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第1章 ふたつ名の令嬢と龍の託宣
第24話 不動のカーク
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「エラ様、この部分はどうやるのですか?」
「ああ、これはステッチが少々複雑で、ここからこちらへこうしてこうやると……」
「なるほど! エラ様、さすがです!」
「エラ様! こちらも見てください!」
「ああ、よくできています。この図柄を短期間でマスターできるなんて呑み込みがはやくてすごいですね」
「いいえ、すごいのはエラ様ですわ! エラ様の指導がお上手なのです!」
「わたしのこれはどうですか? あまり自信がなくって」
「ああ、ここはこうしてこうしたほうが。でもここはとてもきれいにできていますね」
「きゃあ、エラ様に褒められちゃった!」
エラは公爵家の一室で、使用人の少女たち数人に囲まれていた。エラの刺繍の腕前を聞きつけた公爵家の侍女長に、指導をしてほしいと頼まれたのだ。
エラはお付きの侍女としてリーゼロッテと共に公爵家に赴いたわけだが、自分の待遇に少々困惑していた。
リーゼロッテは伯爵家の令嬢だ。公爵の婚約者であるから、その扱いがそれ相応なのは当然のことである。
しかし、自分は一介の侍女だ。にもかかわらず、リーゼロッテほどではないものの、公爵家の使用人にかしずかれきちんとした客人扱いをされている。
公爵家でエラ専用の侍女まで用意されていた。侍女に侍女をつけてどうするのだ。エラは必死に断ったが、エラが受け入れないとその者の職が失われると言われては受け入れざるを得なかった。
自分が歩いていると使用人が道を譲り、通り過ぎるまで頭を下げられる。慣れないのでやめてほしいと訴えても、その対応は一向に変わる様子はない。
エラの主人はリーゼロッテだが、雇い主はダーミッシュ伯爵だ。
今回の公爵家滞在はリーゼロッテの花嫁修業も兼ねているため、エラとふたりばかりで過ごすのは避けるようにとダーミッシュ伯爵に言われている。叶うことならエラはリーゼロッテのそばにずっと控えていたいのだが、リーゼロッテが公爵家に馴染めるよう別行動をとることも多かった。
もちろんリーゼロッテの朝の身支度や夜の着替え・湯あみの世話などは、誰にも譲る気はないが、自分もいずれリーゼロッテの輿入れで公爵家へとついていくことを考えると、今から人脈作りに励むのはやぶさかではなかった。
この刺繍教室もその一環だった。公爵家のお針子担当の少女たちに刺繍を教えるのは思いのほか楽しかったし、その他の使用人たちもこちらが恐縮するくらい親切にしてくれる。
正直言って拍子抜けだ。公爵家でリーゼロッテが辛い目にあわないよう意気込んでついてきたのだが、エラはまるで客人扱いをうけている。
王城でそうだったように、嫌味の一つも言ってくる人物はどこにでもいるものだが、公爵家ではまったくの杞憂のことだった。
急な王城滞在の時は、滞在初日から王城の厨房にかけあってリーゼロッテのためにクッキーを焼いてもらうために苦労したのだ。結局は公爵のとりなしで事なきを得たが、それなりの人脈を作るには紆余曲折があってものすごく苦労をした。もちろんリーゼロッテにはそんなことは何も知らせてはいない。
公爵家でもその手の手合いは必ずいるだろうと覚悟していたのだが、そんな様子はまったくみられなかった。
それどころかみなに好かれ、慕われ、なぜだか公爵家の使用人の間で、争奪戦みたいなことまで起こっている。リーゼロッテではない。みながエラをとりあっているのだ。
「エラ様、こちらを」「いいえ、エラ様わたしの方を」「ダメです、ぜひともコレを」
慕われるのは悪い気はしないが、エラ様、エラ様、エラ様と公爵家のみなが持ち上げてくるので、エラにしてみれば恐ろしく身の置き場がない。しかもそれは刺繍を教えている少女たちだけではなかった。
厨房でも庭先でも廊下でもどこでも、老若男女問わず公爵家の者たちがエラに似たような対応を示すのだ。
(愛らしいお嬢様ならともかく、なぜわたしがこんなことに……)
リーゼロッテのためにいい関係を築こうと、エラはたじたじになりながらも、ひとりひとり丁寧に対応していくしかなかった。
刺繍教室と言う名のエラ争奪杯に熱が入っている最中、ノックと共にマテアスが顔を出した。
「エラ様。リーゼロッテ様のご用事がお済になる頃ですので、お迎えに上がりました」
救世主の登場にエラはほっとため息をついた。自分を慕ってくれる少女たちはかわいいが、限度と言うものがある。かといってむげにも扱えず、ほとほと困っていた頃だった。
「はいはい、みなさん、今日はもう終いですよ」
「ええ、もう少しエラ様と一緒にいたいですぅ」
「あまりエラ様を困らせるようですと、この刺繍の会もなしにしますよ」
「ええぇ、マテアス性格悪いぃ」
そーよそーよと一斉に少女たちが口を開く。先ほどまでエラをとりあっていたくせに、見事な連係プレーである。
「あの、来週もきちんとお教えしますので……」
エラがとりなすように言うと、少女たちは潤んだ瞳をエラに向けた。
「「「エラ様ありがとうございます、大好きですぅ!!」」」
息のあった声で返された。
「では、部屋までお送りいたしますね」
マテアスがエラの手を取り部屋を後にする。出ていくふたりを少女たちはうらみがましそうに見送った。
ぱたんと扉が閉じると、ひとりの少女がぽつりと言った。
「マテアス、絶対職権乱用だよね」
「ホントずるい! でも、エラ様って一緒にいるとすっごい安らぐわぁ」
「ああ、うちの兄さんのお嫁さんになってくれないかなぁ」
「やだ、あんたんとこにやるくらいなら、わたしがもらうわ」
「だめよ、みんなのエラ様よ!」
そんな似たようなやりとりが、公爵家のそこかしこで繰り広げられていることをエラは知る由もなかった。
「ああ、これはステッチが少々複雑で、ここからこちらへこうしてこうやると……」
「なるほど! エラ様、さすがです!」
「エラ様! こちらも見てください!」
「ああ、よくできています。この図柄を短期間でマスターできるなんて呑み込みがはやくてすごいですね」
「いいえ、すごいのはエラ様ですわ! エラ様の指導がお上手なのです!」
「わたしのこれはどうですか? あまり自信がなくって」
「ああ、ここはこうしてこうしたほうが。でもここはとてもきれいにできていますね」
「きゃあ、エラ様に褒められちゃった!」
エラは公爵家の一室で、使用人の少女たち数人に囲まれていた。エラの刺繍の腕前を聞きつけた公爵家の侍女長に、指導をしてほしいと頼まれたのだ。
エラはお付きの侍女としてリーゼロッテと共に公爵家に赴いたわけだが、自分の待遇に少々困惑していた。
リーゼロッテは伯爵家の令嬢だ。公爵の婚約者であるから、その扱いがそれ相応なのは当然のことである。
しかし、自分は一介の侍女だ。にもかかわらず、リーゼロッテほどではないものの、公爵家の使用人にかしずかれきちんとした客人扱いをされている。
公爵家でエラ専用の侍女まで用意されていた。侍女に侍女をつけてどうするのだ。エラは必死に断ったが、エラが受け入れないとその者の職が失われると言われては受け入れざるを得なかった。
自分が歩いていると使用人が道を譲り、通り過ぎるまで頭を下げられる。慣れないのでやめてほしいと訴えても、その対応は一向に変わる様子はない。
エラの主人はリーゼロッテだが、雇い主はダーミッシュ伯爵だ。
今回の公爵家滞在はリーゼロッテの花嫁修業も兼ねているため、エラとふたりばかりで過ごすのは避けるようにとダーミッシュ伯爵に言われている。叶うことならエラはリーゼロッテのそばにずっと控えていたいのだが、リーゼロッテが公爵家に馴染めるよう別行動をとることも多かった。
もちろんリーゼロッテの朝の身支度や夜の着替え・湯あみの世話などは、誰にも譲る気はないが、自分もいずれリーゼロッテの輿入れで公爵家へとついていくことを考えると、今から人脈作りに励むのはやぶさかではなかった。
この刺繍教室もその一環だった。公爵家のお針子担当の少女たちに刺繍を教えるのは思いのほか楽しかったし、その他の使用人たちもこちらが恐縮するくらい親切にしてくれる。
正直言って拍子抜けだ。公爵家でリーゼロッテが辛い目にあわないよう意気込んでついてきたのだが、エラはまるで客人扱いをうけている。
王城でそうだったように、嫌味の一つも言ってくる人物はどこにでもいるものだが、公爵家ではまったくの杞憂のことだった。
急な王城滞在の時は、滞在初日から王城の厨房にかけあってリーゼロッテのためにクッキーを焼いてもらうために苦労したのだ。結局は公爵のとりなしで事なきを得たが、それなりの人脈を作るには紆余曲折があってものすごく苦労をした。もちろんリーゼロッテにはそんなことは何も知らせてはいない。
公爵家でもその手の手合いは必ずいるだろうと覚悟していたのだが、そんな様子はまったくみられなかった。
それどころかみなに好かれ、慕われ、なぜだか公爵家の使用人の間で、争奪戦みたいなことまで起こっている。リーゼロッテではない。みながエラをとりあっているのだ。
「エラ様、こちらを」「いいえ、エラ様わたしの方を」「ダメです、ぜひともコレを」
慕われるのは悪い気はしないが、エラ様、エラ様、エラ様と公爵家のみなが持ち上げてくるので、エラにしてみれば恐ろしく身の置き場がない。しかもそれは刺繍を教えている少女たちだけではなかった。
厨房でも庭先でも廊下でもどこでも、老若男女問わず公爵家の者たちがエラに似たような対応を示すのだ。
(愛らしいお嬢様ならともかく、なぜわたしがこんなことに……)
リーゼロッテのためにいい関係を築こうと、エラはたじたじになりながらも、ひとりひとり丁寧に対応していくしかなかった。
刺繍教室と言う名のエラ争奪杯に熱が入っている最中、ノックと共にマテアスが顔を出した。
「エラ様。リーゼロッテ様のご用事がお済になる頃ですので、お迎えに上がりました」
救世主の登場にエラはほっとため息をついた。自分を慕ってくれる少女たちはかわいいが、限度と言うものがある。かといってむげにも扱えず、ほとほと困っていた頃だった。
「はいはい、みなさん、今日はもう終いですよ」
「ええ、もう少しエラ様と一緒にいたいですぅ」
「あまりエラ様を困らせるようですと、この刺繍の会もなしにしますよ」
「ええぇ、マテアス性格悪いぃ」
そーよそーよと一斉に少女たちが口を開く。先ほどまでエラをとりあっていたくせに、見事な連係プレーである。
「あの、来週もきちんとお教えしますので……」
エラがとりなすように言うと、少女たちは潤んだ瞳をエラに向けた。
「「「エラ様ありがとうございます、大好きですぅ!!」」」
息のあった声で返された。
「では、部屋までお送りいたしますね」
マテアスがエラの手を取り部屋を後にする。出ていくふたりを少女たちはうらみがましそうに見送った。
ぱたんと扉が閉じると、ひとりの少女がぽつりと言った。
「マテアス、絶対職権乱用だよね」
「ホントずるい! でも、エラ様って一緒にいるとすっごい安らぐわぁ」
「ああ、うちの兄さんのお嫁さんになってくれないかなぁ」
「やだ、あんたんとこにやるくらいなら、わたしがもらうわ」
「だめよ、みんなのエラ様よ!」
そんな似たようなやりとりが、公爵家のそこかしこで繰り広げられていることをエラは知る由もなかった。
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