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第1章 ふたつ名の令嬢と龍の託宣

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     ◇
 フーゲンベルク公爵家の屋敷は武骨な石造りとなっていて、屋敷と言うより城と言った方がしっくりくる。王城と規模は比べ物にはならないが、公爵家の屋敷は長い歴史を感じさせた。

 その屋敷のエントランスホールへとリーゼロッテたちは足を進めていた。裏庭から細い廊下へ入り、ホールを目指す。

 エントランスに辿りつくと、ジークヴァルトはちょうど戻ってきたところのようだった。こちらに背を向け、公爵家家令のエッカルトと何か話をしている。エッカルトは白髪交じりの好々爺といった感じの人物で、細い目がやさしい印象のおじいちゃんである。

「ジークヴァルト様、お帰りなさいませ」
 きりのよさそうな所を見計らって、リーゼロッテは遠慮がちに声をかけた。

「ああ」
 振り向くとジークヴァルトは、無表情のままリーゼロッテの頭に手を乗せた。

 公爵家に来てからも、ジークヴァルトの子供扱いは相変わらずだ。恥ずかしいと思いつつ、リーゼロッテは素直にその手を受け入れている。
 十五の誕生日を迎えてからリーゼロッテは気がついたからだ。ジークヴァルトはこうして触れながら、いつも力の流れを確認しているということに。

 リーゼロッテは十五歳になってから、昼夜関係なく力を引き出せるようになった。
 守り石がなくても異形の者が見えるようになったし、石を外して眠りについても、以前のように守護者の強烈な力が解放されることもなくなった。それに伴いへんてこな夢を見ることもあまりない。

「今日も駄々漏だだもれてるな」

 ジークヴァルトは確かめるように言うと、リーゼロッテの髪からするりと手を離し、どこからともなく取り出したクッキーをリーゼロッテの口に押し込んだ。

 ふいのジークヴァルトの攻撃にリーゼロッテはまったく対応できない。詰め込まれたクッキーを、もごもごと咀嚼するのが精いっぱいだ。

(淑女のたしなみが……)

 やや涙目になりながら、リーゼロッテは黙ってクッキーを飲み下した。

「問題はなかったか?」

 この問いはエマニュエルに向けられたものだ。ジークヴァルトは自分の目が行き届かない場合、使用人たちに逐一リーゼロッテの行動を報告させる。

「はい、旦那さま。先ほどまでジョンのところにおいででしたが、時に危険なことはございませんでした」

 エマニュエルはリーゼロッテに生温かい視線を送ったあと、ジークヴァルトに向き直った。

(のび〇君を見るドラ〇もんのような目で見ないでほしい……)

 公爵家に来てからと言うものの、屋敷中の者たちはこんな感じの視線をビシバシ送ってくる。先ほどから、家令のエッカルトも何とも言えない慈愛の表情で、ジークヴァルトとリーゼロッテのやりとりを見守っている。
 リーゼロッテはそれがどうしようもなくいたたまれなかった。

「ですが今日のジョンは、リーゼロッテ様のお言葉に少し笑顔になっていましたわ」

 そのエマニュエルの言葉を聞くと、ジークヴァルトはわずかだがピクリと眉を動かした。

「そうか」

 それ以上の反応は見せず、ジークヴァルトは再びリーゼロッテの頭に手を乗せた。するりと髪をなでていく。

「執務室で待っていろ。今日も特訓だ」
「はい、ヴァルト様」

 ジークヴァルトは最後にひとなですると、リーゼロッテの髪をひと房さらいながら手を離した。それを気にするふうでもなく、リーゼロッテは去っていくジークヴァルトに淑女の礼で見送った。

「では、先に旦那様の執務室に参りましょうか」
 エマニュエルがリーゼロッテを促した。

 ジークヴァルトを幼少期から知るエマニュエルは、リーゼロッテがやってきてからの彼の行動の数々にも、内心目を見張っていた。
 屋敷の者たち全員が思っていることだろうが、最近のジークヴァルトは、これは一体誰だ?レベルである。しかもレベルマックスだ。

(龍の託宣とは恐ろしいものね)

 本人の意思など関係ない。龍に決められた者たちは、お互いを求めずにはいられないという。それはもう呪縛のように。先代公爵の妻への執着も目が当てられないほどだった。

 エマニュエルはリーゼロッテを伺い見た。

(龍が選びし清廉せいれんな気をまとう者……)

 惹かれ合うのは本人の意思とは関係なく、大きな力によるものだとしても。

(だとしても構わない。あの方の心が救われるというのなら――)

「リーゼロッテ様。これからも旦那様のこと、よろしくお願いいたします」

 エマニュエルの突然の言葉に、リーゼロッテは少し驚いたように振り向いた。

「……ええ、もちろんですわ」

 ふわりと浮かんだ淑女の笑みには、どう見ても苦笑いが含まれている。託宣の相手同士は、どうも男の方が思いの比重が大きいらしい。

(旦那様、もっと頑張りなさいませ)

 エマニュエルの心の声は公爵家使用人たちの総意だった。
 リーゼロッテがやってきてからというもの、残念な朴念仁に仕上がってしまった主人のために、公爵家の者たちはみな浮足立ちまくっているのであった。
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