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第1章 ふたつ名の令嬢と龍の託宣
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◇
「いやー、なんか護衛騎士の間ですごい噂になってるね、リーゼロッテ嬢」
紅茶を淹れながら、カイが楽しげに言った。
「噂? 噂ってどんなですの?」
ぐったりしながらソファに沈みこんでいたリーゼロッテは、カイに聞き返した。
「鬼が妖精を連れているとか、悪魔が妖精をさらってきたとか、魔王が妖精をかどわかした、とか?」
「なぜすべて妖精なのでしょう!?」
リーゼロッテは信じられないといったふうに、頬に両手を当てて頭をふるふると振った。大きな緑の瞳をうるませて、羞恥に震えるリーゼロッテはとても庇護欲をそそる。
「あー、なんていうか、そういうところだろうねー」
自覚はないんだと、カイは苦笑した。
小さくて可愛くて可憐なリーゼロッテが、ジークヴァルトにふんわりと抱き上げられる様は、重さを感じさせない妖精そのものだった。騎士たちの中には、その背に羽がないかと真剣に探す者までいた。女に餓えた男どもにとって、リーゼロッテは奇跡のような存在となっていたのだ。
いかにジークヴァルトの婚約者と言っても、よからぬことを考える奴がいるかもしれない。リーゼロッテの無防備さが心配になってきたカイは、人差し指を立てて言い聞かせるように言った。
「リーゼロッテ嬢は、間違っても一人で王城内を出歩いたらダメだよ?」
「なぜ、みな同じことを言うのですか……」
そんなに自分は危なっかしいのだろうか。ジークヴァルトはもちろん、エラや給仕にやってくるほかの侍女たちにも、何度も何度もきつく言われていた。耳タコである。
「申し訳ないが、それに関してはわたしも同感だな」
黙って聞いていたハインリヒ王子にも苦笑気味にそう言われ、リーゼロッテはますます絶望的な顔をした。
「安心しろ。どこかへ行きたいときにはオレが連れていく」
「行きたいところとおっしゃいましても……」
ジークヴァルトにそう言われたが、王城内では客室とこの王太子用の応接室を往復する毎日だ。他に出かける用事などがあるわけもなく、リーゼロッテは首をひねった。
「ああ、リーゼロッテ嬢には窮屈な思いをさせているね。気晴らしに何かあるといいのだが」
ハインリヒの言葉にリーゼロッテはかえって恐縮してしまう。
「王子殿下。わたくし、領地のお屋敷にいるときよりも、ずっと自由に、快適に過ごさせていただいております。感謝こそすれ不満を申し上げるなんてとんでもないことですわ」
物心ついたときから毎日小鬼たちに転ばされていたことを考えると、リーゼロッテにとって今の生活はパラダイスだった。その言葉に、ハインリヒがジークヴァルトをジト目で見る。
「ヴァルト、リーゼロッテ嬢がよくできた婚約者で本当によかったな」
ジークヴァルトは聞こえなかったかのように、ふいと顔をそむけた。
「まあ、いい。リーゼロッテ嬢は何かしたいことはないかい? 今はまだ、城からは出してあげられないけど、外商を呼んで何か買ってもいいし、城下ではやりのお菓子など取り寄せてもいい」
もちろんヴァルトの支払いでね、とハインリヒは続けた。リーゼロッテは可愛らしく小首をかしげてしばらく考え込んだ。
「……でしたら、わたくし、アンネマリーと会いたいですわ。アンネマリーもまだこちらにいると伺っております。お許しいただけるのなら、少し話がしたいです」
その言葉に、なぜかハインリヒが急に咳込んだ。その後ろで、カイがニマニマと笑っている。
「王子殿下?」
「いや、失礼、何でもない。クラッセン侯爵令嬢だね。うん、わかったよ。義母上に一度お伺いを立ててみる」
アンネマリーは今、王妃の離宮に滞在している。王妃の離宮は、国王以外の男性は、王子であっても許可なく立ち入ることはできないのだ。
「それで、最近はどうだい? 力は扱えるようになってきた?」
そう話を振られて、リーゼロッテはかぶりをふった。あれから原因を探るものの、リーゼロッテの内に力は存在していても、その発動には至っていない。成果があったとすれば、ジークヴァルトがいなくても、守り石があれば異形の者が見えるようになってきたことぐらいだ。
「目詰まりだな」
ジークヴァルトのその言葉に、ハインリヒが「もっとわかるように話せ」と嘆息した。
この目詰まり発言は、ジークヴァルトからずっと言われ続けている。リーゼロッテは排水溝のように言われて、いたく傷ついていた。
「ダーミッシュ嬢の力は、内部で秩序なく対流している。この半月、流れを確認しているが、力が行き場をなくしてそのうち破裂しそうにも感じる。ある程度たまれば漏れ出てくるかとみているが、今のところその様子もない」
と、この状態をジークヴァルトは『力の目詰まり』と呼んでいる。
(だったらド〇ストでもパイプ〇ニッシュでも持ってきてよ)
毎日毎日目詰まってると言われるこちらの身にもなってほしいと、リーゼロッテは気づかれないようにため息をついた。
「……そうか、状況はわかった。だが、女性に対して目詰まりはよせ」
「そうですよー、デリカシーのない男は嫌われますよー」
「お前が言うな、カイ」
ハインリヒの突っ込みに、カイは「なんでですかー」と不服そうに返した。
「……わたくし、殿下が王太子であらせられて、我が国はこれからも安泰だと、今、改めて心からそう思いましたわ」
「非常識を前にすると、大概はまともに見えるものだよ」
リーゼロッテの言葉に、ハインリヒは微妙に遠い目をして答えた。
「いやー、なんか護衛騎士の間ですごい噂になってるね、リーゼロッテ嬢」
紅茶を淹れながら、カイが楽しげに言った。
「噂? 噂ってどんなですの?」
ぐったりしながらソファに沈みこんでいたリーゼロッテは、カイに聞き返した。
「鬼が妖精を連れているとか、悪魔が妖精をさらってきたとか、魔王が妖精をかどわかした、とか?」
「なぜすべて妖精なのでしょう!?」
リーゼロッテは信じられないといったふうに、頬に両手を当てて頭をふるふると振った。大きな緑の瞳をうるませて、羞恥に震えるリーゼロッテはとても庇護欲をそそる。
「あー、なんていうか、そういうところだろうねー」
自覚はないんだと、カイは苦笑した。
小さくて可愛くて可憐なリーゼロッテが、ジークヴァルトにふんわりと抱き上げられる様は、重さを感じさせない妖精そのものだった。騎士たちの中には、その背に羽がないかと真剣に探す者までいた。女に餓えた男どもにとって、リーゼロッテは奇跡のような存在となっていたのだ。
いかにジークヴァルトの婚約者と言っても、よからぬことを考える奴がいるかもしれない。リーゼロッテの無防備さが心配になってきたカイは、人差し指を立てて言い聞かせるように言った。
「リーゼロッテ嬢は、間違っても一人で王城内を出歩いたらダメだよ?」
「なぜ、みな同じことを言うのですか……」
そんなに自分は危なっかしいのだろうか。ジークヴァルトはもちろん、エラや給仕にやってくるほかの侍女たちにも、何度も何度もきつく言われていた。耳タコである。
「申し訳ないが、それに関してはわたしも同感だな」
黙って聞いていたハインリヒ王子にも苦笑気味にそう言われ、リーゼロッテはますます絶望的な顔をした。
「安心しろ。どこかへ行きたいときにはオレが連れていく」
「行きたいところとおっしゃいましても……」
ジークヴァルトにそう言われたが、王城内では客室とこの王太子用の応接室を往復する毎日だ。他に出かける用事などがあるわけもなく、リーゼロッテは首をひねった。
「ああ、リーゼロッテ嬢には窮屈な思いをさせているね。気晴らしに何かあるといいのだが」
ハインリヒの言葉にリーゼロッテはかえって恐縮してしまう。
「王子殿下。わたくし、領地のお屋敷にいるときよりも、ずっと自由に、快適に過ごさせていただいております。感謝こそすれ不満を申し上げるなんてとんでもないことですわ」
物心ついたときから毎日小鬼たちに転ばされていたことを考えると、リーゼロッテにとって今の生活はパラダイスだった。その言葉に、ハインリヒがジークヴァルトをジト目で見る。
「ヴァルト、リーゼロッテ嬢がよくできた婚約者で本当によかったな」
ジークヴァルトは聞こえなかったかのように、ふいと顔をそむけた。
「まあ、いい。リーゼロッテ嬢は何かしたいことはないかい? 今はまだ、城からは出してあげられないけど、外商を呼んで何か買ってもいいし、城下ではやりのお菓子など取り寄せてもいい」
もちろんヴァルトの支払いでね、とハインリヒは続けた。リーゼロッテは可愛らしく小首をかしげてしばらく考え込んだ。
「……でしたら、わたくし、アンネマリーと会いたいですわ。アンネマリーもまだこちらにいると伺っております。お許しいただけるのなら、少し話がしたいです」
その言葉に、なぜかハインリヒが急に咳込んだ。その後ろで、カイがニマニマと笑っている。
「王子殿下?」
「いや、失礼、何でもない。クラッセン侯爵令嬢だね。うん、わかったよ。義母上に一度お伺いを立ててみる」
アンネマリーは今、王妃の離宮に滞在している。王妃の離宮は、国王以外の男性は、王子であっても許可なく立ち入ることはできないのだ。
「それで、最近はどうだい? 力は扱えるようになってきた?」
そう話を振られて、リーゼロッテはかぶりをふった。あれから原因を探るものの、リーゼロッテの内に力は存在していても、その発動には至っていない。成果があったとすれば、ジークヴァルトがいなくても、守り石があれば異形の者が見えるようになってきたことぐらいだ。
「目詰まりだな」
ジークヴァルトのその言葉に、ハインリヒが「もっとわかるように話せ」と嘆息した。
この目詰まり発言は、ジークヴァルトからずっと言われ続けている。リーゼロッテは排水溝のように言われて、いたく傷ついていた。
「ダーミッシュ嬢の力は、内部で秩序なく対流している。この半月、流れを確認しているが、力が行き場をなくしてそのうち破裂しそうにも感じる。ある程度たまれば漏れ出てくるかとみているが、今のところその様子もない」
と、この状態をジークヴァルトは『力の目詰まり』と呼んでいる。
(だったらド〇ストでもパイプ〇ニッシュでも持ってきてよ)
毎日毎日目詰まってると言われるこちらの身にもなってほしいと、リーゼロッテは気づかれないようにため息をついた。
「……そうか、状況はわかった。だが、女性に対して目詰まりはよせ」
「そうですよー、デリカシーのない男は嫌われますよー」
「お前が言うな、カイ」
ハインリヒの突っ込みに、カイは「なんでですかー」と不服そうに返した。
「……わたくし、殿下が王太子であらせられて、我が国はこれからも安泰だと、今、改めて心からそう思いましたわ」
「非常識を前にすると、大概はまともに見えるものだよ」
リーゼロッテの言葉に、ハインリヒは微妙に遠い目をして答えた。
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