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第1章 ふたつ名の令嬢と龍の託宣

第1話 王妃の茶会

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 そのお茶会は、王妃のために建てられた、王城の離宮の中庭で催される予定だった。
 招待されたのは、十三歳から十五歳までの貴族令嬢たち。控えの間として用意された部屋には、十数人の令嬢とその母親、おつきの侍女たちが集められていた。

 それぞれに豪奢ごうしゃなソファとテーブル、触れるのも恐れ多い高級な茶器に、手の込んだ芸術的な菓子がサーブされている。

 中には侍女を数人連れている令嬢もいて、王城の女官や警護の騎士なども合わせると、控えの間にはかなりの人数がいた。しかし、圧迫感を感じることはなく、部屋はゆったりと過ごせる程度の広さがあった。立派な調度品といい、この控えの間で茶会を開いてもおかしくないほどである。

 ここブラオエルシュタインでは、貴族の令息・令嬢たちは、一般的に十五歳で社交界デビューを果たす。十三歳くらいから身内のパーティーなどに出席する者もいるが、本格的なデビューは、年に一度王城で開催される大規模な夜会でおこなわれていた。

 今日、王妃に招待されたのは、デビュー前の令嬢のみ。そんな年端もいかない令嬢たちが、いきなり王妃のお茶会に招待されるのは、近年では異例のことであった。

 王妃のお茶会と称したこの会は、その実、王位継承者である王太子殿下のお見合いパーティーである――

 そんな囁きが控えの間に流れ、招待された各家が適度な距離をとつりつつも、それとなく探りながら、お互いを牽制し合っていた。

(お義父様とうさまたちは、このことをご存知だったのかしら……?)

 部屋中で、ひそひそと繰り広げられる噂話を耳にすれば、社交界にうといリーゼロッテにも、自分に招待状が届いた理由が理解できた。

「お嬢様、お加減はいかがですか?」

 物思いにふけっていると、お茶会に同行した侍女のエラが、いつも以上に青白い顔の主人を、心配そうにのぞき込こんでいた。

「大丈夫よ、エラ」

 座っている椅子の背後に控えるエラを振り返り、安心させるようにリーゼロッテはそっと微笑んだ。その姿は何とも儚げである。

 ゆるくウェーブのかかった艶やかな蜂蜜色の金髪に、エメラルドを思わせるような緑色の瞳。伏せられたまつげは長く、その頬に濃い影をおとしている。すべらかな肌は白磁のように白く、血の通わない人形のようにも見えた。

 パステルグリーンのシンプルだが可愛らしいドレスは、華奢きゃしゃなリーゼロッテをさらに可憐にみせている。アクセサリーは、首に下げた一粒の青銅色のネックレスだけだったが、ごてごてと飾り立てるよりも、リーゼロッテの美しい肌をいっそうひき立たせていた。

 リーゼロッテは領地の館から、ほとんど外に出たことがなかった。直射日光に当たることもない不健康な生活だが、自分の体質を思うとそれもまた受け入れざるを得ない。

 リーゼロッテは伯爵家の令嬢として、このお茶会の招待を受けた。義母親ははおやのクリスタは、足に怪我を負っていたため、同行したのは侍女のエラだけだ。社交界デビュー前の令嬢を、母親のつき添いもなしに王妃のもとに送り出すのは、普通ならあり得ないことである。

 しかし、リーゼロッテのたっての願いで、クリスタにはこのお茶会を欠席してもらった。本当はけがを押してでも同行しようとしたのだが。

 このお茶会においてリーゼロッテの最大のミッションは、致命的な粗相そそうをしないこと。
 この一択である。

 つまずいて転ぶなり、お茶をこぼすなり、何かしらのことはやらかすだろう。なぜなら、それはリーゼロッテだから。

 リーゼロッテが生まれてこの方、大小差はあれ、粗相をしなかった日があったであろうか。何もないところで転ぶのは日常茶飯事、食事中に皿をひっくり返したり、屋敷の調度品を破壊したりなど、トラブルは枚挙にいとまがない。

 情けないことだが、自分のドジさ加減は、リーゼロッテ自身が一番よくわかっていた。母親がついていようがいまいが、粗相は避けられないのだ。それはもう宿命のように。

 だとするならば、ダーミッシュ家の家名を汚すような、大それた失敗だけは避けなければならない。自分より上位の令嬢を巻き込んで、キズのひとつでもつけようものなら、とんでもないことになりかねない。

 母親がそばについている状況では、伯爵夫人の恥になり、ひいてはダーミッシュ伯爵の立場が悪くなる。そんなことを気にするような両親ではなかったが、リーゼロッテひとりの参加ならば、デビュー前の子供のやらかすこととして、それほど大ごとにはならないと踏んだのだ。

 自分自身は笑いの種にされるだろうが、このお茶会と社交界デビューさえ乗り切れば、もうおおやけの場に出なくてもよくなるだろう。

 なにせ、リーゼロッテには王命によって決められた婚約者がいた。王命は、貴族にとって絶対である。そもそも、王子のお見合いパーティーに呼ばれたこと自体が謎である。
 不安だが、ここまできたらやりきるしかない。

(まあ、何かやらかして、王子殿下の目にとまったりすれば、それこそラノベ的な展開だけれど)

 そんなことを思っていると、庭園に続くテラスの扉が開かれ、令嬢たちを中庭へと促す声が聞こえてきた。気の早い令嬢と母親たちは、我先に王妃の庭園へと向かっていく。

 リーゼロッテはみじろぎもせず、椅子に浅く腰かけたまま、そんな令嬢たちを見送っていた。とうとう最後の令嬢となったリーゼロッテは、ゆっくりとした動作で立ち上がった。

 もったいぶっているのではない。転ばないように、最大の注意を払った結果、おのずとそうなるのだ。

(慎重に、慎重に……)

 見る人が見ればイラつくような緩慢な足取りで、リーゼロッテは一歩また一歩と、庭園の入口へと歩を進めた。

 控えの間の中をゆっくりと進むリーゼロッテを、他家の侍女のひとりが目で追っていた。そして、小さく悲鳴を上げる。それに気づかないふりをして、リーゼロッテはゆっくりとその侍女の横を通り過ぎた。

 なぜか、リーゼロッテは他人から、主に使用人であるが、このような反応をされることが時折あった。

「もしや、あれが……悪魔の令嬢……?」

 ぶるぶると震えながら、他家の侍女が真っ青な顔でつぶやいた。

 そんなつぶやきを察知したエラが、リーゼロッテと震える侍女の間に入り込む。キッとその侍女をひと睨みすると、エラは最愛の主人であるリーゼロッテの後を追った。
 侍女たちは庭園までついていくことはできないため、エラは控えの間で待機しなくてはならない。

「リーゼロッテお嬢様」

 今にも泣き出しそうな心配顔のエラをゆっくりと振り返り、リーゼロッテはこくりとうなずいて見せた。そして、先ほどと同じ儚げな笑みを残して、ようやく庭園へと足を踏み入れる。

(まぶしいわ……)

 何年かぶりの直射日光に、リーゼロッテは宝石のような緑の瞳をそっと細めた。
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