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第2章 氷の王子と消えた託宣
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リーゼロッテはジークヴァルトに手をとられ馬車へと乗り込み、そのあとにベッティが続いてリーゼロッテの向かいに座った。
見送られながら馬車は軽やかに走り出す。
なんだか朝から気疲れしてしまった。流れる景色をぼんやりと眺めながら、リーゼロッテは小さく息をついた。
「お疲れのご様子ですねぇ? 到着まで少しお眠りになられますかぁ?」
「ありがとう、ベッティ。でも大丈夫よ」
「それにしても、あの異形がこの上に乗ってるなんて驚きですねぇ」
ベッティが上を見上げながら言うと、リーゼロッテはふふっと笑った。
「そうね。どうりで馬車から見てもみつからないはずだわ。……ベッティは異形の者が視えるのね?」
公爵家にいると、大概の者は異形が視えるので、感覚が麻痺してしまいそうだ。ダーミッシュ領に帰れば視えない者しかいないので、言動に注意しないと気がふれたと思われかねない。
「はいぃ。わたしは弱いながらも異形を追い払うくらいはできますのでぇ。おかげでこうしてリーゼロッテ様のお共に大抜擢ですぅ」
「そうだったのね。ベッティは公爵家に来て日が浅いのに、慣れた頃にまた場所が変わってはやりづらいでしょう?」
「とんでもございませんよぅ。エラ様にもお会いできますしぃ、ダーミッシュ伯爵家の方々は無知なる者でいらっしゃると聞いていますのでぇ、今からお目にかかれるのが楽しみでぇ」
「まあ。ベッティは無知なる者のことまで知っているのね」
「あぁうぅんとぉ、うわさ……うわさですぅ。わたし、あちこちのお屋敷にお邪魔してきた経験がありますのでぇ、どこでだったか、そんなうわさを耳にしたんですぅ」
ベッティの少し慌てた様子が気になりつつも、リーゼロッテは「そうなのね」と深くは追及しなかった。
白の夜会までもう二十日もない。今から帰って新しいドレスを仕立てたり、いろいろと忙しくなるのだろう。
ジークヴァルトのために刺しているハンカチの刺繍も、あと一息で完成しそうだ。計画ではとっくに渡せているはずだったのだが、ここのところいろいろとありすぎて、刺繍どころではなかった気がする。
リーゼロッテが再び小さく息をつくと、ニコニコ顔のベッティがからかうように口を開いた。
「旦那様の溺愛が重すぎですかぁ?」
「溺愛……なのかしら? 大切にしていただいているとは思うけれど……」
ジークヴァルトのあれはやはり子ども扱いに思える。以前のように触れてこなくなったのは、ジークハルトの一件のせいだ。
子供だと思っていた相手を、自分の意志とは関係なく無理やり押し倒してしまったのだ。気まずくもなるし良心が痛むのも当然だろう。
「ベッティがみましたところぉ、旦那様は一を許すと十まで踏み込んでくるタイプのようですのでぇ、嫌なことは嫌ときっちりはっきりおっしゃった方が御身のためですよぉ」
「一を許すと十まで……」
リーゼロッテは唇を引き結んだ。思い当たるふしがないでもない。
一日一回がノルマのあーんは、なぜだか節操なく回数が増えている。頭をなでるのも嫌ではないと確かに言ったが、ジークヴァルトのことだ。もしかしたら、今後は前以上に頻度が増えるのではないだろうか。
(案外、頭をなでるのも、わたしがもっとやってほしいと思ってるって、誤解していたり……?)
なでられるのは嫌ではないと言ったが、もっとなでてほしいとは言ってない。だが、ジークヴァルトは妙に律儀なところがある。
王子の命で王城にとどまった時も、王命でリーゼロッテの護衛に関わった時も、真夜中まで見回りをしたり、多忙な中、毎日連絡をくれたり、そこまでしなくていいのではと思える働きぶりだった。
もしも、リーゼロッテがもっとかまってほしいとねだったなら、休む時間を削ってまで責任を果たそうとするのではないか。
「そうですよぉ。殿方をうまくしつけるのも淑女のたしなみですよぅ。それには、初めが肝心なんですぅ」
「そ、そう……ありがとう、心に留めておくわ」
傍から見るとジークヴァルトのあれは婚約者への執着に見えるらしい。しかし当事者に言わせると、まったく違うと言いたいのだが。
(周りにはそう見えるのなら、マテアスたちの作戦はある意味成功してるってことね)
マテアスやエッカルトは、ジークヴァルトが自分を子供としてしか見ていないことを懸念して、いろいろと画策しているのだろう。
近い将来、誓いを立てるふたりの最重要任務は、後継ぎを作ることだ。その任務を円滑に遂行するためにも、今のうちに少しでもジークヴァルトとリーゼロッテの距離を縮めておきたいのだろう。
石でも踏んだのか不意に馬車が不規則に揺れる。それと同時にリーゼロッテの胸元の守り石が小さく跳ねた。ペンダントの石をそっと手に取り、揺らめく青をじっと見つめる。
レースのカーテンがひかれた馬車の窓から陽が差し込んで、流れていく光が時折守り石に反射した。
(子供の頃、よくこうして石を光にかざしていたっけ……)
青い守り石が光を返す様はとても綺麗で、ずっと見ていても見飽きない。ジークヴァルトの瞳と同じ色をした石の揺らめきを、リーゼロッテはじっとみつめた。
昔ジークフリートからもらったペンダントは、実のところジークヴァルトが力を込めた守り石だった。
初めて会った日、ジークヴァルトは禍々しい黒いモヤに覆われていて、それはそれは恐ろしく見えた。もしもあの日に、ジークヴァルトの顔をきちんと見ることができて、ジークヴァルトから直接ペンダントを手渡されていたのなら。
(わたしの初恋の人はジークフリート様ではなく、ヴァルト様になっていたのかしら……?)
