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第2章 氷の王子と消えた託宣
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「あの、ジークヴァルト様……」
「なんだ?」
「わたくし、その……ヴァルト様に頭をなでられるのは、い、いやではありませんから……」
消え入りそうな小さい声で言った後、リーゼロッテはジークヴァルトをそっと見上げた。多分、今鏡を見たら真っ赤な顔をしているだろう。
自分でも何を言っているのだろうと思うのだが、あの日以来、必要以上に触れてこないジークヴァルトが、自分に対して未だ負い目を感じているのだろうとはうすうす感じとっていた。その代わりのようにあーんの回数が激増しているように思えてならないのだが、それはまあそれとして。
先程触れてきた指先は以前と変わらずやさしくて、決して触れることが嫌になったわけではないのだと、リーゼロッテはそう確信することができた。
そのことに安堵している自分がいる。そして同時に、今まで通り触れてほしいと望んでいる自分に対して、戸惑いを覚えた。
「そうか……」
静かに言ったジークヴァルトの大きな手が、再びそっと髪をひとなでした。リーゼロッテはほっと息をつき、頬を染めたまま、はにかむような笑顔をジークヴァルトにまっすぐと向けた。
次の瞬間、ドンっ!と、エントランス全体が大きく揺れた。突然の異形のざわめきに、その場にいた誰もが身を固くした空間で、ばちーん!と場違いに思える気の抜けた音が響き渡った。
その音と共に異形たちも沈黙し、その場に し――んと静寂が訪れた。みなの視線は響いた音の発信源、ジークヴァルトの顔に注がれている。
そこには両手で自らの頬を挟み込むように押さえつけた、ちょっと涙目になっているジークヴァルトがいた。
「……ヴァルト様?」
不思議そうにこてんと首をかしげるリーゼロッテに、ジークヴァルトは「問題ない」とそのままの姿勢で答えた。
いや、その格好で言われても……とこの場にいた誰しもが思ったのだが、当主の言うことに否と言えるはずもない。エッカルトのみが事情を察して「ご立派です、旦那様」と目頭を熱くさせている。
前当主であるジークフリートに屋敷中を破壊されまくってきたエッカルトとしては、ジークヴァルトの自制ぶりを前に、流涙を禁じ得ない。こんなにも愛らしいリーゼロッテを前に公爵家の呪いに抗うなど、とてもあのジークフリートの息子とは思えない我慢っぷりだ。
ジークヴァルトが何食わぬ顔で手を離すと、その両頬には盛大に赤く手形がついていた。どれだけの力を込めて自分の頬を叩いたのだろうか。
「ジークヴァルト様……頬が……」
リーゼロッテがそっと指先を伸ばすと、ジークヴァルトは「いや、問題ない」とふいと顔をそむけた。赤くなった頬に触れそうで触れない距離で延ばされた小さな白い手を、やさしく自分の手でつかみ取る。
先程は不意を突かれて異形の者を騒がせてしまったが、心づもりをしていれば何も問題はない。大丈夫だ、耐えられる。
「もう時間だ。気をつけて帰れ」
「……はい、ありがとうございます、ヴァルト様」
手を握られたままのリーゼロッテは淑女の笑みを返し、そのあと、はっとした顔をした。
「あの……ヴァルト様、最後にひとつお願いが……」
「なんだ?」
言いづらそうに視線を左右にさまよわせた後、リーゼロッテは意を決したようにジークヴァルトを再び見上げた。
「夜会では、あーんも抱っこもなさらないでくださいませね」
お願いというよりくぎを刺すような口調に、ジークヴァルトは一瞬口をつぐみ、しばらく考えるような仕草をした後、再びふいと顔をそらした。
「善処する」
言われなければ、何も考えずにやらかすつもりだったのだろう。その気のない政治家の言い逃れのような返答であるのが気にはなるが、とにかく言質は取ったとリーゼロッテは胸をなでおろした。
そのままリーゼロッテはジークヴァルトにエスコートされて、馬車が停まる外へと移動した。馬車の前には護衛のエーミールとヨハン、それに侍女のベッティが待っていた。その奥にカークが直立不動でたたずんでいる。
「よろしく頼む」
ジークヴァルトが静かに言うと、「お任せを!」とエーミールとヨハンはそろって騎士の礼をとり、その後ろでカークがぴしりと姿勢を正した。
「グレーデン様、ヨハン様。この度は護衛を引き受けてくださってありがとうございます」
リーゼロッテがふたりに淑女の笑みを向けると、カークがもの言いたげに首を向けてくる。
「カークもまたお願いね?」
柔らかく微笑むと、カークはこくこくと頷いた。
「そういえば、ヨハン様はカークが前回、どうやって移動していたのかご存知ですか?」
こてんと首をかしげると、ヨハンは言いにくそうに急にもじもじと指を動かしだした。厳つい大男が身を縮こまらせてモジつく姿は、可愛いとみるか気持ち悪いとみるかは意見の分かれるところだ。
