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第1章 ふたつ名の令嬢と龍の託宣

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(それにしてもクッキーがやたらと減っていない?)

 テーブルの上にあったクッキーの数が、最初より半分以上減っている。しかし、自分がそんなに食べた覚えはない。
 何よりこのクッキーを食べると口の中がぱっさぱっさするのだ。のどは乾いていたが、今日はそれがほとんどなかった。

「あーん」

 じっとクッキーを見つめていたせいか、ジークヴァルトが口元にクッキーを差し出してきた。エラの前でやめてほしい。リーゼロッテはふるふると首を振った。

「い、いいえ、ヴァルト様、今日はもう……」

 助けを求めるように周囲に視線をさ迷わせると、ふとマテアスと目が合った。

 あ ー ん は い ち に ち い っ か い ま で

 マテアスの口が、音を出さずにそう動いた。

 ぐっと言葉を飲み込んで、リーゼロッテは無表情のままクッキーを差し出しているジークヴァルトの顔を見上げた。マテアスはジークヴァルトの味方だ。エッカルトとも通じあっているのだろう。

 リーゼロッテは観念して、そっとその唇を開いた。
 あーんはやはり餌付けなのだ。力の消費とは無関係で一日一回は受入れなければならないノルマなのだ。でないとまたエッカルトにさめざめと泣かれてしまう。

 リーゼロッテが差し出されたクッキーを口にする様は、見た者の口元を思わず綻ばせる。エラもへにゃっとした表情になったが、少しばかりおもしろくないとも感じていた。

 最近では、寝起きのクッキーをリーゼロッテに食べさせることもほとんどなくなった。あれも病気のせいで食べなくてはならなかったのだから、必要がないなら喜ばしいことだ。だが、あのひと時は、エラにとっては至高の時間だったのだ。

 もくもくとクッキーを食べるリーゼロッテは、それはそれは愛らしい。自分の差し出したクッキーが、小さな口にするすると入っていく様を眺めていると、言い知れぬ快感を覚えてしまう。もう一枚、もう一枚と、その口に差し入れたくなるのだ。

 毎朝のひと時、あの時間のリーゼロッテは自分だけが知るお嬢様だった。その役目が公爵の手に渡ってしまったのかと思うと、エラはジークヴァルトに対して嫉妬を禁じえなかった。侍女としてわきまえなければならいと分かっていても、胸の奥で燻る思いは消せそうにない。

「あら? このクッキー、ちょっと味が変わったのかしら?」

 いつもよりしっとりしていて、口どけもいい。いつもは慎重に食べないとむせてしまいそうになるのだが、今日のクッキーはほろほろと柔らかいものの、口の中の水分がもっていかれることもなく、とても食べやすいものだった。

「エラ様が厨房に掛け合って、料理長と相談なさっていましたからね」

 こてんとリーゼロッテが首をかしげると、マテアスが自分の事のように自慢気な様子で言った。

「お嬢様がクッキーを食べにくそうになさっていたので、少ししっとりと柔らかめに作っていただけないかとお願いしました。差し出がましいとは思ったのですが……」
「まあ!そうだったのね、エラ、ありがとう!」

 クッキーはまさにリーゼロッテ好みの味と食感だった。ぱさぱさとしていたクッキーは、しっとりとしてメルティで甘さも上品なものに変わっていた。
 こちらが頼んだわけでもないのに、エラはいつも先回りしてリーゼロッテのために動いてくれる。そしてそれをひけらかすこともない。あくまで自然に、リーゼロッテが気づかないうちにすべては行われるのだ。

「エラ、本当にありがとう」

 その言葉だけで、その笑顔だけで、エラは天にも昇る気持ちになる。侍女として自分にしかできないことがもっとあるはずだ。リーゼロッテの笑顔を前に、改めてエラはそう思っていた。

「これならたくさんでも食べられそう」

 思わず漏らした言葉に、リーゼロッテ自身がはっとなる。再びクッキーに手を伸ばそうとしたジークヴァルトが目に入り、リーゼロッテは慌てて言葉を付け足した。

「ですが! あーんは、一日一回までですわ!」

(リーゼロッテ様も学習なさっておいでだわ)

 黙って見守っていたエマニュエルがそんな様子にそっと微笑んだ。ジークヴァルトを囲んで、こんな微笑ましい光景が見られるなど、今まで考えられもしなかった。

「しつこい殿方はおもてになりませんよ、旦那様」

 いつもはマテアスが言うような台詞をエマニュエルが言うと、ジークヴァルトは一瞬動きを止めてからふいと顔を逸らした。どうやら餌付けは諦めたらしい。
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