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第2章 氷の王子と消えた託宣
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「まあ、ピッパ。ハインリヒの結婚相手を勝手に決めるなんて」
呆れたように言うクリスティーナに、ピッパはすかさず反論した。
「だって、アンネマリーよ! お兄様だってきっと好きになるわ」
「アンネマリーの気持ちだってあるでしょう?」
「アンネマリーもお兄様が好きよ! だって、お兄様の話をすると、アンネマリーはいつもすごくうれしそうにしていたもの!」
ピッパは興奮したようにハインリヒを仰ぎ見た。
「ねえ、聞いて、お兄様! アンネマリーはね、あたたかくてふわふわでとっても柔らかいの! 猫の殿下なんかよりも、ずっといい匂いもするわ! お兄様、ふわふわ、お好きでしょう? だから、お兄様も絶対に、絶対にアンネマリーを好きになるわ!」
力説するピッパを前に、青ざめた表情でハインリヒは立ち尽くしていた。そんなふたりを、イジドーラは表情を変えずに静観している。
イジドーラはこの場をどうおさめるのだろう。カイがそんなことを思ってその美しい顔を見やっていると、不意にイジドーラがカイに目線を寄こしてきた。
(うわ、オレになんとかしろっていうわけ!?)
目を見開いて抗議の意思を伝えてみるが、いたずらな叔母は妖しい笑みを返してきただけだった。
「ああー、もう、ええと、ハインリヒ様がふわふわ好きなのはさておきまして……次の公務のお時間が差し迫っていますので、そろそろこの場を失礼しましょうか? ね、ハインリヒ様」
この後ハインリヒに公務の予定はないが、投げやりにカイがそう言うと、ハインリヒは硬い表情のまま「ああ」と頷いた。
「ピッパ様も本日のお勉強がありますので、離宮へと戻りましょう」
女官のルイーズの言葉にピッパが信じられないといった顔をした。
「いやよ! 今日はクリスティーナお姉様と一緒にいるわ」
「ピッパ様!」
ルイーズの怒り声に苦笑しながら、クリスティーナが助け舟を出した。
「ルイーズ、今日はわたくしもお義母様の離宮に泊まるから、ピッパの勉強時間は短めにしてやってちょうだい」
ルイーズはイジドーラが頷くのを確認してから、クリスティーナに頭を垂れた。
「仰せのままに、王女殿下」
「まあ、お姉様の言うことは素直にきくのね! わたくしの言うことなど、ちっともきかないくせに!」
不満そうなピッパにルイーズは片眉を上げた。
「すぐにお勉強をさぼろうとするピッパ様のおっしゃることなど、従う義務はございません。さあ、参りますよ」
不満そうにしながらも、ピッパはルイーズに従った。
「では、みな様、失礼いたします」
扉の手前で美しいお辞儀を披露すると、ピッパは最後にハインリヒに向き直った。
「お兄様、アンネマリーのこと、よろしくお願いしますわね」
そう言い残して嵐のような妹姫は、扉の向こうへと消えていった。
(なんていうか……子供って残酷だな)
他人事のようにカイは思って、ハインリヒを促した。このままここにいても、ハインリヒの気分は落ち込むばかりだろう。カイはこわばったままのハインリヒの背中に両手を当てて、ぐいと廊下へと押し出した。
「では、王妃殿下、王女殿下。御前失礼いたします」
そう言っていたずらっぽく笑うと、カイは丁寧な手つきで扉を閉めた。
部屋に残されたのは、イジドーラとクリスティーナ、それに、ずっと後ろで控えていたクリスティーナ付きの侍従の男だけになった。
「ピッパは相変わらずね。お父様が甘やかしすぎなのではないかしら?」
「あら、クリスティーナも充分、甘やかされているようだけれど?」
イジドーラが水色の瞳を細めて言うと、クリスティーナは華奢な肩をすくめてみせた。
「いくら表舞台に出てはいけないからって、年に一度くらい公務をこなしたって、ばちは当たらないでしょう?」
病弱と知られる王女は美しい笑顔を王妃に向けた。その顔色はまったく不健康そうには見えない。赤みがさしたすべらかな頬は、どちらかというと健康そのものという印象を与えている。
「クリスティーナ様、今年の公務はすでに三度目でございます」
「あら、そうだったかしら? あまり元気な姿をみせるのはよくないわね……そうね、だったら次の公務では、わざとらしく倒れることにするわ」
後ろに控えた従者の青年に言われ、クリスティーナは大まじめな様子で頷いた。それを聞いた従者が「またそのようなことを……」と小さくため息をつく。
「あら、いいではない。王女らしく可憐に倒れるといいわ。その時はお前が、颯爽とクリスティーナを抱きとめるのよ」
王妃が怪しげな笑みを刷いたまま、楽しそうに告げる。しばし閉口したのち、観念したように従者の青年は頭を垂れた。
「…………仰せのままに、王妃殿下」
「ふふっ、アルベルトが受け止めてくれるなら、心置きなく倒れられるわね」
「クリスティーナ様……お戯れもほどほどになさってください」
「まあ、アルベルト。あなた、お義母様の言うことはきくのに、わたくしの言葉には耳を貸さないのね。従者失格だわ」
「主人を正しい道に導くのも、従者の役目にございます」
「まあ、つまらない男」
クリスティーナはそう言って、鈴を転がすような耳に心地よい声でくすくすと笑った。
呆れたように言うクリスティーナに、ピッパはすかさず反論した。
「だって、アンネマリーよ! お兄様だってきっと好きになるわ」
「アンネマリーの気持ちだってあるでしょう?」
「アンネマリーもお兄様が好きよ! だって、お兄様の話をすると、アンネマリーはいつもすごくうれしそうにしていたもの!」
ピッパは興奮したようにハインリヒを仰ぎ見た。
「ねえ、聞いて、お兄様! アンネマリーはね、あたたかくてふわふわでとっても柔らかいの! 猫の殿下なんかよりも、ずっといい匂いもするわ! お兄様、ふわふわ、お好きでしょう? だから、お兄様も絶対に、絶対にアンネマリーを好きになるわ!」
力説するピッパを前に、青ざめた表情でハインリヒは立ち尽くしていた。そんなふたりを、イジドーラは表情を変えずに静観している。
イジドーラはこの場をどうおさめるのだろう。カイがそんなことを思ってその美しい顔を見やっていると、不意にイジドーラがカイに目線を寄こしてきた。
(うわ、オレになんとかしろっていうわけ!?)
目を見開いて抗議の意思を伝えてみるが、いたずらな叔母は妖しい笑みを返してきただけだった。
「ああー、もう、ええと、ハインリヒ様がふわふわ好きなのはさておきまして……次の公務のお時間が差し迫っていますので、そろそろこの場を失礼しましょうか? ね、ハインリヒ様」
この後ハインリヒに公務の予定はないが、投げやりにカイがそう言うと、ハインリヒは硬い表情のまま「ああ」と頷いた。
「ピッパ様も本日のお勉強がありますので、離宮へと戻りましょう」
女官のルイーズの言葉にピッパが信じられないといった顔をした。
「いやよ! 今日はクリスティーナお姉様と一緒にいるわ」
「ピッパ様!」
ルイーズの怒り声に苦笑しながら、クリスティーナが助け舟を出した。
「ルイーズ、今日はわたくしもお義母様の離宮に泊まるから、ピッパの勉強時間は短めにしてやってちょうだい」
ルイーズはイジドーラが頷くのを確認してから、クリスティーナに頭を垂れた。
「仰せのままに、王女殿下」
「まあ、お姉様の言うことは素直にきくのね! わたくしの言うことなど、ちっともきかないくせに!」
不満そうなピッパにルイーズは片眉を上げた。
「すぐにお勉強をさぼろうとするピッパ様のおっしゃることなど、従う義務はございません。さあ、参りますよ」
不満そうにしながらも、ピッパはルイーズに従った。
「では、みな様、失礼いたします」
扉の手前で美しいお辞儀を披露すると、ピッパは最後にハインリヒに向き直った。
「お兄様、アンネマリーのこと、よろしくお願いしますわね」
そう言い残して嵐のような妹姫は、扉の向こうへと消えていった。
(なんていうか……子供って残酷だな)
他人事のようにカイは思って、ハインリヒを促した。このままここにいても、ハインリヒの気分は落ち込むばかりだろう。カイはこわばったままのハインリヒの背中に両手を当てて、ぐいと廊下へと押し出した。
「では、王妃殿下、王女殿下。御前失礼いたします」
そう言っていたずらっぽく笑うと、カイは丁寧な手つきで扉を閉めた。
部屋に残されたのは、イジドーラとクリスティーナ、それに、ずっと後ろで控えていたクリスティーナ付きの侍従の男だけになった。
「ピッパは相変わらずね。お父様が甘やかしすぎなのではないかしら?」
「あら、クリスティーナも充分、甘やかされているようだけれど?」
イジドーラが水色の瞳を細めて言うと、クリスティーナは華奢な肩をすくめてみせた。
「いくら表舞台に出てはいけないからって、年に一度くらい公務をこなしたって、ばちは当たらないでしょう?」
病弱と知られる王女は美しい笑顔を王妃に向けた。その顔色はまったく不健康そうには見えない。赤みがさしたすべらかな頬は、どちらかというと健康そのものという印象を与えている。
「クリスティーナ様、今年の公務はすでに三度目でございます」
「あら、そうだったかしら? あまり元気な姿をみせるのはよくないわね……そうね、だったら次の公務では、わざとらしく倒れることにするわ」
後ろに控えた従者の青年に言われ、クリスティーナは大まじめな様子で頷いた。それを聞いた従者が「またそのようなことを……」と小さくため息をつく。
「あら、いいではない。王女らしく可憐に倒れるといいわ。その時はお前が、颯爽とクリスティーナを抱きとめるのよ」
王妃が怪しげな笑みを刷いたまま、楽しそうに告げる。しばし閉口したのち、観念したように従者の青年は頭を垂れた。
「…………仰せのままに、王妃殿下」
「ふふっ、アルベルトが受け止めてくれるなら、心置きなく倒れられるわね」
「クリスティーナ様……お戯れもほどほどになさってください」
「まあ、アルベルト。あなた、お義母様の言うことはきくのに、わたくしの言葉には耳を貸さないのね。従者失格だわ」
「主人を正しい道に導くのも、従者の役目にございます」
「まあ、つまらない男」
クリスティーナはそう言って、鈴を転がすような耳に心地よい声でくすくすと笑った。
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