「はい、存じておりますが……我が先祖は……その、そこに乗って移動しておりました」
不敬で申し訳ありません、と消え入りそうな声で付け加えたヨハンの指は、何やら馬車の上の方向を指している。一同の視線がそこに集まると、カークも一拍遅れてゆっくりとそちらの方に顔を向けた。
「この上に?」
リーゼロッテが公爵家の馬車の屋根の上を見上げながら、ヨハンに聞いた。
「はい……大変申し訳ありません……」
「まあ! わたくしはてっきり、カークが馬車の後ろを全力疾走していると思っていましたわ」
くすくすと笑っているリーゼロッテを見て、ヨハンはほっとした表情をした。その横でエーミールが何かを言いたげにジークヴァルトに視線を送った。
「カークが馬車の上に乗っても問題ありませんわよね?」
リーゼロッテが伺うように隣を見上げると、「ああ」とジークヴァルトはそっけなく返した。
「ふふ、カークは振り落とされないように気をつけてね?」
その言葉に再びカークはこくこくと頷き、いそいそと馬車の上によじ登りはじめた。そのまま屋根の上であぐらをかいて座ったかと思うと、その姿勢でぴたりと静止し動かなくなる。
「視える人が視たら驚いてしまいそうね」
リーゼロッテが苦笑いすると、ヨハンが増々恐縮したように身を縮こまらせた。その様子にエーミールが不満そうに顔をしかめる。
「ジークヴァルト様、このような異形を連れて行くのは賛成いたしかねます」
「問題ない。これの見たものはオレにも届く」
にべもなくそう言われてしまえば、エーミールは引き下がるしかない。カークとついでにヨハンを睨みつけながら、「そういうことでしたら」と不承不承の体で頷いた。
ジークヴァルトはリーゼロッテに向き直ると、するりとその髪をなでた。からめた指の間からサラサラとこぼれる髪を無表情でみつめながら、何度もするりするりと梳いていく。
「名残惜しいとは存じますが、そろそろ出発いたしませんと、あちらへ到着するのが遅れてしまいますな」
終わりの見えないジークヴァルトの行為に、エッカルトが後ろからすまなそうに声をかけた。ジークヴァルトははっとして、慌てたように手を引っ込めた。
「今も無意識でございましたか?」
「……ああ」
ふいと顔をそらすと、ジークヴァルトは周りにいた使用人に目くばせを送って馬車の扉を開けさせた。
「なんだ?」
「わたくし、その……ヴァルト様に頭をなでられるのは、い、いやではありませんから……」
消え入りそうな小さい声で言った後、リーゼロッテはジークヴァルトをそっと見上げた。多分、今鏡を見たら真っ赤な顔をしているだろう。
自分でも何を言っているのだろうと思うのだが、あの日以来、必要以上に触れてこないジークヴァルトが、自分に対して未だ負い目を感じているのだろうとはうすうす感じとっていた。その代わりのようにあーんの回数が激増しているように思えてならないのだが、それはまあそれとして。
先程触れてきた指先は以前と変わらずやさしくて、決して触れることが嫌になったわけではないのだと、リーゼロッテはそう確信することができた。
そのことに安堵している自分がいる。そして同時に、今まで通り触れてほしいと望んでいる自分に対して、戸惑いを覚えた。
「そうか……」
静かに言ったジークヴァルトの大きな手が、再びそっと髪をひとなでした。リーゼロッテはほっと息をつき、頬を染めたまま、はにかむような笑顔をジークヴァルトにまっすぐと向けた。
次の瞬間、ドンっ!と、エントランス全体が大きく揺れた。突然の異形のざわめきに、その場にいた誰もが身を固くした空間で、ばちーん!と場違いに思える気の抜けた音が響き渡った。
その音と共に異形たちも沈黙し、その場に し――んと静寂が訪れた。みなの視線は響いた音の発信源、ジークヴァルトの顔に注がれている。
そこには両手で自らの頬を挟み込むように押さえつけた、ちょっと涙目になっているジークヴァルトがいた。
「……ヴァルト様?」
不思議そうにこてんと首をかしげるリーゼロッテに、ジークヴァルトは「問題ない」とそのままの姿勢で答えた。
いや、その格好で言われても……とこの場にいた誰しもが思ったのだが、当主の言うことに否と言えるはずもない。エッカルトのみが事情を察して「ご立派です、旦那様」と目頭を熱くさせている。
前当主であるジークフリートに屋敷中を破壊されまくってきたエッカルトとしては、ジークヴァルトの自制ぶりを前に、流涙を禁じ得ない。こんなにも愛らしいリーゼロッテを前に公爵家の呪いに抗うなど、とてもあのジークフリートの息子とは思えない我慢っぷりだ。
ジークヴァルトが何食わぬ顔で手を離すと、その両頬には盛大に赤く手形がついていた。どれだけの力を込めて自分の頬を叩いたのだろうか。
「ジークヴァルト様……頬が……」
