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第1章 ふたつ名の令嬢と龍の託宣
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そんなとき扉が開いてエマニュエルが顔を出した。
「エラ様、お帰りなさいませ」
「エマニュエル様」
「リーゼロッテ様はもうお戻りですよ。エラ様もお疲れになったでしょう」
エマニュエルがエラを部屋の中に誘うように一歩下がった。
「それではわたしはこれで失礼します、エラ様」
エラを部屋の中へ誘導すると、マテアスはその手を離して丁寧な手つきで扉を閉めた。エラはしばらくその扉を無言でじっと見つめていた。
「マテアスが何か粗相をはたらきましたか?」
不意にエマニュエルに後ろから問いかけられて、エラはあわてて振り返った。
「いいえ、マテアスには親切にここまで送ってもらいました。ただ、独り言を言ったり、ちょっと変わった人だなと思いまして……」
エラは曖昧に笑顔を返す。先ほどマテアスは扉に向かってぶつぶつ何か言っていたが、意味はよくわからなかった。頭は切れるが、マテアスはすこし変わり者のようだ。
しかし、物腰も柔らかくよく気が利くマテアスは侍従として有能だ。侍女として見習いたいところがいっぱいあり、尊敬できる人物でもあった。
「ふふ、そうね。あの子はちょっと変わり者ね」
エマニュエルは扉の前にいた異形の者を思い出して、マテアスが何かしたのだろうと思い当たった。エラは無知なる者と聞いているので、彼女にカークは視えなかったのだろう。
「エラ、お帰りなさい!」
奥の部屋からリーゼロッテが顔を出した。その笑顔を見てエラはほっとした顔をする。
「リーゼロッテお嬢様、遅くなり申し訳ありません」
「いいのよ。ここのお屋敷は広いですもの。それより刺繍教室は楽しかった?」
「はい、お嬢様。みな素直な子が多くて」
「まあ、わたくしも負けていられないわ。ハンカチの刺繍がもう少しなのだけど、うまくできないところがあって。あとでエラにみて欲しいの」
「もちろんです、お嬢様!」
「その前にお茶にしましょう。エマ様が淹れてくださったから」
たわいもない会話だが、リーゼロッテのそばが一番落ち着くとエラは自然と笑顔になった。リーゼロッテも気負いなくエラに甘えている。エマニュエルはそんなふたりを微笑ましそうにみつめていた。
(ふたりの絆を超えるのは、なかなか骨が折れそうね)
「では、わたしはこれで失礼いたしますね」
エマニュエルは一礼するとリーゼロッテの部屋を出た。
廊下へ出て少し進むと、先ほどマテアスに飛ばされた異形の者――カークが吹き飛ばされたそのままの格好で、廊下の端に転がっていた。
「どこにいてもカークはカークなのね」
ちょっと邪魔そうに避けて通り過ぎようとする。数歩通り過ぎ、エマニュエルはカークを振り返って見下ろした。
「本当にあなた、リーゼロッテ様がおっしゃるようにふてくされていただけなのね。今度はそこで何百年も過ごすつもりなの?」
エマニュエルが冷ややかに言い放つと、カークはピクリとその身をふるわせた。そのあとむくりと体を起こしたかと思うと、無言でゆらりと立ち上がった。
そのままいそいそと扉の前まで歩いて行く。先ほどと同じように扉に額を押しつけると、カークは仁王立ちのまま再び動かなくなった。
(旦那様のお力で部屋の中には入れないようね)
それを見届けると、エマニュエルは踵を返して歩き出した。
カークはリーゼロッテに動かされた。泣き虫ジョンと一緒で、カークも何百年も前から公爵家にいた異形の者だ。不動のカークの名の通りに、ずっと同じ場所に立っていただけの異形だった。
(本当に不思議なお方だこと)
エマニュエルはリーゼロッテを思い、くすりと笑いながら廊下を進んでいった。
「エラ様、お帰りなさいませ」
「エマニュエル様」
「リーゼロッテ様はもうお戻りですよ。エラ様もお疲れになったでしょう」
エマニュエルがエラを部屋の中に誘うように一歩下がった。
「それではわたしはこれで失礼します、エラ様」
エラを部屋の中へ誘導すると、マテアスはその手を離して丁寧な手つきで扉を閉めた。エラはしばらくその扉を無言でじっと見つめていた。
「マテアスが何か粗相をはたらきましたか?」
不意にエマニュエルに後ろから問いかけられて、エラはあわてて振り返った。
「いいえ、マテアスには親切にここまで送ってもらいました。ただ、独り言を言ったり、ちょっと変わった人だなと思いまして……」
エラは曖昧に笑顔を返す。先ほどマテアスは扉に向かってぶつぶつ何か言っていたが、意味はよくわからなかった。頭は切れるが、マテアスはすこし変わり者のようだ。
しかし、物腰も柔らかくよく気が利くマテアスは侍従として有能だ。侍女として見習いたいところがいっぱいあり、尊敬できる人物でもあった。
「ふふ、そうね。あの子はちょっと変わり者ね」
エマニュエルは扉の前にいた異形の者を思い出して、マテアスが何かしたのだろうと思い当たった。エラは無知なる者と聞いているので、彼女にカークは視えなかったのだろう。
「エラ、お帰りなさい!」
奥の部屋からリーゼロッテが顔を出した。その笑顔を見てエラはほっとした顔をする。
「リーゼロッテお嬢様、遅くなり申し訳ありません」
「いいのよ。ここのお屋敷は広いですもの。それより刺繍教室は楽しかった?」
「はい、お嬢様。みな素直な子が多くて」
「まあ、わたくしも負けていられないわ。ハンカチの刺繍がもう少しなのだけど、うまくできないところがあって。あとでエラにみて欲しいの」
「もちろんです、お嬢様!」
「その前にお茶にしましょう。エマ様が淹れてくださったから」
たわいもない会話だが、リーゼロッテのそばが一番落ち着くとエラは自然と笑顔になった。リーゼロッテも気負いなくエラに甘えている。エマニュエルはそんなふたりを微笑ましそうにみつめていた。
(ふたりの絆を超えるのは、なかなか骨が折れそうね)
「では、わたしはこれで失礼いたしますね」
エマニュエルは一礼するとリーゼロッテの部屋を出た。
廊下へ出て少し進むと、先ほどマテアスに飛ばされた異形の者――カークが吹き飛ばされたそのままの格好で、廊下の端に転がっていた。
「どこにいてもカークはカークなのね」
ちょっと邪魔そうに避けて通り過ぎようとする。数歩通り過ぎ、エマニュエルはカークを振り返って見下ろした。
「本当にあなた、リーゼロッテ様がおっしゃるようにふてくされていただけなのね。今度はそこで何百年も過ごすつもりなの?」
エマニュエルが冷ややかに言い放つと、カークはピクリとその身をふるわせた。そのあとむくりと体を起こしたかと思うと、無言でゆらりと立ち上がった。
そのままいそいそと扉の前まで歩いて行く。先ほどと同じように扉に額を押しつけると、カークは仁王立ちのまま再び動かなくなった。
(旦那様のお力で部屋の中には入れないようね)
それを見届けると、エマニュエルは踵を返して歩き出した。
カークはリーゼロッテに動かされた。泣き虫ジョンと一緒で、カークも何百年も前から公爵家にいた異形の者だ。不動のカークの名の通りに、ずっと同じ場所に立っていただけの異形だった。
(本当に不思議なお方だこと)
エマニュエルはリーゼロッテを思い、くすりと笑いながら廊下を進んでいった。
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