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第1章 ふたつ名の令嬢と龍の託宣
第17話 隻眼の騎士
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「王子殿下。地方の任務から戻った騎士が、報告に参っております」
キュプカーにそう言われ、執務室で書類仕事に追われていたハインリヒは、その手を止めることなく言葉を返した。
「ああ、通して構わない」
頷いたキュプカーは執務室の扉を開け、外にいた人物を室内に招き入れた。書類に視線を向けたままだったハインリヒの視界の片隅に、優雅に歩いてくる騎士服をまとった足が見えた。
「アデライーデ・フーゲンベルク、ただ今召集により戻りました。北方の任務のため、帰還が遅くなり申し訳ありません」
跪いて礼を取った主の声は、落ち着いた低めの声音だったが、それはうら若い女性のものだった。
その名前を聞いた途端、ハインリヒははじかれたように顔を上げ、両手を机についたまま椅子から乱暴に立ちあがった。その顔は、青いを通り越して紙のように白くなっている。
何かを言いかけた唇は小刻みにふるえ、ハインリヒは信じられないものを見るかのように、目の前で跪く彼女を凝視した。
そこにいたのは騎士服を身にまとい、長い真っ直ぐなダークブラウンの髪をポニーテールでまとめた、青い瞳の美しい女性だった。しかし、その右目には眼帯がつけられ、眼帯の上下には傷痕とおぼしき赤いひきつれが垣間見える。
その赤い痕は、彼女のその美しい顔を見る者の、目を背けさせるのに十分な痛々しさを持っていた。
ハインリヒは、彼女を見つめたまま立呆然とち尽くすことしかできなかった。
彼女に会うのは、あの日以来だ。消し去ることのできない自身の罪が、今なお深く息づいている。そんなことは、分かり切っていたはずなのに。
「王子殿下?」
王子の許しが出るまで礼をとり続けている彼女を見やり、キュプカーはハインリヒを困惑した声で呼んだ。
「あ、ああ。長旅、ご苦労だった。顔を……上げてくれ」
かすれた声でようやくそう言ったハインリヒは、立ち上がった女性騎士、アデライーデの視線を真っ直ぐに受けた。ハインリヒの表情が、苦しみに満ちたものに変わる。
「王子殿下、わたくしめに思うところはありましょうが、今は王太子としての職務をご全うください」
アデライーデの感情のこもらないその言葉に、ハインリヒはどさりと椅子に腰かけた。
「ああ、そう、だな。……報告を聞こう」
そう言ったハインリヒだったが、彼女の口から発せられる報告はほとんど頭に入っておらず、言葉を紡ぐ彼女の唇の動きを、ただ見ているに過ぎなかった。
アデライーデの報告が終わった後、キュプカーが「王子殿下、アデライーデ殿に王より勅命がくだっております」と言って、一枚の書状を差し出した。
その書状を受け取ったハインリヒは、その内容に絶句した。
王が自分にまかせた執務や決定に口を出すなど、今までただの一度もなかったことだ。猛烈なダメ出しを食らったようで、ハインリヒはその麗しい顔を凍らせた。
王の勅命は絶対だ。
しかし、なぜ今なのだ。
いや、とハインリヒは思った。
(――今、だからなのか)
ハインリヒは自分の弱さに絶望を感じた。
「勅命は承知した。……この件は、後はジークヴァルトにまかせる」
ハインリヒが絞り出すような声でそう言うと、アデライーデは「御意に」と頭を下げ、部屋を辞していった。
彼女が去った後、ハインリヒは呆然自失の様子で固まっていた。しばらくの後、幽霊のような顔色でふらりと椅子から立ち上がる。
「一時間で戻る。今は……一人にしてくれ」
かすれた声で言うと、ハインリヒは執務室を出ていった。その背中を見送りながら、キュプカーは沈痛な面持ちで小さくため息をついた。
(おふたりのあの噂は本当だったのだな……)
しかし、自分ごときが口を挟むことではない。
