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第四章 その王子、瓶底眼鏡につき
山田の素顔
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鼻息マックスの山田に飛びかかられようとしたとき、ウォンウォンっと犬の吠え声がした。
遠くからモップのようなでっかい犬が、こちら目がけて走って来てる。
あの犬は確か……。
「ビスキュイ!」
なんていいところに来てくれたんだ!
このモップ犬は前に来たとき会ったことがある犬。お城で飼われてて、コモンドールとかいう犬種だったはず。
なんとか山田の手から逃れて、そのビスキュイに駆け寄った。
やばっ、勢いとは言えみんなの前で王子を振り切っちゃったよ。
ここはもう感動の再会を演出してごまかすしかないな。子供のころに一度しか会ったことのない犬だけれども。
「久しぶりね、ビスキュイ! 会いたかったわ、元気にしていた!?」
「わふんっ」
飛びついて来るビスキュイを両腕を広げてキャッチする。勢いで押し倒されて、そのままベロベロと顔を舐めまわされた。
おお、ビスキュイ、君もノリがいいな。
今日で二度目ましてなのに、本当に感動の再会みたいだ。
髪もドレスも草まみれになったけど、おかげで無邪気な令嬢って感じに受け止められたみたい。
これで王子をソデにした不敬行為を、周りから咎められることもなさそうだ。こんなことで断罪とかなったら、ホント泣くに泣けないからね。
「ハナコ、大丈夫か?」
「あ……シュン様、申し訳ございません。わたくし子供のようにはしゃいでしまって……」
我に返った感じで、恥ずかしげに頬を染めてみた。
わたしってば、もしかして大女優になれるんじゃ。
「ビスキュイに会うのは本当に久しぶりなものですから」
「ああ、ビスキュイもハナコに会えてうれしそうだな」
ぺたりと座り込むわたしの横に、山田も腰を下ろした。
地面に直接座るだなんて、王子がそんなことして大丈夫なの?
っていうか近すぎる。もっと適切な距離ってもんがあるでしょうが。
そんなわたしたちの間に、ビスキュイが無理やり割り込んできた。真ん中にすっぽりハマりこんで、しっぽを振りながらわたしと山田を交互に見上げてくる。
ナイス、ビスキュイ!
近衛兵なんかよりもずっと役に立つじゃないか。
真夏のモフモフは暑苦しいけど、山田のウザさに比べたら可愛いレベルだよね。
ってか、ちっとも暑くないような?
木陰を出て今は真夏の直射日光浴びている。なのにクーラーみたいな涼しい風が、ずっとそよそよ吹いてきてるし。
「ときにハナコ、暑くはないか?」
「ええ、とても心地よいですわ」
「そうか、上手くいっているようで安心した」
「もしかしてこれはシュン様が……?」
「ああ、この庭一帯に冷風の魔法を流してみている。魔力制御の鍛錬にはちょうどいいな」
そういやメイドも近衛兵たちも、みんな汗ひとつかいてない。
この広い庭を持続的に冷やすとなると、相当な魔力と集中力が必要なハズ。でも山田は平然とした顔のままだし。
山田ってホントに優秀な王子なんだな。性格はなんとも残念だけど。
「さすがはシュン様ですわ! お陰でビスキュイを心置きなく可愛がれます」
「む、そうか」
これだけ持ち上げられたら、山田だって引き下がるしかなくなるよね。念のため、スキを与えないようにビスキュイを腕に抱え込んだ。
「仕方がないな。今日だけはビスキュイに譲るとするか」
やった、山田が諦めた!
今日だけと言わず、永遠に譲ってくれるといいんだけど。そして雪山での約束もこのまま有耶無耶になってしまえ。
「ハナコとの約束は機会を改めまた仕切りなおそう」
仕切りなおさんでいいっ。
大声で突っ込めないのが口惜しいんですけど。
「ほほほ、シュン様、ご無理なさらずですわ。ね、ビスキュイもそう思うでしょう?」
「わふんっ」
いい返事だぞ、ビスキュイ。それにしてもなんて賢いワンコなんだろう。
モップヘアをなでくり回すと、また顔をべろんべろんに舐めまわされた。山田に匂いをかがれるよりは、数億倍ましって感じ。
「命の恩人に会えてうれしいのは分かるが……ビスキュイ、ハナコを譲るのは本当に今日だけだぞ?」
山田がしょうがないといった感じの息を漏らした。
ってか、命の恩人ってどういうこと?
ビスキュイに会ったのは、初めてお城に行った日のことだ。確かわたしが十歳くらいのときだったかな?
本当のこと言うと、あの日ビスキュイには近づきもしなかった。だってビスキュイってば、怪我をしていて触ってほしくなさそうだったから。
「シュン様、命の恩人とはどういうことでしょうか?」
「ハナコは知らなかったのかもしれないが、あの頃のビスキュイは急に攻撃的になっていたのだ」
「このビスキュイが……?」
人懐っこそうな瞳が、今もモップ毛の間からのぞいている。
「ずっと穏やかな性格だったのだが。わたしも一度噛みつかれそうになってだな。子犬のころから育てていたのに、当時は相当ショックに思ったものだ」
遠い目をして山田はビスキュイの頭をなでた。
「あの日ハナコがビスキュイの怪我を指摘しなかったら、今頃ビスキュイは殺処分されていたことだろう」
「まぁ、そんなことが……」
痛みで攻撃的になってたってこと?
まぁ、このモップみたいな毛むくじゃらしてたら、ちょっとした怪我なんて外から見ても分からないよね。
「今こうしていられるのもハナコのお陰だ。ビスキュイだけではなく、わたしも本当に感謝している」
穏やかに微笑まれ、ちょっとたじろいだ。
山田がわたしを好きになったキッカケって、もしかしてコレだったりする?
「うれしいお言葉ですが……そのように言っていただくのは心苦しいですわ」
あいまいだった記憶が、今急に蘇ってきた。
なんでビスキュイの怪我に気づいたかって言うと、あのときわたしも靴擦れしててめちゃくちゃ痛みを我慢してたんだ。
多分、ビスキュイから同じ空気を感じ取って、それで気づいただけなんだと思う。
「恥ずかしながらあの日わたくしも足を痛めておりましたの。わたくしは痛みをきちんと我慢できているのに、お前はそんなふうに不機嫌にしているのね。内心ではそうビスキュイを馬鹿にしていたのですわ」
初めてお城に行くってんで、ハナコってば高いヒールの靴を履くって言って聞かなかったんだよね。慣れない靴はやめた方がいいって周りは必死に止めてきたんだけど。
そんな経緯もあって足が痛いって言い出せなかったんだ。そこにきて怪我したビスキュイは素直に痛そうにしててさ。
自分エライって思いたいがために、お前は低俗な犬だから我慢もできないのねって蔑んでたってわけ。
「ですからわたくし、命の恩人と呼ぶには値しませんわ」
「いや、ハナコは立派な恩人だ。結果的にビスキュイを救ったのだから」
「わふんっ」
「そうか、ビスキュイもそう思うか」
なぬ? ビスキュイお前、ここにきて山田に寝返るんか。
せっかく山田ん中で美談になってるわたしの行いを、黒歴史に塗り変えようって思ったのに。
恩を仇で返すだなんてひどい仕打ちなんですけど。
「そうだとしても、シュン様が思われるほどわたくしはできた人間ではございませんわ」
「……ハナコは本当に謙虚だな。実に好ましい」
ちょっ、逆に好感度上がってない!?
すべてが裏目に出てる気がするのはどういうこった?
ぎゃっ、ビスキュイ!
わたしの顔を舐めたその口で、山田をべろんべろんするんじゃないっ。
そしてさらにわたしを舐めようとしてくるなっ。
「おほほほ、分かったから少し落ち着きなさい」
交互に舐めようとしてくるビスキュイを押しやると、今度は集中的に山田を舐めだした。勢いで瓶底眼鏡が斜めにずれる。
はっ、何気に今チャンスじゃない?
