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第1章 ふたつ名の令嬢と龍の託宣

番外編 孤独な龍と星読みの王女

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※今日のお話は、ブラオエルシュタイン国で昔からある童話。
 何のこっちゃと思う方は、第1章 第12話「涙するもの」をご参照くださいませ。

     ◇
 昔むかし、生まれつき目の見えない王女がいました。
 独りでは何ひとつできない自分をかなしんで、王女は星読みの塔に閉じこもり、毎日毎日泣いて暮らしていました。

 ある時、妹姫の猫が逃げ出して、行方不明になりました。
 みな、必死に探しましたが、猫を見つけることはかないません。
 妹姫は元気をなくし、病気になって寝こんでしまいました。

 王女は山の上の塔から、神様に祈りました。
「どうか猫がみつかりますように。妹姫の病気がよくなりますように」
 王女は食べることも眠ることもわすれて、神さまに祈り続けました。

 その声がきこえたのは、祈りはじめてから3日目夜でした。
『いちばん陽の当たる窓にミルクを用意せよ』
 頭の中に直接ひびく声に王女はとてもおどろきました。
「あなたは神さまなのですか?」
 王女はそう問いかけましたが、返事はありません。

 耳に残るその声は、とてもやさしく心地よいものでした。
 朝日がのぼる一瞬まえの、夜とも朝ともいえない、ほんのみじかい時間のできごとでした。

 そのことを王さまに伝えると、王さまはお城の中でもいちばん陽の当たる南の部屋の窓に、ミルクをたくさん用意しました。

 すると、なんということでしょう。
 屋根裏のすきまから、妹姫の猫と、その猫にそっくりな5匹の子猫たちが、ミルクをのみにやってきました。
 妹姫はとてもよろこんで、病気もすっかりよくなりました。
 それからというもの、王女は神様のために、毎日お祈りをささげました。

 ある時、王妃さまにもらった大事な指輪を、王さまはなくしてしまいました。
 王妃さまは怒ったりはしませんでしたが、影でとても悲しんでいることを、王さまは知っていました。

 王さまは、星読みの塔に住まう王女にこのことを話しました。
「王女よ。そなたの瞳は光をうつすことかなわぬが、ほかの誰にも聞けぬものを耳にすることができる。どうかわたしを助けてくれまいか」
 はじめての王さまのお願いに、王女はとてもうれしくなりました。
「わたくしでよければお力になりましょう」

 王女はまた神さまに祈りをささげました。
 今度は2日目の夜に、あのときの声が王女の耳にとどきました。
『王の指輪は東の大木の枝の中にある』

 その声の通り、東の庭のいちばん大きな木を調べたところ、小鳥の巣の中に王さまの指輪をみつけることができました。

 それから王女は、耳をすませるのがくせになりました。
 小鳥の歌声や森のざわめき、動物たちの足音。
 神さまの声は聞こえませんでしたが、世の中には、たくさんのよろこびと祝福があることを、王女は知りました。

 ある時、国で長い雨が続きました。
 やまない雨に作物は不作となり、やがてうえや病気に苦しむ人々が増えていきました。

 王女の国では、わざわいは龍の怒りによるものとされていました。
 人々は、山の奥深くに住む龍に、怒りをおさめてもらおうと、たくさんのおくり物をしました。

 しかし、龍は凍てつく息で人々をおそれさせました。
 龍の気に当てられ、病気になる者ものも多く出ました。
 鋭い青い瞳に気おされて、その場で命をおとすものすらいたほどです。

 龍をおそれ、山に近づくものは誰もいなくなりました。
 そして、雨がやむことはありませんでした。

 長雨が続く中、塔の中で王女はずっと祈り続けました。
 しかし、今度は3日たっても4日たっても、神さまの声は聞こえません。
 皆がとめるのも聞かず、王女は眠ることもせず、命をかけて祈り続けました。

 王女の体力がつきようとした7日目の夜、ようやく王女の耳に神さまの声が聞こえました。
『大河の土手をあらためよ』

 そのことを聞いた王さまは、王都に流れる大河をすみずみまで調べさせました。
 すると、ある場所の土手がくずれていたのです。
 このまま放っておいたら、大河の水が王都すべてをのみこんでいたでしょう。

