131 / 523
第1章 ふたつ名の令嬢と龍の託宣
3
しおりを挟む
◇
フーゲンベルク公爵家の屋敷は武骨な石造りとなっていて、屋敷と言うより城と言った方がしっくりくる。王城と規模は比べ物にはならないが、公爵家の屋敷は長い歴史を感じさせた。
その屋敷のエントランスホールへとリーゼロッテたちは足を進めていた。裏庭から細い廊下へ入り、ホールを目指す。
エントランスに辿りつくと、ジークヴァルトはちょうど戻ってきたところのようだった。こちらに背を向け、公爵家家令のエッカルトと何か話をしている。エッカルトは白髪交じりの好々爺といった感じの人物で、細い目がやさしい印象のおじいちゃんである。
「ジークヴァルト様、お帰りなさいませ」
きりのよさそうな所を見計らって、リーゼロッテは遠慮がちに声をかけた。
「ああ」
振り向くとジークヴァルトは、無表情のままリーゼロッテの頭に手を乗せた。
公爵家に来てからも、ジークヴァルトの子供扱いは相変わらずだ。恥ずかしいと思いつつ、リーゼロッテは素直にその手を受け入れている。
十五の誕生日を迎えてからリーゼロッテは気がついたからだ。ジークヴァルトはこうして触れながら、いつも力の流れを確認しているということに。
リーゼロッテは十五歳になってから、昼夜関係なく力を引き出せるようになった。
守り石がなくても異形の者が見えるようになったし、石を外して眠りについても、以前のように守護者の強烈な力が解放されることもなくなった。それに伴いへんてこな夢を見ることもあまりない。
「今日も駄々漏れてるな」
ジークヴァルトは確かめるように言うと、リーゼロッテの髪からするりと手を離し、どこからともなく取り出したクッキーをリーゼロッテの口に押し込んだ。
ふいのジークヴァルトの攻撃にリーゼロッテはまったく対応できない。詰め込まれたクッキーを、もごもごと咀嚼するのが精いっぱいだ。
(淑女のたしなみが……)
やや涙目になりながら、リーゼロッテは黙ってクッキーを飲み下した。
「問題はなかったか?」
この問いはエマニュエルに向けられたものだ。ジークヴァルトは自分の目が行き届かない場合、使用人たちに逐一リーゼロッテの行動を報告させる。
「はい、旦那さま。先ほどまでジョンのところにおいででしたが、時に危険なことはございませんでした」
エマニュエルはリーゼロッテに生温かい視線を送ったあと、ジークヴァルトに向き直った。
(のび〇君を見るドラ〇もんのような目で見ないでほしい……)
公爵家に来てからと言うものの、屋敷中の者たちはこんな感じの視線をビシバシ送ってくる。先ほどから、家令のエッカルトも何とも言えない慈愛の表情で、ジークヴァルトとリーゼロッテのやりとりを見守っている。
リーゼロッテはそれがどうしようもなくいたたまれなかった。
「ですが今日のジョンは、リーゼロッテ様のお言葉に少し笑顔になっていましたわ」
そのエマニュエルの言葉を聞くと、ジークヴァルトはわずかだがピクリと眉を動かした。
「そうか」
それ以上の反応は見せず、ジークヴァルトは再びリーゼロッテの頭に手を乗せた。するりと髪をなでていく。
「執務室で待っていろ。今日も特訓だ」
「はい、ヴァルト様」
ジークヴァルトは最後にひとなですると、リーゼロッテの髪をひと房さらいながら手を離した。それを気にするふうでもなく、リーゼロッテは去っていくジークヴァルトに淑女の礼で見送った。
「では、先に旦那様の執務室に参りましょうか」
エマニュエルがリーゼロッテを促した。
ジークヴァルトを幼少期から知るエマニュエルは、リーゼロッテがやってきてからの彼の行動の数々にも、内心目を見張っていた。
屋敷の者たち全員が思っていることだろうが、最近のジークヴァルトは、これは一体誰だ?レベルである。しかもレベルマックスだ。
(龍の託宣とは恐ろしいものね)
本人の意思など関係ない。龍に決められた者たちは、お互いを求めずにはいられないという。それはもう呪縛のように。先代公爵の妻への執着も目が当てられないほどだった。
エマニュエルはリーゼロッテを伺い見た。
(龍が選びし清廉な気を纏う者……)
惹かれ合うのは本人の意思とは関係なく、大きな力によるものだとしても。
(だとしても構わない。あの方の心が救われるというのなら――)
「リーゼロッテ様。これからも旦那様のこと、よろしくお願いいたします」
エマニュエルの突然の言葉に、リーゼロッテは少し驚いたように振り向いた。
「……ええ、もちろんですわ」
ふわりと浮かんだ淑女の笑みには、どう見ても苦笑いが含まれている。託宣の相手同士は、どうも男の方が思いの比重が大きいらしい。
(旦那様、もっと頑張りなさいませ)
エマニュエルの心の声は公爵家使用人たちの総意だった。
リーゼロッテがやってきてからというもの、残念な朴念仁に仕上がってしまった主人のために、公爵家の者たちはみな浮足立ちまくっているのであった。
フーゲンベルク公爵家の屋敷は武骨な石造りとなっていて、屋敷と言うより城と言った方がしっくりくる。王城と規模は比べ物にはならないが、公爵家の屋敷は長い歴史を感じさせた。
その屋敷のエントランスホールへとリーゼロッテたちは足を進めていた。裏庭から細い廊下へ入り、ホールを目指す。
エントランスに辿りつくと、ジークヴァルトはちょうど戻ってきたところのようだった。こちらに背を向け、公爵家家令のエッカルトと何か話をしている。エッカルトは白髪交じりの好々爺といった感じの人物で、細い目がやさしい印象のおじいちゃんである。
「ジークヴァルト様、お帰りなさいませ」
きりのよさそうな所を見計らって、リーゼロッテは遠慮がちに声をかけた。
「ああ」
振り向くとジークヴァルトは、無表情のままリーゼロッテの頭に手を乗せた。
公爵家に来てからも、ジークヴァルトの子供扱いは相変わらずだ。恥ずかしいと思いつつ、リーゼロッテは素直にその手を受け入れている。
十五の誕生日を迎えてからリーゼロッテは気がついたからだ。ジークヴァルトはこうして触れながら、いつも力の流れを確認しているということに。
リーゼロッテは十五歳になってから、昼夜関係なく力を引き出せるようになった。
守り石がなくても異形の者が見えるようになったし、石を外して眠りについても、以前のように守護者の強烈な力が解放されることもなくなった。それに伴いへんてこな夢を見ることもあまりない。
「今日も駄々漏れてるな」
ジークヴァルトは確かめるように言うと、リーゼロッテの髪からするりと手を離し、どこからともなく取り出したクッキーをリーゼロッテの口に押し込んだ。
ふいのジークヴァルトの攻撃にリーゼロッテはまったく対応できない。詰め込まれたクッキーを、もごもごと咀嚼するのが精いっぱいだ。
(淑女のたしなみが……)
やや涙目になりながら、リーゼロッテは黙ってクッキーを飲み下した。
「問題はなかったか?」
この問いはエマニュエルに向けられたものだ。ジークヴァルトは自分の目が行き届かない場合、使用人たちに逐一リーゼロッテの行動を報告させる。
「はい、旦那さま。先ほどまでジョンのところにおいででしたが、時に危険なことはございませんでした」
エマニュエルはリーゼロッテに生温かい視線を送ったあと、ジークヴァルトに向き直った。
(のび〇君を見るドラ〇もんのような目で見ないでほしい……)
公爵家に来てからと言うものの、屋敷中の者たちはこんな感じの視線をビシバシ送ってくる。先ほどから、家令のエッカルトも何とも言えない慈愛の表情で、ジークヴァルトとリーゼロッテのやりとりを見守っている。
リーゼロッテはそれがどうしようもなくいたたまれなかった。
「ですが今日のジョンは、リーゼロッテ様のお言葉に少し笑顔になっていましたわ」
そのエマニュエルの言葉を聞くと、ジークヴァルトはわずかだがピクリと眉を動かした。
「そうか」
それ以上の反応は見せず、ジークヴァルトは再びリーゼロッテの頭に手を乗せた。するりと髪をなでていく。
「執務室で待っていろ。今日も特訓だ」
「はい、ヴァルト様」
ジークヴァルトは最後にひとなですると、リーゼロッテの髪をひと房さらいながら手を離した。それを気にするふうでもなく、リーゼロッテは去っていくジークヴァルトに淑女の礼で見送った。
「では、先に旦那様の執務室に参りましょうか」
エマニュエルがリーゼロッテを促した。
ジークヴァルトを幼少期から知るエマニュエルは、リーゼロッテがやってきてからの彼の行動の数々にも、内心目を見張っていた。
屋敷の者たち全員が思っていることだろうが、最近のジークヴァルトは、これは一体誰だ?レベルである。しかもレベルマックスだ。
(龍の託宣とは恐ろしいものね)
本人の意思など関係ない。龍に決められた者たちは、お互いを求めずにはいられないという。それはもう呪縛のように。先代公爵の妻への執着も目が当てられないほどだった。
エマニュエルはリーゼロッテを伺い見た。
(龍が選びし清廉な気を纏う者……)
惹かれ合うのは本人の意思とは関係なく、大きな力によるものだとしても。
(だとしても構わない。あの方の心が救われるというのなら――)
「リーゼロッテ様。これからも旦那様のこと、よろしくお願いいたします」
