ふたつ名の令嬢と龍の託宣【第二部公爵夫人編開始】

古堂 素央

文字の大きさ
上 下
138 / 529
第1章 ふたつ名の令嬢と龍の託宣

しおりを挟む
 そんなとき扉が開いてエマニュエルが顔を出した。

「エラ様、お帰りなさいませ」
「エマニュエル様」
「リーゼロッテ様はもうお戻りですよ。エラ様もお疲れになったでしょう」

 エマニュエルがエラを部屋の中に誘うように一歩下がった。

「それではわたしはこれで失礼します、エラ様」

 エラを部屋の中へ誘導すると、マテアスはその手を離して丁寧な手つきで扉を閉めた。エラはしばらくその扉を無言でじっと見つめていた。

「マテアスが何か粗相をはたらきましたか?」

 不意にエマニュエルに後ろから問いかけられて、エラはあわてて振り返った。

「いいえ、マテアスには親切にここまで送ってもらいました。ただ、独り言を言ったり、ちょっと変わった人だなと思いまして……」

 エラは曖昧に笑顔を返す。先ほどマテアスは扉に向かってぶつぶつ何か言っていたが、意味はよくわからなかった。頭は切れるが、マテアスはすこし変わり者のようだ。

 しかし、物腰も柔らかくよく気が利くマテアスは侍従として有能だ。侍女として見習いたいところがいっぱいあり、尊敬できる人物でもあった。

「ふふ、そうね。あの子はちょっと変わり者ね」

 エマニュエルは扉の前にいた異形の者を思い出して、マテアスが何かしたのだろうと思い当たった。エラは無知なる者と聞いているので、彼女にカークは視えなかったのだろう。

「エラ、お帰りなさい!」

 奥の部屋からリーゼロッテが顔を出した。その笑顔を見てエラはほっとした顔をする。

「リーゼロッテお嬢様、遅くなり申し訳ありません」
「いいのよ。ここのお屋敷は広いですもの。それより刺繍教室は楽しかった?」
「はい、お嬢様。みな素直な子が多くて」
「まあ、わたくしも負けていられないわ。ハンカチの刺繍がもう少しなのだけど、うまくできないところがあって。あとでエラにみて欲しいの」
「もちろんです、お嬢様!」
「その前にお茶にしましょう。エマ様が淹れてくださったから」

 たわいもない会話だが、リーゼロッテのそばが一番落ち着くとエラは自然と笑顔になった。リーゼロッテも気負いなくエラに甘えている。エマニュエルはそんなふたりを微笑ましそうにみつめていた。

(ふたりの絆を超えるのは、なかなか骨が折れそうね)

「では、わたしはこれで失礼いたしますね」
 エマニュエルは一礼するとリーゼロッテの部屋を出た。

 廊下へ出て少し進むと、先ほどマテアスに飛ばされた異形の者――カークが吹き飛ばされたそのままの格好で、廊下の端に転がっていた。

「どこにいてもカークはカークなのね」

 ちょっと邪魔そうに避けて通り過ぎようとする。数歩通り過ぎ、エマニュエルはカークを振り返って見下ろした。

「本当にあなた、リーゼロッテ様がおっしゃるようにふてくされていただけなのね。今度はそこで何百年も過ごすつもりなの?」

 エマニュエルが冷ややかに言い放つと、カークはピクリとその身をふるわせた。そのあとむくりと体を起こしたかと思うと、無言でゆらりと立ち上がった。

 そのままいそいそと扉の前まで歩いて行く。先ほどと同じように扉に額を押しつけると、カークは仁王立ちのまま再び動かなくなった。

(旦那様のお力で部屋の中には入れないようね)

 それを見届けると、エマニュエルは踵を返して歩き出した。

 カークはリーゼロッテに動かされた。泣き虫ジョンと一緒で、カークも何百年も前から公爵家にいた異形の者だ。不動のカークの名の通りに、ずっと同じ場所に立っていただけの異形だった。

(本当に不思議なお方だこと)

 エマニュエルはリーゼロッテを思い、くすりと笑いながら廊下を進んでいった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

〈完結〉「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です

ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」 「では、契約結婚といたしましょう」 そうして今の夫と結婚したシドローネ。 夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。 彼には愛するひとがいる。 それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?

探さないでください。旦那様は私がお嫌いでしょう?

雪塚 ゆず
恋愛
結婚してから早一年。 最強の魔術師と呼ばれる旦那様と結婚しましたが、まったく私を愛してくれません。 ある日、女性とのやりとりであろう手紙まで見つけてしまいました。 もう限界です。 探さないでください、と書いて、私は家を飛び出しました。

命を狙われたお飾り妃の最後の願い

幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】 重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。 イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。 短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。 『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

【完結済】隣国でひっそりと子育てしている私のことを、執着心むき出しの初恋が追いかけてきます

鳴宮野々花@書籍2冊発売中
恋愛
 一夜の過ちだなんて思いたくない。私にとって彼とのあの夜は、人生で唯一の、最良の思い出なのだから。彼のおかげで、この子に会えた────  私、この子と生きていきますっ!!  シアーズ男爵家の末娘ティナレインは、男爵が隣国出身のメイドに手をつけてできた娘だった。ティナレインは隣国の一部の者が持つ魔力(治癒術)を微力ながら持っており、そのため男爵夫人に一層疎まれ、男爵家後継ぎの兄と、世渡り上手で気の強い姉の下で、影薄く過ごしていた。  幼いティナレインは、優しい侯爵家の子息セシルと親しくなっていくが、息子がティナレインに入れ込みすぎていることを嫌う侯爵夫人は、シアーズ男爵夫人に苦言を呈す。侯爵夫人の機嫌を損ねることが怖い義母から強く叱られ、ティナレインはセシルとの接触を禁止されてしまう。  時を経て、貴族学園で再会する二人。忘れられなかったティナへの想いが燃え上がるセシルは猛アタックするが、ティナは自分の想いを封じ込めるように、セシルを避ける。  やがてティナレインは、とある商会の成金経営者と婚約させられることとなり、学園を中退。想い合いながらも会うことすら叶わなくなった二人だが、ある夜偶然の再会を果たす。  それから数ヶ月。結婚を目前に控えたティナレインは、隣国へと逃げる決意をした。自分のお腹に宿っていることに気付いた、大切な我が子を守るために。  けれど、名を偽り可愛い我が子の子育てをしながら懸命に生きていたティナレインと、彼女を諦めきれないセシルは、ある日運命的な再会を果たし────  生まれ育った屋敷で冷遇され続けた挙げ句、最低な成金ジジイと結婚させられそうになったヒロインが、我が子を守るために全てを捨てて新しい人生を切り拓いていこうと奮闘する物語です。 ※いつもの完全オリジナルファンタジー世界の物語です。全てがファンタジーです。 ※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

処理中です...