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第1章 ふたつ名の令嬢と龍の託宣
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◇
リーゼロッテは王妃の離宮に滞在しているアンネマリーを訪ねていた。
アンネマリーにあてがわれた部屋は豪華な広い客間で、気後れしてしまうほどきらびやかな雰囲気だった。自分が滞在する客間も、十分立派な部屋だったが、こちらは女性が好むような趣向の内装が施されている。
「アンネマリーの部屋はとても華やかなのね」
豪華絢爛な調度品の数々に、リーゼロッテはいつも以上に緊張していた。異形は近くにいなかったが、不意を突かれて粗相を働かされてはたまったものではない。無意識に胸の守り石を握りしめた。
「この部屋は豪華すぎて落ち着かないわよね」
アンネマリーはもう慣れたというように、肩をすくめて見せた。
『星読みの間』と呼ばれるこの部屋は、実は、王太子妃が王妃教育のために代々使ってきた部屋だった。しかし、アンネマリーにはその事実を知らされてはいない。
「この居間と寝室の他に、サロンと衣裳部屋と書斎までついているのよ? まるでお姫様になった気分だわ」
実際、アンネマリーには専属の王城の侍女がついて、衣装から何からすべて揃えられていた。
王女の話し相手と言っても、始終客人のように扱われたため、アンネマリーは自分の王城滞在に何か裏があるのではないかと危惧していた。
他国との外交を担う父が、権力を握り過ぎないようにするための人質だろうか? しかし、自分の父がそんな野心を抱いているとも思えない。クラッセン侯爵家は代々王家派だ。長い歴史において王家との軋轢なども皆無だった。
王妃に休暇をもらって久しぶりに領地に帰ったときも、母のジルケはそんなそぶりは見せなかった。むしろ、「そうそうない体験なのだから存分に楽しめばいいじゃない」とあっけらかんと言われ、アンネマリーは苦笑したくらいだ。
そしてその時、初めからこの滞在は期限付きのものと王家から申し入れがあったことを知らされた。
「リーゼは先にダーミッシュ領に戻るのね?」
リーゼロッテは、十五歳の誕生日を前に一度領地に帰ることになったため、その挨拶でアンネマリーを訪ねていた。
リーゼロッテが異形を祓ったあの日のことを、アンネマリーは深く尋ねなかった。何か事情がありそうだったが、表向きは賊の侵入ということで片付けられていた。
何も知らされないということは、自分が知るべきことではないのだろう。
あの日以来、アンネマリーは王子と一度も会っていない。預かっている懐中時計も、アンネマリーが持ったままだ。
(時計がなくて不便を感じていらっしゃらないかしら……)
幾度となく殿下の庭へ行ったが、そこに猫と戯れるハインリヒの姿を見つけることはできなかった。
「……最近、王城内はたいへんなようね」
アンネマリーは遠回しに聞いてみる。リーゼロッテはその言葉のまま受け止めたようで、少し心配そうな顔で言った。
「先日の騒ぎの後処理で、皆様お忙しいようだわ」
リーゼロッテは毎日のように王太子の応接室に通っていたが、最近ではジークヴァルトが席を外すことも多い。
王子とカイに至っては、その後ろ姿を遠くから幾度か見かけた程度で、遠目に見てもハインリヒは殺伐とした様子だった。まあ、カイの方は相変わらずに見えはしたが。
「特に王子殿下はお疲れのご様子で……」
リーゼロッテのその言葉に、アンネマリーは胸が締めつけられた。
自分も近いうちに王城を去らねばならない。そうすれば、ハインリヒと話すことはおろか、その顔を見ることすら叶わなくなるだろう。
アンネマリーはうつむいてその形のいい唇をかみしめた。
「アンネマリー?」
リーゼロッテが心配そうにのぞき込むと、部屋の扉が突然ガチャリと開いた。
リーゼロッテは王妃の離宮に滞在しているアンネマリーを訪ねていた。
アンネマリーにあてがわれた部屋は豪華な広い客間で、気後れしてしまうほどきらびやかな雰囲気だった。自分が滞在する客間も、十分立派な部屋だったが、こちらは女性が好むような趣向の内装が施されている。
「アンネマリーの部屋はとても華やかなのね」
豪華絢爛な調度品の数々に、リーゼロッテはいつも以上に緊張していた。異形は近くにいなかったが、不意を突かれて粗相を働かされてはたまったものではない。無意識に胸の守り石を握りしめた。
「この部屋は豪華すぎて落ち着かないわよね」
アンネマリーはもう慣れたというように、肩をすくめて見せた。
『星読みの間』と呼ばれるこの部屋は、実は、王太子妃が王妃教育のために代々使ってきた部屋だった。しかし、アンネマリーにはその事実を知らされてはいない。
「この居間と寝室の他に、サロンと衣裳部屋と書斎までついているのよ? まるでお姫様になった気分だわ」
実際、アンネマリーには専属の王城の侍女がついて、衣装から何からすべて揃えられていた。
王女の話し相手と言っても、始終客人のように扱われたため、アンネマリーは自分の王城滞在に何か裏があるのではないかと危惧していた。
他国との外交を担う父が、権力を握り過ぎないようにするための人質だろうか? しかし、自分の父がそんな野心を抱いているとも思えない。クラッセン侯爵家は代々王家派だ。長い歴史において王家との軋轢なども皆無だった。
王妃に休暇をもらって久しぶりに領地に帰ったときも、母のジルケはそんなそぶりは見せなかった。むしろ、「そうそうない体験なのだから存分に楽しめばいいじゃない」とあっけらかんと言われ、アンネマリーは苦笑したくらいだ。
そしてその時、初めからこの滞在は期限付きのものと王家から申し入れがあったことを知らされた。
「リーゼは先にダーミッシュ領に戻るのね?」
リーゼロッテは、十五歳の誕生日を前に一度領地に帰ることになったため、その挨拶でアンネマリーを訪ねていた。
リーゼロッテが異形を祓ったあの日のことを、アンネマリーは深く尋ねなかった。何か事情がありそうだったが、表向きは賊の侵入ということで片付けられていた。
何も知らされないということは、自分が知るべきことではないのだろう。
あの日以来、アンネマリーは王子と一度も会っていない。預かっている懐中時計も、アンネマリーが持ったままだ。
(時計がなくて不便を感じていらっしゃらないかしら……)
幾度となく殿下の庭へ行ったが、そこに猫と戯れるハインリヒの姿を見つけることはできなかった。
「……最近、王城内はたいへんなようね」
アンネマリーは遠回しに聞いてみる。リーゼロッテはその言葉のまま受け止めたようで、少し心配そうな顔で言った。
「先日の騒ぎの後処理で、皆様お忙しいようだわ」
リーゼロッテは毎日のように王太子の応接室に通っていたが、最近ではジークヴァルトが席を外すことも多い。
王子とカイに至っては、その後ろ姿を遠くから幾度か見かけた程度で、遠目に見てもハインリヒは殺伐とした様子だった。まあ、カイの方は相変わらずに見えはしたが。
「特に王子殿下はお疲れのご様子で……」
リーゼロッテのその言葉に、アンネマリーは胸が締めつけられた。
自分も近いうちに王城を去らねばならない。そうすれば、ハインリヒと話すことはおろか、その顔を見ることすら叶わなくなるだろう。
アンネマリーはうつむいてその形のいい唇をかみしめた。
「アンネマリー?」
リーゼロッテが心配そうにのぞき込むと、部屋の扉が突然ガチャリと開いた。
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