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第2章 氷の王子と消えた託宣
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「ヴァルト様、そういうのを屁理屈というのですわ」
リーゼロッテはそう言いながら、自らの手で桃色の菓子を一つ取り、何かを思いついたようにふふっと笑った。
「はい、ヴァルト様、あーんですわ」
満面の笑みでジークヴァルトの口元に菓子を差し出してくる。身を引きそうになったジークヴァルトの頬にその小さな手のひらを添えて、自らの方に向けさせる。
「恥ずかしくっても駄目ですわ」
小さな指でつまみあげた菓子を唇に押し付けるようにしてくるリーゼロッテを前に、ジークヴァルトは眉間にしわを寄せた。頑なに口を開かないでいると、リーゼロッテは腰を浮かしてぐいぐいと迫ってくる。
「わたくしばっかりずるいですわ。ほら、ちゃんとあーんしてくださいませ」
駄目だ。胸がざわざわする。
このままずっとこうされていたい気もするが、これ以上は非常に危険なようにも感じる。
ジークヴァルトは観念して口を薄く開いた。ここぞとばかりにリーゼロッテは指に持つ菓子を口の中に押し込んでくる。
口内で広がった酸味にジークヴァルトはぎゅっと口を引き結んだ。眉間のしわも先程以上に深くなる。
「え? おいしくなかったですか?」
リーゼロッテが不安げに顔を覗き込んでくる。
「いや、少し酸っぱいな」
「え? 酸っぱい?」
驚いたようにリーゼロッテは目を丸くした。
「旦那様は子供のころから酸っぱいものが苦手でして」
いつの間にかすぐそばに来ていたマテアスが、ジークヴァルトの前に追加の冷めた紅茶を差し出した。それを受け取ってジークヴァルトはぐいと一気に飲み干す。
それを見たリーゼロッテは、くすくすと笑いだした。
「申し訳ございません。そうと知っていたら、もっと甘い菓子を選びましたのに」
「いい。別に食えないわけではない」
「ちなみに旦那様は甘い物も得意ではありませんので」
そう付け加えたマテアスを、余計なことは言うなとばかりにジークヴァルトは睨みつけた。
「まあ、それは困ったわ」
リーゼロッテがこてんと首をかしげると、マテアスが名案を思い付いたように糸目を輝かせた。
「でしたら、これからは旦那様用に酸っぱくも甘くもない物をご用意いたしましょう。ですので、リーゼロッテ様はこれからも心置きなく旦那様にあーんをなさってくださいね」
「えっ!?」
「旦那様には一日一回と言わず、何度してもかまいませんから」
「え? いえ、そんな失礼なことは……」
「何をおっしゃいます。失礼だなんて、ねえ、旦那様?」
ふたりの視線が自分に集まると、ジークヴァルトはふいと顔をそらした。
「ほら、やはりヴァルト様は嫌がっておいでのようだから……」
「……別に、嫌ではない」
不服そうな声音のくせにジークヴァルトはそう返した。
リーゼロッテは小さな口をぽかんと開けたあと、困ったように口元をへの字に曲げた。こんなつもりじゃなかった、顔にそう書いてある。
あーんは一日一往復(それ以上ももちろん可)。公爵家に新たな珍ルールが誕生した瞬間だった。
「旦那様、そんなことより、リーゼロッテ様ときちんとご相談なさってくださいね」
マテアスはそれだけ言うと、再び執務机へと戻っていった。
「相談ですか……?」
リーゼロッテが不安げにこちらを見上げてくる。
「ああ、王城からの視察も終わったからな。ダーミッシュ嬢を領地に帰したいんだが、エマニュエルは所用で不在だ。今、誰も付き添える者がいない」
「まあ、いつも気を使わせて申し訳ありません」
「来週になればエマも戻ってくるが、ダーミッシュ嬢もデビューの準備で何かと忙しいだろう?」
「そうですわね……」
白の夜会までもう三週間を切っている。マダム・クノスペがドレスを作り直すと言っていたので、領地へはできるだけ早く戻った方がいいだろう。リーゼロッテは困ったように首を傾けた。
「カークもおりますし、護衛の方がいらっしゃれば大丈夫かと……わたくし、無茶はしないとお約束いたしますわ」
ダーミッシュの屋敷での生活は特にトラブルなく過ごせている。前回はエマニュエルに来てもらっていたが、異形の者がらみで迷惑をかけることは一度もなかった。
ジークヴァルトは無言で考える仕草をした。
護衛ができる力ある者といえば、ユリウスとエーミールとヨハンの三人がいる。ユリウスはもう四十代だが、いずれにせよ三人は未婚の男だ。しかも、婚約者など決まった相手もいない。
のべつ幕なし女性に手を出すユリウス。若い令嬢に人気のエーミール。そしてとにかく惚れっぽいヨハン。どれをとっても不安材料ばかりだ。
リーゼロッテの言うことは最もで、今選択できる最善のことだと理解はできる。それなのに、ジークヴァルトは了承し難く思えて、眉間のしわをさらに深くした。
「あのう……」
離れた場所から控えめに声が発せられた。
「差し出がましいようですがぁ、よろしければわたしがリーゼロッテ様のお供をいたしましょうかぁ?」
それまで黙って控えていたベッティが壁際からこちらを見ている。
「僭越ながらぁ、わたしも多少は力を扱えますのでぇ、ちょっとした異形の者なら追い払うくらいはできますよぅ」
「ああ、ベッティさんがいてくだされば心強いですね」
マテアスが「いかかですか、旦那様?」と問うと、ジークヴァルトはしばらくの沈黙ののちに、「ああ」と短く了承の意を伝えた。
「では早速、出立の準備にとりかからせていただきますねぇ。あちらへ向かうのはいつ頃になりますでしょうかぁ?」
「明日にでも出られるよう手配してくれ」
「承知いたしましたぁ」
頭を下げたベッティは、そのまま執務室を出て行った。
「リーゼロッテ様、慌ただしくなってしまい申し訳ありません。今日一日は旦那様とゆっくりなさってくださいね」
にっこり笑うマテアスの頭の中では、今宵のふたりの晩餐計画が着々と進行しているのであった。
リーゼロッテはそう言いながら、自らの手で桃色の菓子を一つ取り、何かを思いついたようにふふっと笑った。
「はい、ヴァルト様、あーんですわ」
満面の笑みでジークヴァルトの口元に菓子を差し出してくる。身を引きそうになったジークヴァルトの頬にその小さな手のひらを添えて、自らの方に向けさせる。
「恥ずかしくっても駄目ですわ」
小さな指でつまみあげた菓子を唇に押し付けるようにしてくるリーゼロッテを前に、ジークヴァルトは眉間にしわを寄せた。頑なに口を開かないでいると、リーゼロッテは腰を浮かしてぐいぐいと迫ってくる。
「わたくしばっかりずるいですわ。ほら、ちゃんとあーんしてくださいませ」
駄目だ。胸がざわざわする。
このままずっとこうされていたい気もするが、これ以上は非常に危険なようにも感じる。
ジークヴァルトは観念して口を薄く開いた。ここぞとばかりにリーゼロッテは指に持つ菓子を口の中に押し込んでくる。
口内で広がった酸味にジークヴァルトはぎゅっと口を引き結んだ。眉間のしわも先程以上に深くなる。
「え? おいしくなかったですか?」
リーゼロッテが不安げに顔を覗き込んでくる。
「いや、少し酸っぱいな」
「え? 酸っぱい?」
驚いたようにリーゼロッテは目を丸くした。
「旦那様は子供のころから酸っぱいものが苦手でして」
いつの間にかすぐそばに来ていたマテアスが、ジークヴァルトの前に追加の冷めた紅茶を差し出した。それを受け取ってジークヴァルトはぐいと一気に飲み干す。
それを見たリーゼロッテは、くすくすと笑いだした。
「申し訳ございません。そうと知っていたら、もっと甘い菓子を選びましたのに」
「いい。別に食えないわけではない」
「ちなみに旦那様は甘い物も得意ではありませんので」
そう付け加えたマテアスを、余計なことは言うなとばかりにジークヴァルトは睨みつけた。
「まあ、それは困ったわ」
リーゼロッテがこてんと首をかしげると、マテアスが名案を思い付いたように糸目を輝かせた。
「でしたら、これからは旦那様用に酸っぱくも甘くもない物をご用意いたしましょう。ですので、リーゼロッテ様はこれからも心置きなく旦那様にあーんをなさってくださいね」
「えっ!?」
「旦那様には一日一回と言わず、何度してもかまいませんから」
