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第1章 ふたつ名の令嬢と龍の託宣

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 リーゼロッテはカイを見送ると、再び小鬼たちに向き直った。

「最後まで、あきらめませんわ」

 そう言うと、そのふっくらした口元の前で祈るようにゆるくこぶしを握り、その両手の中に力を集め始めた。

(あきらめたらそこで試合終了なのよ。安西先生もそう言ってたじゃない)
 某バスケ漫画を思い出し、リーゼロッテはその手の中に意識を集中した。

 ジークヴァルトはその姿を立ったままじっと見つめていた。

 手のひらの中の緑の光を、大事そうに集めていくリーゼロッテの口が何事かつぶやいている。そのうっすらと開かれた唇は、あまりにも無防備に見えた。

 ジークヴァルトは無意識に、その隙だらけのリーゼロッテに手を伸ばしていた。
 その手がリーゼロッテに届こうとしたとき、テーブルの上のティーカップがカタカタとふるえだし、次の瞬間ガチャンと大きな音をたてた。

 驚いてそちらをみやると、カップが真っ二つに割れている。残っていた紅茶がソーサーにこぼれてテーブルにまで溢れだしていた。

 咄嗟にジークヴァルトはリーゼロッテの頭を抱え込み、自分の胸に引き寄せた。いきなりのことにリーゼロッテは呆然と割れたカップを見つめることしかできない。

 以前の生活ならば、カップが割れるなど日常茶飯事の風景だったが、今、まさにそれと同じことが起こり、リーゼロッテは激しく動揺した。

 それだけではなかった。
 応接室の調度品も、ガタガタと音を鳴らしてふるえている。浄化を受けていた小鬼たちも、おびえたように床の上を逃げまどっていた。

(周囲の異形たちが騒いでいる)

 ジークヴァルトはリーゼロッテをその腕に抱きしめながら、あたりを警戒した。すると、ざわついていた空気は、すっと引いて何事もなかったかのように静寂を取り戻した。

「何だったのだ、今のは?」

 ジークヴァルトはそう呟いた後、腕の中のリーゼロッテをみやった。リーゼロッテは涙目でジークヴァルトを見上げると、震える声で言った。

「ヴァルト様……今のもわたくしのせいですか?」
「いや、今のはお前のせいではない。むしろ……」

 そう言ったあと、ジークヴァルトは押し黙った。
(オレは今何をしようとした?)

 リーゼロッテからその身から離すと、ジークヴァルトはそのままじっと考え込んでいた。

 リーゼロッテが応接室をみやると、飾られていた花瓶や絵画、時計など、いろんなものが床に落ちたり傾いたり、部屋の中は散々な状態になっていた。

 ジークヴァルトが合間に確認していた書類の束も床に落ちて散乱している。

(いけない、大事な書類が)

 リーゼロッテは散らばった紙を集め、テーブルの上に戻そうとした。幸い、こぼれた紅茶で濡れてしまったりはしていなかった。

 ふと一枚の書類に目が止まる。内容はちんぷんかんぷんだったが、長い文章の最後に書かれた署名を見て、リーゼロッテは目を見開いた。少しクセのあるその文字に、リーゼロッテは見覚えがあったからだ。

『S.Hugenberg』と書かれた署名の筆跡を凝視する。その筆跡はリーゼロッテが子供のころにもらった前公爵ジークフリートの手紙と同じものだった。

 ふと、昨日のエラとのやり取りが脳裏をかすめる。
 ジークフリートに贈ったと思っていたハンカチが、ジークヴァルトの手に渡っていた。なぜ、そうなったのか。その答えがこれならば、全てつじつまがあってしまう。

「あの、ジークヴァルト様」

 ギギギと油の切れたブリキのおもちゃのように、リーゼロッテはジークヴァルトを振り返った。

「なんだ?」

 訝し気に問われたリーゼロッテは、手に持った書類をジークヴァルトの前に差し出し、ぎこちなく聞き返した。

「こちらの署名は、ジークヴァルト様のもので間違いございませんか?」
「ああ、そうだが。それがなんだ?」

 それを聞いたリーゼロッテは、口をすぼめて変な表情になった。

「なんだ? すっぱいものを食べたような顔をして」
「い、いいえ、なんでもありませんわ」

 慌てたようにリーゼロッテはかぶりを振った。

(エラに、エラに確かめなくては)

 リーゼロッテは目の前の惨状もすっかり忘れて、この事実を否定してくれる誰かを求めていた。
――リーゼロッテの子供の頃の文通相手が、ジークフリートではなく、はじめからずっと、ジークヴァルトであったという事実を。
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