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第2章 氷の王子と消えた託宣
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「あの、エーミール様、一体どちらへ……?」
「さあ? あいにくわたしは貴族街など興味なくてな。エラ、あなたはどこか行きたいところはないのか?」
こういった場所は女性の方が詳しいだろうとエーミールが逆にエラに問いかける。行きたいところならあるにはあるが、そこへエーミールを連れて行ってもいいものだろうかとエラは逡巡した。
「あの、では、あそこの店などはいかがでしょう?」
エラが指し示したのは、馬具の専門店だった。馬に乗るエーミールならば、気もひかれるだろう。そう思って、エラはその店のある方へ足を踏み出した。が、手を取っているエーミールが動かなかったため、結局エラは一歩も進むことはできなかった。
「エラ、あなたは馬に乗れるのか?」
「え? いいえ。わたしは乗馬は嗜んでおりません……」
「ならば行っても仕方がないだろう」
「ですが、エーミール様は……」
困ったように言うエラを見て、エーミールはその意図がようやくわかったらしい。
「ふん。必要なものがあるなら屋敷に商人を来させればいいだけの話だ。わたしはこのような場所に興味はない」
「でしたらどこかで休憩いたしましょうか? エーミール様は道中お辛そうでしたし……」
「辛かったのはエラ、あなたの方なのだろう?」
エーミールにくいと片眉を上げられて、エラははっとした顔になった。
エラには乗るたびに馬車酔いをする弟がいる。いつも背中をさすったり抱きしめたりすると症状が和らぐので、エーミールも気がまぎれるならとあんな行動に出たのだ。さすがにエーミールを抱きしめるわけにはいかなかったのだが。
「そ、そうです! エーミール様のおかげでどんなに心強かったことか」
そうだ、あれは自分のために手を握ってもらっていたのだ。決してエーミールが馬車酔いしていたからではない。
「そうか。ではエラ、あなたはその件でわたしに感謝をしているということだな?」
「ええ、もちろんです!」
「よし。ならばここで手に入る物、何でも好きな物を買ってやろう」
「…………はい?」
疑問形になった返事を肯定ととらえたのか、エーミールはそのままエラの手を引いて歩き出した。
「何がいい? 宝石か? ドレスか? あまり時間はないが選ぶまで付き合ってやろう」
「え? いいえ、それでしたらむしろわたしがエーミール様に感謝のしるしを示さねばならないはず。エーミール様から何か買っていただくなどできません」
おろおろしているエラをエーミールは意外そうに見た。
「何でも買ってやると言っているんだ。何をためらう必要がある?」
「何をとおっしゃられましても……」
馬車での件は、エラのために手を握ってもらっていたことになっているのだ。そうであれば、感謝されるべきエーミールがエラに何かを買うのは筋違いだ。
「感謝しているというのなら、わたしの意向に沿うべきではないのか? それに、わたしは借りを作るのは好きではない。有能な侍女であるエラ、あなたにならこの意味はわかるだろう?」
エラとしてはエーミールのプライドを尊重しての行動だったが、当のエーミールはエラの口止めの保証を望んでいるのだ。それを理解すると、エラは諦めを含んだ笑顔を返した。
「…………本当に何でもよろしいのですね?」
「ああ、もちろんだ」
そう答えたエーミールは内心ほくそ笑んでいた。有能と言ってもエラも女だ。宝石や高価なドレスを前にすれば、目がくらんですぐにその正体が知れるだろう。
エラが行きたい店があると言うので、エーミールはやさしくエスコートしながらそれにおとなしく従った。通りを行く途中、わざと異形が吹きだまっている場所へと誘導する。
驚くべきことに、エラが近づいていくと異形たちは奇妙な行動にでる。先ほどジークヴァルトたちの後ろを歩いていた時から、それが気になって仕方がなかった。
ジークヴァルトは基本、異形たちに狙われている。異形の者は憎しみの感情を彼に向け、しかしその強大な力に近づくことはできずに、常に遠巻きに睨んでくるだけだ。しかし、そのジークヴァルトの隣にリーゼロッテがいると、これまた不思議なことが起きる。
リーゼロッテから溢れる力に惹かれるのか、異形たちは引き寄せられるようにリーゼロッテへと近づいてくる。その隣にジークヴァルトがいるというのにだ。
結局はジークヴァルトの力に弾き飛ばされては消しとんでいくのだが、それでも我慢がきかない子供のように、その穢れた手を伸ばしてくる異形の者は後を絶たない。
ジークヴァルトが強固な結界をはっているからだろう。それにリーゼロッテは何も気づいていない様子だ。
その後ろを静かに歩くエラは、その光景に全く動じない。禍々しい異形が近づこうとも、目の前で醜い異形が消し飛ぼうとも、エラは微笑ましそうにリーゼロッテを見つめているだけだ。彼女には異形は視えないのだからそれは至極当たり前のことなのだが、エーミールにしてみればそれは異様な光景だった。
エーミールはエラの手を引き、さりげなく異形のいる吹き溜まりへとエラの足を踏み込ませる。すると異形は身を縮こませるようにエラから距離を取ろうとした。
(……やはりな)
エーミールが観察した結果、エラに対して異形がとる行動は三パターンあることがわかった。
弱い異形はエラの存在を認めると、一目散に逃げ去っていく。今のような大きいが悪意のない異形は、エラとの接触を極端に嫌がる様子を見せる。
そして、強烈な悪意を持つ異形にいたっては、エラに手を伸ばすも、エラはその手を何ごともなくすり抜けてしまう。肩透かしを食らった異形は何度もエラにくってかかるのだが、その腕が空を切るばかりだ。その様子は、言い寄る女性にまるで相手にされない哀れな男のようで、見ていてとても滑稽だった。
(無知なる者とは一体何なのだ……?)
異形の姿を視ることができない只人だとしても、その影響を免れることはできない。憑かれれば大小の差はあれ何かしらの障りが起こる。だが、無知なる者はそもそも異形が近づけないのだ。
これは、使いようによってはジークヴァルトのいい手駒になり得るかもしれない。そう思うと、エーミールはエラに対して強烈に興味を抱いた。馬車での件はいいきっかけだ。己の醜態を逆手にとって、エラを囲い込んでしまおう。
「さあ? あいにくわたしは貴族街など興味なくてな。エラ、あなたはどこか行きたいところはないのか?」
こういった場所は女性の方が詳しいだろうとエーミールが逆にエラに問いかける。行きたいところならあるにはあるが、そこへエーミールを連れて行ってもいいものだろうかとエラは逡巡した。
「あの、では、あそこの店などはいかがでしょう?」
エラが指し示したのは、馬具の専門店だった。馬に乗るエーミールならば、気もひかれるだろう。そう思って、エラはその店のある方へ足を踏み出した。が、手を取っているエーミールが動かなかったため、結局エラは一歩も進むことはできなかった。
「エラ、あなたは馬に乗れるのか?」
「え? いいえ。わたしは乗馬は嗜んでおりません……」
「ならば行っても仕方がないだろう」
「ですが、エーミール様は……」
困ったように言うエラを見て、エーミールはその意図がようやくわかったらしい。
「ふん。必要なものがあるなら屋敷に商人を来させればいいだけの話だ。わたしはこのような場所に興味はない」
「でしたらどこかで休憩いたしましょうか? エーミール様は道中お辛そうでしたし……」
「辛かったのはエラ、あなたの方なのだろう?」
エーミールにくいと片眉を上げられて、エラははっとした顔になった。
エラには乗るたびに馬車酔いをする弟がいる。いつも背中をさすったり抱きしめたりすると症状が和らぐので、エーミールも気がまぎれるならとあんな行動に出たのだ。さすがにエーミールを抱きしめるわけにはいかなかったのだが。
「そ、そうです! エーミール様のおかげでどんなに心強かったことか」
そうだ、あれは自分のために手を握ってもらっていたのだ。決してエーミールが馬車酔いしていたからではない。
「そうか。ではエラ、あなたはその件でわたしに感謝をしているということだな?」
「ええ、もちろんです!」
「よし。ならばここで手に入る物、何でも好きな物を買ってやろう」
「…………はい?」
