグレイの瞳だけだ。しかし占い師はかなり若く、そして美しい顔立ちの女性であることが伺えた。
「今日は何について占いましょうか、貴族のお嬢様」
斜の姿勢で座ったまま、占い師は目の前に置かれた水晶に両手をかざした。手の甲のみを覆うノーフィンガーの白い長手袋から、美しい指がすらりと伸びている。その指はゆっくりとした動きで、水晶の上を優雅に交差していく。その動きと共に中指のつけ根にある飾りのクリスタルが、蝋燭の炎をキラキラと返した。
その非日常的な光景にエラはただ圧倒されていた。雰囲気に飲まれて、まるでおとぎの国の世界に紛れ込んだような気分だ。
「お嬢様?」
「は、はい! ええとその、でしたらわたしがお仕えしているお嬢様のことなどを占っていただけたら……」
はじめから占いを受けるつもりで来たわけではなかったので、エラは咄嗟にそう口にした。だがその言葉に、目の前の占い師はくすりと密やかな笑いをこぼした。
「ここは来た者の宿世を占う場所。あなた自身の事以外は占うことはできないわ」
「あ、そうなんですね……」
急に言われても占ってほしいことなどすぐには思いつかない。大切な主人に仕え、恵まれた環境で充実する毎日だ。十分すぎる給金もいただいてお金に困っているわけではないし、健康運と言っても体力にはすこぶる自信がある。
エラが返事をしあぐねていると、占い師はくすくすと笑いを深めた。
「考えているところ悪いけれど、水晶がもう答えを出してしまったようね」
その言葉と共に丸い水晶がほのかな白い光を放つ。その光は球状に広がって、次第にまばゆく室内全体を強く照らした。
かざした指先をすり抜けた光が、占い師のヴェールをいたずらな風のようにはためかせる。まるで占い師自身が光をおびているかのごとく、白光がその体に纏いついた。
貴族街の聖女とは誰が言い出したのか、その姿は純白のドレスを纏う本物の聖女が体現したかのごとくに思えて、その現実離れした光景をエラはただ呆気に取られて眺めていた。
貴族街の聖女が伏せていた瞳を上げる。明るく照らし出された室内で、ブルーグレイだと思っていた瞳は青みのある紫だったことが分かる。その開かれた菫色の瞳は、エラを見ているようで見ていない、そんなうつろな印象を与えた。
「汝、新しき風となる者……世の理のまま、ただ流れゆく……ゆえに古きが強く焦がれ、また同じく強く疎みし存在……」
うわ言のように発せられた言葉とともに、水晶がさらに強く光を放つ。その眩さにエラは思わず目をつぶった。
しばらくの後、エラの耳に、じじ……という蝋燭の炎が焦れる音が届く。そっと瞳を開けると、そこは始めと同じ蝋燭の炎のみがほのかに照らす室内だった。
「……あなたは選ぶ側の人間ね。こんなに占いが克明に出るなんてなかなかないわ」
先ほどとは違う意思を持った声が向かいから発せられる。顔を上げると手をかざしたままの状態の貴族街の聖女が、やさしげに目を細めていた。
「選ぶ側の人間……?」
「ええ。あなたはたくさんの者から求められる。多くがあなたを欲し、手に入れようと手をのばしてくるわ。今も思い当たることがあるのではなくて?」
そう問われ、エラは公爵家での自分のモテぶりを思い出した。老若男女問わずエラの取り合いが繰り広げられる公爵家での日々は、ちょっと辟易するくらいのものだった。しかしダーミッシュ領ではまったくそんなことはおきないし、王城では粉をかけてくる人間はいるにはいたが、常軌を逸するほどの話ではなかった。
「その顔は思い当たることがあるようね。……あら? でもあなた最近、男運が壊滅状態だったでしょ。ああ、でももうその時期は去ったようね。よかったわね、あなた、幸せな結婚ができるわよ」
「え? わたしは結婚する気はありません。お仕えするお嬢様に人生を捧げるつもりです」
エラはとんでもないとばかりに貴族街の聖女の言葉を否定した。生涯リーゼロッテに尽くすと、そう決めたのだ。
「ふふふ、あなたがどう思っていようと宿命は変えられないの。あなたは、そうね……これから三人の異性と出会う……いえ、もうその者たちとは出会っているはずだわ。あなたはいずれ、その三人の中から一人を選ぶことになる」
「え……」
もう出会っていると言われて、エラの頭に浮かんだのはエーミールだった。しかし侯爵家の人間であるエーミールが自分を望むなど、現実的に見てあり得ない。ましてや自分が選ぶ立場にあるなど不敬すぎると、慌ててその考えを否定した。
「だとしても、誰も選ばないということもあるのでは……」
「言ったでしょう? あなたは選ぶ側の人間。三人のうち、必ず誰かの手を取ることになるわ」
きっぱりと言われて、釈然としない気持ちになる。
「誰の手を取っても、あなたは幸せになれる。ただ、その度合いはあなたの努力次第、といったところね」
いまいち納得できなくて、「はあ」とエラは微妙な返事を返した。
「その時が来れば必然とあなたにも分かるわ。宿世とは逆らえぬ深き業。どの道を辿ろうとも行く先はただひとつ……」
そう言って細められた瞳は、蝋燭の炎を映してあやしく揺らめいた。
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