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第2章 氷の王子と消えた託宣
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「あの、ヴァルト様」
「なんだ」
「今度、お忍びで王都に遊びに行ってもよろしいでしょうか?」
この際だから、お願いしたいことはすべて聞いてみよう。今なら大抵のことは許してもらえそうな気がして、リーゼロッテは期待に満ちた瞳をジークヴァルトに向けた。
「却下だ」
「ええ!?」
あまりにも即答だったので、思わず非難めいた言葉が出てしまった。
「言っただろう。人が集まる場所には異形も集まる。街に出ると、アレを大量生産することになるぞ」
くいと顔で示した方向いるのは、言わずと知れたおめめきゅるるん隊である。
「……潔く諦めますわ」
ぐうの音も出ない理由に、リーゼロッテは頷くより他はなかった。自分が歩けば異形が寄ってくる。力ある者が多くいる公爵家ならまだしも、不特定多数の人間が集まる場所では、周囲にどんな影響が出るかはわからない。
「いつかオレが連れて行ってやる」
顔を上げると、無表情だがどこか穏やかな顔のジークヴァルトと目が合った。しかし、ジークヴァルトと一緒では、目立つこと請け合いだ。到底お忍びにはならないだろう。
忙しいジークヴァルトなりの社交辞令なのかもしれない。あまり期待しないでおこうと思いながらも「楽しみにしております」とリーゼロッテは微笑み返した。
ふわりと美味しそうな匂いがしてきて、ふたりの前に淡いクリーム色のスープが一皿運ばれてきた。寒い国だからかもしれないが、ブラオエルシュタインでは前菜として、まずスープが出てくることが多い。
「ジャガイモのポタージュでございます」
給仕の使用人がスープを置くと、頭を下げて下がっていく。
(ジャガイモはジャガイモなのね)
この世界にはリンゴそっくりなビョウのように、名前の違う似たようなものもあるし、見た目も中身もそっくりな同じ名前ものがあったりもする。かと思えば見た目そっくりな全く違うものもあるので、日本での常識のままでいると痛い目にあうことがある。何かと油断大敵だ。
まあ、公爵家で出てくるものはどれもおいしいので、ジャガイモという名の全く違う味のスープだったとしても、何も問題はないだろう。
(あとは粗相をしないように気をつけないと)
リーゼロッテはテーブルマナーはこの世界で学んだ知識しか持ち合わせていない。
日本での記憶は、お箸にスプーン・フォークがせいぜいだ。ナイフとフォークを使うようなフルコースは、それこそ誰かに呼ばれた結婚式くらいのもので、それも周りを観察しつつ恐る恐る食べていた記憶しかない。
貴族として、幼少期にロッテンマイヤーさんからマナーのスパルタ教育は受けている。しかし、幼い頃にマスターしたきり、長い間披露することなく過ごしてきた。だから、今日のような格式高いディナーの席では少しばかり自信がないのだ。
(ん?)
しかし、テーブルに置かれたスープにリーゼロッテは首をかしげた。
今夜はジークヴァルトとの食事の席のはずだが、運ばれたスープが一皿だけだったのだ。しかも、自分の目の前には、普通なら置かれているであろうカトラリーがひとつもない。
横に座るジークヴァルトの前のテーブルの上を見ると、そこには一式カトラリーがそろえられていた。これは一体どういうことか。
一瞬、食べるのはジークヴァルトだけなのかと思ったが、そんな非常識なことが由緒正しい公爵家でおこるわけはない。
「あーん」
不意に隣から悪魔の声が聞こえてきた。恐る恐る横をみやると、目の前でクリーム色の液体がスープスプーンの中で美味しそうに湯気を立てている。
この状況は、リーゼロッテの想像をはるかに超えて、とんでもなく非常識だったようだ。いいのか、格式高い公爵家がこんなんで。リーゼロッテは涙目で首をふるふると振った。
「あの、さすがにこれは……」
助けを求めるようにジークヴァルトを見るが、無言でスプーンを突き付けてくる。
思わず壁際へと視線を向けると、エッカルトの期待に満ちた瞳にぶつかった。その顔は『 あ ー ん は い ち に ち い っ か い ま で 』と言っているようで、リーゼロッテはここには助けてくれる人間はひとりもいないのだと瞬時に悟った。
(一度だけなら……)
あーんのノルマは一日一回だ。覚悟を決めたリーゼロッテは目をつぶって小さな口を開いた。そっと唇にスプーンがあてられたかと思うと、ゆっくりとスープが流し込まれてくる。
悔しいことにものすごくおいしい。なめらかな舌触り。鼻腔をくすぐる馥郁たる香り。絶妙な塩加減に食欲をそそられてもう一口欲しくなる。
今日のノルマを達成してほっとしているところに、追い打ちをかけるように再びスープが差し出された。
「あーん」
「え? いいえ、今日はもうあーんはお終いですわ」
「昨日の分だ」
「ええ!?」
目を白黒させているうちに二回目のあーんを受け入れてしまった。
「その前日もその前も、ノルマが達成できなかった。今日は今までの分、すべて取り返すから覚悟しろ」
そう言って、ジークヴァルトは久々に魔王の笑みをその口元にのせた。
(ぜっったいにおもしろがってる!!!)
そう思ってもリーゼロッテに拒否権は与えられることはなく、食後のデザートまで続けられたあーんによって、順調にガリガリHPを削られまくったのであった。
【次回予告】
はーい、わたしリーゼロッテ。ジークヴァルト様との晩餐を乗り越えた翌日、ヴァルト様のお姉様であるアデライーデ様に久しぶりにお会いして。 再会をよろこぶのも束の間、アデライーデ様を怒らせてしまったわたしは大ピンチ!?