疑問形になった返事を肯定ととらえたのか、エーミールはそのままエラの手を引いて歩き出した。
「何がいい? 宝石か? ドレスか? あまり時間はないが選ぶまで付き合ってやろう」
「え? いいえ、それでしたらむしろわたしがエーミール様に感謝のしるしを示さねばならないはず。エーミール様から何か買っていただくなどできません」
おろおろしているエラをエーミールは意外そうに見た。
「何でも買ってやると言っているんだ。何をためらう必要がある?」
「何をとおっしゃられましても……」
馬車での件は、エラのために手を握ってもらっていたことになっているのだ。そうであれば、感謝されるべきエーミールがエラに何かを買うのは筋違いだ。
「感謝しているというのなら、わたしの意向に沿うべきではないのか? それに、わたしは借りを作るのは好きではない。有能な侍女であるエラ、あなたにならこの意味はわかるだろう?」
エラとしてはエーミールのプライドを尊重しての行動だったが、当のエーミールはエラの口止めの保証を望んでいるのだ。それを理解すると、エラは諦めを含んだ笑顔を返した。
「…………本当に何でもよろしいのですね?」
「ああ、もちろんだ」
そう答えたエーミールは内心ほくそ笑んでいた。有能と言ってもエラも女だ。宝石や高価なドレスを前にすれば、目がくらんですぐにその正体が知れるだろう。
エラが行きたい店があると言うので、エーミールはやさしくエスコートしながらそれにおとなしく従った。通りを行く途中、わざと異形が吹きだまっている場所へと誘導する。
驚くべきことに、エラが近づいていくと異形たちは奇妙な行動にでる。先ほどジークヴァルトたちの後ろを歩いていた時から、それが気になって仕方がなかった。
ジークヴァルトは基本、異形たちに狙われている。異形の者は憎しみの感情を彼に向け、しかしその強大な力に近づくことはできずに、常に遠巻きに睨んでくるだけだ。しかし、そのジークヴァルトの隣にリーゼロッテがいると、これまた不思議なことが起きる。
リーゼロッテから溢れる力に惹かれるのか、異形たちは引き寄せられるようにリーゼロッテへと近づいてくる。その隣にジークヴァルトがいるというのにだ。
結局はジークヴァルトの力に弾き飛ばされては消しとんでいくのだが、それでも我慢がきかない子供のように、その穢れた手を伸ばしてくる異形の者は後を絶たない。
ジークヴァルトが強固な結界をはっているからだろう。それにリーゼロッテは何も気づいていない様子だ。
その後ろを静かに歩くエラは、その光景に全く動じない。禍々しい異形が近づこうとも、目の前で醜い異形が消し飛ぼうとも、エラは微笑ましそうにリーゼロッテを見つめているだけだ。彼女には異形は視えないのだからそれは至極当たり前のことなのだが、エーミールにしてみればそれは異様な光景だった。
エーミールはエラの手を引き、さりげなく異形のいる吹き溜まりへとエラの足を踏み込ませる。すると異形は身を縮こませるようにエラから距離を取ろうとした。
(……やはりな)
エーミールが観察した結果、エラに対して異形がとる行動は三パターンあることがわかった。
弱い異形はエラの存在を認めると、一目散に逃げ去っていく。今のような大きいが悪意のない異形は、エラとの接触を極端に嫌がる様子を見せる。
そして、強烈な悪意を持つ異形にいたっては、エラに手を伸ばすも、エラはその手を何ごともなくすり抜けてしまう。肩透かしを食らった異形は何度もエラにくってかかるのだが、その腕が空を切るばかりだ。その様子は、言い寄る女性にまるで相手にされない哀れな男のようで、見ていてとても滑稽だった。
(無知なる者とは一体何なのだ……?)
異形の姿を視ることができない只人だとしても、その影響を免れることはできない。憑かれれば大小の差はあれ何かしらの障りが起こる。だが、無知なる者はそもそも異形が近づけないのだ。
これは、使いようによってはジークヴァルトのいい手駒になり得るかもしれない。そう思うと、エーミールはエラに対して強烈に興味を抱いた。馬車での件はいいきっかけだ。己の醜態を逆手にとって、エラを囲い込んでしまおう。
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