たらればの話をしても意味はないとはわかっているが、ついそんなことを思ってしまう。黒いモヤさえ見えなければ、あれほどジークヴァルトを毛嫌いすることもなかっただろう。
(まあ、自分が力を扱えなかったのが最大の原因なんだから、ヴァルト様にしてみればとばっちりもいいところよね)
これから先ずっと、ジークヴァルトとうまくやっていけるだろうか。ふとそんな不安がよぎる。
今のところは子供扱いを受け入れるにしても、いずれふたりは夫婦となるのだ。果たしてジークヴァルトが自分を女としてみる日がやってくるのか、現時点では想像もつかない。
(逆にわたし自身、ヴァルト様をそんな風に見れるのかしら……?)
黒いモヤがなくなった今、以前のようにジークヴァルトに対して生理的な嫌悪を感じることはない。頭をなでられるのはくすぐったいが心地よく感じるし、抱き上げられるのは恥ずかしいけれど、どこかで安心感も感じてはいる。
(よく、キスができれば大丈夫っていうけど……)
その相手とキスできるのか、ひいてはエッチができるのか。つきあうにしても結婚するにしても、そこが決め手なのだと、日本で聞いたことがある。
(ジークヴァルト様とわたしが……?)
正直、あのジークヴァルトが自分に対してキスをしてくる姿など想像できない。ましてやその先の行為など、もってのほかだ。ジークヴァルトの触れ方に、性的なものを感じたことは一度もなかった。ジークハルトにされたことはノーカンだ。あれはジークハルトであって、ジークヴァルトではなかったのだから。
(まあ、職務に律儀なヴァルト様のことだから、子作りも義務と思えばどうにかしてきそうだけど……)
男は愛がなくともそういう行為ができるときくし、どのみち自分の知識でどうこうできることでもないだろう。
(やだ、わたしってば何考えてるんだか)
そんなしょうもないことを考えている自分が急に恥ずかしくなって、リーゼロッテは無理やり思考を流れる景色へと追いやった。
見送られながら馬車は軽やかに走り出す。
なんだか朝から気疲れしてしまった。流れる景色をぼんやりと眺めながら、リーゼロッテは小さく息をついた。
「お疲れのご様子ですねぇ? 到着まで少しお眠りになられますかぁ?」
「ありがとう、ベッティ。でも大丈夫よ」
「それにしても、あの異形がこの上に乗ってるなんて驚きですねぇ」
ベッティが上を見上げながら言うと、リーゼロッテはふふっと笑った。
「そうね。どうりで馬車から見てもみつからないはずだわ。……ベッティは異形の者が視えるのね?」
公爵家にいると、大概の者は異形が視えるので、感覚が麻痺してしまいそうだ。ダーミッシュ領に帰れば視えない者しかいないので、言動に注意しないと気がふれたと思われかねない。
「はいぃ。わたしは弱いながらも異形を追い払うくらいはできますのでぇ。おかげでこうしてリーゼロッテ様のお共に大抜擢ですぅ」
「そうだったのね。ベッティは公爵家に来て日が浅いのに、慣れた頃にまた場所が変わってはやりづらいでしょう?」
「とんでもございませんよぅ。エラ様にもお会いできますしぃ、ダーミッシュ伯爵家の方々は無知なる者でいらっしゃると聞いていますのでぇ、今からお目にかかれるのが楽しみでぇ」
「まあ。ベッティは無知なる者のことまで知っているのね」
「あぁうぅんとぉ、うわさ……うわさですぅ。わたし、あちこちのお屋敷にお邪魔してきた経験がありますのでぇ、どこでだったか、そんなうわさを耳にしたんですぅ」
ベッティの少し慌てた様子が気になりつつも、リーゼロッテは「そうなのね」と深くは追及しなかった。
白の夜会までもう二十日もない。今から帰って新しいドレスを仕立てたり、いろいろと忙しくなるのだろう。
ジークヴァルトのために刺しているハンカチの刺繍も、あと一息で完成しそうだ。計画ではとっくに渡せているはずだったのだが、ここのところいろいろとありすぎて、刺繍どころではなかった気がする。
リーゼロッテが再び小さく息をつくと、ニコニコ顔のベッティがからかうように口を開いた。
「旦那様の溺愛が重すぎですかぁ?」
「溺愛……なのかしら? 大切にしていただいているとは思うけれど……」
ジークヴァルトのあれはやはり子ども扱いに思える。以前のように触れてこなくなったのは、ジークハルトの一件のせいだ。
子供だと思っていた相手を、自分の意志とは関係なく無理やり押し倒してしまったのだ。気まずくもなるし良心が痛むのも当然だろう。
「ベッティがみましたところぉ、旦那様は一を許すと十まで踏み込んでくるタイプのようですのでぇ、嫌なことは嫌ときっちりはっきりおっしゃった方が御身のためですよぉ」
「一を許すと十まで……」
リーゼロッテは唇を引き結んだ。思い当たるふしがないでもない。
一日一回がノルマのあーんは、なぜだか節操なく回数が増えている。頭をなでるのも嫌ではないと確かに言ったが、ジークヴァルトのことだ。もしかしたら、今後は前以上に頻度が増えるのではないだろうか。
(案外、頭をなでるのも、わたしがもっとやってほしいと思ってるって、誤解していたり……?)