次回、2章 第6話「眠り姫の憂鬱」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!
「なんだ」
「今度、お忍びで王都に遊びに行ってもよろしいでしょうか?」
この際だから、お願いしたいことはすべて聞いてみよう。今なら大抵のことは許してもらえそうな気がして、リーゼロッテは期待に満ちた瞳をジークヴァルトに向けた。
「却下だ」
「ええ!?」
あまりにも即答だったので、思わず非難めいた言葉が出てしまった。
「言っただろう。人が集まる場所には異形も集まる。街に出ると、アレを大量生産することになるぞ」
くいと顔で示した方向いるのは、言わずと知れたおめめきゅるるん隊である。
「……潔く諦めますわ」
ぐうの音も出ない理由に、リーゼロッテは頷くより他はなかった。自分が歩けば異形が寄ってくる。力ある者が多くいる公爵家ならまだしも、不特定多数の人間が集まる場所では、周囲にどんな影響が出るかはわからない。
「いつかオレが連れて行ってやる」
顔を上げると、無表情だがどこか穏やかな顔のジークヴァルトと目が合った。しかし、ジークヴァルトと一緒では、目立つこと請け合いだ。到底お忍びにはならないだろう。
忙しいジークヴァルトなりの社交辞令なのかもしれない。あまり期待しないでおこうと思いながらも「楽しみにしております」とリーゼロッテは微笑み返した。
ふわりと美味しそうな匂いがしてきて、ふたりの前に淡いクリーム色のスープが一皿運ばれてきた。寒い国だからかもしれないが、ブラオエルシュタインでは前菜として、まずスープが出てくることが多い。
「ジャガイモのポタージュでございます」
給仕の使用人がスープを置くと、頭を下げて下がっていく。
(ジャガイモはジャガイモなのね)
この世界にはリンゴそっくりなビョウのように、名前の違う似たようなものもあるし、見た目も中身もそっくりな同じ名前ものがあったりもする。かと思えば見た目そっくりな全く違うものもあるので、日本での常識のままでいると痛い目にあうことがある。何かと油断大敵だ。
まあ、公爵家で出てくるものはどれもおいしいので、ジャガイモという名の全く違う味のスープだったとしても、何も問題はないだろう。
(あとは粗相をしないように気をつけないと)
リーゼロッテはテーブルマナーはこの世界で学んだ知識しか持ち合わせていない。
日本での記憶は、お箸にスプーン・フォークがせいぜいだ。ナイフとフォークを使うようなフルコースは、それこそ誰かに呼ばれた結婚式くらいのもので、それも周りを観察しつつ恐る恐る食べていた記憶しかない。
貴族として、幼少期にロッテンマイヤーさんからマナーのスパルタ教育は受けている。しかし、幼い頃にマスターしたきり、長い間披露することなく過ごしてきた。だから、今日のような格式高いディナーの席では少しばかり自信がないのだ。
(ん?)
しかし、テーブルに置かれたスープにリーゼロッテは首をかしげた。
今夜はジークヴァルトとの食事の席のはずだが、運ばれたスープが一皿だけだったのだ。しかも、自分の目の前には、普通なら置かれているであろうカトラリーがひとつもない。
横に座るジークヴァルトの前のテーブルの上を見ると、そこには一式カトラリーがそろえられていた。これは一体どういうことか。
一瞬、食べるのはジークヴァルトだけなのかと思ったが、そんな非常識なことが由緒正しい公爵家でおこるわけはない。
「あーん」
不意に隣から悪魔の声が聞こえてきた。恐る恐る横をみやると、目の前でクリーム色の液体がスープスプーンの中で美味しそうに湯気を立てている。
この状況は、リーゼロッテの想像をはるかに超えて、とんでもなく非常識だったようだ。いいのか、格式高い公爵家がこんなんで。リーゼロッテは涙目で首をふるふると振った。
「あの、さすがにこれは……」
助けを求めるようにジークヴァルトを見るが、無言でスプーンを突き付けてくる。
思わず壁際へと視線を向けると、エッカルトの期待に満ちた瞳にぶつかった。その顔は『 あ ー ん は い ち に ち い っ か い ま で 』と言っているようで、リーゼロッテはここには助けてくれる人間はひとりもいないのだと瞬時に悟った。
(一度だけなら……)
あーんのノルマは一日一回だ。覚悟を決めたリーゼロッテは目をつぶって小さな口を開いた。そっと唇にスプーンがあてられたかと思うと、ゆっくりとスープが流し込まれてくる。
悔しいことにものすごくおいしい。なめらかな舌触り。鼻腔をくすぐる馥郁たる香り。絶妙な塩加減に食欲をそそられてもう一口欲しくなる。
今日のノルマを達成してほっとしているところに、追い打ちをかけるように再びスープが差し出された。
「あーん」
「え? いいえ、今日はもうあーんはお終いですわ」
「昨日の分だ」
「ええ!?」
目を白黒させているうちに二回目のあーんを受け入れてしまった。
「その前日もその前も、ノルマが達成できなかった。今日は今までの分、すべて取り返すから覚悟しろ」
そう言って、ジークヴァルトは久々に魔王の笑みをその口元にのせた。
(ぜっったいにおもしろがってる!!!)
そう思ってもリーゼロッテに拒否権は与えられることはなく、食後のデザートまで続けられたあーんによって、順調にガリガリHPを削られまくったのであった。
【次回予告】
はーい、わたしリーゼロッテ。ジークヴァルト様との晩餐を乗り越えた翌日、ヴァルト様のお姉様であるアデライーデ様に久しぶりにお会いして。 再会をよろこぶのも束の間、アデライーデ様を怒らせてしまったわたしは大ピンチ!?
次回、2章 第6話「眠り姫の憂鬱」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!
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