エマニュエルの突然の言葉に、リーゼロッテは少し驚いたように振り向いた。
「……ええ、もちろんですわ」
ふわりと浮かんだ淑女の笑みには、どう見ても苦笑いが含まれている。託宣の相手同士は、どうも男の方が思いの比重が大きいらしい。
(旦那様、もっと頑張りなさいませ)
エマニュエルの心の声は公爵家使用人たちの総意だった。
リーゼロッテがやってきてからというもの、残念な朴念仁に仕上がってしまった主人のために、公爵家の者たちはみな浮足立ちまくっているのであった。
0
お気に入りに追加
268
あなたにおすすめの小説
「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。
あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。
「君の為の時間は取れない」と。
それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。
そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。
旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。
あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。
そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。
※35〜37話くらいで終わります。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
探さないでください。旦那様は私がお嫌いでしょう?
雪塚 ゆず
恋愛
結婚してから早一年。
最強の魔術師と呼ばれる旦那様と結婚しましたが、まったく私を愛してくれません。
ある日、女性とのやりとりであろう手紙まで見つけてしまいました。
もう限界です。
探さないでください、と書いて、私は家を飛び出しました。
年下の彼氏には同い年の女性の方がお似合いなので、別れ話をしようと思います!
ほったげな
恋愛
私には年下の彼氏がいる。その彼氏が同い年くらいの女性と街を歩いていた。同じくらいの年の女性の方が彼には似合う。だから、私は彼に別れ話をしようと思う。
王太子殿下の想い人が騎士団長だと知った私は、張り切って王太子殿下と婚約することにしました!
奏音 美都
恋愛
ソリティア男爵令嬢である私、イリアは舞踏会場を離れてバルコニーで涼んでいると、そこに王太子殿下の逢引き現場を目撃してしまいました。
そのお相手は……ロワール騎士団長様でした。
あぁ、なんてことでしょう……
こんな、こんなのって……尊すぎますわ!!
片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜
橘しづき
恋愛
姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。
私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。
だが当日、姉は結婚式に来なかった。 パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。
「私が……蒼一さんと結婚します」
姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。
【完結】大好きな幼馴染には愛している人がいるようです。だからわたしは頑張って仕事に生きようと思います。
たろ
恋愛
幼馴染のロード。
学校を卒業してロードは村から街へ。
街の警備隊の騎士になり、気がつけば人気者に。
ダリアは大好きなロードの近くにいたくて街に出て子爵家のメイドとして働き出した。
なかなか会うことはなくても同じ街にいるだけでも幸せだと思っていた。いつかは終わらせないといけない片思い。
ロードが恋人を作るまで、夢を見ていようと思っていたのに……何故か自分がロードの恋人になってしまった。
それも女避けのための(仮)の恋人に。
そしてとうとうロードには愛する女性が現れた。
ダリアは、静かに身を引く決意をして………
★ 短編から長編に変更させていただきます。
すみません。いつものように話が長くなってしまいました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる