ふたつ名の令嬢と龍の託宣【第二部公爵夫人編開始】

古堂 素央

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第1章 ふたつ名の令嬢と龍の託宣

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     ◇
 足早に執務室へ戻ろうとするジークヴァルトの背を追って、マテアスはその少し斜め後ろをついていく。
 サロンの入口でエーミールが何か言いたげに立っていたが、マテアスは目礼するにとどめた。エーミールはマテアスを毛嫌いしている。何を言っても難癖なんくせをつけられるのが落ちだった。

「旦那様、一体どうしたの言うのです? いきなり執務を放り出して飛び出していくなんて。毎回探して回るこちらの身にもなってくださいよ」

 無言で歩くジークヴァルトに声をかけるが、返事はない。眉間にしわを寄せているところを見ると、あまり機嫌はよろしくなさそうだ。
 ジークヴァルトを見つけた先に案の定リーゼロッテがいたので、マテアスはまた何かあったのかとも思ったのだが、特にリーゼロッテに変わった様子はないようだった。

(ひとりで抱え込む癖はあいかわらずか……)

 はぁ、というマテアスの大げさなため息が聞こえなかったふりをして、ジークヴァルトは無言で歩を進めていく。
 廊下を曲がった先で、先ほど別れた不機嫌の原因がひょいと壁際から現れたものだから、ジークヴァルトは眉間のしわをさらに深めた。

『さっき、言い忘れたことがあったんだ。この前のお詫びにちょっと一言だけ言わせてよ』

 その言葉を無視して、ジークヴァルトは守護者の横を素通りしていく。それを気にするでもなく、ジークハルトはあぐらをかいたまま、すいっとジークヴァルトの目の前に移動した。
 そのまま向かい合った状態で、ジークヴァルトの歩に合わせてジークハルトもバックしながら進んでいく。

『リーゼロッテって、ホントちょろいよね。……ちょろすぎて、これから先あんなんでやっていけるのか、はたから見てて心配になるレベルだよ』

 ジークヴァルトはその言葉に眉をぴくりと動かして、その時に初めて守護者へと視線を向けた。同じ高さの目線で、同じ色の瞳が見つめ返してくる。
 ジークハルトの表情はめずらしく真摯なものだった。

『言っとくけどヴァルト。異形の者なんかより、生きている人間の方がよっぽどたち悪いから。絶対にリーゼロッテをその手から離してはダメだよ』
「不測の事態なら仕方ありませんけどね。会いに行きたいならそう言ってくだされば、仕事の量を調整してきちんとおふたりの時間を作りますし」

 ジークハルトとマテアスの声が重なった。

『ま、そーゆうわけで、忠告はしたから』

 そう言ってジークハルトは天井高く浮き上がり、そのままするりと消えていく。
 最後にひょいと顔だけのぞかせたかと思うと『さっきも言った通り、当面はちょっかい出さないから安心してよ』と笑顔で言い残して、今度こそ顔をひっこめた。

「せめて理由と行先くらい言ってから出て行ってくださいよ。って、聞いてます? 旦那様」

 ジークヴァルトを追い越して置き去りにしていたことに気づき、マテアスは訝し気に振り返った。いつの間にか立ち止まっていたジークヴァルトは、じっと宙を睨んでいる。

「旦那様……?」

 その様子にはっとしたマテアスは、慌てたようにジークヴァルトに駆け寄った。

「ヴァルト様、もしかしてそこに守護者がいるんですか?」

 ジークヴァルトが睨む空間に目をやるが、マテアスは何も感じ取ることはできない。しかし、あの日以来リーゼロッテを避けていたあるじが、突然その彼女の元に駆け付けたのだ。

(てっきり顔を見ない日々に耐えきれなくなって、突発的に会いに行ったんだと思ったのに……)

 つい先日あんな騒ぎがあったばかりで、どうしてこんな楽天的な考え方をしたのかと、マテアスはぎゅっと眉根を寄せた。
 あれ以来、力ある者が必ずリーゼロッテの護衛につくようになったので、異形のトラブルならジークヴァルトが側にいなくとも大ごとにはならないだろう。しかし、守護者に対しては正直お手上げ状態だ。

「いや、問題ない」

 ジークヴァルトはそう言って、再び廊下を進みだした。
 マテアスは何か言いかけようと口を開いたが、小さく息をついてからその後ろ姿を追った。不器用なあるじが変な方向にこじらせているように思えてならない。

(早く婚姻の託宣が降りればいいものを……)

 そうすればすべてがうまくいく。

 マテアスは現状にもどかしさを感じながら、執務室までの廊下を無言で歩いて行った。
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