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第2章 氷の王子と消えた託宣

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 彼女に関することとなると、途端とたんにどうしていいかわからなくなる。
 今までのように、最善の策も、最良の選択も、なにひとつ正解が見いだせなくなる。

 自分のやることなすこと、から回っていると分かってはいた。彼女の戸惑ったような笑顔を見るたびに、自分はまた失敗したのだという自覚だけが積みあがっていく。

 だがその表情にすら喜びをみいだしている自分に、ただひたすら戸惑いを覚えた。
 自分の失くしたものを、彼女がすべて持っているようで、自分は彼女なしではもう生きていけないのだと、幼い彼女の笑顔を見上げながらジークヴァルトはどうしてだかそんなふうに思った。

 この笑顔を守るためには、自分がそばにいてはいけない。

 そう決意し、意識して距離を置くようになってから、彼女は悲しそうな顔をするようになった。自分が距離をとろうとすればするほど、それは顕著けんちょになっていく。

 その事実に気づくと、今度は居ても立っても居られないような、どうしようもない気持ちにおそわれた。挙句あげくの果てには、無防備むぼうびなその体に触れようと、無意識のままこの手が伸びている始末だ。

 そんなとき、彼女は言った。あーんは毎日のノルマなのだと。
 それは、自分から手を伸ばし、彼女に近づいてもいいのだと、そう許されたような気がして――
 その時にまた、自分でもよくわからないかたまりが、この胸の奥に生まれ、大きくはじけた。

 ほかでもない彼女が、この自分がそばにることを望むなら。
(――自分はソレを無理やりにでも押し殺すしかない)

 ソレの正体が一体何なのか、ジークヴァルトにもわからない。
 だが、彼女を、リーゼロッテをそのかたわらにあって守るには、それ以外に選択肢は見いだせなかった。

 異形の者たちはいいパラメーターだ。やつらに気取けどられないほど完璧に、この衝動しょうどうを抑えてみせよう。それは苦行くぎょうのようでいて、心躍こころおどるような高揚感こうようかんもあった。

(オレはすでに狂っているのかもしれない)
 腕の中にいるリーゼロッテを見下ろしながら、ジークヴァルトは他人ごとのように思う。

 誰よりも近く、誰よりも遠く――

 その矛盾むじゅんこそが、ジークヴァルトの行き着いた唯一ゆいいつの答えだった。

「あの、ジークヴァルト様……」
「なんだ?」

 リーゼロッテはジークヴァルトを見上げながら、その青い瞳をじっと見つめた。

「先程アデライーデ様に、オクタヴィアの瞳を見せていただきました」
「気に入ったか?」

 緑の大きな瞳に映りこむ自分は、うまく感情をかくせているだろうか?

「はい、とても……守り石がとても綺麗で……わたくし、一目で心をうばわれました……」
 リーゼロッテは一度言葉を切って、はにかむような笑顔を向けた。

「ヴァルト様、わたくしのためにお心をくだいてくださってありがとうございます。とても……とても、うれしいですわ」
「……そうか」

 なぜ離れようなどと思ったのだろう。彼女を守ることこそ、自分の選ぶべきただ一つの道だというのに。

 そう、話は単純だ。
 おのれ不可解ふかかいな感情などにまどわされるからいけないのだ。
 自分はただ彼女の笑顔を守ればいい。
 それをかたわらでみているだけで――

「あ、雪が……」

 リーゼロッテが手のひらを上に向けながら、ぶ厚い雲のかかる空を見上げた。
 先ほどから急速に冷え込んできたと思っていたが、いつの間にか雪がちらついてきた。白い息がリーゼロッテの赤くなった頬にまとわりついている。

 ぶるりと小さくふるえたリーゼロッテを見て、ジークヴァルトは自分が着ている外套のボタンをはずした。そのままリーゼロッテを外套で包み込むと、元通りボタンをはめていく。
 ジークヴァルトの胸板に背を預け、ボタンをしめられてしまったリーゼロッテは、頭まですっぽりと外套にくるまれてしまった。

「ヴぁ、ヴァルト様……」

 戸惑った声が外套の中から聞こえ、ジークヴァルトは上のボタンをいくつかはずした。ぷはぁといったていでリーゼロッテが顔をのぞかせる。
 不格好な二人羽織ににんばおりのような体勢に、寒さとは違う意味でリーゼロッテの頬が染まった。

「寒くはないか?」
「……はい、とても暖かいですわ」
「そうか。……そろそろ戻るぞ」

 そう言って、ジークヴァルトは馬の首を反転させた。そのまま二人を乗せた馬は軽やかに走り出す。

 屋敷のうまやにまで戻ってくると、ジークヴァルトは外套の中からリーゼロッテを解放した。その様子に、使用人たちの生温かいまなざしが向けられている。

 先に馬から降りたジークヴァルトは、リーゼロッテの脇に手を差し入れると、やさしい手つきで馬からそっと降ろした。

 おもむろに脱いだ外套をリーゼロッテの肩にかけると、大きすぎるそれでリーゼロッテをぐるぐる巻きにしていく。ミノムシのような状態にさせられたリーゼロッテは、身動きできずに驚いた顔で固まっている。

「抱くぞ」
 かがみこみながら耳元でそう言うと、ジークヴァルトは外套にくるまれたリーゼロッテをひょいと横抱きに抱え上げた。

「ひゃっ」という小さな悲鳴が聞こえたが、そのまま有無うむを言わさず屋敷の中へと進み始めた。

「あの、ヴァルト様……わたくし自分で歩けますわ」
 リーゼロッテが頬を染めながら、困ったように見上げてくる。

「問題ない」

 そうとだけ言って、ジークヴァルトはゆっくりとリーゼロッテの部屋まで足を進めた。そんなふたりの背中を、使用人たちの微笑ましそうな視線が、どこまでも見送るのであった。
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