ふたつ名の令嬢と龍の託宣【第二部公爵夫人編開始】

古堂 素央

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第1章 ふたつ名の令嬢と龍の託宣

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     ◇
 部屋に戻ったリーゼロッテは、エマニュエルの淹れた紅茶で一息ついていた。

「エマ様。グレーデン様は……どういった方なのですか……?」

 普段は人の悪口など口にしないリーゼロッテだったが、躊躇ちゅうちょした後、うつむきがちに小さな声で付け加える。

「わたくし、あの方が……少し苦手かもしれません」

 その様子にエマニュエルはやさしく微笑んだ。

「エーミール・グレーデン様は、誇り高い貴族の典型のような方ですね。悪い方ではないのですよ。旦那様のことを崇拝してらっしゃるし、裏表のない真っ直ぐな方ですわ」

 エマニュエルは自分も紅茶を一口含むと、フフッと笑った。

「あれでいてお可愛らしいところもあるのですよ。旦那様とアデライーデ様のはとこに当たる方ですし、子供の頃はヨハン様やマテアスなどとも一緒に遊んでいた時期もありました」
「まあ、そうなのですね」

「ええ……ですが、グレーデン侯爵家は昔から厳格な家風であると有名なお家柄。その家でお育ちなったエーミール様が、あのような態度を取られるのは無理もないことですわ」
「そう……エマ様がそうおっしゃるのなら、悪い方ではないのね……。わたくしの勝手な印象で、グレーデン様を悪く言ってしまったわ……」

 落ち込むように言うリーゼロッテに、「あら」とエマニュエルは笑いながら言った。

「そのようにお気に病むことはございませんわ。エーミール様がいけ好かないのは子供の頃からですもの。昔から公爵家の使用人のほとんどの者に嫌われていますから」

 ここだけの話ですよ?とエマニュエルはいたずらっぽくウィンクしてみせる。

「まあ!」

 リーゼロッテはぽかんと口を開けた後、おかしくなってつられるように笑ってしまった。

「ふふっ、そうなのね、わたくしの見立てもあながち間違っていないということね」

 久しぶりのリーゼロッテの笑顔に、エマニュエルはほっとした顔になる。エーミールもたまには役に立つなどと考えながら、リーゼロッテと見つめ合ってしばらくすくすと笑いあった。

「そうですわ、リーゼロッテ様。さきほどエラ様からお手紙が届いておりました」

 その言葉にリーゼロッテの笑顔がさらに明るいものとなる。
 エラは母親が過労で倒れて、実家のエデラー家に里帰り中だ。先日、容態は安定していると連絡がきていたが、今日の手紙にはさらに快方に向かっていると書かれていた。

 エラはダーミッシュ家に奉公に来てから、家に帰ることはほとんどなかった。考えてみたら、エラは今の自分と同じ年齢で親元を離れ、ずっとリーゼロッテに尽くしてきてくれたのだ。そう思うと、これを機にゆっくりと家族と過ごしてほしい。

「エラがもうしばらくお母様のそばにいられるように、ジークヴァルト様にお願いしようかしら」

 そう言ってリーゼロッテは瞳を伏せた。無意識にその手は袖の上から自分の手首に触れている。

 この手首のあとの訳を、エラにうまく説明できそうもない。実家でゆっくりしてほしいのは本心だったが、手首のあざが消えるまではエラに戻ってきてほしくないというのも本音だった。

「では、わたしから旦那様にお伝えしておきますね」

 エマニュエルはリーゼロッテの心情を察しつつ、それ以上のことは何も言わなかった。
 あの日を境に、リーゼロッテとジークヴァルトの間がぎくしゃくしているようだ。

(どちらかというと旦那様が一方的に避けておいでのようだけど……)

 エマニュエルは出そうになるため息をこらえて、冷めかけの紅茶に再び口をつけた。

     ◇
「そういえば、ハインリヒ様。今年の白の夜会でダンスはどうされるんですか?」

 王太子の執務室で紅茶を淹れながら、カイはハインリヒに声をかけた。書類に目を落としたまま休憩の合図にも反応しない王子に対し、何か気を引きそうな話題を探した結果、そんな質問になった。

