227 / 528
第2章 氷の王子と消えた託宣
4
しおりを挟む
◇
「あの……ヴァルト様」
「なんだ?」
「なんだか大ごとになってしまい、申し訳ありません……」
「いや、問題ない」
だだっぴろい公爵家の晩餐の部屋にある優に五十人は座れそうな長テーブルのお誕生日席に、リーゼロッテはジークヴァルトと並んで座っていた。
(こういったとき、向かい合わせで座るものではないのかしら?)
そう思いつつも、支度された席以外に着くわけにもいかなかった。
もっと気安くおしゃべりできるような食事の席を想像していたのだが、ここは大物芸能人の結婚披露宴の会場ですか? というように飾り立てられた晩餐テーブルを前に、リーゼロッテは困惑と動揺を隠せない。
「食前酒でございます」
エッカルトが高級そうなボトルを持ち、静かにグラスへと葡萄色の液体を注いでいく。
「わたくし、お酒は……」
「心得ております。こちらは果実水となっておりますので、雰囲気だけでもお楽しみください」
そう言いながら、ジークヴァルトのグラスにも同じものを注いでいく。
「ヴァルト様はお飲みにならなくてよろしいのですか?」
「ああ」
気にもとめていないようにジークヴァルトはそっけなく言った。
(ヴァルト様もお酒が飲めないのかしら……?)
ここブラオエルシュタインでは、飲酒は成人を迎えた十五歳から許される。極寒の北国であるがゆえに、体を温めるという意味合いもあるため、紅茶にアルコールを入れることもしばしばだ。紅茶にたらすくらいの量なら、子供も口にしていいというおおらかさがこの国には昔から根付いていた。
しかし、リーゼロッテは義父であるフーゴから、外では絶対にアルコールを摂取しないようきつく言われている。
十五の誕生日を迎えた夜、家族との祝いの席で初めて酒を口にしたリーゼロッテは、翌日、あらたまった顔のフーゴから禁酒令を言い渡された。
いつもやさしく穏やかなフーゴが真剣に目をつり上げて言うものだから、昨夜、飲酒後に何か粗相をしたのだろう。そう感じたリーゼロッテは、絶対にそれを順守しようと心に誓っていた。
(きっとわたし、酒癖が悪いんだわ……)
飲んだ後の記憶が曖昧で、家族もその時のことを話したがらない。義弟のルカはしばらく目を合わせてくれなかったし、エラに聞いてもやさしく曖昧に微笑みを返されるだけだった。
エッカルトがボトルをテーブルに置き、ジークヴァルトに何かを耳打ちをしてから、テーブルを離れていった。ジークヴァルトは一瞬、眉間にしわを寄せ、そのあとおもむろにグラスを手にした。
視線でリーゼロッテもグラスを持つように促される。難しい顔のジークヴァルトを前に、緊張しながらリーゼロッテもそっとグラスを手に取った。
テーブルの上に飾られた豪華な燭台に、何本もの蝋燭が灯されている。その炎がふたりのグラスに映し出されて、幻想的にゆらめいた。
しばらくジークヴァルトを伺うも、グラスを手に取ってから何のリアクションもない。先に口をつけるわけにもいかず、リーゼロッテはじっとグラスの中で揺れる炎を見つめていた。
だが、あまりにも長い沈黙に、上目遣いで隣に座るジークヴァルトの顔をそっと伺う。そこで、少し離れた壁際に立つエッカルトの咳払いが聞こえてきた。
その咳払いにジークヴァルトは再び眉間にしわを寄せると、意を決したように口を開いた。
「……少し遅れたが、ダーミッシュ嬢」
「はい」
「…………」
ジークヴァルトは口を真一文字に引き結んで、それ以上口を開こうとしない。その場に再び奇妙な沈黙が訪れる。リーゼロッテがわずかに首をかしげると、グラスの果実水の表面がゆらりと揺れた。
先ほどよりも強めな咳払いが聞こえてくると、ジークヴァルトの肩がわずかだがぴくりとはねた。
「ダーミッシュ嬢、少し遅れたが……」
「はい」
リーゼロッテがそのまま待っていると、ジークヴァルトは先ほど以上に眉間にしわを寄せてようやく次の言葉を発した。
「成人、おめでとう」
「…………」
今度はリーゼロッテが沈黙してしまった。一瞬何を言われたかわからなかったのだ。十秒ほどたってから、ようやく誕生日の祝いの言葉をもらったのだと理解した。
そうだ、誕生日を迎えてもうすぐ二カ月は経とうとしている上、その間ジークヴァルトとは何度も顔を合わせているが、今言われた言葉は、確かに自分の成人を祝う言葉のはずだ。
「……ありがとうございます、ジークヴァルト様」
「ああ」
ふたりはグラスを軽く傾けて、果実水に口をつけた。
エッカルトの耳打ちは『気の利いた言葉で乾杯を』というものだったのだが、ジークヴァルトには難易度が高すぎたらしい。当のエッカルトは、壁際でなぜだか涙ぐんでいる。
「あの……ヴァルト様」
「なんだ?」
「なんだか大ごとになってしまい、申し訳ありません……」
「いや、問題ない」
だだっぴろい公爵家の晩餐の部屋にある優に五十人は座れそうな長テーブルのお誕生日席に、リーゼロッテはジークヴァルトと並んで座っていた。
(こういったとき、向かい合わせで座るものではないのかしら?)
そう思いつつも、支度された席以外に着くわけにもいかなかった。
もっと気安くおしゃべりできるような食事の席を想像していたのだが、ここは大物芸能人の結婚披露宴の会場ですか? というように飾り立てられた晩餐テーブルを前に、リーゼロッテは困惑と動揺を隠せない。
「食前酒でございます」
エッカルトが高級そうなボトルを持ち、静かにグラスへと葡萄色の液体を注いでいく。
「わたくし、お酒は……」
「心得ております。こちらは果実水となっておりますので、雰囲気だけでもお楽しみください」
そう言いながら、ジークヴァルトのグラスにも同じものを注いでいく。
「ヴァルト様はお飲みにならなくてよろしいのですか?」
「ああ」
気にもとめていないようにジークヴァルトはそっけなく言った。
(ヴァルト様もお酒が飲めないのかしら……?)
ここブラオエルシュタインでは、飲酒は成人を迎えた十五歳から許される。極寒の北国であるがゆえに、体を温めるという意味合いもあるため、紅茶にアルコールを入れることもしばしばだ。紅茶にたらすくらいの量なら、子供も口にしていいというおおらかさがこの国には昔から根付いていた。
しかし、リーゼロッテは義父であるフーゴから、外では絶対にアルコールを摂取しないようきつく言われている。
十五の誕生日を迎えた夜、家族との祝いの席で初めて酒を口にしたリーゼロッテは、翌日、あらたまった顔のフーゴから禁酒令を言い渡された。
いつもやさしく穏やかなフーゴが真剣に目をつり上げて言うものだから、昨夜、飲酒後に何か粗相をしたのだろう。そう感じたリーゼロッテは、絶対にそれを順守しようと心に誓っていた。
(きっとわたし、酒癖が悪いんだわ……)
飲んだ後の記憶が曖昧で、家族もその時のことを話したがらない。義弟のルカはしばらく目を合わせてくれなかったし、エラに聞いてもやさしく曖昧に微笑みを返されるだけだった。
エッカルトがボトルをテーブルに置き、ジークヴァルトに何かを耳打ちをしてから、テーブルを離れていった。ジークヴァルトは一瞬、眉間にしわを寄せ、そのあとおもむろにグラスを手にした。
視線でリーゼロッテもグラスを持つように促される。難しい顔のジークヴァルトを前に、緊張しながらリーゼロッテもそっとグラスを手に取った。
テーブルの上に飾られた豪華な燭台に、何本もの蝋燭が灯されている。その炎がふたりのグラスに映し出されて、幻想的にゆらめいた。
しばらくジークヴァルトを伺うも、グラスを手に取ってから何のリアクションもない。先に口をつけるわけにもいかず、リーゼロッテはじっとグラスの中で揺れる炎を見つめていた。
だが、あまりにも長い沈黙に、上目遣いで隣に座るジークヴァルトの顔をそっと伺う。そこで、少し離れた壁際に立つエッカルトの咳払いが聞こえてきた。
その咳払いにジークヴァルトは再び眉間にしわを寄せると、意を決したように口を開いた。
「……少し遅れたが、ダーミッシュ嬢」
「はい」
「…………」
ジークヴァルトは口を真一文字に引き結んで、それ以上口を開こうとしない。その場に再び奇妙な沈黙が訪れる。リーゼロッテがわずかに首をかしげると、グラスの果実水の表面がゆらりと揺れた。
先ほどよりも強めな咳払いが聞こえてくると、ジークヴァルトの肩がわずかだがぴくりとはねた。
「ダーミッシュ嬢、少し遅れたが……」
「はい」
リーゼロッテがそのまま待っていると、ジークヴァルトは先ほど以上に眉間にしわを寄せてようやく次の言葉を発した。
「成人、おめでとう」
「…………」
今度はリーゼロッテが沈黙してしまった。一瞬何を言われたかわからなかったのだ。十秒ほどたってから、ようやく誕生日の祝いの言葉をもらったのだと理解した。
そうだ、誕生日を迎えてもうすぐ二カ月は経とうとしている上、その間ジークヴァルトとは何度も顔を合わせているが、今言われた言葉は、確かに自分の成人を祝う言葉のはずだ。
「……ありがとうございます、ジークヴァルト様」
「ああ」
ふたりはグラスを軽く傾けて、果実水に口をつけた。
エッカルトの耳打ちは『気の利いた言葉で乾杯を』というものだったのだが、ジークヴァルトには難易度が高すぎたらしい。当のエッカルトは、壁際でなぜだか涙ぐんでいる。
0
※小説家になろうグループムーンライトノベルズにて【R18】ふたつ名の令嬢と龍の託宣 不定期投稿中☆
第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣 スタートました♡
※アルファポリス版は第1部令嬢編として一度完結としましたが、ムーンでは第6章を継続投稿中です。
こちらはR18ですので、18歳以上(高校生不可)の方のみ閲覧できます。
第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣 スタートました♡
※アルファポリス版は第1部令嬢編として一度完結としましたが、ムーンでは第6章を継続投稿中です。
こちらはR18ですので、18歳以上(高校生不可)の方のみ閲覧できます。
お気に入りに追加
272
あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】愛してるなんて言うから
空原海
恋愛
「メアリー、俺はこの婚約を破棄したい」
婚約が決まって、三年が経とうかという頃に切り出された婚約破棄。
婚約の理由は、アラン様のお父様とわたしのお母様が、昔恋人同士だったから。
――なんだそれ。ふざけてんのか。
わたし達は婚約解消を前提とした婚約を、互いに了承し合った。
第1部が恋物語。
第2部は裏事情の暴露大会。親世代の愛憎確執バトル、スタートッ!
※ 一話のみ挿絵があります。サブタイトルに(※挿絵あり)と表記しております。
苦手な方、ごめんなさい。挿絵の箇所は、するーっと流してくださると幸いです。

【完】夫から冷遇される伯爵夫人でしたが、身分を隠して踊り子として夜働いていたら、その夫に見初められました。
112
恋愛
伯爵家同士の結婚、申し分ない筈だった。
エッジワーズ家の娘、エリシアは踊り子の娘だったが為に嫁ぎ先の夫に冷遇され、虐げられ、屋敷を追い出される。
庭の片隅、掘っ立て小屋で生活していたエリシアは、街で祝祭が開かれることを耳にする。どうせ誰からも顧みられないからと、こっそり抜け出して街へ向かう。すると街の中心部で民衆が音楽に合わせて踊っていた。その輪の中にエリシアも入り一緒になって踊っていると──

【完結済】隣国でひっそりと子育てしている私のことを、執着心むき出しの初恋が追いかけてきます
鳴宮野々花@書籍2冊発売中
恋愛
一夜の過ちだなんて思いたくない。私にとって彼とのあの夜は、人生で唯一の、最良の思い出なのだから。彼のおかげで、この子に会えた────
私、この子と生きていきますっ!!
シアーズ男爵家の末娘ティナレインは、男爵が隣国出身のメイドに手をつけてできた娘だった。ティナレインは隣国の一部の者が持つ魔力(治癒術)を微力ながら持っており、そのため男爵夫人に一層疎まれ、男爵家後継ぎの兄と、世渡り上手で気の強い姉の下で、影薄く過ごしていた。
幼いティナレインは、優しい侯爵家の子息セシルと親しくなっていくが、息子がティナレインに入れ込みすぎていることを嫌う侯爵夫人は、シアーズ男爵夫人に苦言を呈す。侯爵夫人の機嫌を損ねることが怖い義母から強く叱られ、ティナレインはセシルとの接触を禁止されてしまう。
時を経て、貴族学園で再会する二人。忘れられなかったティナへの想いが燃え上がるセシルは猛アタックするが、ティナは自分の想いを封じ込めるように、セシルを避ける。
やがてティナレインは、とある商会の成金経営者と婚約させられることとなり、学園を中退。想い合いながらも会うことすら叶わなくなった二人だが、ある夜偶然の再会を果たす。
それから数ヶ月。結婚を目前に控えたティナレインは、隣国へと逃げる決意をした。自分のお腹に宿っていることに気付いた、大切な我が子を守るために。
けれど、名を偽り可愛い我が子の子育てをしながら懸命に生きていたティナレインと、彼女を諦めきれないセシルは、ある日運命的な再会を果たし────
生まれ育った屋敷で冷遇され続けた挙げ句、最低な成金ジジイと結婚させられそうになったヒロインが、我が子を守るために全てを捨てて新しい人生を切り拓いていこうと奮闘する物語です。
※いつもの完全オリジナルファンタジー世界の物語です。全てがファンタジーです。
※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

なにをおっしゃいますやら
基本二度寝
恋愛
本日、五年通った学び舎を卒業する。
エリクシア侯爵令嬢は、己をエスコートする男を見上げた。
微笑んで見せれば、男は目線を逸らす。
エブリシアは苦笑した。
今日までなのだから。
今日、エブリシアは婚約解消する事が決まっているのだから。

愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。

その眼差しは凍てつく刃*冷たい婚約者にウンザリしてます*
音爽(ネソウ)
恋愛
義妹に優しく、婚約者の令嬢には極寒対応。
塩対応より下があるなんて……。
この婚約は間違っている?
*2021年7月完結
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる