ふたつ名の令嬢と龍の託宣【第二部公爵夫人編開始】

古堂 素央

文字の大きさ
上 下
137 / 528
第1章 ふたつ名の令嬢と龍の託宣

しおりを挟む
 そのことをエラが話すと、マテアスは足を止めて少し考えるそぶりを見せた。

「ではエラ様」
 おもむろにマテアスはエラの手を取った。

「エデラー男爵様が爵位を返上されましたら、すぐさまわたしにご報告いただけますか? もちろん、リーゼロッテ様の次、二番目でかまいません。そのときは敬称を取ってお呼びすることをお約束いたします」

 静かな口調に変化はなかったが、マテアスの真っ直ぐな瞳になぜかエラは一歩後退した。その分マテアスも一歩詰めてくる。

「よろしいですか? 約束ですよ? リーゼロッテ様の次、二番目に、必ず、わたしに、ご報告くださいね?」

 一歩また一歩と詰められて、気づくとエラは廊下の壁まで後退していた。目の前にはエラの手を取り笑みを崩さないマテアスがいる。つり目の細目で困り眉の頼りなさげな顔をしている男は、その青い瞳にどこか有無を言わせない雰囲気をまとわせていた。

「わかりました。お約束します」

 マテアスは公爵の片腕として領地経営の重要な仕事をになっているらしい。きっとできる男なのだ。機嫌をそこねるのは得策ではない。

 エラはいずれ公爵の妻となるリーゼロッテの侍女だ。今はダーミッシュ伯爵に雇われているが、リーゼロッテが嫁げば自分も公爵家に仕えることになるだろう。その侍女が貴族か平民かで今後の雇用条件がかわるのかもしれない。

 父が爵位を返還するのがどのタイミングかはまだわからないが、きっとマテアスはそういったことを心配しているのだろう。青い瞳を見つめながら、エラはこくこくと頷いてマテアスに了承の意を示した。

 その反応に満足したのか、マテアスはエラの手を離した。

「では参りましょうか」

 何事もなかったようにマテアスは再び歩きだした。時折すれ違う使用人たちに腰を折られて、エラはやはり恐縮してしまう。結局は自分が好かれる理由はよくわからないままだ。人生最大のモテ期到来に、戸惑いを隠せないエラであった。

 公爵家に用意されたリーゼロッテの部屋の前まで来ると、マテアスは扉のちょっと手前で立ち止まった。手で歩みを制するようにされたので、エラもその後ろで足を止めた。

 マテアスの目の前には、甲冑を身に着けた大男がいた。その男は扉に額を押し付けるようにして仁王立ちしている。

「ああ、カークはどこにいても邪魔ですねぇ。エラ様、申し訳ありませんが、部屋に戻る前に少しお時間をいただいてもよろしいですか?」

 前半の言葉を独り言のように言った後、マテアスはエラを振り返った。

「はい、もちろんです」

 戻る前に何か話があるのだと思い、エラは神妙に頷いた。しかしマテアスはにっこりと笑みを返すと、扉の方へと向き直った。

「さて。害はないとはいえ、このままエラ様にお通り頂くのも気が引けますしねぇ。ちょっと手荒ですが、そこはそれ、致し方なしということで」

 マテアスは扉の脇によると、人差し指を立ててくるくると何度か動かした。

「せっかく意固地をやめたんですから、遠慮と言うものを憶えましょうねっ」

 その言葉と共にくるくるしていた指先を、仁王立ちしている男の肩へとちょんと触れさせる。男がピクリと反応した次の瞬間、男は壁伝いに廊下の先へと吹っ飛んでいった。

「おお、よく飛びました。不動のカークの名が聞いて呆れますねぇ」

 男が吹き飛んだ先をみやってから、マテアスはゆっくりとエラを振り返った。

「エラ様、お待たせしました。リーゼロッテ様はもうお戻りになられていますよ」

 そう言いながら部屋をノックする。「では、わたしはこれで」とマテアスは笑顔を残して去っていこうとした。

「あの、マテアス」
「はい、なんでしょう? エラ様」
「何かわたしに言いたいことがあったのでは?」

 エラの問いにマテアスが笑顔のまましばらく動きを止めた。

「あの、さきほど時間が欲しいと……」
「ああ、申し訳ありません。扉の前に羽虫がいたので、排除したまでです。お気遣いいただきありがとうございます」

 そう言うとマテアスはエラの手を取り、恭しく腰を折った。

「ですから、わたしにそういうことはしないでほしいと」

 エラが手を引きながら一歩下がろうとすると、マテアスはやんわりとその手に力をいれた。

「エラ様は大切なお客様ですから、公爵家としましては最大限のおもてなしをするのは当然の事です」

「大変恐縮ですが、お気持ちだけで結構です。わたしはお嬢様の侍女としてこちらに参りました。できればわたしに付けていただいた侍女も、リーゼロッテお嬢様付きということにしてもらえませんか?」

「それはいたしかねますねぇ。彼女はエラ様の侍女として雇われた者と、ご納得いただけたと思っておりましたが。もし、彼女が気に入らないのであれば、他の者にお替えいたしましょうか?」

「いいえ、彼女はよくやってくれています。そういうことではなくて、わたしではなくお嬢様の侍女のひとりとして働いてもらえたらと」

「エラ様」
 マテアスは静かな笑みをエラに向けた。

「エラ様の侍女としての矜持きょうじはご立派です。ですが、こう考えてみてはいかがでしょう? エラ様が侍女に身の回りの世話をさせることによって、世話をされる側の気持ちを体験できます。する側とされる側では、見える景色もまた違うでしょう。される側の立場から、ここをもっと改善してほしいと感じることなど出てくるかと思います。そうすれば侍女として、新たな気づきも得られるかと」

 すべては、リーゼロッテ様のために。マテアスが最後にそう付け加えると、エラは鳶色の瞳をこぼれんばかりに見開いた。

「リーゼロッテお嬢様のために……」

 エラがつぶやくように言うと、マテアスはゆっくりと頷いた。

 エラの行動のほとんど全てはリーゼロッテが中心となっている。エラはリーゼロッテからお礼を言われたことはあっても、不平不満を言われたことはない。やさしいお嬢様の事だから、エラに直してほしいことがあっても遠慮して言わないだけかもしれないのだ。

 しかし、自分がお嬢様の立場を体験することで、よりリーゼロッテのためになることができるようになるかもしれない。

「では、エラ様付きの侍女は、そのまま継続でよろしいですね?」

 マテアスにうまく丸め込まれたエラは、侍女の世話を受け入れるべくあっさりとこくりと頷いた。
しおりを挟む
※小説家になろうグループムーンライトノベルズにて【R18】ふたつ名の令嬢と龍の託宣 不定期投稿中☆
 第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣 スタートました♡
※アルファポリス版は第1部令嬢編として一度完結としましたが、ムーンでは第6章を継続投稿中です。
 こちらはR18ですので、18歳以上(高校生不可)の方のみ閲覧できます。
感想 2

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】愛してるなんて言うから

空原海
恋愛
「メアリー、俺はこの婚約を破棄したい」  婚約が決まって、三年が経とうかという頃に切り出された婚約破棄。  婚約の理由は、アラン様のお父様とわたしのお母様が、昔恋人同士だったから。 ――なんだそれ。ふざけてんのか。  わたし達は婚約解消を前提とした婚約を、互いに了承し合った。 第1部が恋物語。 第2部は裏事情の暴露大会。親世代の愛憎確執バトル、スタートッ! ※ 一話のみ挿絵があります。サブタイトルに(※挿絵あり)と表記しております。  苦手な方、ごめんなさい。挿絵の箇所は、するーっと流してくださると幸いです。

危害を加えられたので予定よりも早く婚約を白紙撤回できました

しゃーりん
恋愛
階段から突き落とされて、目が覚めるといろんな記憶を失っていたアンジェリーナ。 自分のことも誰のことも覚えていない。 王太子殿下の婚約者であったことも忘れ、結婚式は来年なのに殿下には恋人がいるという。 聞くところによると、婚約は白紙撤回が前提だった。 なぜアンジェリーナが危害を加えられたのかはわからないが、それにより予定よりも早く婚約を白紙撤回することになったというお話です。

【完】夫から冷遇される伯爵夫人でしたが、身分を隠して踊り子として夜働いていたら、その夫に見初められました。

112
恋愛
伯爵家同士の結婚、申し分ない筈だった。 エッジワーズ家の娘、エリシアは踊り子の娘だったが為に嫁ぎ先の夫に冷遇され、虐げられ、屋敷を追い出される。 庭の片隅、掘っ立て小屋で生活していたエリシアは、街で祝祭が開かれることを耳にする。どうせ誰からも顧みられないからと、こっそり抜け出して街へ向かう。すると街の中心部で民衆が音楽に合わせて踊っていた。その輪の中にエリシアも入り一緒になって踊っていると──

【完結済】隣国でひっそりと子育てしている私のことを、執着心むき出しの初恋が追いかけてきます

鳴宮野々花@書籍2冊発売中
恋愛
 一夜の過ちだなんて思いたくない。私にとって彼とのあの夜は、人生で唯一の、最良の思い出なのだから。彼のおかげで、この子に会えた────  私、この子と生きていきますっ!!  シアーズ男爵家の末娘ティナレインは、男爵が隣国出身のメイドに手をつけてできた娘だった。ティナレインは隣国の一部の者が持つ魔力(治癒術)を微力ながら持っており、そのため男爵夫人に一層疎まれ、男爵家後継ぎの兄と、世渡り上手で気の強い姉の下で、影薄く過ごしていた。  幼いティナレインは、優しい侯爵家の子息セシルと親しくなっていくが、息子がティナレインに入れ込みすぎていることを嫌う侯爵夫人は、シアーズ男爵夫人に苦言を呈す。侯爵夫人の機嫌を損ねることが怖い義母から強く叱られ、ティナレインはセシルとの接触を禁止されてしまう。  時を経て、貴族学園で再会する二人。忘れられなかったティナへの想いが燃え上がるセシルは猛アタックするが、ティナは自分の想いを封じ込めるように、セシルを避ける。  やがてティナレインは、とある商会の成金経営者と婚約させられることとなり、学園を中退。想い合いながらも会うことすら叶わなくなった二人だが、ある夜偶然の再会を果たす。  それから数ヶ月。結婚を目前に控えたティナレインは、隣国へと逃げる決意をした。自分のお腹に宿っていることに気付いた、大切な我が子を守るために。  けれど、名を偽り可愛い我が子の子育てをしながら懸命に生きていたティナレインと、彼女を諦めきれないセシルは、ある日運命的な再会を果たし────  生まれ育った屋敷で冷遇され続けた挙げ句、最低な成金ジジイと結婚させられそうになったヒロインが、我が子を守るために全てを捨てて新しい人生を切り拓いていこうと奮闘する物語です。 ※いつもの完全オリジナルファンタジー世界の物語です。全てがファンタジーです。 ※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

なにをおっしゃいますやら

基本二度寝
恋愛
本日、五年通った学び舎を卒業する。 エリクシア侯爵令嬢は、己をエスコートする男を見上げた。 微笑んで見せれば、男は目線を逸らす。 エブリシアは苦笑した。 今日までなのだから。 今日、エブリシアは婚約解消する事が決まっているのだから。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

その眼差しは凍てつく刃*冷たい婚約者にウンザリしてます*

音爽(ネソウ)
恋愛
義妹に優しく、婚約者の令嬢には極寒対応。 塩対応より下があるなんて……。 この婚約は間違っている? *2021年7月完結

処理中です...