なでられるのは嫌ではないと言ったが、もっとなでてほしいとは言ってない。だが、ジークヴァルトは妙に律儀なところがある。
王子の命で王城にとどまった時も、王命でリーゼロッテの護衛に関わった時も、真夜中まで見回りをしたり、多忙な中、毎日連絡をくれたり、そこまでしなくていいのではと思える働きぶりだった。
もしも、リーゼロッテがもっとかまってほしいとねだったなら、休む時間を削ってまで責任を果たそうとするのではないか。
「そうですよぉ。殿方をうまくしつけるのも淑女のたしなみですよぅ。それには、初めが肝心なんですぅ」
「そ、そう……ありがとう、心に留めておくわ」
傍から見るとジークヴァルトのあれは婚約者への執着に見えるらしい。しかし当事者に言わせると、まったく違うと言いたいのだが。
(周りにはそう見えるのなら、マテアスたちの作戦はある意味成功してるってことね)
マテアスやエッカルトは、ジークヴァルトが自分を子供としてしか見ていないことを懸念して、いろいろと画策しているのだろう。
近い将来、誓いを立てるふたりの最重要任務は、後継ぎを作ることだ。その任務を円滑に遂行するためにも、今のうちに少しでもジークヴァルトとリーゼロッテの距離を縮めておきたいのだろう。
石でも踏んだのか不意に馬車が不規則に揺れる。それと同時にリーゼロッテの胸元の守り石が小さく跳ねた。ペンダントの石をそっと手に取り、揺らめく青をじっと見つめる。
レースのカーテンがひかれた馬車の窓から陽が差し込んで、流れていく光が時折守り石に反射した。
(子供の頃、よくこうして石を光にかざしていたっけ……)
青い守り石が光を返す様はとても綺麗で、ずっと見ていても見飽きない。ジークヴァルトの瞳と同じ色をした石の揺らめきを、リーゼロッテはじっとみつめた。
昔ジークフリートからもらったペンダントは、実のところジークヴァルトが力を込めた守り石だった。
初めて会った日、ジークヴァルトは禍々しい黒いモヤに覆われていて、それはそれは恐ろしく見えた。もしもあの日に、ジークヴァルトの顔をきちんと見ることができて、ジークヴァルトから直接ペンダントを手渡されていたのなら。
(わたしの初恋の人はジークフリート様ではなく、ヴァルト様になっていたのかしら……?)
たらればの話をしても意味はないとはわかっているが、ついそんなことを思ってしまう。黒いモヤさえ見えなければ、あれほどジークヴァルトを毛嫌いすることもなかっただろう。
(まあ、自分が力を扱えなかったのが最大の原因なんだから、ヴァルト様にしてみればとばっちりもいいところよね)
これから先ずっと、ジークヴァルトとうまくやっていけるだろうか。ふとそんな不安がよぎる。
今のところは子供扱いを受け入れるにしても、いずれふたりは夫婦となるのだ。果たしてジークヴァルトが自分を女としてみる日がやってくるのか、現時点では想像もつかない。
(逆にわたし自身、ヴァルト様をそんな風に見れるのかしら……?)
黒いモヤがなくなった今、以前のようにジークヴァルトに対して生理的な嫌悪を感じることはない。頭をなでられるのはくすぐったいが心地よく感じるし、抱き上げられるのは恥ずかしいけれど、どこかで安心感も感じてはいる。
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その相手とキスできるのか、ひいてはエッチができるのか。つきあうにしても結婚するにしても、そこが決め手なのだと、日本で聞いたことがある。
(ジークヴァルト様とわたしが……?)
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(まあ、職務に律儀なヴァルト様のことだから、子作りも義務と思えばどうにかしてきそうだけど……)
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