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第1章 ふたつ名の令嬢と龍の託宣
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◇
目の前に差し出された紅茶に、リーゼロッテは微笑んだ。
明日は王城を辞して領地に帰る日だ。この王太子用の応接室でお茶を飲むのも今日で最後かと思うと、少しさびしい気がする。王城での滞在は、結局は一カ月弱となった。
リーゼロッテがもうすぐ誕生日を迎えることもあって、領地への帰還が決められたのだが、リーゼロッテの力の制御はまだまだ不十分な状態だった。
当面は、週に一度だけ、ジークヴァルトの守り石を外して眠り、夜のうちに力の解放をすれば、リーゼロッテに負担が少ないということで落ち着いた。
(ハルト様の言うとおり、十五の誕生日を迎えれば何かが変わるかしら?)
そこは誕生日を迎えてみなければわからない。その時になってから考えればいいと、ジークヴァルトには言われている。
リーゼロッテは帰郷を前に、ジークヴァルトと共に力を制御する特訓を続けていた。そのかいあってか、最初の頃に比べてほんのわずかな力なら、ひとりでも集められるようになってきている。
最終日の今日も王太子専用の応接室のソファに座って、リーゼロッテは特訓に励んでいた。そんなリーゼロッテを監督しつつ、ジークヴァルトはその横で山のような書類仕事を片付けている。
そんな時にカイが久しぶりに顔を出して、いつもように紅茶を淹れてくれたのだった。
「明日は早く出るの?」
カイの問いかけに、いいえとリーゼロッテはかぶりを振った。
「領地まで馬車で三時間程度ですので、朝食はゆっくりといただけますわ」
「そっか。でも、なんだかさみしくなるね」
カイのその言葉に、リーゼロッテはゆっくりとカイの方へ顔を向けた。
わたくし、カイ様の淹れてくださるこの紅茶、やさしい味がして大好きですわ」
エメラルドのような瞳でカイを真っ直ぐ見つめ、リーゼロッテは淑女の笑みを向けた。カイの紅茶はまろやかな舌触りで、いつでも香しくとてもおいしかった。
疲れている時、うれしいとき、落ち込んでいる時。
カイはリーゼロッテの体調に合わせて、ミルクや砂糖が多めだったり、寛げるようにハーブを入れたり、時にはスパイスの効いた刺激的なものまで、いろんな紅茶を淹れてくれた。気遣ってもらっているのだと思うと、リーゼロッテはその気持ちにとても癒された。
カイにしてみれば、お茶を淹れることは相手の懐に入るための手段の一つに過ぎなかったが、それなりに美味しい紅茶の淹れ方を研究してきた身としては、そう言われて悪い気はしなかった。
「いつでもまた淹れてあげるよ」
ふたりはにっこりと微笑みあった。
(結局はオレも、この令嬢に毒気を抜かれているのかもな)
微笑みつつ、カイは内心で苦笑した。
「あなたたちも、最後まで浄化してあげられなくてごめんなさいね……」
リーゼロッテが目の前の小鬼たちに視線を向けた。
目の前のテーブルの縁には、三匹の小鬼たちが並んで座っていた。見た目は不細工だったが、どれもおめめがきゅるんとして愛らしく見える。
(またかわいくなってるし……)
リーゼロッテの力は理解の範疇を超えると、カイはあきれる他なかった。
小鬼たちに話しかけつつ、リーゼロッテは小さな緑色の光の粒を小鬼たちに投げて飛ばしている。小鬼たちは行儀よく順番に並んで、その粒を気持ちよさそうに受けとめていた。
そんなリーゼロッテを横目に、カイは先ほどから自分を睨みつけている主を振り返った。
「ジークヴァルト様。オレがリーゼロッテ嬢に大好きって言われたからって、そんな怖い顔しないでくださいよ」
「カイではない。紅茶がだ」
小声で言うカイに、ジークヴァルトは即答した。
「もう、男の嫉妬は醜いですよ。ご自分の婚約者なんですから、リーゼロッテ嬢の愛は自力で掴んでください」
あきれるように言うと、ジークヴァルトは言葉に詰まり、ふいとカイから視線をそらした。
(何コレ、すっげーおもしろい)
カイは意地の悪い表情になると、リーゼロッテに聞こえないように、そっとジークヴァルトに耳打ちした。
「大丈夫、イケますよ、ジークヴァルト様。いいですか? 女性はガッと抱きしめてグッと口づければイチコロです。はじめは驚いて嫌がるかもしれませんが、憎からず思っている相手には、そのまま攻めれば蕩けてふにゃふにゃになりますから」
カイの言葉に一瞬動きが止まったジークヴァルトは、そのあと無言でリーゼロッテに視線を移した。リーゼロッテは無邪気に小鬼の浄化を続けている。
(やばい、マジでおもしろすぎる)
カイは笑いだしそうなのを必死でこらえ、こんな面白い光景が見られるのは、今日で最後かと思うと心から残念に思った。
「オレ、この後行かなきゃならないところがありますから」
王妃に定期報告をする日だということを思い出して、カイは部屋から出ていこうとした。振り返り、「リーゼロッテ嬢、気をつけてね?」とにっこり言ってから扉を開けた。
リーゼロッテは明日の道中を心配してくれたのだと思い、「ありがとうございます」と返したが、カイは意味深にジークヴァルトをみやり、再びリーゼロッテに笑みを残して出て行ってしまった。
目の前に差し出された紅茶に、リーゼロッテは微笑んだ。
明日は王城を辞して領地に帰る日だ。この王太子用の応接室でお茶を飲むのも今日で最後かと思うと、少しさびしい気がする。王城での滞在は、結局は一カ月弱となった。
リーゼロッテがもうすぐ誕生日を迎えることもあって、領地への帰還が決められたのだが、リーゼロッテの力の制御はまだまだ不十分な状態だった。
当面は、週に一度だけ、ジークヴァルトの守り石を外して眠り、夜のうちに力の解放をすれば、リーゼロッテに負担が少ないということで落ち着いた。
(ハルト様の言うとおり、十五の誕生日を迎えれば何かが変わるかしら?)
そこは誕生日を迎えてみなければわからない。その時になってから考えればいいと、ジークヴァルトには言われている。
リーゼロッテは帰郷を前に、ジークヴァルトと共に力を制御する特訓を続けていた。そのかいあってか、最初の頃に比べてほんのわずかな力なら、ひとりでも集められるようになってきている。
最終日の今日も王太子専用の応接室のソファに座って、リーゼロッテは特訓に励んでいた。そんなリーゼロッテを監督しつつ、ジークヴァルトはその横で山のような書類仕事を片付けている。
そんな時にカイが久しぶりに顔を出して、いつもように紅茶を淹れてくれたのだった。
「明日は早く出るの?」
カイの問いかけに、いいえとリーゼロッテはかぶりを振った。
「領地まで馬車で三時間程度ですので、朝食はゆっくりといただけますわ」
「そっか。でも、なんだかさみしくなるね」
カイのその言葉に、リーゼロッテはゆっくりとカイの方へ顔を向けた。
わたくし、カイ様の淹れてくださるこの紅茶、やさしい味がして大好きですわ」
エメラルドのような瞳でカイを真っ直ぐ見つめ、リーゼロッテは淑女の笑みを向けた。カイの紅茶はまろやかな舌触りで、いつでも香しくとてもおいしかった。
疲れている時、うれしいとき、落ち込んでいる時。
カイはリーゼロッテの体調に合わせて、ミルクや砂糖が多めだったり、寛げるようにハーブを入れたり、時にはスパイスの効いた刺激的なものまで、いろんな紅茶を淹れてくれた。気遣ってもらっているのだと思うと、リーゼロッテはその気持ちにとても癒された。
カイにしてみれば、お茶を淹れることは相手の懐に入るための手段の一つに過ぎなかったが、それなりに美味しい紅茶の淹れ方を研究してきた身としては、そう言われて悪い気はしなかった。
「いつでもまた淹れてあげるよ」
ふたりはにっこりと微笑みあった。
(結局はオレも、この令嬢に毒気を抜かれているのかもな)
微笑みつつ、カイは内心で苦笑した。
「あなたたちも、最後まで浄化してあげられなくてごめんなさいね……」
リーゼロッテが目の前の小鬼たちに視線を向けた。
目の前のテーブルの縁には、三匹の小鬼たちが並んで座っていた。見た目は不細工だったが、どれもおめめがきゅるんとして愛らしく見える。
(またかわいくなってるし……)
リーゼロッテの力は理解の範疇を超えると、カイはあきれる他なかった。
小鬼たちに話しかけつつ、リーゼロッテは小さな緑色の光の粒を小鬼たちに投げて飛ばしている。小鬼たちは行儀よく順番に並んで、その粒を気持ちよさそうに受けとめていた。
そんなリーゼロッテを横目に、カイは先ほどから自分を睨みつけている主を振り返った。
「ジークヴァルト様。オレがリーゼロッテ嬢に大好きって言われたからって、そんな怖い顔しないでくださいよ」
「カイではない。紅茶がだ」
小声で言うカイに、ジークヴァルトは即答した。
「もう、男の嫉妬は醜いですよ。ご自分の婚約者なんですから、リーゼロッテ嬢の愛は自力で掴んでください」
あきれるように言うと、ジークヴァルトは言葉に詰まり、ふいとカイから視線をそらした。
(何コレ、すっげーおもしろい)
カイは意地の悪い表情になると、リーゼロッテに聞こえないように、そっとジークヴァルトに耳打ちした。
「大丈夫、イケますよ、ジークヴァルト様。いいですか? 女性はガッと抱きしめてグッと口づければイチコロです。はじめは驚いて嫌がるかもしれませんが、憎からず思っている相手には、そのまま攻めれば蕩けてふにゃふにゃになりますから」
カイの言葉に一瞬動きが止まったジークヴァルトは、そのあと無言でリーゼロッテに視線を移した。リーゼロッテは無邪気に小鬼の浄化を続けている。
(やばい、マジでおもしろすぎる)
カイは笑いだしそうなのを必死でこらえ、こんな面白い光景が見られるのは、今日で最後かと思うと心から残念に思った。
「オレ、この後行かなきゃならないところがありますから」
王妃に定期報告をする日だということを思い出して、カイは部屋から出ていこうとした。振り返り、「リーゼロッテ嬢、気をつけてね?」とにっこり言ってから扉を開けた。
リーゼロッテは明日の道中を心配してくれたのだと思い、「ありがとうございます」と返したが、カイは意味深にジークヴァルトをみやり、再びリーゼロッテに笑みを残して出て行ってしまった。
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