「たいへんですわ、シュン様の眼鏡がビスキュイのよだれで……!」
浄化魔法を使われる前に、さっと眼鏡を奪い取った。
未希に言われたミッションくらいは、せめて完了しときたい。何の収穫もないまま帰ったら、ただ好感度上げただけの一日になっちゃうもんね。
さぁ、山田の素顔を拝見だ!
って思ったら、山田は手探りで芝生の上を探ってる。そんなにうつむいてちゃ、肝心の顔が分からないんですけど。
「ハナコ? それがないとわたしは何も見えないんだ」
地面に手を突いたまま、山田がゆっくりと顔を上げた。その様子を固唾を飲んで見守ってたんだけど。
「ひっ!」
思わず悲鳴を上げたわたしを許してほしい。
だってそこには、ものすっごい恐い目つきをした山田がいたんだもの。
三白眼って言うの?
それこそ任侠映画に出てきそうな三下の殺し屋って感じでさ。
別に眼鏡取ったら美形だなんて、健太が言ってたみたいに期待してたわけじゃないんだけど。
あまりにも斜め上行く山田の素顔に、さすがのわたしも言葉を失っちゃった。
手探りでビスキュイの元にたどり着くと、山田はモフ顔を両手で挟み込んだ。
「ハナコ……ずいぶんと毛深くなったのだな?」
「シュン様、それはビスキュイですわ」
どんだけ見えてないんだよ。
鼻先をくっつけて至近距離で見つめ合ってるってのに。
「少しお待ちいただけますか? 今レンズを拭きますから」
「すまない、手間をかける」
ってか、分厚いレンズだな。
言った手前、形だけこちょこちょと拭き取った。
なんだか汚れが引き伸ばされただけのような気がしないでもない。犬のよだれってなんでこんなにねちょねちょしてんの?
ま、いっか。見えづらかったら自分で浄化魔法をかけるだろうし。
「はい、シュン様。お待たせいたしましたわ」
うをっ、近くで見るとますますコワイ顔してんな。
直視できないレベルのオソロシサなんですけど。
眼をつけるように下から睨み上げられる。思わず目を逸らしながら眼鏡を差し出した。
「ハナコはやはり気が利くな」
「ほほほ、あまりうまく拭き取れませんでしたけれど」
すちゃっと装着すると、山田はいつもの瓶底眼鏡に戻った。
眉間のシワも消えて、ようやくほっとできたって感じ。
しかしなんで未希も健太も、山田の素顔にこだわってたんだろう?
そこら辺はナゾなまま、ミッションコンプリートってことで。
「シュン王子殿下!」
そんなときひとりの近衛兵が山田の元に駆け寄ってきた。
ってか、マサト・コーガ!?
そっか、マサトってば山田の護衛してたんだっけ。別にお城にいてもおかしくはないか。
それにしてもマサトのヤツ、やけに険しい顔してるんですけど。
わたしがいることに気がつきつつも、何やら山田に耳打ちしてる。山田は山田で神妙な顔してマサトの言葉にうなずいてるし。
「分かった。マサトは先に現場に戻っていてくれ」
「仰せのままに」
一礼してマサトは駆け足で戻っていった。
やっぱお城ではマサトもちゃんと礼節守ってんだな。
「何か大変なことでもございましたの?」
「いや、ハナコが気にすることではない。心配は無用だ」
言葉とは裏腹に、山田の表情はなんだかさえない感じ。
ま、山田の言う通り、お城で起きたことを詮索できる立場ではないか。
「だがもう時間だ。残念だが今日はここでお開きにしよう」
ヒャッハー、無事に乗り切ったぞ!
ちょっぴり好感度上げちゃったけども。そこはもう考えても仕方ないや。
「本日はお招きありがとうございました。ビスキュイにも会えましたし、とても素敵な一日になりましたわ」
「ああ、わたしもハナコの顔が見られてうれしかった。次に会えるのは学園が始まってからになってしまうな」
「シュン様はお忙しいお立場ですもの。どうぞご無理だけはなさらないよう」
最後に山田が浄化の魔法をかけてくれた。おかげで草まみれだったドレスも、きれいサッパリ元通り。
「ハナコ」
名残惜しそうに片手で頬を包まれる。
ってか、気安くさわんないでほしいんですけどっ。
存在忘れかけてたけど、メイドたちにずっと生温かい目で見られてたみたいだし。
これ以上、変な目を向けられるのは勘弁してほしい。
そんなわたしの心の叫びをよそに、山田は耳元に唇を寄せてきた。
ふっと笑うと、下唇のきわっきわを親指でゆっくりとなぞってくる。
「いつかここに直接触れて見せる。ビスキュイを通してではなく、な」
ああ、もう! メイドたちがきゃっとか言って赤面してるじゃんっ。
瓶底眼鏡に言われたって、こっちは鳥肌もんなんだよっ。
最後の最後で山田にぶちかまされて、疲労困憊のまま庭園を出た。
案内役の近衛兵に連れられて、お城の中をてくてく歩く。
お城を出るまではまだまだ気は抜けないけど、行きよりは周囲の反応がやさしい感じ。
っていうか、そこの近衛兵。
二ヨつくのいい加減やめてくんない?
山田のせいで、お城で変なウワサが立ちそうで怖いんですけどっ。
遠くからモップのようなでっかい犬が、こちら目がけて走って来てる。
あの犬は確か……。
「ビスキュイ!」
なんていいところに来てくれたんだ!
このモップ犬は前に来たとき会ったことがある犬。お城で飼われてて、コモンドールとかいう犬種だったはず。
なんとか山田の手から逃れて、そのビスキュイに駆け寄った。
やばっ、勢いとは言えみんなの前で王子を振り切っちゃったよ。
ここはもう感動の再会を演出してごまかすしかないな。子供のころに一度しか会ったことのない犬だけれども。
「久しぶりね、ビスキュイ! 会いたかったわ、元気にしていた!?」
「わふんっ」
飛びついて来るビスキュイを両腕を広げてキャッチする。勢いで押し倒されて、そのままベロベロと顔を舐めまわされた。
おお、ビスキュイ、君もノリがいいな。
今日で二度目ましてなのに、本当に感動の再会みたいだ。
髪もドレスも草まみれになったけど、おかげで無邪気な令嬢って感じに受け止められたみたい。
これで王子をソデにした不敬行為を、周りから咎められることもなさそうだ。こんなことで断罪とかなったら、ホント泣くに泣けないからね。
「ハナコ、大丈夫か?」
「あ……シュン様、申し訳ございません。わたくし子供のようにはしゃいでしまって……」
我に返った感じで、恥ずかしげに頬を染めてみた。
わたしってば、もしかして大女優になれるんじゃ。
「ビスキュイに会うのは本当に久しぶりなものですから」
「ああ、ビスキュイもハナコに会えてうれしそうだな」
ぺたりと座り込むわたしの横に、山田も腰を下ろした。
地面に直接座るだなんて、王子がそんなことして大丈夫なの?
っていうか近すぎる。もっと適切な距離ってもんがあるでしょうが。
そんなわたしたちの間に、ビスキュイが無理やり割り込んできた。真ん中にすっぽりハマりこんで、しっぽを振りながらわたしと山田を交互に見上げてくる。
ナイス、ビスキュイ!
近衛兵なんかよりもずっと役に立つじゃないか。
真夏のモフモフは暑苦しいけど、山田のウザさに比べたら可愛いレベルだよね。
ってか、ちっとも暑くないような?
木陰を出て今は真夏の直射日光浴びている。なのにクーラーみたいな涼しい風が、ずっとそよそよ吹いてきてるし。
「ときにハナコ、暑くはないか?」
「ええ、とても心地よいですわ」
「そうか、上手くいっているようで安心した」
「もしかしてこれはシュン様が……?」
「ああ、この庭一帯に冷風の魔法を流してみている。魔力制御の鍛錬にはちょうどいいな」
そういやメイドも近衛兵たちも、みんな汗ひとつかいてない。
この広い庭を持続的に冷やすとなると、相当な魔力と集中力が必要なハズ。でも山田は平然とした顔のままだし。
山田ってホントに優秀な王子なんだな。性格はなんとも残念だけど。
「さすがはシュン様ですわ! お陰でビスキュイを心置きなく可愛がれます」
「む、そうか」
これだけ持ち上げられたら、山田だって引き下がるしかなくなるよね。念のため、スキを与えないようにビスキュイを腕に抱え込んだ。
「仕方がないな。今日だけはビスキュイに譲るとするか」
やった、山田が諦めた!
今日だけと言わず、永遠に譲ってくれるといいんだけど。そして雪山での約束もこのまま有耶無耶になってしまえ。
「ハナコとの約束は機会を改めまた仕切りなおそう」
仕切りなおさんでいいっ。
大声で突っ込めないのが口惜しいんですけど。
「ほほほ、シュン様、ご無理なさらずですわ。ね、ビスキュイもそう思うでしょう?」
「わふんっ」
いい返事だぞ、ビスキュイ。それにしてもなんて賢いワンコなんだろう。
モップヘアをなでくり回すと、また顔をべろんべろんに舐めまわされた。山田に匂いをかがれるよりは、数億倍ましって感じ。
「命の恩人に会えてうれしいのは分かるが……ビスキュイ、ハナコを譲るのは本当に今日だけだぞ?」
山田がしょうがないといった感じの息を漏らした。
ってか、命の恩人ってどういうこと?
ビスキュイに会ったのは、初めてお城に行った日のことだ。確かわたしが十歳くらいのときだったかな?
本当のこと言うと、あの日ビスキュイには近づきもしなかった。だってビスキュイってば、怪我をしていて触ってほしくなさそうだったから。
「シュン様、命の恩人とはどういうことでしょうか?」
「ハナコは知らなかったのかもしれないが、あの頃のビスキュイは急に攻撃的になっていたのだ」
「このビスキュイが……?」
人懐っこそうな瞳が、今もモップ毛の間からのぞいている。
「ずっと穏やかな性格だったのだが。わたしも一度噛みつかれそうになってだな。子犬のころから育てていたのに、当時は相当ショックに思ったものだ」
遠い目をして山田はビスキュイの頭をなでた。
「あの日ハナコがビスキュイの怪我を指摘しなかったら、今頃ビスキュイは殺処分されていたことだろう」
「まぁ、そんなことが……」
痛みで攻撃的になってたってこと?
まぁ、このモップみたいな毛むくじゃらしてたら、ちょっとした怪我なんて外から見ても分からないよね。
「今こうしていられるのもハナコのお陰だ。ビスキュイだけではなく、わたしも本当に感謝している」
穏やかに微笑まれ、ちょっとたじろいだ。
山田がわたしを好きになったキッカケって、もしかしてコレだったりする?
「うれしいお言葉ですが……そのように言っていただくのは心苦しいですわ」
あいまいだった記憶が、今急に蘇ってきた。
なんでビスキュイの怪我に気づいたかって言うと、あのときわたしも靴擦れしててめちゃくちゃ痛みを我慢してたんだ。
多分、ビスキュイから同じ空気を感じ取って、それで気づいただけなんだと思う。
「恥ずかしながらあの日わたくしも足を痛めておりましたの。わたくしは痛みをきちんと我慢できているのに、お前はそんなふうに不機嫌にしているのね。内心ではそうビスキュイを馬鹿にしていたのですわ」
初めてお城に行くってんで、ハナコってば高いヒールの靴を履くって言って聞かなかったんだよね。慣れない靴はやめた方がいいって周りは必死に止めてきたんだけど。
そんな経緯もあって足が痛いって言い出せなかったんだ。そこにきて怪我したビスキュイは素直に痛そうにしててさ。
自分エライって思いたいがために、お前は低俗な犬だから我慢もできないのねって蔑んでたってわけ。
「ですからわたくし、命の恩人と呼ぶには値しませんわ」
「いや、ハナコは立派な恩人だ。結果的にビスキュイを救ったのだから」
「わふんっ」
「そうか、ビスキュイもそう思うか」
なぬ? ビスキュイお前、ここにきて山田に寝返るんか。
せっかく山田ん中で美談になってるわたしの行いを、黒歴史に塗り変えようって思ったのに。
恩を仇で返すだなんてひどい仕打ちなんですけど。
「そうだとしても、シュン様が思われるほどわたくしはできた人間ではございませんわ」
「……ハナコは本当に謙虚だな。実に好ましい」
ちょっ、逆に好感度上がってない!?
