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第2章 氷の王子と消えた託宣
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◇
王族専用の隠し通路を進みながら、イジドーラ王妃はすっと右手を横に伸ばした。後ろを歩く女官のルイーズが少し歩調を速めて、王妃の手にはめられたレースの長手袋を慣れた手つきで外していく。
「気に入っていたのに、残念だわ」
ルイーズが懐から取り出したハンカチで手の甲をぬぐわれながら、イジドーラ王妃は冷たい声で言った。
「欲しいという者がいるのなら、その手袋はその者に下げ渡します」
「仰せのままに、王妃殿下」
反対の手にはめられた手袋も外すと、ルイーズはゆっくりと頭を垂れた。
廊下を進んだ先の扉を開けると、そこには豪華な居間がある。王族のみが使用できるその部屋に足を踏み入れた王妃を迎えたのは、第三王女である娘のピッパだった。
飛び込むようにイジドーラの体に抱き着くと、そのままピッパはイジドーラを見上げた。ピッパはまだ十歳のため、公の場に出ることはない。自分だけ留守番をさせられ拗ねていた分だけ、甘えたようにイジドーラにすり寄った。
「お母様、今日のドレスは一段と素敵ね! でも、肘まである長い手袋をはめると、もっと素敵になると思うわ」
「手袋は神殿に巣くう鼠に齧られてしまったわ」
イジドーラがピッパの髪を梳きながら言うと、王女は金色の瞳をこれ以上ないと言うほど見開いた。
「まあ! そんな悪いネズミは、今すぐにでも神殿から追い出さなくては!」
「その鼠は狡猾で、なかなかつかまりそうにないわね」
遅れてやってきたクリスティーナ王女が、そう言いながら部屋に入ってくる。
クリスティーナはイジドーラとミヒャエルのやり取りを、遠くからだが目撃していた。もしあの時、自分が近くにいたら、イジドーラのように平然とはしていられなかっただろう。
王族と神殿は、長い歴史の間、微妙なバランスで拮抗を保っている。王族と言えど、神官をないがしろに扱うことはできないのが今この国の現状だ。
「クリスティーナお姉様! お加減は大丈夫ですの?」
「ええ、問題ないわ。心配してくれてありがとう、わたくしの可愛いピッパ」
屈みこみながら、クリスティーナはピッパの頬にキスをした。
「大事はないか?」
「ええ、お父様」
先に到着していたディートリヒ王に尋ねられ、クリスティーナは優雅な礼を取った。
クリスティーナは礼を崩すとディートリヒの前で膝をついて、豪奢なソファに座る父王の膝の上にその白い手を乗せた。目を閉じて甘えるようにその美しい顔を寄せる。
「わたくしは好きなようにやらせていただいておりますわ。本当に、申し分ないくらい……」
「そうか……クリス、お前はそれでいい」
ディートリヒがプラチナブロンドの長い髪を梳くと、クリスティーナは気持ちよさそうに菫色の瞳を閉じた。
「まあ、お父様ばかりずるいわ!」
ピッパが駆け寄り、同じようにディートリヒの前に膝をついて、クリスティーナに抱き着いた。
ディートリヒ王は、ピッパの髪も同じようにやさしい手つきでなでていく。二人の王女を見つめる王の金色の瞳は慈愛に満ち、しかし、どこか遠くを見ているかのようだ。
「ピッパは王よりもクリスティーナが好きね」
「だって、クリスティーナお姉様には滅多にお会いできないんですもの!」
そう言いながらピッパは隣のクリスティーナにさらにすり寄った。
イジドーラはディートリヒの横に腰かけると、甘えるようなしぐさでディートリヒにもたれかかる。王女たちの髪を梳く手を止め、ディートリヒはイジドーラの白い手を掬い取り、その甲にそっと口づけを落とした。
「余の唯一はそなただ、イジィ」
少しだけ目を細め、ディートリヒは静かに言った。
「わたくしも王だけですわ」
「まあ!」
子供たちをそっちのけで見つめ合う父母を前に、王女たちはあきれたように顔を見合わせる。クリスティーナとピッパはどちらからともなくくすりと笑い、うれしそうに仲睦まじい両親を見上げた。
「恐れながら、ディートリヒ王……そろそろお時間でございます……」
後ろに控えていた護衛の騎士が、遠慮がちに声をかける。ディートリヒは鷹揚に頷いてソファから立ち上がった。それに合わせて、イジドーラをはじめ、ふたりの王女も同時に立ち上がり居住まいを正す。
「行ってらっしゃいませ、お父様」
王女たちが並んで礼を取る中、イジドーラはディートリヒの口づけをその頬に受けた。
「……テレーズお姉様もいらっしゃればいいのに」
王が去った扉がぱたんと閉じられ、一瞬の静寂が訪れたときピッパがぽつりと言った。
王族は家族と言えど、普段はみなで顔を合わせることもない。こういった機会でもなければ、ゆっくりと話すこともなかった。
この場に第二王女のテレーズとハインリヒがいれば勢ぞろいと言えたが、テレーズは隣国の王族へと嫁いだため、ブラオエルシュタイン王家からはすでに籍を外されている。
「テレーズは隣国へお嫁に行ったのよ」
「でも、お会いしたいわ……。わたくしもアンネマリーみたいに、隣国に行けたらいいのに……」
「アンネマリー……クラッセン侯爵令嬢ね」
クリスティーナが記憶をたどるように言った。少し前に、自分が住まう東宮にピッパが遊びに来た時、やたらとその名前を聞いたことを思い出す。
「アンネマリーの話は、本当におもしろいのよ! 隣国のことやテレーズお姉様のお話もたくさんしてくれるし! ……テレーズお姉様にお会いできないのなら、わたくしアンネマリーに会いたいわ……」
その時扉が開いて、険しい表情のハインリヒ王子が入ってきた。
王族専用の隠し通路を進みながら、イジドーラ王妃はすっと右手を横に伸ばした。後ろを歩く女官のルイーズが少し歩調を速めて、王妃の手にはめられたレースの長手袋を慣れた手つきで外していく。
「気に入っていたのに、残念だわ」
ルイーズが懐から取り出したハンカチで手の甲をぬぐわれながら、イジドーラ王妃は冷たい声で言った。
「欲しいという者がいるのなら、その手袋はその者に下げ渡します」
「仰せのままに、王妃殿下」
反対の手にはめられた手袋も外すと、ルイーズはゆっくりと頭を垂れた。
廊下を進んだ先の扉を開けると、そこには豪華な居間がある。王族のみが使用できるその部屋に足を踏み入れた王妃を迎えたのは、第三王女である娘のピッパだった。
飛び込むようにイジドーラの体に抱き着くと、そのままピッパはイジドーラを見上げた。ピッパはまだ十歳のため、公の場に出ることはない。自分だけ留守番をさせられ拗ねていた分だけ、甘えたようにイジドーラにすり寄った。
「お母様、今日のドレスは一段と素敵ね! でも、肘まである長い手袋をはめると、もっと素敵になると思うわ」
「手袋は神殿に巣くう鼠に齧られてしまったわ」
イジドーラがピッパの髪を梳きながら言うと、王女は金色の瞳をこれ以上ないと言うほど見開いた。
「まあ! そんな悪いネズミは、今すぐにでも神殿から追い出さなくては!」
「その鼠は狡猾で、なかなかつかまりそうにないわね」
遅れてやってきたクリスティーナ王女が、そう言いながら部屋に入ってくる。
クリスティーナはイジドーラとミヒャエルのやり取りを、遠くからだが目撃していた。もしあの時、自分が近くにいたら、イジドーラのように平然とはしていられなかっただろう。
王族と神殿は、長い歴史の間、微妙なバランスで拮抗を保っている。王族と言えど、神官をないがしろに扱うことはできないのが今この国の現状だ。
「クリスティーナお姉様! お加減は大丈夫ですの?」
「ええ、問題ないわ。心配してくれてありがとう、わたくしの可愛いピッパ」
屈みこみながら、クリスティーナはピッパの頬にキスをした。
「大事はないか?」
「ええ、お父様」
先に到着していたディートリヒ王に尋ねられ、クリスティーナは優雅な礼を取った。
クリスティーナは礼を崩すとディートリヒの前で膝をついて、豪奢なソファに座る父王の膝の上にその白い手を乗せた。目を閉じて甘えるようにその美しい顔を寄せる。
「わたくしは好きなようにやらせていただいておりますわ。本当に、申し分ないくらい……」
「そうか……クリス、お前はそれでいい」
ディートリヒがプラチナブロンドの長い髪を梳くと、クリスティーナは気持ちよさそうに菫色の瞳を閉じた。
「まあ、お父様ばかりずるいわ!」
ピッパが駆け寄り、同じようにディートリヒの前に膝をついて、クリスティーナに抱き着いた。
ディートリヒ王は、ピッパの髪も同じようにやさしい手つきでなでていく。二人の王女を見つめる王の金色の瞳は慈愛に満ち、しかし、どこか遠くを見ているかのようだ。
「ピッパは王よりもクリスティーナが好きね」
「だって、クリスティーナお姉様には滅多にお会いできないんですもの!」
そう言いながらピッパは隣のクリスティーナにさらにすり寄った。
イジドーラはディートリヒの横に腰かけると、甘えるようなしぐさでディートリヒにもたれかかる。王女たちの髪を梳く手を止め、ディートリヒはイジドーラの白い手を掬い取り、その甲にそっと口づけを落とした。
「余の唯一はそなただ、イジィ」
少しだけ目を細め、ディートリヒは静かに言った。
「わたくしも王だけですわ」
「まあ!」
子供たちをそっちのけで見つめ合う父母を前に、王女たちはあきれたように顔を見合わせる。クリスティーナとピッパはどちらからともなくくすりと笑い、うれしそうに仲睦まじい両親を見上げた。
「恐れながら、ディートリヒ王……そろそろお時間でございます……」
後ろに控えていた護衛の騎士が、遠慮がちに声をかける。ディートリヒは鷹揚に頷いてソファから立ち上がった。それに合わせて、イジドーラをはじめ、ふたりの王女も同時に立ち上がり居住まいを正す。
「行ってらっしゃいませ、お父様」
王女たちが並んで礼を取る中、イジドーラはディートリヒの口づけをその頬に受けた。
「……テレーズお姉様もいらっしゃればいいのに」
王が去った扉がぱたんと閉じられ、一瞬の静寂が訪れたときピッパがぽつりと言った。
王族は家族と言えど、普段はみなで顔を合わせることもない。こういった機会でもなければ、ゆっくりと話すこともなかった。
この場に第二王女のテレーズとハインリヒがいれば勢ぞろいと言えたが、テレーズは隣国の王族へと嫁いだため、ブラオエルシュタイン王家からはすでに籍を外されている。
「テレーズは隣国へお嫁に行ったのよ」
「でも、お会いしたいわ……。わたくしもアンネマリーみたいに、隣国に行けたらいいのに……」
「アンネマリー……クラッセン侯爵令嬢ね」
クリスティーナが記憶をたどるように言った。少し前に、自分が住まう東宮にピッパが遊びに来た時、やたらとその名前を聞いたことを思い出す。
「アンネマリーの話は、本当におもしろいのよ! 隣国のことやテレーズお姉様のお話もたくさんしてくれるし! ……テレーズお姉様にお会いできないのなら、わたくしアンネマリーに会いたいわ……」
その時扉が開いて、険しい表情のハインリヒ王子が入ってきた。
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※小説家になろうグループムーンライトノベルズにて【R18】ふたつ名の令嬢と龍の託宣 不定期投稿中☆
第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣 スタートました♡
※アルファポリス版は第1部令嬢編として一度完結としましたが、ムーンでは第6章を継続投稿中です。
こちらはR18ですので、18歳以上(高校生不可)の方のみ閲覧できます。
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