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第2章 氷の王子と消えた託宣
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◇
フーゲンベルク家に到着したカイは、他のお付きの者を馬車で待たせ、ひとり公爵家の執務室に通された。
「他の方々はよろしかったのですか?」
「ぞろぞろ来ても迷惑なだけでしょ? ま、今回は形だけの視察だしね」
マテアスに出された紅茶を一口含む。
「ん? この色合いと深い香りは……隣国の茶葉かな?」
「さすがはデルプフェルト様。そちらはリーゼロッテ様からおすそ分けして頂きまして」
「ああ、クラッセン侯爵家の隣国土産だね」
「はい、そのように伺っております」
マテアスは「リーゼロッテ様はもうじき来られますので。お待たせして申し訳ありません」とにこやかに腰を折った。
「それも仕事のうちだよ。気にしないで」
(はは、内心、くそ忙しいところに来やがってと思ってるくせに)
形ばかりとは言いつつ、わざとジークヴァルトのいない日を狙ってやってきたのだ。マテアスもそれは承知の上だろう。カイは人好きのする笑顔をマテアスに返した。
狐と狸の化かし合いのような笑顔の応酬が続いた後、カイは本題を切り出した。
「とりあえず、今聞けることは聞いとこうかな。リーゼロッテ嬢が来てから起きた異形の騒ぎを教えてもらえる?」
マテアスに拒否権はない。この視察は王太子の命令の元、行われていた。
「そうでございますね……まずは、公爵家に長年立っておりました異形の者の心をお掴みになられたのが、リーゼロッテ様が公爵家にいらっしゃって三日後の事でした。その数日後には、公爵家で長年泣いておりました異形の者の心を開かせ、その他には、リーゼロッテ様が廊下をお歩きになれば、毎日のように小鬼を引き連れておいでです」
「……なるほど。相変わらずリーゼロッテ嬢は楽しいことになってるね。で、ジークヴァルト様の方はどう? 順調に異形たちを騒がせてる?」
「順調……かどうかはわかりかねますが、デルプフェルト様がおっしゃりたいのは、フーゲンベルク家当主が代々抱える異形の者の諸問題の事でしょうか。そう推察いたしますと、順調と言えなくもないかと……」
「へえ、それなりに手を出してるんだ」
ふたりが言っているのはいわゆる『公爵家の呪い』、ジークヴァルトがリーゼロッテに対してムラムラすると、周りの異形が騒ぎ出すというアレである。
(ええ、順調に頭を悩まされていますとも……!)
にこやかに応対しつつも、マテアスは頭の中で、執務室を何度も破壊しまくる主人に向かって悪態をついていた。
公爵家の呪いに関しては、長年フーゲンベルク家で繰り返し起きていることなので、王城に残されている過去の調書には、歴代の当主がおこした騒ぎが余すことなく記されている。カイは事前にそれらに目を通していた。
(でも、ジークヴァルト様のことだから、結局は未遂で終わってるんだろうな)
王城で繰り広げられていた、かみ合わない喜劇のようなのふたりのやりとりを思い浮かべる。やはり視察はジークヴァルトがいる日に来るべきだったと、カイは少々悔やんでいた。
そんな時、執務室の扉をノックする音が響いた。リーゼロッテがやってきたようだ。扉を開けたマテアスが何事かを話しかけ、部屋の中へと誘っている。
リーゼロッテは十五歳の誕生日を迎えてから、労せず力を解放できるようになったと、ジークヴァルトから聞いていた。聞いてはいたのだが、近づく気配に、カイは内心、驚きを隠せなかった。
(まさかここまでとは……)
「カイ様?」
驚いたように名を呼ばれ、カイは声の主を振り返った。そこにいたのは、溢れんばかりの聖女の力をその身にまとったリーゼロッテだった。
王城にいたときは、小さな体の中に凝縮された力を、無理矢理押し込めている印象だったが、今は無尽蔵にその力をまき散らしている。
泉のように湧き出る力に惹かれて寄ってきているのだろう。後ろから、ちょろちょろと様子を伺うように小鬼が何匹もついてきていた。だが、ジークヴァルトの守り石のせいで、近づくことはできないようだ。
少女だった体つきも丸みを帯びてきて、少し大人びたようにも感じる。
「しばらく会わないうちに、すごく綺麗になったね、リーゼロッテ嬢」
そう言って、カイは眩しそうに目を細めた。
「まあ、お世辞でもうれしいですわ」
ふわりと微笑み、リーゼロッテは淑女の礼をとった。その動きと共に、鮮やかな緑の力がさざ波のように広がっていく。その波を追いかけて、周りの小鬼たちがぴょこぴょこと飛び跳ねた。
「はは、また可愛くしちゃうんだ」
リーゼロッテの体から漏れた力に触れた異形たちが、なんだかちょこっと可愛くなっている。カイの視線を追って後ろを振り向くと、リーゼロッテは不服そうに唇を尖らせた。
「わざとやっているわけではありませんわ」
「あはは、ほめてるんだよ。浄化させない絶妙な力加減は、真似しようにも誰にもできやしないよ」
カイはそう言うが、とてもほめているようには思えない。
「……今日は、カイ様がいらっしゃるとは思ってもみませんでしたわ」
神官か騎士団の誰かが来るとは聞いていたが、まさか知り合いが来るとは驚いた。
「ああ、騎士団の近衛第一隊は、表向きはハインリヒ様直轄の護衛専門部隊だけど、一部の隊員は異形の者を取り締まる役目を担っているからね。ジークヴァルト様もそのひとりだし、異形の調査でジークヴァルト様が他家へ赴くことだってあるよ」
「まあ、そうなのですね」
調査をする場所によっては、カイの身分では立ち入れないこともある。高位の貴族を相手にする場合、いかに王太子の命であってもすげなく扱われるため、ジークヴァルトのような爵位の高い者が行く必要がある場合もあった。
「ちなみにアデライーデ様もそうだよ。騎士団の力ある者はたいがいその任についてるかな」
「まあ、アデライーデ様も?」
「うん、今は主にバルバナス様の元で活動しているけどね」
バルバナスは王兄にして大公の地位にある人物だ。そんな内情を部外者の自分にぺらぺらと話していいのだろうか。リーゼロッテは不安になり、カイの顔を伺った。
「あの……カイ様……そのような重要なことを、わたくしに話して問題ありませんか……?」
「うん? ああ、大丈夫、大丈夫。話せるってことは言っても問題ないってことだから」
「…………?」
言われた意味がわからない。朗らかに笑いながら言うカイに、リーゼロッテは小首をかしげた。
フーゲンベルク家に到着したカイは、他のお付きの者を馬車で待たせ、ひとり公爵家の執務室に通された。
「他の方々はよろしかったのですか?」
「ぞろぞろ来ても迷惑なだけでしょ? ま、今回は形だけの視察だしね」
マテアスに出された紅茶を一口含む。
「ん? この色合いと深い香りは……隣国の茶葉かな?」
「さすがはデルプフェルト様。そちらはリーゼロッテ様からおすそ分けして頂きまして」
「ああ、クラッセン侯爵家の隣国土産だね」
「はい、そのように伺っております」
マテアスは「リーゼロッテ様はもうじき来られますので。お待たせして申し訳ありません」とにこやかに腰を折った。
「それも仕事のうちだよ。気にしないで」
(はは、内心、くそ忙しいところに来やがってと思ってるくせに)
形ばかりとは言いつつ、わざとジークヴァルトのいない日を狙ってやってきたのだ。マテアスもそれは承知の上だろう。カイは人好きのする笑顔をマテアスに返した。
狐と狸の化かし合いのような笑顔の応酬が続いた後、カイは本題を切り出した。
「とりあえず、今聞けることは聞いとこうかな。リーゼロッテ嬢が来てから起きた異形の騒ぎを教えてもらえる?」
マテアスに拒否権はない。この視察は王太子の命令の元、行われていた。
「そうでございますね……まずは、公爵家に長年立っておりました異形の者の心をお掴みになられたのが、リーゼロッテ様が公爵家にいらっしゃって三日後の事でした。その数日後には、公爵家で長年泣いておりました異形の者の心を開かせ、その他には、リーゼロッテ様が廊下をお歩きになれば、毎日のように小鬼を引き連れておいでです」
「……なるほど。相変わらずリーゼロッテ嬢は楽しいことになってるね。で、ジークヴァルト様の方はどう? 順調に異形たちを騒がせてる?」
「順調……かどうかはわかりかねますが、デルプフェルト様がおっしゃりたいのは、フーゲンベルク家当主が代々抱える異形の者の諸問題の事でしょうか。そう推察いたしますと、順調と言えなくもないかと……」
「へえ、それなりに手を出してるんだ」
ふたりが言っているのはいわゆる『公爵家の呪い』、ジークヴァルトがリーゼロッテに対してムラムラすると、周りの異形が騒ぎ出すというアレである。
(ええ、順調に頭を悩まされていますとも……!)
