亡霊戎遊

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天戒

天戒 ー弐ー

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その日は朝から晩まで休む暇がなかった。
毎年、この日になると宮前直心陰流の門徒たちは神社で剣舞を捧げる祭りがあるのだ。

シャン、シャン、とリズムを刻む鈴の音と、経を唱える声だけが夏の風に乗って消えていく。
静かな観客に見守られながら、燐は刀を振るった。
まるで踊るように、刀を一身のようにして舞った。

それを支えるのが門徒の役目である。

布面をつけ、猛暑の中、一心不乱だった。
照り付ける太陽に圧倒されながら、燐は動きを止めなかった。
それでもどこか冷静なままの燐は
「後で床に落ちた汗を拭き取らなくちゃ」
などと考えているのである。

なきりは、舞台裏で待機している大吾にそっと声をかけた。
「あれ、昨日納品した刀だよね?これから毎年使うのかな」
大吾もモソモソと返す。
「はい、そうです。今回は恒例の祭りなので、今年しか使いませんが打ち直しになると思いますよ。」
なきりは驚いた顔をした。
打ち直し?新品なのに?
大吾はそれを汲み取ると、続けた。
「神事の際に使った刀は人の手に触れていますから。捧げることはできませんので、一度打ち直してから稽古用の刀になるんです。」
ああ、と拳を掌に乗せる。

なきりが武具屋を継いだのは少し前のことだったため、ここまで詳しい事情は知らなかったのだ。
それでも手伝いとして父親と共に何度も大宮家の門を潜っているので、家の事情には詳しい。
なきりが椿の話し相手に抜擢されているのも、そういう経緯があってのことだった。

太鼓の音が鳴り、剣舞が終了したことを知らせると同時に会場は盛大な拍手に包まれた。
なきりも大吾もつられてそちらを向く。
刀を腰から抜くと、右側に刀を置き、正座する。そして燐は深々とお辞儀をして、足音も立てずにスッと立ち上がり、降壇したのであった。

「ははぁ、やっぱ次期当主の名は伊達じゃないね。」

なきりが自慢げにニヤつくと、汗を垂らした燐が呆れた顔で暖簾を通ってきた。

「いやそれよりも、飲み物と手拭いちょうだい…。本当に蒸れるってこれ。」
「はい、どうぞ。」
大吾が瞬時に用意した冷たい手拭いと水だ。
燐は御礼と共にガシガシと頭を拭く。続いて竹筒の中の水を一気に飲み干した。
「っあ~~~!!!!!最悪、俺夏嫌いなのに…。」
やっと肩の荷が降りたであろう燐に、大吾は呆れたように苦笑した。
「もしかして一昨年まで剣舞をやりたがらなかった理由がそれですか?」
「そりゃあそうだ!俺は涼しいところで年中過ごしていたいんだから。」
「若旦那、それは馬鹿と肥満に拍車をかけますぜ。」
「誰が肥満だよ。」
なきりがクックッと笑いを押し殺すと、燐も一緒にニヤリと笑う。

ガヤガヤと観客が退場する音に気づき、大吾と燐は手拭いをおくと待機していた門下生に近寄った。
全員いることを確認して、燐は速やかに指示を投げた。
撤収の準備だ。

その時、珍しい観客がいることに燐は気づいた。
稽古終わりの大吾とよく寄る、菓子屋の娘だった。
「あれ、ヰ月さんじゃないですか?」
大吾も気付いたようだった。
どうやらこちらに向かって必死に手を振っている。
「どうかしたのかな、ちょっと行ってくる」
燐は足早に向かった。


「おい」
「おひゃあ!?」
燐が近づいてきていることに気づかないまま、ヰ月という娘は「おーいおーい!」と必死に声をかけ続けていたせいで、燐の声にとんでもなく驚いたようだった。
「あばばばばばばごめんなさいうるさかったかしら…!ちょっと私ったら、差し入れが悪くならないうちにと思ってつい…!」
燐はクック、とこれまた押し殺した声で笑うと、ヰ月の持っていた小包に目を向けた。
「差し入れ、ありがとうね。」
ヰ月はぱあ、と顔を明るくするとうんうん、と嬉しそうに小包を手渡した。
「ぜひ皆さんで召し上がってください、そしてまたうちにお菓子買いに来てくださいね!それじゃあ!」
元気よく手を振ると、思った以上にそそくさとその場を後にしたヰ月に首を傾げながら、燐は持ち場に戻ってきた。

「あれ、師範代、どこに行ってたんですか」
ん~?これこれ。と指を指すと、燐は大声を上げた。
「皆~、帰ったらお菓子配るわ。」
「え!どうしたんですかそれ!?」
「はなまるのとこの嬢ちゃんがくれた。」

ああ~、と一同納得したように頷いた。
はなまるはヰ月の両親が経営している菓子屋だ。

皆がお菓子のために撤収作業に力を入れる中、ところで、と言わんばかりに大吾の隣で門徒生の賢二が首を傾げた。
「あれ?俺あんまり行ったことないかもしれないですね、そのお店。」
大吾は撤収の作業を進める燐の方を見ながらこそっと耳打ちした。
「あそこの嬢ちゃん、結構あれだぜ」
丸を指で作ると、片目をぱち、と閉じてみせる。
賢二もニヤリとした。
「でももう入籍しちゃうじゃないですか」
だから見ててふわふわするだろ、と大吾は続けながら作業を進める。

燐には許婚者がいる。
それでも、ヰ月はそっと想い続けていたのだった。

燐には気づく余地もない話である。
そしてヰ月もまた、承知の上であった。
今の燐の、他人の感情に気付いてやれない狭さに。


と、なきりがスッと皆の周りから姿を消していた。
そしてそれに気づく者はいなかった。

———————-

なきりは悔しそうに爪を噛んだ。
「あそこの娘は苦手なんだよ。会話に混じりたくも無いな。」
そう呟く。
その時、丁度露店を回っていたヰ月とばっちり目があった。
ムッとした表情がこちらに歩いてくる。

「この間はよくも変な話を持ちかけてくれましたね!」
先程まで笑顔だった柔らかさは消え、眉が寄っている。
明らかに怒っていた。

「もう諦めたんだからいいだろ…。頼むから若旦那にはあの話はしないでくれよ。」
ヰ月は心底嫌そうに舌打ちをして睨む。
「本当に最低な人ですね。きっと今に痛い目に遭いますよ!」
そう言い捨てると、ヰ月はそっぽを向いて逃げながら言った。
「私が弱みを握ってるということ、お忘れなきよう!!」
「あっあの女…!」
群衆に揉まれて消えていった彼女を追いかけることもできず、なきりは再び爪を噛む。
しかしすぐに表情を変えた。

「でももう奪えるものは奪ったしなあ。俺の勝ちってところかな。」

なきりは薄ら笑いを浮かべると、呑気な伸びをしてまたもや人の影に身を潜めた。


世間は祭り一色だが、どうやら賑やかだけでは終われないような雰囲気が逢魔時の空に浮かんでいた。
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