ふたつ名の令嬢と龍の託宣【第二部公爵夫人編開始】

古堂 素央

文字の大きさ
上 下
32 / 528
第1章 ふたつ名の令嬢と龍の託宣

第7話 籠の中の乙女

しおりを挟む
「それで、ジークヴァルトの小鳥は、王城にとどまることになったのね?」

 目の前でひざまずいてこうべをたれているカイに、王妃は問うた。

「恐れながら王妃殿下。リーゼロッテ・ダーミッシュ伯爵令嬢は、ハインリヒ王太子殿下の庇護の下、ジークヴァルト・フーゲンベルク公爵閣下がお世話をされることとなりました」
「あらそう、つまらない」

 王妃は手に持った扇を、ぱたりとたたんだ。

「公爵閣下がしばらく王太子殿下の護衛を外れるため、当分の間、不肖わたくし目、カイ・デルプフェルトが、ハインリヒ様の護衛を務めさせていただきます」

 カイの言葉に、そう、と王妃は興味なさげに返した。

「あの子は……、ハインリヒは、今どうしているかしら?」
「王太子殿下は……おそらく、殿下の奥庭にいらっしゃるのではないかと……」
「ああ、そうね」

 ハインリヒのことだ。今頃は、おもいきり癒しを求めていることだろう。

 始終、恭しい態度を貫いていたカイは、ふいに顔を起こしたかと思うと、王妃の目を無礼にもじっと見つめた。

「ときにイジドーラ様。リーゼロッテ嬢は、イグナーツ様のご息女なんですよね?」

 その気安い問いに、王妃は目を見開いた。

「あら、そうね。どうして気づかなかったのかしら」

 昼間目にしたハニーブロンドと緑の瞳は、ラウエンシュタイン家の特徴ではないか。
 茶会の時、あの娘はずっと目を伏せていたが、あそこまで見事に緑の瞳を持つ者は、ブラオエルシュタイン国ではそうはいなかった。あの令嬢は、マルグリットとイグナーツの娘だったのだ。

 イジドーラとマルグリットは社交界デビューが近く、ふたりとも公爵家の令嬢であったため、何かと比べられることが多かった。マルグリットの見事なハニーブロンドと、自分のくすんだアッシュブロンドが話題にされ、たびたび悔しい思いをしたものだった。

 イジドーラはマルグリットが嫌いだった。だが、彼女はもういない。

 あの令嬢にマルグリットの面影はあっただろうか? ふと思って、イジドーラ王妃は首をひねった。
 所作の美しい娘ではあったが、どうも顔が思い出せない。昼間にはあれだけまじまじと観察したというのに、あるのはぼんやりとしたイメージだけ。
 人間観察に長けたイジドーラにしてはめずらしいことであった。

「解せないわ」

 たたんだままの扇を口元にあて、イジドーラはつぶやいた。

 そのとき、王妃に目通りを求める者の来訪が告げられる。

「恐れながら王妃殿下。ハインリヒ王太子殿下のお言葉を届けに参上つかまつりました」

 頭をたれてその者は続けた。

「アンネマリー・クラッセン侯爵令嬢を、今日一晩、王妃殿下の離宮にて保護していただけないかとのご伝言です」

「アンネマリー嬢はリーゼロッテ嬢の従姉いとこだそうですよ、イジドーラ様」

 リーゼロッテ嬢を心配して王城に居残ったみたいです、とつけ加えながら、灰色の髪の少年、カイは、王妃の許可もなく立ち上がった。

「あらそう」

 カイの無作法ぶりを気にとめた様子もなく、王妃はしばらく考えをめぐらせた。
 イジドーラとカイは、叔母・甥の間柄である。ときおり、王妃様と家臣ごっこをして遊ぶのが、ふたりのブームだった。
 まわりの者は、もう慣れたとばかりに静観している。要は、諦めたのだ。

「いいわ、滞在を許可します。クラッセン侯爵令嬢は、星読みの間に通しなさい」

 その王妃の言葉を聞いて、後ろに控えていた王妃付きの女官が目を見開いた。

「恐れながら王妃様。星読みの間にお通しするなど……」

 女官の震える言葉に、王妃は重ねるように言った。

「問題ないわ。丁重にもてなしなさい」
「あれ? イジドーラ様的には、アンネマリー嬢なんだ? 確かに彼女、ハインリヒ様のドストライクですけど……」

 カイのその問いに答えはせず、イジドーラ王妃はうすい水色の目を細めて、人の悪そうな笑みを浮かべた。

「ときにカイ。ハインリヒの今後の予定はどうなっているかしら?」
「ハインリヒ様のご予定ですか?」

 朝の王議会出席は毎日あるが、最近の大きな予定といえば、宰相との歓談を兼ねた昼食会や、王都での新しい橋の着工のための式典への出席、司祭枢機卿の誕生日を祝う会の出席など、その他こまごました公務がいくつかあった。カイにそれを聞くと、「そう」と言って、王妃はまたしばらく黙り込んだ。

 こういった時の彼女は、頭の中で策略をめぐらせている。気分のおもむくまま好き勝手やっているようで、その実、計算高く行動していた。
 カイは、そんな叔母が好きだった。かっちりと型にはまった自由のない身分にいながらも、思うままに生きるイジドーラがまぶしくもあった。巧妙かつ狡猾で、そのくせ、失敗も多い。その失敗すら楽しんでいる節がある。

「決めたわ」

 王妃は閉じていた扇を再び開いた。

「ミヒャエル司祭枢機卿のもとには、わたくしが赴きます」
「えぇっ? でも、イジドーラ様、あのハゲデブオヤジのこと、すんげー毛嫌いしてるじゃありませんか」

 王妃の言葉に、カイはびっくりしたように言った。

「いいのよ。ハインリヒには休息が必要だわ」

 主に疲れさせているのは、王妃本人なのだが、そこに突っ込む者はいなかった。

「そのかわり……シネヴァの森の奥底に、かわいい子猫が迷い込んでしまうかもしれないわ……」

 王妃は、カイに向かって意味ありげな視線をよこした。つられてカイが、いたずらを思いついた子供のような顔になる。

 飛び込んできた子猫を逃がす手はない。だが、もう少し算段を整えなくてはならないだろう。最大限の注意を払わなければ――かわいいハインリヒが、悲しむことのないように……。

「カイ。そのときは、くれぐれも……ね?」

 イジドーラとカイは、見つめ合ったまま、どちらともなく不敵な笑みをうかべる。

「仰せのままに。王妃殿下」

 カイは恭しく腰を折り、イジドーラに頭をたれた。
しおりを挟む
※小説家になろうグループムーンライトノベルズにて【R18】ふたつ名の令嬢と龍の託宣 不定期投稿中☆
 第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣 スタートました♡
※アルファポリス版は第1部令嬢編として一度完結としましたが、ムーンでは第6章を継続投稿中です。
 こちらはR18ですので、18歳以上(高校生不可)の方のみ閲覧できます。
感想 2

あなたにおすすめの小説

完結 「愛が重い」と言われたので尽くすのを全部止めたところ

音爽(ネソウ)
恋愛
アルミロ・ルファーノ伯爵令息は身体が弱くいつも臥せっていた。財があっても自由がないと嘆く。 だが、そんな彼を幼少期から知る婚約者ニーナ・ガーナインは献身的につくした。 相思相愛で結ばれたはずが健気に尽くす彼女を疎ましく感じる相手。 どんな無茶な要望にも応えていたはずが裏切られることになる。

異世界転移聖女の侍女にされ殺された公爵令嬢ですが、時を逆行したのでお告げと称して聖女の功績を先取り実行してみた結果

富士とまと
恋愛
公爵令嬢が、異世界から召喚された聖女に婚約者である皇太子を横取りし婚約破棄される。 そのうえ、聖女の世話役として、侍女のように働かされることになる。理不尽な要求にも色々耐えていたのに、ある日「もう飽きたつまんない」と聖女が言いだし、冤罪をかけられ牢屋に入れられ毒殺される。 死んだと思ったら、時をさかのぼっていた。皇太子との関係を改めてやり直す中、聖女と過ごした日々に見聞きした知識を生かすことができることに気が付き……。殿下の呪いを解いたり、水害を防いだりとしながら過ごすあいだに、運命の時を迎え……え?ええ?

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】愛してるなんて言うから

空原海
恋愛
「メアリー、俺はこの婚約を破棄したい」  婚約が決まって、三年が経とうかという頃に切り出された婚約破棄。  婚約の理由は、アラン様のお父様とわたしのお母様が、昔恋人同士だったから。 ――なんだそれ。ふざけてんのか。  わたし達は婚約解消を前提とした婚約を、互いに了承し合った。 第1部が恋物語。 第2部は裏事情の暴露大会。親世代の愛憎確執バトル、スタートッ! ※ 一話のみ挿絵があります。サブタイトルに(※挿絵あり)と表記しております。  苦手な方、ごめんなさい。挿絵の箇所は、するーっと流してくださると幸いです。

【完】夫から冷遇される伯爵夫人でしたが、身分を隠して踊り子として夜働いていたら、その夫に見初められました。

112
恋愛
伯爵家同士の結婚、申し分ない筈だった。 エッジワーズ家の娘、エリシアは踊り子の娘だったが為に嫁ぎ先の夫に冷遇され、虐げられ、屋敷を追い出される。 庭の片隅、掘っ立て小屋で生活していたエリシアは、街で祝祭が開かれることを耳にする。どうせ誰からも顧みられないからと、こっそり抜け出して街へ向かう。すると街の中心部で民衆が音楽に合わせて踊っていた。その輪の中にエリシアも入り一緒になって踊っていると──

【完結済】隣国でひっそりと子育てしている私のことを、執着心むき出しの初恋が追いかけてきます

鳴宮野々花@書籍2冊発売中
恋愛
 一夜の過ちだなんて思いたくない。私にとって彼とのあの夜は、人生で唯一の、最良の思い出なのだから。彼のおかげで、この子に会えた────  私、この子と生きていきますっ!!  シアーズ男爵家の末娘ティナレインは、男爵が隣国出身のメイドに手をつけてできた娘だった。ティナレインは隣国の一部の者が持つ魔力(治癒術)を微力ながら持っており、そのため男爵夫人に一層疎まれ、男爵家後継ぎの兄と、世渡り上手で気の強い姉の下で、影薄く過ごしていた。  幼いティナレインは、優しい侯爵家の子息セシルと親しくなっていくが、息子がティナレインに入れ込みすぎていることを嫌う侯爵夫人は、シアーズ男爵夫人に苦言を呈す。侯爵夫人の機嫌を損ねることが怖い義母から強く叱られ、ティナレインはセシルとの接触を禁止されてしまう。  時を経て、貴族学園で再会する二人。忘れられなかったティナへの想いが燃え上がるセシルは猛アタックするが、ティナは自分の想いを封じ込めるように、セシルを避ける。  やがてティナレインは、とある商会の成金経営者と婚約させられることとなり、学園を中退。想い合いながらも会うことすら叶わなくなった二人だが、ある夜偶然の再会を果たす。  それから数ヶ月。結婚を目前に控えたティナレインは、隣国へと逃げる決意をした。自分のお腹に宿っていることに気付いた、大切な我が子を守るために。  けれど、名を偽り可愛い我が子の子育てをしながら懸命に生きていたティナレインと、彼女を諦めきれないセシルは、ある日運命的な再会を果たし────  生まれ育った屋敷で冷遇され続けた挙げ句、最低な成金ジジイと結婚させられそうになったヒロインが、我が子を守るために全てを捨てて新しい人生を切り拓いていこうと奮闘する物語です。 ※いつもの完全オリジナルファンタジー世界の物語です。全てがファンタジーです。 ※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

その眼差しは凍てつく刃*冷たい婚約者にウンザリしてます*

音爽(ネソウ)
恋愛
義妹に優しく、婚約者の令嬢には極寒対応。 塩対応より下があるなんて……。 この婚約は間違っている? *2021年7月完結

処理中です...