「え? いえ、そんな失礼なことは……」
「何をおっしゃいます。失礼だなんて、ねえ、旦那様?」
ふたりの視線が自分に集まると、ジークヴァルトはふいと顔をそらした。
「ほら、やはりヴァルト様は嫌がっておいでのようだから……」
「……別に、嫌ではない」
不服そうな声音のくせにジークヴァルトはそう返した。
リーゼロッテは小さな口をぽかんと開けたあと、困ったように口元をへの字に曲げた。こんなつもりじゃなかった、顔にそう書いてある。
あーんは一日一往復(それ以上ももちろん可)。公爵家に新たな珍ルールが誕生した瞬間だった。
「旦那様、そんなことより、リーゼロッテ様ときちんとご相談なさってくださいね」
マテアスはそれだけ言うと、再び執務机へと戻っていった。
「相談ですか……?」
リーゼロッテが不安げにこちらを見上げてくる。
「ああ、王城からの視察も終わったからな。ダーミッシュ嬢を領地に帰したいんだが、エマニュエルは所用で不在だ。今、誰も付き添える者がいない」
「まあ、いつも気を使わせて申し訳ありません」
「来週になればエマも戻ってくるが、ダーミッシュ嬢もデビューの準備で何かと忙しいだろう?」
「そうですわね……」
白の夜会までもう三週間を切っている。マダム・クノスペがドレスを作り直すと言っていたので、領地へはできるだけ早く戻った方がいいだろう。リーゼロッテは困ったように首を傾けた。
「カークもおりますし、護衛の方がいらっしゃれば大丈夫かと……わたくし、無茶はしないとお約束いたしますわ」
ダーミッシュの屋敷での生活は特にトラブルなく過ごせている。前回はエマニュエルに来てもらっていたが、異形の者がらみで迷惑をかけることは一度もなかった。
ジークヴァルトは無言で考える仕草をした。
護衛ができる力ある者といえば、ユリウスとエーミールとヨハンの三人がいる。ユリウスはもう四十代だが、いずれにせよ三人は未婚の男だ。しかも、婚約者など決まった相手もいない。
のべつ幕なし女性に手を出すユリウス。若い令嬢に人気のエーミール。そしてとにかく惚れっぽいヨハン。どれをとっても不安材料ばかりだ。
リーゼロッテの言うことは最もで、今選択できる最善のことだと理解はできる。それなのに、ジークヴァルトは了承し難く思えて、眉間のしわをさらに深くした。
「あのう……」
離れた場所から控えめに声が発せられた。
「差し出がましいようですがぁ、よろしければわたしがリーゼロッテ様のお供をいたしましょうかぁ?」
それまで黙って控えていたベッティが壁際からこちらを見ている。
「僭越ながらぁ、わたしも多少は力を扱えますのでぇ、ちょっとした異形の者なら追い払うくらいはできますよぅ」
「ああ、ベッティさんがいてくだされば心強いですね」
マテアスが「いかかですか、旦那様?」と問うと、ジークヴァルトはしばらくの沈黙ののちに、「ああ」と短く了承の意を伝えた。
「では早速、出立の準備にとりかからせていただきますねぇ。あちらへ向かうのはいつ頃になりますでしょうかぁ?」
「明日にでも出られるよう手配してくれ」
「承知いたしましたぁ」
頭を下げたベッティは、そのまま執務室を出て行った。
「リーゼロッテ様、慌ただしくなってしまい申し訳ありません。今日一日は旦那様とゆっくりなさってくださいね」
にっこり笑うマテアスの頭の中では、今宵のふたりの晩餐計画が着々と進行しているのであった。
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※小説家になろうグループムーンライトノベルズにて【R18】ふたつ名の令嬢と龍の託宣 不定期投稿中☆
第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣 スタートました♡
※アルファポリス版は第1部令嬢編として一度完結としましたが、ムーンでは第6章を継続投稿中です。
こちらはR18ですので、18歳以上(高校生不可)の方のみ閲覧できます。
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