78 / 528
第1章 ふたつ名の令嬢と龍の託宣
5
しおりを挟む
リーゼロッテの守護者の力は、玉座の間から同心円状に広がり続けていた。その力が王城の奥まったこの客間ももれなく包み込んでいく。
カイはビリビリと全身を苛むような神気に苦悶の表情で耐えていた。アンネマリーを抱きとめる腕が震え、いたずらに力が入る。はっと息を吐くが、うまく吸い込むことができない。
清らかすぎて生物が生きられない静謐な水の中のようだとカイは思った。
(綺麗すぎて反吐が出る……!)
カイは己の深部にまで浄化しにかかる圧倒的な力に、殺意に近い苛立ちを憶えた。
「さ、わんな」
――オレの心に
ギリとその歯を食いしばった。
そのときアンネマリーの瞳から、一粒の涙がこぼれ落ちた。
「あたたかい……」
そう言うと、アンネマリーはあたりを見回した。アンネマリーの涙がカイの肩にすべり落ち、カイは突如、世界を取り戻した。
水を得た魚のように動かなかった体の自由が戻ってくる。思い切り息を吸い込むと、ふわりとアンネマリーのいい匂いがした。
――このままアンネマリーの全てを奪いたい。
突然カイはそんな衝動に駆られた。自分ならばいとも簡単にそれができてしまうだろう。
ふいにあの可哀そうな王子の顔がよぎった。欲する者の手には届かず、そうでない者はたやすくそれを手に入れる。
託宣は呪いだ――
そう言ったのは誰だったろうか。
カイはハインリヒに特別な感情は抱いていなかった。イジドーラの大切な人間の、大切にしたかったもの。
ただそれだけだった。
カイはアンネマリーの両の二の腕をつかむと、自分の体からぐいと引き離した。
「ごめん、ありがとう。もう大丈夫」
そう言って立ち上がると、手を引いてアンネマリーも立ち上がらせた。
「ここはもう大丈夫そうだから、オレは行かなくちゃ。ああ、でも迎えが来るまで、絶対に部屋を出ちゃダメだからね」
そのまま部屋を出ていこうとして、「ああ」とカイは何かを思い出したようにアンネマリーを振り返った。懐に手を入れて何かを取り出し、握りこんだ手をアンネマリーの目の前で開いて見せた。
その手のひらにはハインリヒの懐中時計が乗せられていた。
見覚えのあるそれを差し出したカイを見やり、どうしてこれを彼がもっているのだろうとアンネマリーは小首をかしげた。
「ハインリヒ様が、アンネマリー嬢に持っていてほしいって」
アンネマリーの白い手を取り時計を握り込ませると、カイはやわらかくふっと笑った。
常々、彼の貼り付けたような笑顔が胡散臭いと感じていたアンネマリーは、カイの素の笑顔を見て目を丸くした。
「じゃあ、オレ行くね」
そう言ってカイは静かに扉を閉めた。
残されたアンネマリーは、手のひらの時計をみやる。ハインリヒが肌身離さず持っていた懐中時計だ。
その蓋を開くと時計の針が静かに時を刻んでいる。
殿下の庭で、これを開いて文字盤を確認しては、ハインリヒはいつも残念そうな顔をした。
『時が止まってしまえばいいのに』
いつかハインリヒがそう呟いたとき、アンネマリーはハインリヒへの気持ちを自覚した。
時計の蓋の内側には、アメジストのような石がはめられている。ハインリヒの瞳の色だ。その紫にきらめく石をアンネマリーはそっとなぜた。
陽だまりのような波動を感じて、アンネマリーは胸の前で、ぎゅっとその時計を握りしめた。
カイはビリビリと全身を苛むような神気に苦悶の表情で耐えていた。アンネマリーを抱きとめる腕が震え、いたずらに力が入る。はっと息を吐くが、うまく吸い込むことができない。
清らかすぎて生物が生きられない静謐な水の中のようだとカイは思った。
(綺麗すぎて反吐が出る……!)
