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第2章 氷の王子と消えた託宣
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◇
「さ、お嬢様、今度はこちらをお向きください!」
ここはダーミッシュ伯爵家のリーゼロッテの部屋の中だ。
体のあちこちにメジャーを巻かれ、着せられ脱がされ右向け左向けと、お針子たちに囲まれてからもう何時間も経過していた。
薄着を人前にさらすのは恥ずかしかったが、それも初めのうちだけだった。何もそんなところまで測らなくてもという場所まで細かく採寸され、仮縫いのドレスを着せられては綿密な微調整が繰り返されている。
リーゼロッテは現在、社交界デビューに向けてドレス作りのために、ダーミッシュ領に一時帰省していた。
デザインの流行などはリーゼロッテにはまったくわからなかったので、デザイナーのアドバイスを受けながら、デビューのドレスはほぼ義母のクリスタの一存で決定した。
独身時代に姉のジルケと共に、社交界の華ともてはやされていた義母に任せておけば間違いはないだろう。仮縫いのドレスを見ても、それは嘘ではないことが一目瞭然だった。
白の夜会と呼ばれるデビュタントのための舞踏会は、あと1か月に迫っていた。この時期の仕立て屋は鬼のように忙しいらしい。
デビューを控える令息・令嬢たちは成長期もあって、短期間で体形が変わりやすい年頃だ。幾度となく微調整が繰り返され、夜会の直前まで本縫製ができないのだ。
リーゼロッテも遅ればせながら日々体形が変化していた。はじめは太ってきたのだと危機感を覚えたのだが、エラの言うように随分と女性らしい体形に変わってきている。
(一生、幼児体型のままでなくてよかったわ)
さびしかったバストも最近ではふくらみが目立ってきた。とはいえ、AAAカップがAカップになった程度だが。ジークヴァルトのクッキーも無駄肉形成ではなく、きちんと役に立っているのだ。そう思うと、ノルマのあーんも受け入れやすい。
(いいえ、それではまるで、ヴァルト様に胸を育ててもらっているかのようだわ)
自分の考えにひとり顔を赤らめたリーゼロッテに、侍女のエラが心配そうに声をかけた。
「お嬢様、お疲れになりましたか?」
「ええ、そうね……でも、まだやることはたくさんあるのでしょう?」
お針子たちの中でも一番風格のある年配の女性に遠慮がちに声をかけた。
彼女はマダム・クノスぺと呼ばれる貴族たちに引っ張りだこのカリスマデザイナーだ。特に若い令嬢向けのドレスを作らせたら彼女の右に出る者はいないと言われている。
社交界デビューのためのドレスを彼女に依頼する貴族は多かったが、彼女は気に入った者の依頼しか受けないデザイナーとしても有名だった。幸いクリスタはマダムとはデビュー以来の付き合いらしく、直前の依頼にもかかわらず娘のリーゼロッテのドレス作りも快く受けてもらえた。
とはいえ、リーゼロッテ以外にもドレスの依頼は受けているだろう。忙しいこの時期に時間はいくらあっても足りないはずだ。そう思うと休憩をいれてほしいとはリーゼロッテは言えなかった。
「あと十着ほど、仮縫いのドレスがございますが……そうですね、ここらで一度休憩をはさみましょうか」
マダムの言葉に一斉にお針子たちの手が止まり、さっと部屋の隅に下がっていった。あと十着と言われたリーゼロッテは気が遠くなる。そうなのだ。今回作るのは、デビューのドレスだけではないのだ。
社交界へデビューを果たすと、今後あちこちの夜会やお茶会に呼ばれることが多くなる。それを踏まえて、義父のフーゴから成人のお祝いを兼ねて、何着かドレスが贈られることになっていた。
それに便乗してジークヴァルトが贈る分も加わったものだから、今回仕立てるドレスの数は十着以上にもなった。マダムもこのくそ忙しいときに、よく依頼を受けてくれたものだ。