にこやかに応対しつつも、マテアスは頭の中で、執務室を何度も破壊しまくる主人に向かって悪態をついていた。
公爵家の呪いに関しては、長年フーゲンベルク家で繰り返し起きていることなので、王城に残されている過去の調書には、歴代の当主がおこした騒ぎが余すことなく記されている。カイは事前にそれらに目を通していた。
(でも、ジークヴァルト様のことだから、結局は未遂で終わってるんだろうな)
王城で繰り広げられていた、かみ合わない喜劇のようなのふたりのやりとりを思い浮かべる。やはり視察はジークヴァルトがいる日に来るべきだったと、カイは少々悔やんでいた。
そんな時、執務室の扉をノックする音が響いた。リーゼロッテがやってきたようだ。扉を開けたマテアスが何事かを話しかけ、部屋の中へと誘っている。
リーゼロッテは十五歳の誕生日を迎えてから、労せず力を解放できるようになったと、ジークヴァルトから聞いていた。聞いてはいたのだが、近づく気配に、カイは内心、驚きを隠せなかった。
(まさかここまでとは……)
「カイ様?」
驚いたように名を呼ばれ、カイは声の主を振り返った。そこにいたのは、溢れんばかりの聖女の力をその身にまとったリーゼロッテだった。
王城にいたときは、小さな体の中に凝縮された力を、無理矢理押し込めている印象だったが、今は無尽蔵にその力をまき散らしている。
泉のように湧き出る力に惹かれて寄ってきているのだろう。後ろから、ちょろちょろと様子を伺うように小鬼が何匹もついてきていた。だが、ジークヴァルトの守り石のせいで、近づくことはできないようだ。
少女だった体つきも丸みを帯びてきて、少し大人びたようにも感じる。
「しばらく会わないうちに、すごく綺麗になったね、リーゼロッテ嬢」
そう言って、カイは眩しそうに目を細めた。
「まあ、お世辞でもうれしいですわ」
ふわりと微笑み、リーゼロッテは淑女の礼をとった。その動きと共に、鮮やかな緑の力がさざ波のように広がっていく。その波を追いかけて、周りの小鬼たちがぴょこぴょこと飛び跳ねた。
「はは、また可愛くしちゃうんだ」
リーゼロッテの体から漏れた力に触れた異形たちが、なんだかちょこっと可愛くなっている。カイの視線を追って後ろを振り向くと、リーゼロッテは不服そうに唇を尖らせた。
「わざとやっているわけではありませんわ」
「あはは、ほめてるんだよ。浄化させない絶妙な力加減は、真似しようにも誰にもできやしないよ」
カイはそう言うが、とてもほめているようには思えない。
「……今日は、カイ様がいらっしゃるとは思ってもみませんでしたわ」
神官か騎士団の誰かが来るとは聞いていたが、まさか知り合いが来るとは驚いた。
「ああ、騎士団の近衛第一隊は、表向きはハインリヒ様直轄の護衛専門部隊だけど、一部の隊員は異形の者を取り締まる役目を担っているからね。ジークヴァルト様もそのひとりだし、異形の調査でジークヴァルト様が他家へ赴くことだってあるよ」
「まあ、そうなのですね」
調査をする場所によっては、カイの身分では立ち入れないこともある。高位の貴族を相手にする場合、いかに王太子の命であってもすげなく扱われるため、ジークヴァルトのような爵位の高い者が行く必要がある場合もあった。
「ちなみにアデライーデ様もそうだよ。騎士団の力ある者はたいがいその任についてるかな」
「まあ、アデライーデ様も?」
「うん、今は主にバルバナス様の元で活動しているけどね」
バルバナスは王兄にして大公の地位にある人物だ。そんな内情を部外者の自分にぺらぺらと話していいのだろうか。リーゼロッテは不安になり、カイの顔を伺った。
「あの……カイ様……そのような重要なことを、わたくしに話して問題ありませんか……?」
「うん? ああ、大丈夫、大丈夫。話せるってことは言っても問題ないってことだから」
「…………?」
言われた意味がわからない。朗らかに笑いながら言うカイに、リーゼロッテは小首をかしげた。
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