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第2章 氷の王子と消えた託宣
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エーミールは自分の勘違いにじわじわと恥ずかしさがこみ上げてくる。なぜなのだろう。エラのそばにいると心が穏やかになるのに、そのエラの言動にやたらと羞恥や怒りを覚えてしまう。
エーミールはひとつ大きく息を吐くと、努めて冷静な声でエラに告げた。
「エラ、悪いがそれは承諾できない。考えてもみてくれ。わたしがその揃いのブローチをあなたに贈ったところで、その一つはリーゼロッテ様にお渡しするのだろう? 出所がわたしと知れている装飾を、ジークヴァルト様がリーゼロッテ様に身につけさせると思うか?」
「あっ!」
「そんな単純なことも分からないとは。あなたは存外抜けているな」
それだけリーゼロッテに対して妄信的になっているのだろう。そう考えれば、エラの言動も可愛らしく思えてくる。
エーミールの鼻で嗤うような態度に、ハンスが少しばかり面白くなさそうな顔をした。しかし当のエラはブローチを棚に戻しながら、ただしゅんとうなだれている。
「いいだろう。あなたのその主人思いなところに敬意を払って、わたしからこれを贈るとしよう」
そう言ってエーミールが手に取ったのは、ハンスが初めに並べた品物の中にあったエメラルドの髪飾りだった。置いてあった物の中でも、特に高価な物だ。
「これならばリーゼロッテ様の色であるし、何より、エラ、あなたのその髪によく映える」
そう言って微笑みながら、エーミールはその髪飾りをエラの髪にさしこんだ。
「…………っ!」
口をパクパクして何かを言いかけたエラを制して、ハンスが声を張り上げた。
「お買い上げありがとうございます! そちらは希少なエメラルドでできている逸品です! さすがはグレーデン様、お目が高い!」
「世辞はいい。支払いはグレーデン家にまわしてくれ。ああ……価格は適正で、いや、少しくらいなら色をつけてもかまわないぞ」
先ほどのエラとのやりとりが聞こえていたのか、エーミールは人の悪そうな笑みをハンスに向けてきた。
「ありがたいお言葉、痛み入ります!」
がばっと頭を下げながら、ハンスは内心冷や汗をかいていた。
(お嬢様~あなたとんでもない人に目をつけられたようですよ~)
「ああ、包まなくていい。それはつけたまま帰る」
「え? でも、エーミール様」
「はいはい、承知いたしましたぁ! さあさ、エラお嬢様、髪飾りが落ちないように整えましょうね」
エラを椅子に座らせ、ハンスはささっとエラの髪を整えた。本来なら夜会などに身に着けてもいいくらいの品だ。どこかで落とされてはたまったものではない。
「またのお越しをお待ちしておりま~す」
ちりりんと扉のベルが鳴って、エラはエーミールと共に半ば追い出されるように外に出た。
「あの、本当によろしかったのですか? うちの店ですし、今からでも……」
「わたしに恥をかかせたいのか?」
「いいえっ、滅相もございません!」
言葉とは裏腹に、エーミールは上機嫌の様子だった。これだけ高価な物を贈ったのだ。これでエラに口止めができると安心しているのだろう。こんなものがなくとも、エーミールが馬車酔いしたなどと誰にも話す気はないのにと、エラは苦笑いをした。
「疲れたのか?」
「いいえ、このように高価な物を身に着けるのは初めてのことで……」
夜会などならともかく、貴族街と言えどここはただの往来だ。落ち着かなくてそわそわしてしまうのも仕方がなかった。
「心配するな。そのための護衛だ」
「ですが、わたしを守っても仕方ないのでは」
エーミールは公爵とリーゼロッテのために護衛としてついてきた。エラはそう思って、つい本音を口にした。
「あなたが傷つけばリーゼロッテ様が悲しむ。それだけの理由では足りないのか?」
エラは驚いてエーミールを見上げた。エーミールはいちいち核心をついて来る。それはうれしくもあり、自分の至らなさを的確に指摘されているようで、なんとも悔しい気持ちにもさせられる。
「まあ、いいだろう。次の店の予約までまだ時間がある。疲れていないのならもう少し見てまわるとするか」
そう言ってエーミールは有無を言わさずエラの手と取って歩き出した。
「あの、エーミール様……人目が……」
不釣り合いなくらに高価な髪飾りをつけた地味な女がエーミールにエスコートされて、見せつけるように貴族街を練り歩いていたとなると、どんな噂が立つか考えるだに恐ろしい。言っているそばからすれ違ったご夫人たちの視線が刺さる。
「なんだ? エラ、あなたはわたしと歩くのが恥ずかしいのか?」
不機嫌そうな声音に、エラは慌てて首を振った。
「いいえ、わたしではなくエーミール様にいらぬご迷惑を」
「なぜ歩いたくらいでわたしに迷惑がかかるのだ? まったく、あなたは理解できない」
エーミールはもともと社交界の噂には疎かった。親しい友人もいないためどこからも情報が回ってこず、孤立無援となっているだけなのだが、幸か不幸か本人はそのこと自体に気づいていない。
エーミールにとって情報とは、自分が見聞きし、そして自らが調べ上げた事柄のみがすべてだった。
エーミールはひとつ大きく息を吐くと、努めて冷静な声でエラに告げた。
「エラ、悪いがそれは承諾できない。考えてもみてくれ。わたしがその揃いのブローチをあなたに贈ったところで、その一つはリーゼロッテ様にお渡しするのだろう? 出所がわたしと知れている装飾を、ジークヴァルト様がリーゼロッテ様に身につけさせると思うか?」
「あっ!」
「そんな単純なことも分からないとは。あなたは存外抜けているな」
それだけリーゼロッテに対して妄信的になっているのだろう。そう考えれば、エラの言動も可愛らしく思えてくる。
エーミールの鼻で嗤うような態度に、ハンスが少しばかり面白くなさそうな顔をした。しかし当のエラはブローチを棚に戻しながら、ただしゅんとうなだれている。
「いいだろう。あなたのその主人思いなところに敬意を払って、わたしからこれを贈るとしよう」
そう言ってエーミールが手に取ったのは、ハンスが初めに並べた品物の中にあったエメラルドの髪飾りだった。置いてあった物の中でも、特に高価な物だ。
「これならばリーゼロッテ様の色であるし、何より、エラ、あなたのその髪によく映える」
そう言って微笑みながら、エーミールはその髪飾りをエラの髪にさしこんだ。
「…………っ!」
口をパクパクして何かを言いかけたエラを制して、ハンスが声を張り上げた。
「お買い上げありがとうございます! そちらは希少なエメラルドでできている逸品です! さすがはグレーデン様、お目が高い!」
「世辞はいい。支払いはグレーデン家にまわしてくれ。ああ……価格は適正で、いや、少しくらいなら色をつけてもかまわないぞ」
先ほどのエラとのやりとりが聞こえていたのか、エーミールは人の悪そうな笑みをハンスに向けてきた。
「ありがたいお言葉、痛み入ります!」
がばっと頭を下げながら、ハンスは内心冷や汗をかいていた。
(お嬢様~あなたとんでもない人に目をつけられたようですよ~)
「ああ、包まなくていい。それはつけたまま帰る」
「え? でも、エーミール様」
「はいはい、承知いたしましたぁ! さあさ、エラお嬢様、髪飾りが落ちないように整えましょうね」
エラを椅子に座らせ、ハンスはささっとエラの髪を整えた。本来なら夜会などに身に着けてもいいくらいの品だ。どこかで落とされてはたまったものではない。
「またのお越しをお待ちしておりま~す」
ちりりんと扉のベルが鳴って、エラはエーミールと共に半ば追い出されるように外に出た。
「あの、本当によろしかったのですか? うちの店ですし、今からでも……」
「わたしに恥をかかせたいのか?」
「いいえっ、滅相もございません!」
言葉とは裏腹に、エーミールは上機嫌の様子だった。これだけ高価な物を贈ったのだ。これでエラに口止めができると安心しているのだろう。こんなものがなくとも、エーミールが馬車酔いしたなどと誰にも話す気はないのにと、エラは苦笑いをした。
「疲れたのか?」
「いいえ、このように高価な物を身に着けるのは初めてのことで……」
夜会などならともかく、貴族街と言えどここはただの往来だ。落ち着かなくてそわそわしてしまうのも仕方がなかった。
「心配するな。そのための護衛だ」
「ですが、わたしを守っても仕方ないのでは」
エーミールは公爵とリーゼロッテのために護衛としてついてきた。エラはそう思って、つい本音を口にした。
「あなたが傷つけばリーゼロッテ様が悲しむ。それだけの理由では足りないのか?」
エラは驚いてエーミールを見上げた。エーミールはいちいち核心をついて来る。それはうれしくもあり、自分の至らなさを的確に指摘されているようで、なんとも悔しい気持ちにもさせられる。
「まあ、いいだろう。次の店の予約までまだ時間がある。疲れていないのならもう少し見てまわるとするか」
そう言ってエーミールは有無を言わさずエラの手と取って歩き出した。
「あの、エーミール様……人目が……」
不釣り合いなくらに高価な髪飾りをつけた地味な女がエーミールにエスコートされて、見せつけるように貴族街を練り歩いていたとなると、どんな噂が立つか考えるだに恐ろしい。言っているそばからすれ違ったご夫人たちの視線が刺さる。
「なんだ? エラ、あなたはわたしと歩くのが恥ずかしいのか?」
不機嫌そうな声音に、エラは慌てて首を振った。
「いいえ、わたしではなくエーミール様にいらぬご迷惑を」
「なぜ歩いたくらいでわたしに迷惑がかかるのだ? まったく、あなたは理解できない」
エーミールはもともと社交界の噂には疎かった。親しい友人もいないためどこからも情報が回ってこず、孤立無援となっているだけなのだが、幸か不幸か本人はそのこと自体に気づいていない。
エーミールにとって情報とは、自分が見聞きし、そして自らが調べ上げた事柄のみがすべてだった。
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