すべてが裏目に出てる気がするのはどういうこった?
ぎゃっ、ビスキュイ!
わたしの顔を舐めたその口で、山田をべろんべろんするんじゃないっ。
そしてさらにわたしを舐めようとしてくるなっ。
「おほほほ、分かったから少し落ち着きなさい」
交互に舐めようとしてくるビスキュイを押しやると、今度は集中的に山田を舐めだした。勢いで瓶底眼鏡が斜めにずれる。
はっ、何気に今チャンスじゃない?
「たいへんですわ、シュン様の眼鏡がビスキュイのよだれで……!」
浄化魔法を使われる前に、さっと眼鏡を奪い取った。
未希に言われたミッションくらいは、せめて完了しときたい。何の収穫もないまま帰ったら、ただ好感度上げただけの一日になっちゃうもんね。
さぁ、山田の素顔を拝見だ!
って思ったら、山田は手探りで芝生の上を探ってる。そんなにうつむいてちゃ、肝心の顔が分からないんですけど。
「ハナコ? それがないとわたしは何も見えないんだ」
地面に手を突いたまま、山田がゆっくりと顔を上げた。その様子を固唾を飲んで見守ってたんだけど。
「ひっ!」
思わず悲鳴を上げたわたしを許してほしい。
だってそこには、ものすっごい恐い目つきをした山田がいたんだもの。
三白眼って言うの?
それこそ任侠映画に出てきそうな三下の殺し屋って感じでさ。
別に眼鏡取ったら美形だなんて、健太が言ってたみたいに期待してたわけじゃないんだけど。
あまりにも斜め上行く山田の素顔に、さすがのわたしも言葉を失っちゃった。
手探りでビスキュイの元にたどり着くと、山田はモフ顔を両手で挟み込んだ。
「ハナコ……ずいぶんと毛深くなったのだな?」
「シュン様、それはビスキュイですわ」
どんだけ見えてないんだよ。
鼻先をくっつけて至近距離で見つめ合ってるってのに。
「少しお待ちいただけますか? 今レンズを拭きますから」
「すまない、手間をかける」
ってか、分厚いレンズだな。
言った手前、形だけこちょこちょと拭き取った。
なんだか汚れが引き伸ばされただけのような気がしないでもない。犬のよだれってなんでこんなにねちょねちょしてんの?
ま、いっか。見えづらかったら自分で浄化魔法をかけるだろうし。
「はい、シュン様。お待たせいたしましたわ」
うをっ、近くで見るとますますコワイ顔してんな。
直視できないレベルのオソロシサなんですけど。
眼をつけるように下から睨み上げられる。思わず目を逸らしながら眼鏡を差し出した。
「ハナコはやはり気が利くな」
「ほほほ、あまりうまく拭き取れませんでしたけれど」
すちゃっと装着すると、山田はいつもの瓶底眼鏡に戻った。
眉間のシワも消えて、ようやくほっとできたって感じ。
しかしなんで未希も健太も、山田の素顔にこだわってたんだろう?
そこら辺はナゾなまま、ミッションコンプリートってことで。
「シュン王子殿下!」
そんなときひとりの近衛兵が山田の元に駆け寄ってきた。
ってか、マサト・コーガ!?
そっか、マサトってば山田の護衛してたんだっけ。別にお城にいてもおかしくはないか。
それにしてもマサトのヤツ、やけに険しい顔してるんですけど。
わたしがいることに気がつきつつも、何やら山田に耳打ちしてる。山田は山田で神妙な顔してマサトの言葉にうなずいてるし。
「分かった。マサトは先に現場に戻っていてくれ」
「仰せのままに」
一礼してマサトは駆け足で戻っていった。
やっぱお城ではマサトもちゃんと礼節守ってんだな。
「何か大変なことでもございましたの?」
「いや、ハナコが気にすることではない。心配は無用だ」
言葉とは裏腹に、山田の表情はなんだかさえない感じ。
ま、山田の言う通り、お城で起きたことを詮索できる立場ではないか。
「だがもう時間だ。残念だが今日はここでお開きにしよう」
ヒャッハー、無事に乗り切ったぞ!
ちょっぴり好感度上げちゃったけども。そこはもう考えても仕方ないや。
「本日はお招きありがとうございました。ビスキュイにも会えましたし、とても素敵な一日になりましたわ」
「ああ、わたしもハナコの顔が見られてうれしかった。次に会えるのは学園が始まってからになってしまうな」
「シュン様はお忙しいお立場ですもの。どうぞご無理だけはなさらないよう」
最後に山田が浄化の魔法をかけてくれた。おかげで草まみれだったドレスも、きれいサッパリ元通り。
「ハナコ」
名残惜しそうに片手で頬を包まれる。
ってか、気安くさわんないでほしいんですけどっ。
存在忘れかけてたけど、メイドたちにずっと生温かい目で見られてたみたいだし。
これ以上、変な目を向けられるのは勘弁してほしい。
そんなわたしの心の叫びをよそに、山田は耳元に唇を寄せてきた。
ふっと笑うと、下唇のきわっきわを親指でゆっくりとなぞってくる。
「いつかここに直接触れて見せる。ビスキュイを通してではなく、な」
ああ、もう! メイドたちがきゃっとか言って赤面してるじゃんっ。
瓶底眼鏡に言われたって、こっちは鳥肌もんなんだよっ。
最後の最後で山田にぶちかまされて、疲労困憊のまま庭園を出た。
案内役の近衛兵に連れられて、お城の中をてくてく歩く。
お城を出るまではまだまだ気は抜けないけど、行きよりは周囲の反応がやさしい感じ。
っていうか、そこの近衛兵。
二ヨつくのいい加減やめてくんない?
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ワガママ三昧な生活を送っていた悪役令嬢のミシェルは、自分の婚約者と、長年に渡っていじめていた聖女によって冤罪をでっちあげられ、処刑されてしまう。
その後、ミシェルは不思議な夢を見た。不思議な既視感を感じる夢の中で、とある女性の死を見せられたミシェルは、目を覚ますと自分が処刑される半年前の時間に戻っていた。
それと同時に、先程見た夢が自分の前世の記憶で、自分が異世界に転生したことを知る。
記憶が戻ったことで、前世のような優しい性格を取り戻したミシェルは、前世の世界に残してきてしまった、幼い家族の元に帰る術を探すため、ミシェルは婚約者からの婚約破棄と、父から宣告された追放も素直に受け入れ、貴族という肩書きを隠し、一人外の世界に飛び出した。
初めての外の世界で、仕事と住む場所を見つけて懸命に生きるミシェルはある日、仕事先の常連の美しい男性――とある伯爵家の令息であるアランに屋敷に招待され、自分の正体を見破られてしまったミシェルは、思わぬ提案を受ける。
それは、魔法の研究をしている自分の専属の使用人兼、研究の助手をしてほしいというものだった。
だが、その提案の真の目的は、社交界でも有名だった悪役令嬢の性格が豹変し、一人で外の世界で生きていることを不審に思い、自分の監視下におくためだった。
変に断って怪しまれ、未来で起こる処刑に繋がらないようにするために、そして優しいアランなら信用できると思ったミシェルは、その提案を受け入れた。
最初はミシェルのことを疑っていたアランだったが、徐々にミシェルの優しさや純粋さに惹かれていく。同時に、ミシェルもアランの魅力に惹かれていくことに……。
これは死に戻った元悪役令嬢が、元の世界に帰るために、伯爵子息と共に奮闘し、互いに惹かれて幸せになる物語。
⭐︎小説家になろう様にも投稿しています。全話予約投稿済です⭐︎
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