そう思ったキュプカーは、せめて王子殿下の負担が軽くなるようにと、山積みになった書類の束に手を伸ばした。
キュプカーにそう言われ、執務室で書類仕事に追われていたハインリヒは、その手を止めることなく言葉を返した。
「ああ、通して構わない」
頷いたキュプカーは執務室の扉を開け、外にいた人物を室内に招き入れた。書類に視線を向けたままだったハインリヒの視界の片隅に、優雅に歩いてくる騎士服をまとった足が見えた。
「アデライーデ・フーゲンベルク、ただ今召集により戻りました。北方の任務のため、帰還が遅くなり申し訳ありません」
跪いて礼を取った主の声は、落ち着いた低めの声音だったが、それはうら若い女性のものだった。
その名前を聞いた途端、ハインリヒははじかれたように顔を上げ、両手を机についたまま椅子から乱暴に立ちあがった。その顔は、青いを通り越して紙のように白くなっている。
何かを言いかけた唇は小刻みにふるえ、ハインリヒは信じられないものを見るかのように、目の前で跪く彼女を凝視した。
そこにいたのは騎士服を身にまとい、長い真っ直ぐなダークブラウンの髪をポニーテールでまとめた、青い瞳の美しい女性だった。しかし、その右目には眼帯がつけられ、眼帯の上下には傷痕とおぼしき赤いひきつれが垣間見える。
その赤い痕は、彼女のその美しい顔を見る者の、目を背けさせるのに十分な痛々しさを持っていた。
ハインリヒは、彼女を見つめたまま立呆然とち尽くすことしかできなかった。
彼女に会うのは、あの日以来だ。消し去ることのできない自身の罪が、今なお深く息づいている。そんなことは、分かり切っていたはずなのに。
「王子殿下?」
王子の許しが出るまで礼をとり続けている彼女を見やり、キュプカーはハインリヒを困惑した声で呼んだ。
「あ、ああ。長旅、ご苦労だった。顔を……上げてくれ」
かすれた声でようやくそう言ったハインリヒは、立ち上がった女性騎士、アデライーデの視線を真っ直ぐに受けた。ハインリヒの表情が、苦しみに満ちたものに変わる。
「王子殿下、わたくしめに思うところはありましょうが、今は王太子としての職務をご全うください」
アデライーデの感情のこもらないその言葉に、ハインリヒはどさりと椅子に腰かけた。
「ああ、そう、だな。……報告を聞こう」
そう言ったハインリヒだったが、彼女の口から発せられる報告はほとんど頭に入っておらず、言葉を紡ぐ彼女の唇の動きを、ただ見ているに過ぎなかった。
アデライーデの報告が終わった後、キュプカーが「王子殿下、アデライーデ殿に王より勅命がくだっております」と言って、一枚の書状を差し出した。
その書状を受け取ったハインリヒは、その内容に絶句した。
王が自分にまかせた執務や決定に口を出すなど、今までただの一度もなかったことだ。猛烈なダメ出しを食らったようで、ハインリヒはその麗しい顔を凍らせた。
王の勅命は絶対だ。
しかし、なぜ今なのだ。
いや、とハインリヒは思った。
(――今、だからなのか)
ハインリヒは自分の弱さに絶望を感じた。
「勅命は承知した。……この件は、後はジークヴァルトにまかせる」
ハインリヒが絞り出すような声でそう言うと、アデライーデは「御意に」と頭を下げ、部屋を辞していった。
彼女が去った後、ハインリヒは呆然自失の様子で固まっていた。しばらくの後、幽霊のような顔色でふらりと椅子から立ち上がる。
「一時間で戻る。今は……一人にしてくれ」
かすれた声で言うと、ハインリヒは執務室を出ていった。その背中を見送りながら、キュプカーは沈痛な面持ちで小さくため息をついた。
(おふたりのあの噂は本当だったのだな……)
しかし、自分ごときが口を挟むことではない。
そう思ったキュプカーは、せめて王子殿下の負担が軽くなるようにと、山積みになった書類の束に手を伸ばした。
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