【完結】シャロームの哀歌

古堂 素央

文字の大きさ
上 下
3 / 5

しおりを挟む
 それからというもの、イザクの訪れは目に見えて減っていった。

 たまの用事で会えたとしても、触れるどころかミリの目を見ようともしてこない。やさしかったイザクは、会うたびに明らかにミリに対してそっけなくなった。

 きっと醜い傷跡を見られてしまったせいなのだろう。

(初めから住む世界が違うひとだったのよ)

 絶望の淵に追いやられ、それでもミリはイザクへの想いを消すことはできなかった。
 飢えに苦しむこともなく、あたたかな布団で横になることも毎日できる。ミリがこうして日々を過ごせるのは、イザクが援助を続けてくれるからだ。

 だから、恨んではいけない。

 メレフも、賢人ハハムも、ミリの家族の犠牲の上でしあわせを享受している人々も。

 この平和になった世界で、イザクもまた生きているのだから。


 孤児院の仕事にミリはますます忙殺されていった。まるでその心を麻痺させるかのように、自身を追い込み日々の作業にのめり込んでいく。

 しかしイザクによる寄付金は驚くほど増やされて、孤児院を手伝う人員も次第に有り余ってきた。

「ミリさんは休んでていいんですよぅ?」
「そうですよ。ミリさんはここの院長になったんですから。座ってゆっくりしててください」

 遠くから聞こえる子供たちの声に、死んだ弟の叫びが重なった。

 ミリは未だにあの日を夢に見る。
 生き物のように荒れ狂う炎、むせかえる煙と熱に逃げ場なく取り囲まれる。成す術もなく火の海の中で、ミリは何度も何度も繰り返し家族を失った。

 昨日のことのような臨場感をもって、その情景はミリを果てなく追い詰める。
 夢を見る気力もないほど、体力尽きるまで働き通しのほうが楽なのに。
 ぽっかりとできた何もすることのない時間に、ミリの思考と感情が次第にさいなまれていく。

 そんな中でもイザクの存在が心の支えとなった。
 苦しいときミリはいつでも、穏やかな彼の笑顔を思い浮かべた。
 戦争で苦しんだのは何も自分だけではない。国中が疲弊し、ようやく平和を手に入れたのだ。
 今、自分はイザクに生かされている。そのことに感謝し、イザクのしあわせを遠くから祈り続けよう。
 家族の無残な最期が胸をよぎっても、ミリは自分にそう言い聞かせ続けた。


 乾いた風が吹く中、ミリは気晴らしに外へ出た。

 なぜ自分は未だここにいるのだろう。
 部屋に籠っていると、そんな疑問が湧き上がってくる。

 孤児院の院長として皆から必要とされているはずなのに、ミリの心は常に無価値感に占拠されていた。

 風にはためく干されたシーツの列が、太陽の匂いを運んでくる。
 いつかこのあたたかな香りの中に、イザクとふたりで閉じ込められた。

 彼はとうに忘れてしまったかもしれない。
 くるまれたシーツの中での甘い口づけは、ミリにとって永遠に消えない秘密の宝物だ。

(このまま消えてなくなってしまおうか……)

 やさしい思い出に包まれて、すべてを終わらせてしまえたら。

「ミリ……!」
「イザク様……?」

 駆け込んできたイザクに、ミリは息を飲んだ。
 あの日も彼のことを考えていて、イザクは目の前に現れた。

「あ、いや、ミリが独りで泣いているのかと……」

 吹く風に誘われるように、イザクの手がミリの頬に延ばされる。
 あの日のように唇をなぞる指先が、心を覆う冷たい氷をやさしく溶かしていった。

「すまない、わたしの気のせいだったようだ」

 視線を逸らし、イザクはミリから手を離した。残された僅かな温もりに、ミリの心がどうしようもなく締めつけられる。

(イザク様はずっと変わらない)

 そして、きっとミリの秘められた想いも。

 風にあおられたシーツが、割るようにふたりの間を隔てていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

とある令嬢の断罪劇

古堂 素央
ファンタジー
本当に裁かれるべきだったのは誰? 時を超え、役どころを変え、それぞれの因果は巡りゆく。 とある令嬢の断罪にまつわる、嘘と真実の物語。

【悲恋短編シリーズ】 亡国の王女の秘めた恋

沙羅杏樹
恋愛
祖国を失った王女セリーナは、敵国の捕虜として宮殿に幽閉されていた。 憎しみと復讐心に燃える彼女の前に現れたのは、敵国の若き騎士団長アレクシオ。 当初、セリーナはアレクシオを警戒していたが、彼の誠実な態度と優しさに次第に心を開いていく。 しかし、敵対する国の王女と騎士という立場は、彼らの関係に大きな試練をもたらす。 周囲の目、国家への忠誠、そして自らの使命。相反する想いの中で、セリーナは苦悩する。 運命の分岐点に立たされた二人。彼らの選択は、自身の人生だけでなく、国の未来をも左右することになる。 彼女の前には、どんな未来が待ち受けているのか。そして、アレクシオとの愛の行方は——。 祖国再興を目指す王女の悲恋物語。

欲しいものが手に入らないお話

奏穏朔良
恋愛
いつだって私が欲しいと望むものは手に入らなかった。

ヤンデレ王太子と、それに振り回される優しい婚約者のお話

下菊みこと
恋愛
この世界の女神に悪役令嬢の役に選ばれたはずが、ヤンデレ王太子のせいで悪役令嬢になれなかった優しすぎる女の子のお話。あと女神様配役ミスってると思う。 転生者は乙女ゲームの世界に転生したと思ってるヒロインのみ。主人公の悪役令嬢は普通に現地主人公。 実は乙女ゲームの世界に似せて作られた別物の世界で、勘違いヒロインルシアをなんとか救おうとする主人公リュシーの奮闘を見て行ってください。 小説家になろう様でも投稿しています。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

拝啓、大切なあなたへ

茂栖 もす
恋愛
それはある日のこと、絶望の底にいたトゥラウム宛てに一通の手紙が届いた。 差出人はエリア。突然、別れを告げた恋人だった。 そこには、衝撃的な事実が書かれていて─── 手紙を受け取った瞬間から、トゥラウムとエリアの終わってしまったはずの恋が再び動き始めた。 これは、一通の手紙から始まる物語。【再会】をテーマにした短編で、5話で完結です。 ※以前、別PNで、小説家になろう様に投稿したものですが、今回、アルファポリス様用に加筆修正して投稿しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

実在しないのかもしれない

真朱
恋愛
実家の小さい商会を仕切っているロゼリエに、お見合いの話が舞い込んだ。相手は大きな商会を営む伯爵家のご嫡男。が、お見合いの席に相手はいなかった。「極度の人見知りのため、直接顔を見せることが難しい」なんて無茶な理由でいつまでも逃げ回る伯爵家。お見合い相手とやら、もしかして実在しない・・・? ※異世界か不明ですが、中世ヨーロッパ風の架空の国のお話です。 ※細かく設定しておりませんので、何でもあり・ご都合主義をご容赦ください。 ※内輪でドタバタしてるだけの、高い山も深い谷もない平和なお話です。何かすみません。

処理中です...