「ほほほ、お嬢様のような花開く前の蕾を前にすると、次から次へとインスピレーションが湧いてきてしまって、一向に手が止まりそうにありませんわ。ついつい時間を忘れてしまいますわね」
メジャーを手と手にぴんと張り、らんらんと目を輝かせるマダムの目が本気で怖い。エラに室内用のガウンをかけられながら、リーゼロッテはきゅっと身をすくませた。
「お嬢様、お寒いですか?もう少し暖炉の火を強くいたしましょうか?」
「大丈夫よ、エラ、部屋は十分暖かいわ」
ようやく座ることのできたリーゼロッテは、ソファの上でほっと息をついた。部屋の中は薄着のリーゼロッテに合わせて暖かかったが、作業をしているお針子たちは暑いくらいではないだろうか。
「みなこそ暑いのではないかしら?もう少し涼しくてもわたくしは大丈夫よ」
可愛らしく小首をかしげたリーゼロッテの言葉に、壁際で控えていたお針子たちに動揺が走る。
彼女たちのほとんどが平民だ。マダム・クノスぺが揃えた精鋭たちだが、貴族相手に不敬を働かないように常に気を張っているのだ。貴族令嬢は気位が高く、かんしゃくを起こされたら仕事にならない。
マダムが受ける依頼では少ないことだったが、令嬢の機嫌を損ねてしまったことが今まで全くないというわけではなかった。そんな状況で、リーゼロッテの声掛けにお針子たちは耳を疑った。
部屋が暑い寒いと文句を言われたことは幾度もあるが、自分たちを気にかける貴族など今まで会ったことがない。リーゼロッテの声掛けに返事をしてもよいのかもわからず、お針子たちは困ったように顔を見合わせた。
「ほほほ、わたしたちは慣れておりますからお気遣いは無用ですわ」
「そう? ならよいのだけれど……もし暑すぎるようなら遠慮なく言ってちょうだいね? そうそう、ジークヴァルト様に頂いた王都で流行りのお菓子があるの。とても美味しかったから、あなたたちもよかったら休憩中につまんでね」
そう言ってやさしく微笑みかけると、萎縮していたお針子たちの頬がみるみる赤く染まっていった。
「「「このお嬢様のために、最高のドレスを仕立てよう!!!」」」
その後、お針子たちの決意も新たに、仮縫い作業は滞りなく終了したのである。
「さ、お嬢様、今度はこちらをお向きください!」
ここはダーミッシュ伯爵家のリーゼロッテの部屋の中だ。
体のあちこちにメジャーを巻かれ、着せられ脱がされ右向け左向けと、お針子たちに囲まれてからもう何時間も経過していた。
薄着を人前にさらすのは恥ずかしかったが、それも初めのうちだけだった。何もそんなところまで測らなくてもという場所まで細かく採寸され、仮縫いのドレスを着せられては綿密な微調整が繰り返されている。
リーゼロッテは現在、社交界デビューに向けてドレス作りのために、ダーミッシュ領に一時帰省していた。
デザインの流行などはリーゼロッテにはまったくわからなかったので、デザイナーのアドバイスを受けながら、デビューのドレスはほぼ義母のクリスタの一存で決定した。
独身時代に姉のジルケと共に、社交界の華ともてはやされていた義母に任せておけば間違いはないだろう。仮縫いのドレスを見ても、それは嘘ではないことが一目瞭然だった。
白の夜会と呼ばれるデビュタントのための舞踏会は、あと1か月に迫っていた。この時期の仕立て屋は鬼のように忙しいらしい。
デビューを控える令息・令嬢たちは成長期もあって、短期間で体形が変わりやすい年頃だ。幾度となく微調整が繰り返され、夜会の直前まで本縫製ができないのだ。
リーゼロッテも遅ればせながら日々体形が変化していた。はじめは太ってきたのだと危機感を覚えたのだが、エラの言うように随分と女性らしい体形に変わってきている。
(一生、幼児体型のままでなくてよかったわ)
さびしかったバストも最近ではふくらみが目立ってきた。とはいえ、AAAカップがAカップになった程度だが。ジークヴァルトのクッキーも無駄肉形成ではなく、きちんと役に立っているのだ。そう思うと、ノルマのあーんも受け入れやすい。
(いいえ、それではまるで、ヴァルト様に胸を育ててもらっているかのようだわ)
自分の考えにひとり顔を赤らめたリーゼロッテに、侍女のエラが心配そうに声をかけた。
「お嬢様、お疲れになりましたか?」
「ええ、そうね……でも、まだやることはたくさんあるのでしょう?」
お針子たちの中でも一番風格のある年配の女性に遠慮がちに声をかけた。
彼女はマダム・クノスぺと呼ばれる貴族たちに引っ張りだこのカリスマデザイナーだ。特に若い令嬢向けのドレスを作らせたら彼女の右に出る者はいないと言われている。
社交界デビューのためのドレスを彼女に依頼する貴族は多かったが、彼女は気に入った者の依頼しか受けないデザイナーとしても有名だった。幸いクリスタはマダムとはデビュー以来の付き合いらしく、直前の依頼にもかかわらず娘のリーゼロッテのドレス作りも快く受けてもらえた。
とはいえ、リーゼロッテ以外にもドレスの依頼は受けているだろう。忙しいこの時期に時間はいくらあっても足りないはずだ。そう思うと休憩をいれてほしいとはリーゼロッテは言えなかった。
「あと十着ほど、仮縫いのドレスがございますが……そうですね、ここらで一度休憩をはさみましょうか」
マダムの言葉に一斉にお針子たちの手が止まり、さっと部屋の隅に下がっていった。あと十着と言われたリーゼロッテは気が遠くなる。そうなのだ。今回作るのは、デビューのドレスだけではないのだ。
社交界へデビューを果たすと、今後あちこちの夜会やお茶会に呼ばれることが多くなる。それを踏まえて、義父のフーゴから成人のお祝いを兼ねて、何着かドレスが贈られることになっていた。
それに便乗してジークヴァルトが贈る分も加わったものだから、今回仕立てるドレスの数は十着以上にもなった。マダムもこのくそ忙しいときに、よく依頼を受けてくれたものだ。
「ほほほ、お嬢様のような花開く前の蕾を前にすると、次から次へとインスピレーションが湧いてきてしまって、一向に手が止まりそうにありませんわ。ついつい時間を忘れてしまいますわね」
メジャーを手と手にぴんと張り、らんらんと目を輝かせるマダムの目が本気で怖い。エラに室内用のガウンをかけられながら、リーゼロッテはきゅっと身をすくませた。
「お嬢様、お寒いですか?もう少し暖炉の火を強くいたしましょうか?」
「大丈夫よ、エラ、部屋は十分暖かいわ」
ようやく座ることのできたリーゼロッテは、ソファの上でほっと息をついた。部屋の中は薄着のリーゼロッテに合わせて暖かかったが、作業をしているお針子たちは暑いくらいではないだろうか。
「みなこそ暑いのではないかしら?もう少し涼しくてもわたくしは大丈夫よ」
可愛らしく小首をかしげたリーゼロッテの言葉に、壁際で控えていたお針子たちに動揺が走る。
彼女たちのほとんどが平民だ。マダム・クノスぺが揃えた精鋭たちだが、貴族相手に不敬を働かないように常に気を張っているのだ。貴族令嬢は気位が高く、かんしゃくを起こされたら仕事にならない。
マダムが受ける依頼では少ないことだったが、令嬢の機嫌を損ねてしまったことが今まで全くないというわけではなかった。そんな状況で、リーゼロッテの声掛けにお針子たちは耳を疑った。
部屋が暑い寒いと文句を言われたことは幾度もあるが、自分たちを気にかける貴族など今まで会ったことがない。リーゼロッテの声掛けに返事をしてもよいのかもわからず、お針子たちは困ったように顔を見合わせた。
「ほほほ、わたしたちは慣れておりますからお気遣いは無用ですわ」
「そう? ならよいのだけれど……もし暑すぎるようなら遠慮なく言ってちょうだいね? そうそう、ジークヴァルト様に頂いた王都で流行りのお菓子があるの。とても美味しかったから、あなたたちもよかったら休憩中につまんでね」
そう言ってやさしく微笑みかけると、萎縮していたお針子たちの頬がみるみる赤く染まっていった。
「「「このお嬢様のために、最高のドレスを仕立てよう!!!」」」
その後、お針子たちの決意も新たに、仮縫い作業は滞りなく終了したのである。
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