リーゼロッテがそっと指先を伸ばすと、ジークヴァルトは「いや、問題ない」とふいと顔をそむけた。赤くなった頬に触れそうで触れない距離で延ばされた小さな白い手を、やさしく自分の手でつかみ取る。
先程は不意を突かれて異形の者を騒がせてしまったが、心づもりをしていれば何も問題はない。大丈夫だ、耐えられる。
「もう時間だ。気をつけて帰れ」
「……はい、ありがとうございます、ヴァルト様」
手を握られたままのリーゼロッテは淑女の笑みを返し、そのあと、はっとした顔をした。
「あの……ヴァルト様、最後にひとつお願いが……」
「なんだ?」
言いづらそうに視線を左右にさまよわせた後、リーゼロッテは意を決したようにジークヴァルトを再び見上げた。
「夜会では、あーんも抱っこもなさらないでくださいませね」
お願いというよりくぎを刺すような口調に、ジークヴァルトは一瞬口をつぐみ、しばらく考えるような仕草をした後、再びふいと顔をそらした。
「善処する」
言われなければ、何も考えずにやらかすつもりだったのだろう。その気のない政治家の言い逃れのような返答であるのが気にはなるが、とにかく言質は取ったとリーゼロッテは胸をなでおろした。
そのままリーゼロッテはジークヴァルトにエスコートされて、馬車が停まる外へと移動した。馬車の前には護衛のエーミールとヨハン、それに侍女のベッティが待っていた。その奥にカークが直立不動でたたずんでいる。
「よろしく頼む」
ジークヴァルトが静かに言うと、「お任せを!」とエーミールとヨハンはそろって騎士の礼をとり、その後ろでカークがぴしりと姿勢を正した。
「グレーデン様、ヨハン様。この度は護衛を引き受けてくださってありがとうございます」
リーゼロッテがふたりに淑女の笑みを向けると、カークがもの言いたげに首を向けてくる。
「カークもまたお願いね?」
柔らかく微笑むと、カークはこくこくと頷いた。
「そういえば、ヨハン様はカークが前回、どうやって移動していたのかご存知ですか?」
こてんと首をかしげると、ヨハンは言いにくそうに急にもじもじと指を動かしだした。厳つい大男が身を縮こまらせてモジつく姿は、可愛いとみるか気持ち悪いとみるかは意見の分かれるところだ。
「はい、存じておりますが……我が先祖は……その、そこに乗って移動しておりました」
不敬で申し訳ありません、と消え入りそうな声で付け加えたヨハンの指は、何やら馬車の上の方向を指している。一同の視線がそこに集まると、カークも一拍遅れてゆっくりとそちらの方に顔を向けた。
「この上に?」
リーゼロッテが公爵家の馬車の屋根の上を見上げながら、ヨハンに聞いた。
「はい……大変申し訳ありません……」
「まあ! わたくしはてっきり、カークが馬車の後ろを全力疾走していると思っていましたわ」
くすくすと笑っているリーゼロッテを見て、ヨハンはほっとした表情をした。その横でエーミールが何かを言いたげにジークヴァルトに視線を送った。
「カークが馬車の上に乗っても問題ありませんわよね?」
リーゼロッテが伺うように隣を見上げると、「ああ」とジークヴァルトはそっけなく返した。
「ふふ、カークは振り落とされないように気をつけてね?」
その言葉に再びカークはこくこくと頷き、いそいそと馬車の上によじ登りはじめた。そのまま屋根の上であぐらをかいて座ったかと思うと、その姿勢でぴたりと静止し動かなくなる。
「視える人が視たら驚いてしまいそうね」
リーゼロッテが苦笑いすると、ヨハンが増々恐縮したように身を縮こまらせた。その様子にエーミールが不満そうに顔をしかめる。
「ジークヴァルト様、このような異形を連れて行くのは賛成いたしかねます」
「問題ない。これの見たものはオレにも届く」
にべもなくそう言われてしまえば、エーミールは引き下がるしかない。カークとついでにヨハンを睨みつけながら、「そういうことでしたら」と不承不承の体で頷いた。
ジークヴァルトはリーゼロッテに向き直ると、するりとその髪をなでた。からめた指の間からサラサラとこぼれる髪を無表情でみつめながら、何度もするりするりと梳いていく。
「名残惜しいとは存じますが、そろそろ出発いたしませんと、あちらへ到着するのが遅れてしまいますな」
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※小説家になろうグループムーンライトノベルズにて【R18】ふたつ名の令嬢と龍の託宣 不定期投稿中☆
第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣 スタートました♡
※アルファポリス版は第1部令嬢編として一度完結としましたが、ムーンでは第6章を継続投稿中です。
こちらはR18ですので、18歳以上(高校生不可)の方のみ閲覧できます。
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