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第1章 ふたつ名の令嬢と龍の託宣
第2話 深窓の妖精姫
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時をさかのぼること、王妃のお茶会が開かれる少し前のこと。十四歳のリーゼロッテは、領地の屋敷で何の代り映えもしない毎日を送っていた。
「お嬢様。今日はどのようにいたしましょう?」
小さなスツールに腰掛けたリーデロッテの髪をブラシで梳きながら、侍女のエラが声をかける。
果ての見えない廊下の床を、延々とモップ掛けをする夢をみたせいか、リーゼロッテはあまりぐっすり寝た気がしていなかった。夢の中、廊下がピカピカ・ツルツルになるまで延々と磨き続けたのだ。
「エラのおまかせでお願いするわ」
あくびをこらえながらそう答えた。
「かしこまりました、お嬢様」
慣れた手つきでエラは、リーゼロッテの蜂蜜色の艶やかな髪を、器用に編み込んでいく。ゆるくウェーブのかかった髪をハーフアップにして、仕上げにリーゼロッテの瞳の色に合わせた緑のリボンを結んだ。
「今日もとてもお可愛らしいです」
光かがやくリーゼロッテの髪を見て、エラは満足そうにうなずいた。
リーゼロッテは、その仕上がりを確認することはできない。スツールに腰かけているものの、本来なら令嬢の部屋にあってしかるべきであろうドレッサーは、この部屋には存在しなかった。
ドレッサーだけではない。簡素な調度品しか置いていないこの部屋は、 およそ伯爵令嬢の部屋とは思えなかった。天蓋付きのベッド、上質だがそっけない四角いテーブルとソファ、広い部屋を見渡してもたったそれだけだった。
重厚なカーテンがかかる窓には、なぜか鉄の格子がはめられている。調度品の作りはそれなりに立派だが、見ようによっては、牢獄のような印象をうける部屋であった。
鉄の格子はリーゼロッテが自ら、義父であるダーミッシュ伯爵にお願いしてつけてもらったものだ。これがあると、万が一窓ガラスが割れてもケガをしにくいのだ。
リーゼロッテの周りでは、とにかくトラブルが絶えない。窓ガラスに石が飛んできて割れたり、窓からカラスが突っ込んできたり、皿がとんでいって使用人が軽い怪我を負ったこともあった。
ドレッサーの鏡も同様である。何度買い替えても、何かしらのことが起きて結局は割れてしまうため、部屋に置くこと自体をあきらめたのだ。
とにかく、リーゼロッテの部屋には、割れそうなもの、飛びそうなもの、倒れそうなもの、刺さりそうなものは、一切置かれていなかった。
おかげでリーゼロッテは、ここ何年も、自分の顔を自らの目で見たことはなかった。せいぜい紅茶にうつる自分の姿を確認するくらいである。
家族はもとより、侍女のエラをはじめ使用人たちは、みな口をそろえたようにリーゼロッテの容姿をほめたたえる。しかし、リーゼロッテはそれを疑っていた。
自分の記憶の中のリーゼロッテは、蜂蜜色の美しい金髪で、エメラルドのような大きな緑の瞳を持ち、睫毛はお姫様のように長く美しくカールしていた。白い肌はしみひとつなく、こぶりな唇は化粧を施さなくてもバラ色に色づき、柔らかそうな頬はずっと触っていたいくらいすべらかだ。
(日本だったら、アイドル級の美少女だわ)
リーゼロッテには、小さいころから不思議な記憶があった。日本という、こことは違う世界の小さな島国で生きていた記憶である。どこのだれ、ということは全く覚えていないのだが、知識や思考の偏りを考えると、女性として確かに日本で生活していたのだと思う。
リーゼロッテは本当に可愛い少女だ。今でもそう思っている。しかしそれは、あくまで日本人基準としての可愛い、である。
人の美醜は、時代や場所に応じて、違ってくるものだ。しもぶくれが絶世の美女な時代もあれば、ふくよかさが美しさの象徴である国もある。
リーゼロッテが小さい頃、のぞき込んでいただけの手鏡にいきなりヒビが入ったことがあって、そのこともかなりトラウマになっている。
(鏡も拒絶するくらい、自分は醜いのかもしれない)
ときおりやってくる新しい使用人に、悪魔を見るような目で見られたこともあった。口には出さなかったが、しばらくそのことで落ち込んでいたら、その使用人はいつの間にかいなくなっていた。
気づけばまわりにいるのは、リーゼロッテに気を遣ってくれる、やさしい使用人ばかりになっていたのである。
(心だけでも清くあらねば、いつかはみんなに見捨てられてしまう!)
リーゼロッテは、いつしかそんな危機感を覚えた。
だから、この世界では自分は決して可愛い部類には入らないと、リーゼロッテは信じて疑わない。家族や使用人の言うことは、身内のひいき目があってこそ。それを鵜呑みにして世間に出れば、己が恥ずかしい思いをするに違いない。
一歩間違えば、乙女ゲームによくいる傲慢な悪役令嬢の仲間入りだ。
その謙虚さがまた、周囲の人間の心を捉えていることに、リーゼロッテは気づいていなかった。誰に対しても分け隔てなく接し、常に気づかいと感謝の言葉を与えるリーゼロッテは、使用人にとっては理想の主人であった。
リーゼロッテにしてみれば、日本人の価値観として、何も特別なことをしている感覚はなかったのだが、使用人からは妖精のように可愛らしいやさしいお嬢様と慕われていた。
外に全く姿をみせないリーゼロッテは、使用人たちのそんな評判が相まって、巷では『深窓の妖精姫』などと呼ばれ、幻の令嬢扱いされている。知らぬは本人ばかりなり、であった。
「お嬢様。今日はどのようにいたしましょう?」
小さなスツールに腰掛けたリーデロッテの髪をブラシで梳きながら、侍女のエラが声をかける。
果ての見えない廊下の床を、延々とモップ掛けをする夢をみたせいか、リーゼロッテはあまりぐっすり寝た気がしていなかった。夢の中、廊下がピカピカ・ツルツルになるまで延々と磨き続けたのだ。
「エラのおまかせでお願いするわ」
あくびをこらえながらそう答えた。
「かしこまりました、お嬢様」
慣れた手つきでエラは、リーゼロッテの蜂蜜色の艶やかな髪を、器用に編み込んでいく。ゆるくウェーブのかかった髪をハーフアップにして、仕上げにリーゼロッテの瞳の色に合わせた緑のリボンを結んだ。
「今日もとてもお可愛らしいです」
光かがやくリーゼロッテの髪を見て、エラは満足そうにうなずいた。
リーゼロッテは、その仕上がりを確認することはできない。スツールに腰かけているものの、本来なら令嬢の部屋にあってしかるべきであろうドレッサーは、この部屋には存在しなかった。
ドレッサーだけではない。簡素な調度品しか置いていないこの部屋は、 およそ伯爵令嬢の部屋とは思えなかった。天蓋付きのベッド、上質だがそっけない四角いテーブルとソファ、広い部屋を見渡してもたったそれだけだった。
重厚なカーテンがかかる窓には、なぜか鉄の格子がはめられている。調度品の作りはそれなりに立派だが、見ようによっては、牢獄のような印象をうける部屋であった。
鉄の格子はリーゼロッテが自ら、義父であるダーミッシュ伯爵にお願いしてつけてもらったものだ。これがあると、万が一窓ガラスが割れてもケガをしにくいのだ。
リーゼロッテの周りでは、とにかくトラブルが絶えない。窓ガラスに石が飛んできて割れたり、窓からカラスが突っ込んできたり、皿がとんでいって使用人が軽い怪我を負ったこともあった。
ドレッサーの鏡も同様である。何度買い替えても、何かしらのことが起きて結局は割れてしまうため、部屋に置くこと自体をあきらめたのだ。
とにかく、リーゼロッテの部屋には、割れそうなもの、飛びそうなもの、倒れそうなもの、刺さりそうなものは、一切置かれていなかった。
おかげでリーゼロッテは、ここ何年も、自分の顔を自らの目で見たことはなかった。せいぜい紅茶にうつる自分の姿を確認するくらいである。
家族はもとより、侍女のエラをはじめ使用人たちは、みな口をそろえたようにリーゼロッテの容姿をほめたたえる。しかし、リーゼロッテはそれを疑っていた。
自分の記憶の中のリーゼロッテは、蜂蜜色の美しい金髪で、エメラルドのような大きな緑の瞳を持ち、睫毛はお姫様のように長く美しくカールしていた。白い肌はしみひとつなく、こぶりな唇は化粧を施さなくてもバラ色に色づき、柔らかそうな頬はずっと触っていたいくらいすべらかだ。
(日本だったら、アイドル級の美少女だわ)
リーゼロッテには、小さいころから不思議な記憶があった。日本という、こことは違う世界の小さな島国で生きていた記憶である。どこのだれ、ということは全く覚えていないのだが、知識や思考の偏りを考えると、女性として確かに日本で生活していたのだと思う。
リーゼロッテは本当に可愛い少女だ。今でもそう思っている。しかしそれは、あくまで日本人基準としての可愛い、である。
人の美醜は、時代や場所に応じて、違ってくるものだ。しもぶくれが絶世の美女な時代もあれば、ふくよかさが美しさの象徴である国もある。
リーゼロッテが小さい頃、のぞき込んでいただけの手鏡にいきなりヒビが入ったことがあって、そのこともかなりトラウマになっている。
(鏡も拒絶するくらい、自分は醜いのかもしれない)
ときおりやってくる新しい使用人に、悪魔を見るような目で見られたこともあった。口には出さなかったが、しばらくそのことで落ち込んでいたら、その使用人はいつの間にかいなくなっていた。
気づけばまわりにいるのは、リーゼロッテに気を遣ってくれる、やさしい使用人ばかりになっていたのである。
(心だけでも清くあらねば、いつかはみんなに見捨てられてしまう!)
リーゼロッテは、いつしかそんな危機感を覚えた。
だから、この世界では自分は決して可愛い部類には入らないと、リーゼロッテは信じて疑わない。家族や使用人の言うことは、身内のひいき目があってこそ。それを鵜呑みにして世間に出れば、己が恥ずかしい思いをするに違いない。
一歩間違えば、乙女ゲームによくいる傲慢な悪役令嬢の仲間入りだ。
その謙虚さがまた、周囲の人間の心を捉えていることに、リーゼロッテは気づいていなかった。誰に対しても分け隔てなく接し、常に気づかいと感謝の言葉を与えるリーゼロッテは、使用人にとっては理想の主人であった。
リーゼロッテにしてみれば、日本人の価値観として、何も特別なことをしている感覚はなかったのだが、使用人からは妖精のように可愛らしいやさしいお嬢様と慕われていた。
外に全く姿をみせないリーゼロッテは、使用人たちのそんな評判が相まって、巷では『深窓の妖精姫』などと呼ばれ、幻の令嬢扱いされている。知らぬは本人ばかりなり、であった。
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