「今年は誰とも踊らない」

 執務の手を止めるでもなく、眉間にしわを寄せたままハインリヒはそっけなく返した。

「あー、そーなんですねー」

 王子の不機嫌はいまだ続いている。一緒にいる時間の長いカイにしてみれば、この状況は鬱陶うっとうしいことこの上ない。

(特に昨日は最悪だったな)

 昨日はジークヴァルトも登城していて、男三人で一日中執務室にこもっていた。
 ハインリヒとジークヴァルトが眉間にしわを寄せながら、並んで執務を行う空間は重苦しくてどうしようもなかった。癒しが足りない。圧倒的に足りなさすぎる。
 リーゼロッテが王城に滞在していた頃はよかったとしみじみ思う。あの時はアンネマリーもいたし、カイにとってもいい息抜きだった。

(それにしても、昨日のジークヴァルト様の様子はおかしかったな……。リーゼロッテ嬢を領地に迎え入れて、ここのところ機嫌はすこぶるよかったはずなのに)

「何かやらかして嫌われたかな?」
「一体なんの話だ?」

 無意識につぶやいたカイに、ハインリヒは訝し気な視線を送った。

「いえ、ただの独り言です。それにしても楽しみだなー。オレ、デビューも含めて、白の夜会にまともに参加したことないですからねー」

 嫌味っぽい口調のカイにハインリヒは苦虫をかみつぶしたような顔になる。

「わたしはいつも止めてはいるんだ。そういうことは、義母上に言ってくれ」
「まあ、それはそうなんですけどね。でも、もう少しハインリヒ様からねぎらいの言葉があってもいいんじゃないかって、オレ思うんですけど」
「……お前には苦労をかけてすまないと思っている」

 ハインリヒの言葉は本心からだ。カイは気を悪くしたふうでもなく、紅茶をハインリヒの前に提供しながらいたずらっぽく言った。

「王太子殿下がオレなんかに謝ったらダメですって。そこはせめて感謝の言葉をくださいよ。まあでも、悪いって思ってるなら、あの件、何とかなりません? 王城を去る前に、もう一度一通りの託宣を調べなおしたいんです」
「ああ……神殿側がしぶっていてな。どのみち今は王の沙汰待ちだ」
「ディートリヒ様も何を考えているんでしょうね」
「……すべては龍のおぼし、だよ」

 いつも遠くを見据えているような父王の瞳を思い浮かべて、ハインリヒは小さなため息をこぼした。

「ああ、カイ。この後、義母上の所へ行くのだろう? ついでにこれを届けてくれ」

 そう言いながら、ハインリヒが引き出しから箱を取り出す。

「あ、これ、この前の守り石ですね」

 箱の中には紫色が美しくたゆとう大小さまざまな楕円の石が入れられていた。

「わぁ、すごいな。これだけの石に力を込めるの、大変でしたでしょう」
「テレーズ姉上のためだ。たいしたことはない」
「イジドーラ様も張り切ってデザインされているようですよ」

 イジドーラは王妃ブランドを立ち上げ、ドレスやアクセサリーのデザインなどを自ら手掛けている。今回は、隣国へ嫁いだ王女テレーズの懐妊祝いとして、安産祈願のお守りを贈ることになっていた。

「ああ……あの人のことだから、隣国へのアピールも兼ねているのだろうな」

 ブラオエルシュタインの特殊な鉱石は、他国での人気は高い。外貨を稼ぐにはもってこいだが、過去、それを目的に他国が戦争を仕掛けてきた歴史が幾度となく繰り返されている。

(余計な火種にならないといいのだが……)

 何かとトラブルを振りまく義母には、ぜひともおとなしくしていてほしい。父王は王妃に甘すぎるのだ。
 ハインリヒは、今日幾度目かのため息を小さく漏らした。
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※小説家になろうグループムーンライトノベルズにて【R18】ふたつ名の令嬢と龍の託宣 不定期投稿中☆
 第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣 スタートました♡
※アルファポリス版は第1部令嬢編として一度完結としましたが、ムーンでは第6章を継続投稿中です。
 こちらはR18ですので、18歳以上(高校生不可)の方のみ閲覧できます。
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