カイは己の深部にまで浄化しにかかる圧倒的な力に、殺意に近い苛立ちを憶えた。
「さ、わんな」
――オレの心に
ギリとその歯を食いしばった。
そのときアンネマリーの瞳から、一粒の涙がこぼれ落ちた。
「あたたかい……」
そう言うと、アンネマリーはあたりを見回した。アンネマリーの涙がカイの肩にすべり落ち、カイは突如、世界を取り戻した。
水を得た魚のように動かなかった体の自由が戻ってくる。思い切り息を吸い込むと、ふわりとアンネマリーのいい匂いがした。
――このままアンネマリーの全てを奪いたい。
突然カイはそんな衝動に駆られた。自分ならばいとも簡単にそれができてしまうだろう。
ふいにあの可哀そうな王子の顔がよぎった。欲する者の手には届かず、そうでない者はたやすくそれを手に入れる。
託宣は呪いだ――
そう言ったのは誰だったろうか。
カイはハインリヒに特別な感情は抱いていなかった。イジドーラの大切な人間の、大切にしたかったもの。
ただそれだけだった。
カイはアンネマリーの両の二の腕をつかむと、自分の体からぐいと引き離した。
「ごめん、ありがとう。もう大丈夫」
そう言って立ち上がると、手を引いてアンネマリーも立ち上がらせた。
「ここはもう大丈夫そうだから、オレは行かなくちゃ。ああ、でも迎えが来るまで、絶対に部屋を出ちゃダメだからね」
そのまま部屋を出ていこうとして、「ああ」とカイは何かを思い出したようにアンネマリーを振り返った。懐に手を入れて何かを取り出し、握りこんだ手をアンネマリーの目の前で開いて見せた。
その手のひらにはハインリヒの懐中時計が乗せられていた。
見覚えのあるそれを差し出したカイを見やり、どうしてこれを彼がもっているのだろうとアンネマリーは小首をかしげた。
「ハインリヒ様が、アンネマリー嬢に持っていてほしいって」
アンネマリーの白い手を取り時計を握り込ませると、カイはやわらかくふっと笑った。
常々、彼の貼り付けたような笑顔が胡散臭いと感じていたアンネマリーは、カイの素の笑顔を見て目を丸くした。
「じゃあ、オレ行くね」
そう言ってカイは静かに扉を閉めた。
残されたアンネマリーは、手のひらの時計をみやる。ハインリヒが肌身離さず持っていた懐中時計だ。
その蓋を開くと時計の針が静かに時を刻んでいる。
殿下の庭で、これを開いて文字盤を確認しては、ハインリヒはいつも残念そうな顔をした。
『時が止まってしまえばいいのに』
いつかハインリヒがそう呟いたとき、アンネマリーはハインリヒへの気持ちを自覚した。
時計の蓋の内側には、アメジストのような石がはめられている。ハインリヒの瞳の色だ。その紫にきらめく石をアンネマリーはそっとなぜた。
陽だまりのような波動を感じて、アンネマリーは胸の前で、ぎゅっとその時計を握りしめた。
0
※小説家になろうグループムーンライトノベルズにて【R18】ふたつ名の令嬢と龍の託宣 不定期投稿中☆
第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣 スタートました♡
※アルファポリス版は第1部令嬢編として一度完結としましたが、ムーンでは第6章を継続投稿中です。
こちらはR18ですので、18歳以上(高校生不可)の方のみ閲覧できます。
第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣 スタートました♡
※アルファポリス版は第1部令嬢編として一度完結としましたが、ムーンでは第6章を継続投稿中です。
こちらはR18ですので、18歳以上(高校生不可)の方のみ閲覧できます。
お気に入りに追加
272
あなたにおすすめの小説

完結 「愛が重い」と言われたので尽くすのを全部止めたところ
音爽(ネソウ)
恋愛
アルミロ・ルファーノ伯爵令息は身体が弱くいつも臥せっていた。財があっても自由がないと嘆く。
だが、そんな彼を幼少期から知る婚約者ニーナ・ガーナインは献身的につくした。
相思相愛で結ばれたはずが健気に尽くす彼女を疎ましく感じる相手。
どんな無茶な要望にも応えていたはずが裏切られることになる。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

王命での結婚がうまくいかなかったので公妾になりました。
しゃーりん
恋愛
婚約解消したばかりのルクレツィアに王命での結婚が舞い込んだ。
相手は10歳年上の公爵ユーグンド。
昔の恋人を探し求める公爵は有名で、国王陛下が公爵家の跡継ぎを危惧して王命を出したのだ。
しかし、公爵はルクレツィアと結婚しても興味の欠片も示さなかった。
それどころか、子供は養子をとる。邪魔をしなければ自由だと言う。
実家の跡継ぎも必要なルクレツィアは子供を産みたかった。
国王陛下に王命の取り消しをお願いすると三年後になると言われた。
無駄な三年を過ごしたくないルクレツィアは国王陛下に提案された公妾になって子供を産み、三年後に離婚するという計画に乗ったお話です。

【完結】愛してるなんて言うから
空原海
恋愛
「メアリー、俺はこの婚約を破棄したい」
婚約が決まって、三年が経とうかという頃に切り出された婚約破棄。
婚約の理由は、アラン様のお父様とわたしのお母様が、昔恋人同士だったから。
――なんだそれ。ふざけてんのか。
わたし達は婚約解消を前提とした婚約を、互いに了承し合った。
第1部が恋物語。
第2部は裏事情の暴露大会。親世代の愛憎確執バトル、スタートッ!
※ 一話のみ挿絵があります。サブタイトルに(※挿絵あり)と表記しております。
苦手な方、ごめんなさい。挿絵の箇所は、するーっと流してくださると幸いです。

【完】夫から冷遇される伯爵夫人でしたが、身分を隠して踊り子として夜働いていたら、その夫に見初められました。
112
恋愛
伯爵家同士の結婚、申し分ない筈だった。
エッジワーズ家の娘、エリシアは踊り子の娘だったが為に嫁ぎ先の夫に冷遇され、虐げられ、屋敷を追い出される。
庭の片隅、掘っ立て小屋で生活していたエリシアは、街で祝祭が開かれることを耳にする。どうせ誰からも顧みられないからと、こっそり抜け出して街へ向かう。すると街の中心部で民衆が音楽に合わせて踊っていた。その輪の中にエリシアも入り一緒になって踊っていると──

【完結済】隣国でひっそりと子育てしている私のことを、執着心むき出しの初恋が追いかけてきます
鳴宮野々花@書籍2冊発売中
恋愛
一夜の過ちだなんて思いたくない。私にとって彼とのあの夜は、人生で唯一の、最良の思い出なのだから。彼のおかげで、この子に会えた────
私、この子と生きていきますっ!!
シアーズ男爵家の末娘ティナレインは、男爵が隣国出身のメイドに手をつけてできた娘だった。ティナレインは隣国の一部の者が持つ魔力(治癒術)を微力ながら持っており、そのため男爵夫人に一層疎まれ、男爵家後継ぎの兄と、世渡り上手で気の強い姉の下で、影薄く過ごしていた。
幼いティナレインは、優しい侯爵家の子息セシルと親しくなっていくが、息子がティナレインに入れ込みすぎていることを嫌う侯爵夫人は、シアーズ男爵夫人に苦言を呈す。侯爵夫人の機嫌を損ねることが怖い義母から強く叱られ、ティナレインはセシルとの接触を禁止されてしまう。
時を経て、貴族学園で再会する二人。忘れられなかったティナへの想いが燃え上がるセシルは猛アタックするが、ティナは自分の想いを封じ込めるように、セシルを避ける。
やがてティナレインは、とある商会の成金経営者と婚約させられることとなり、学園を中退。想い合いながらも会うことすら叶わなくなった二人だが、ある夜偶然の再会を果たす。
それから数ヶ月。結婚を目前に控えたティナレインは、隣国へと逃げる決意をした。自分のお腹に宿っていることに気付いた、大切な我が子を守るために。
けれど、名を偽り可愛い我が子の子育てをしながら懸命に生きていたティナレインと、彼女を諦めきれないセシルは、ある日運命的な再会を果たし────
生まれ育った屋敷で冷遇され続けた挙げ句、最低な成金ジジイと結婚させられそうになったヒロインが、我が子を守るために全てを捨てて新しい人生を切り拓いていこうと奮闘する物語です。
※いつもの完全オリジナルファンタジー世界の物語です。全てがファンタジーです。
※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。

愛される日は来ないので
豆狸
恋愛
だけど体調を崩して寝込んだ途端、女主人の部屋から物置部屋へ移され、満足に食事ももらえずに死んでいったとき、私は悟ったのです。
──なにをどんなに頑張ろうと、私がラミレス様に愛される日は来ないのだと。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる