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第1章 ふたつ名の令嬢と龍の託宣

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「リーゼロッテ嬢、最近、眠りに関して困っていることはないかい?」

 ふいにハインリヒにそう聞かれて、リーゼロッテは意識を戻された。
「困っていること……」
 夢のことを言うべきか、リーゼロッテは迷った。

「些細なことでもいい。君の力を開放する糸口になるかもしれないんだ」

 ハインリヒにそう言われ、リーゼロッテは少しうつむいてその口を開いた。

「……最近、夢見が悪いのです」
「どんな夢を見るの?」
「はい。部屋の掃除ができなかったり、怪我をしている人の手当てができなかったり……夕べは、お腹を空かしている人たちがたくさんいるのに、オーブンに火がつかなくて、パンが焼けませんでした……」

 部屋に沈黙がおりる。リーゼロッテが次の言葉を発しようと口を開いたので、一同はそのまま何も言わずに待っていた。

 が、次の瞬間、男三人はぎょっと目を見開いた。何かを言いかけていたリーゼロッテの瞳から、ぽろぽろと大粒の涙があふれだしたのだ。

「ええ? 夢の話だよね?」

 カイが腰を浮かして焦ったように言った。

「はい、夢の、話、です。ですが、みんな、あんなにお腹を空かせているのに、わたくし、わたくし、何もできなくて……」

 やせ細った人々。材料はここにあるのに、何も食べさせてあげられない。リーゼロッテの緑色の瞳からはさらに涙があふれだした。

「お屋敷にいた頃も夢はよく見たのです。でも、ちゃんと、片付けもお料理も手当てもできて、たいへんだけど、とてもやりがいのある楽しい夢ばかりだったのです。お城に来てから見る夢は、どれも本当に哀しくて……」

 リーゼロッテの小さな口がへの字に曲がってふるふると震えた。見ている方がいたたまれなくなるような泣き方だった。

「ほら、ジークヴァルト様、婚約者なんですから、ハンカチのひとつでも差し出してあげてくださいよ」

 カイに促されて、ジークヴァルトは懐から出した白いハンカチをリーゼロッテに手渡した。
 ありがとうございますと小さく言って、リーゼロッテはそれを受け取った。ジークヴァルトの大きな手は、そのままリーゼロッテの頭の上に乗せられた。

 ようやく泣き止んできたリーゼロッテがまばたきをすると、瞳にたまっていた涙が一滴、頬を伝って滑り落ちた。心配そうに下からのぞき込んでいた小鬼の顔に、その滴がぱたりと落ちる。

 そのとき、小鬼の体がぱあっと緑の光に包まれた。
 光に包まれた小鬼がふわっと浮き上がったかと思うと、その光の中には座ったまま丸くなっている小さな子供がいた。その子供とリーゼロッテの目と目が合う。

 子供はうれしそうにはにかむと、その口の形がゆっくりと『 あ り が と う 』と動いた。

 そのままさらにふわりと浮き上がっていく様を呆気に取られて目で追っていると、光は天井にむかい、そのままふうっと消えてなくなった。

「浄化……された?」

 カイがかすれた声で言った。

「ポチ、どうして……」
「だから、ポチってなんなのさ。……ホント、リーゼロッテ嬢って、すごいんだかすごくないんだか」

 あきれたようにカイは、「涙で浄化するなんて、星読みの王女もびっくりだ」と続けた。
 ブラオエルシュタインには『孤独な龍と星読みの王女』という童話があるのだが――

 その言葉にほんの少し首をかしげたジークヴァルトが、不意にリーゼロッテの頬に残る涙を人差し指ですくい上げた。その涙をそのままぺろりと舐める。

「しょっぱいな」
「ななななななにをなさるのですか」

 頬を手で押さえ、真っ赤になりながらリーゼロッテは後退った。

「ヴァルト、お前な。青龍にでもなったつもりか」

 ハインリヒは頭が痛そうに顔を手で押さえた。
 童話の話の中で、王女の涙を龍が舐めるシーンがあるのだが、ジークヴァルトはそれを模したのだろう。子供なら一度ならずとも読み聞かせられる有名な童話なので、この国に住むものは誰でも知っている話であった。

「確かめただけだろう」
「だからと言って、舐めるか普通」

 リーゼロッテの力もイレギュラーだが、最近のリーゼロッテに対するジークヴァルトの行動もイレギュラーすぎる。ハインリヒは、ふたりのこの先が不安で仕方なくなってきた。
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