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第2章 氷の王子と消えた託宣

第4話 永遠の鍵

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【前回のあらすじ】
 舞台に登場した新たな少女ルチア。母アニサと共に隠れるように暮らすルチアには、大きな秘密があるようで……。
 公爵家に戻ったリーゼロッテは、忙しいジークヴァルトとの時間が持てず、あーんをされるのがせいぜいの毎日。 
 しかし、王城から視察にやってきたカイに、アンネマリーから託された懐中時計を無事に手渡すことができたのでした。




 儀式はおごそかにとり行われていた。

 王城の敷地内に隣接りんせつするビエルサール神殿では、五穀ごこく豊穣ほうじょうを感謝し、これからきたる厳しい冬を無事に過ごすことを祈願する、王族による祈りがささげられていた。

 王都と同じ名を冠するこの神殿は、通称、本神殿と呼ばれている。国の各地にある神殿と教会を取りまとめる総本山であり、王族専用の最も格式高い神殿である。
 今日の祈願祭には数多くの貴族たちが集まっていた。

「今日のディートリヒ王は一段と壮健だな」
「王妃殿下も相変わらずお美しいこと……」

 あちこちから囁き声がもれる。

 この式典は出席の義務などはないが、子爵位以上の貴族当主とその伴侶なら、自由に参加することができた。
 王族に謁見えっけんできる数少ない機会でもあるため、少なくない数の貴族たちが、少しでも王族との距離を縮めようと、広く肌寒い聖堂の中で王族の一挙一動を見守っていた。

 鮮やかな青いマントをひるがえして、ディートリヒ王が祭壇へと向かう。その少し後ろを、白銀のドレスを着たイジドーラ王妃が続く。
 その後方で、頭を下げて控えているのは、王太子であるハインリヒ王子と、クリスティーナ第一王女だ。

「クリスティーナ王女殿下がご参加されるとはめずらしい……」
「テレーズ様が隣国へ輿こしれされてから、時折、クリスティーナ様がお姿を現わされるようになったわね……」

 クリスティーナ王女は生まれつき病弱で、滅多なことでは公の場に現れない幻の王女と呼ばれている。今までは第二王女のテレーズが公務を務めていたが、彼女が隣国への王族へと嫁いでからは、ハインリヒ王子が公務のほとんどをこなしていた。

「遠目に見ても、あのご姉弟は見目みめうるわしいな……」

 目が覚めるような赤毛の王に、アッシュブロンドの王妃に対して、王女と王子の持つ髪はつややかなプラチナブロンドだ。イジドーラ王妃は後妻であるため、ふたりと似ていないのは当然なのだが、母親譲りの容姿を持つ子供たちは、父であるディートリヒ王の面影おもかげは限りなく薄い。

「おふたりはますますセレスティーヌ様に似てきたようだ……それに引き換え王には似ても似つかぬのはやはり……」

 前王妃であるセレスティーヌの不義を疑う下卑げびた噂がいまだにささやかれる中、儀式は粛々しゅくしゅくと進められていった。

 祭壇の脇に控えていた神官のひとりが、青い布に包まれた青銅の鏡を大仰おおぎょうな足取りで運んでくる。でっぷりとした体に神官服をまとい、その手指はその場に似つかわしくないジャラジャラとした装飾そうしょくで飾られている。

 その神官はクリスティーナ王女の前まで歩を進めると、手にした鏡を王女に差し出した。その鏡を王女は包まれた布ごと、優雅な手つきで神官から受け取った。
 受け取った鏡を、王女は祭壇の前にいるイジドーラ王妃の前まで運んでいく。王妃の一歩手前までやってくると、王女はひざまずいて鏡をかかうやうやしく王妃に差し出した。

 王女の右手につけられたハンドチェーンの飾りがしゃらりと揺れる。手首の腕輪から伸びた幾重いくえもの繊細せんさいなチェーンが王女の手の甲を覆い、中指につけられた指輪へと向かっている。そのチェーンが放つ美しいきらめきに、その場にいた夫人たちは、ほぉ……と感嘆のため息をついた。

 差し出された鏡を今度は王妃が手に取り、ゆっくりと祭壇へと向かって行く。祭られている青龍の像を見上げ、イジドーラ王妃は美しく優雅な動きでその鏡を祭壇さいだんへと奉納ほうのうした。

 この鏡面の裏は、りゅうと呼ばれる穀物のレリーフがなされている。五穀豊穣の象徴ともいえるこの神鏡を青龍に捧げることで、これまでの加護を感謝するとともに、来年の豊作を祈願するのだ。
 鏡を奉納し終えると静かな足取りで、王妃はもとた場所へと静かに戻っていった。

 次に、反対側の祭壇の脇から、老齢の神官がひとりのつるぎを持って、ハインリヒ王子へと歩を進めた。シンプルな神官服を着ただけの神官は、先ほどのあぶらぎった神官と違って、どこか清貧せいひんな雰囲気をまとっている。

 青い布で包まれたその宝剣ほうけんを、ハインリヒ王子は両手で神官から受け取った。この剣は、来るふゆ将軍しょうぐんに打ち勝ち、極寒ごっかんの冬を無事に過ごすための退魔たいま宝剣ほうけんとされている。

 剣を手にした王子がディートリヒ王の元へと進んで行く。王の前まで近づくと、王子は王女と同様に、跪いて宝剣を差し出すように掲げ持った。
 その剣を、ディートリヒ王が無言で受け取る。表情の見えない金色の瞳は、はるか遠く、見えない何かを見据みすえているかのようだ。

 手にした剣を両手で頭上に掲げ、王は重く響く声で青龍へと祈願の言葉を紡いだ。

とうとき青龍よ。これからも変わらぬブラオエルシュタインへの加護を」

 王が祭壇へと宝剣を収めるのと同時に、祭壇下の広間に集まる貴族たちも一斉に跪いた。

 これでひと通りの儀式は終了である。
 王子と王女がすぐさま祭壇を降り、それに王と王妃がゆっくりと続く。

 祈願祭は厳粛げんしゅくなものであるがゆえ、このあと慰労いろうのパーティーなどはもよおされない。あくまで青龍に感謝を示す儀式であり、貴族の社交の場としては扱われてはいなかった。

 しかし、そんな建前を鵜呑うのみにする者などいるわけがない。野心を持った多くの貴族が、退場する王族たちへと少しでも近づこうと動き始めた。

 おごそかな雰囲気に包まれていたその場は、一気に変化する。人の流れができ、ささやき合うような声があちこちからさざ波のように広がった。
 この場の護衛の指揮をとるキュプカー隊長が、その様子にいち早く動き出した。各場所に配備された近衛このえ騎士きしに目配せを送り、流れに沿って新たな配置を促す。

 この場の貴族の目当ては、ほとんどが王太子殿下だ。婚約者のいない王子に、自分の娘を売り込もうとする貴族は後を絶たない。

 王と王妃が、王子の伴侶はんりょはハインリヒの意向いこう次第しだい明言めいげんしているため、その動きは尚更なおさらだった。王子に気に入られさえすれば、王太子おうたいしの座を手に入れられるのだから。

 病弱のクリスティーナ王女は、王により降嫁こうかはさせないと宣言されているため、テレーズ第二王女がいなくなった今、王族につなぎを取ろうとする貴族はハインリヒ王子に集中していた。

 まずは、護衛に守られた王と王妃が連れ立って、王族専用の出入り口からその場を退場していった。次に、数人の護衛と共にクリスティーナ王女が、扉の向こうに姿を消していく。

 その後続いたハインリヒ王子に、多くの貴族が追いすがろうと押し寄せた。
 下位の貴族は周囲の護衛のけん制もあってか早々に脱落していくが、侯爵家以上の何人かの貴族は、周囲を視線で威圧いあつしつつ、堂々たる足取りでそちらへ向かって行った。

「王太子殿下……!」

 そう呼び止めるも、ハインリヒは冷たい表情のままこちらを振り向こうともしない。足早に出口へと向かう王子に、さらに追いすがろうとする者まで出始めた。

 すかさず近衛の騎士たちが、その者たちから守るように王子を取り囲んだ。ハインリヒ王子の一番近くで警護をしていたジークヴァルトが、強引に近づこうとした貴族に対して視線を向ける。

 娘が王妃の茶会に呼ばれたことのあるその貴族は、もしかしたら自分たちにもチャンスがあるのではと、大それた野心を抱く者の一人であった。
 狡猾こうかつそうな顔つきの紳士と、その妻と思しきこれまた狡猾そうな夫人が、ギラギラした瞳でハインリヒ王子に近づこうとしている。自分たちは優遇ゆうぐうされてしかるべき、そんな思いを抱きながら。

 不意に目の前に立ちはだかった近衛騎士に、紳士は片眉を上げその人物をにらみあげた。自分の地位は騎士ごときに邪魔されていいものではない。

 しかし、紳士は次の瞬間、「ひぃっ」と小さな悲鳴を上げて、強引にみ込んでいたその足をすくませた。少し遅れて着いてきていたその妻が、いぶかに夫の背中を後ろからぐいぐいと押してくる。

「あなた、早くしないと王太子殿下が」
「いや、待て、無理だ……」
「何が無理なものですか! こんなまたとないチャンスを無駄にするなんて!」

 夫人が半ば叫びながら顔を上げると、そこには黒い騎士服を着た近衛騎士が立っていた。黒髪の青い瞳のなかなか顔の整った青年だ。夫の肩越しにその騎士と目を合わせた夫人は、ヘビににらまれたカエルのごとく、のどの奥を引きつらせた。

 黒髪の騎士――ジークヴァルトが無言のまま見下ろすと、ふたりはふるふる首を振って、脂汗あぶらあせを流しながらじりじりと後退あとずさり始めた。ある程度距離を取ったかと思うと、そのまま脱兎だっとのごとく逃げ出していく。

 ジークヴァルトは常に異形にねらわれる身であるため、幼少期から無意識に殺気さっきを張り巡らせている。それを常人じょうじんたりにすると、得体えたいのしれない恐怖に見舞われるらしい。

(あいかわらずジークヴァルト様は、安定の防御壁ぼうぎょへきだな)

 最後尾さいこうびで王子の護衛をしていたカイは、そんな光景をのんびりとした様子でながめていた。

 ともすれば王よりも多い護衛に囲まれて、王子が扉の向こうに消えていく。近くまで詰め寄っていた貴族たちから落胆らくたんの声が上がった。

「王太子殿下は本当に気難しくていらっしゃる……」
「女嫌いと有名だが、やはり噂の通りそちらのご趣味がおありなのでは……」
「フーゲンベルク公爵様を筆頭ひっとうに、今日も大勢の近衛の騎士を取り巻いておいででしたものね」

 ひそやかに噂話に花が咲く。王族用の出入り口の扉が閉ざされ、貴族たちはあきらめたように次々に帰路きろへとつくのだった。
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