 王女の伝えた声により、土手を修復して、王都と人々は大きなわざわいを未然に防ぐことができました。
 その後、雨はやみ、国は平和をとりもどしました。

 このころより王女は、神の声を届ける星読みの王女として、国民の信をあつめる存在となりました。
 王女は明けても暮れても、神さまに祈りをささげる日々をすごしました。

 ある時、となりの国がせめてきて、戦争がはじまりました。
 そしておおくの人が死にました。

 人々は、星読みの王女に戦争を終わらせるよう祈ってほしいと願いました。
 王女は心の限り祈りましたが、神さまの声が届くことはなく、戦争は長くつづきました。

 神さまの声を届けない王女に、人々は腹をたてました。
 そして、王女をわざわいの龍へのみつぎ物にせよ、という人があらわれたのです。
 神の声を聞く王女なら、龍の怒りもしずまり、戦争も終わるではないのかと、人々は口々にいいました。

 その声は王女の耳にも届くようになり、心を痛めた王女はみなのために、みずから龍のもとへと旅立つ決意をかためました。

 王女をあわれに思う者もいましたが、ほとんどの人は、王女の命がこの国をすくってくれることを願っていたのです。
 神さまの声が聞けなくなった王女は、人々のためにできることがあるならばと、よころんで龍のもとにおもむきました。

 おつきのものは皆、王女を置いて逃げ出して、龍の住まう神殿に王女はひとり残されました。
 目の見えない王女は、その先にさびしげな光を感じて、まよわず進んでいきました。

 龍のもとにたどりついた王女のまぶたに、あざやかなまでに青いかがやきが届きました。
 生まれてから色というものを感じたことがない王女は、なんてきれいなのだろうと声もなく唇をふるわせました。
 また同時に、なんとさびしい色なのだろうと。

『そなたはなぜここに来た』
 龍の声を聞いた王女は、驚きで返事ができませんでした。
 龍の声は、星読みの塔で聞いた、あの神さまの声だったのです。

 王女はおどろきに唇がふるえ、よろこびに心がふるえました。
 そして、王女のバラ色の頬に、宝石のような涙がつたいました。

 龍を見上げ、しずかに涙をながす王女に、龍は少しこまったように問いました。
『そなたはなぜ泣いている?』
 王女がきょうふから泣いているのではないことは、龍にも感じとれました。

 これまで龍のもとにやってきた人間たちは、龍が言葉をかけるまでもなく、血の気をうしない、おそれおののき、おのれの言いたいことだけまくしたてると、みな、龍のもとから逃げだしていったのです。
 王女のふるえる心が、龍にはふしぎに感じられました。

 声の主に会えたことを、王女はこころからよろこびました。
 ずっとお礼が言いたいと祈りつづけていた王女は、うれしくてしかたがありませんでした。
 しかし、目の前の龍のこころを感じ取ると、よろこびだけではない何かに、王女は胸がおしつぶされそうになりました。

「あなたさまのこころが、あまりにもつめたく、あまりにも凍っていらっしゃるから……」

 光を宿さない王女の瞳は、たしかに龍の心をうつしとっていました。
 その孤独の青に、自分の心を重ねていることに、王女は気づきました。
 しかし、龍の心の奥底には、もっともっと深くて濃い絶望が感じられました。

「あなたさまはとても孤独なのですね」
 つぶやくようにささやいた王女の瞳から、ひとつぶの涙がこぼれ落ちました。
 龍のいかりを買うこともいとわずに、王女は龍のために涙をこぼしつづけました。

 ひとつぶひとつぶ涙がこぼれるたびに、龍のこころはふしぎと温かいものを感じるようになりました。
 王女の涙をひとすくいその頬からそっとぬぐうと、龍はその涙をなめました。
 すると今まであじわったことのないような、しあわせな甘い味が龍をつつみました。

「わたくしはあなたさまのおそばに、ずっと、ずっといることをお約束いたします」
 王女はこの孤独でさびしい龍のそばに、ずっといたいと、そう思いました。
「その約束をはたすために、どうかあなたさまのお力で、この国をお救いください」
 そう祈りながら、王女は龍の前にひざまずきました。

 自分の存在が、どうか少しでも龍の支えとなりますように。
 そして、それがこの国の支えとなりますように。

『その願い聞きとどけよう』

 龍はその力で国をおおい、他国の侵攻をしりぞけ、けがや病気で苦しむ人々をいやしていきました。

 戦争を終えた国は、平和な日々が戻ってきました。
 その後、星読みの王女は精霊となり、龍の花嫁として青龍と共に、この国をいつまでも見守り続けました。
 そして、ふたりの約束は、今でもずっと守られ続けているのです。


     ◇
 絵本を閉じて、マルグリットはベッドで横になるリーゼロッテをやさしく見やった。
『孤独な龍と星読みの王女』は、ブラオエルシュタインでは、子供ならば一度ならずとも読み聞かせられる童話として最もポピュラーな物語である。
 国民の間では、国の創設にかかわる青龍の神話を元に作られた、子供向けの童話という認識であった。

「ねえ、母様。龍の神さまと星読みの姫は、いまもずっといっしょにいらっしゃるの?」

 頬を紅潮させて、興奮したようにリーゼロッテはたずねた。

「そうね。おふたりでずっと、この国を守ってくださっているのよ」
「わたしも神さまのお声をおききしたいわ」
「ふふ、いつかリーゼロッテだけの神様が、やさしくお声をかけてくださるわ」

 自分と同じように、リーゼロッテもいつかは託宣の相手と結ばれる。娘を溺愛しているイグナーツが聞いたら、微妙な顔をしそうだけれど。

「そうしたら、わたしも龍の神さまの花嫁になれるかしら?」
「あら、それは困ったわ。ロッテ、あなたにはもう決められた相手がいるのよ」
「決められた相手?」
「そう、未来の旦那様……今のロッテにとっては婚約者ね」
「こんやくしゃ……」

「将来、結婚しましょうねって約束した人の事よ」
「おやくそくしたの?」
「神様がそうお決めになったのよ」
「龍の神さまが?」
「ええ、そうよ」
「……ならわたし、その方のお嫁さんになる!」

 瞳を輝かせながら言う娘に、マルグリットは微笑んで頷いた。

(相手があのジークフリート様の息子というのが気になるけど……)

 ジークフリートの妻に対する溺愛っぷりは貴族の中では有名な話だ。愛されていると言えば聞こえはいいが、あの執着を愛と言っていいものだろうか。

「こんやくしゃさまってどんな方なのかしら……?わたし、お会いしてみたいわ」
「そうね……ロッテが三歳になったら会えると思うわ」
「もうすぐ?」
「春が来て暖かくなったもうちょっと先ね……秋になるかしら……」
「あき?」
「そう、秋ね」

 うとうとしだしたリーゼロッテの瞳は今にも閉じそうになっている。

「さあ、いい子はもう眠る時間よ」
「はい、母様……おやすみなさい……」

 リーゼロッテの肩まで毛布をかけなおすと、マルグリットはその頬にやさしくキスをした。

「……ロッテは眠ったのか?」

 突然後ろから抱きすくめられ、「ええ」とマルグリットは苦笑いを返した。
 イグナーツには昔から驚かされてばかりだ。いい加減慣れもしたが、不意を突かれると咄嗟に手や足が出そうになる。

「もう……気配を消して近づかないでって、いつも言ってるのに」
「そうでもしないとマルグリットはすぐ逃げるだろ?」

 いたずらっぽく笑う夫は巻き付けた腕をさらにきつく締めてくる。

「今はそんなこと、ないでしょう?」

 いつも隙あらば抱きついてきて離そうとしない夫に、呆れ半分諦め半分の声を返した。

(ああ、ここにもいたわ……)

 龍の託宣を受けた男どもは、一様にみなこういうものらしい。

「ロッテも苦労するのかしら……」

 背後の夫にジト目を送りながらつぶやくと、イグナーツはつり気味の目を丸くしてきょとんとした顔をした。

「なんでもないわ」

 首を曲げて、唇に触れる程度のキスを落とす。イグナーツは満面の笑みでそれを迎え入れると、マルグリットを抱き込んだまま、性急な動作で部屋を後にした。

 ぱたんと静かにドアが閉められ、子供部屋に静寂がおりる。
 たのしい夢でもみているのだろうか。静かに寝息をたてて眠るリーゼロッテの口元が、しあわせそうに弧を描いた。

 これは過ぎた日の、やさしい思い出のおはなし。
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