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本編

彼等の身に起きたことー過去・前編ー

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 夏が過ぎ、急激に日が沈むのが早くなった頃。
 アランは読み終えたノートを、名残惜しげに閉じた。

「ユリウスは、どこかの出版社に持ち込むつもりは無いのか?」
「コレに関してはない」

 ノートを返されたユリウスは、端的に答えた。
 学内の購買で売られている、ありふれたノートだ。町で買うよりも安いので、この学院の殆どの生徒が愛用している。

 チープな紙の束なのに、その中身は唯一無二。
 安い紙束の中には、とても緻密で彩り豊かな世界が広がっている。
 人間が本来持つ善良さ、脆さ、優しさ。そういったものが丁寧に綴られている反面、いつの世もなくならない理不尽や、社会的な問題が主人公を襲う。特に好むジャンルではないのだが、一度読み出すと止まらない。

 今はノートの走り書きのような状態だが、あと数ヶ月で立派な本になるのかと思うとゾクゾクする。
 アランはずっとなにかを作ってみたいと思っていたが、生憎創作活動そのものには意欲がわかず、才能も無かった。
 だから彼等の仲間に誘ってもらえて感謝しかない。

「思いついたアイディアを吐き出すのは本能。それを他人に見せるのは共感の希求や、承認欲求を満たすため。出版は商売だ」

「これは金を払うに値する出来だが、金儲けに抵抗があるのか? それとも作品が商売の道具にされるのが嫌なのか?」

「作者にとって作品は半分芸術で、半分商品だ。だが作者以外には、仕事で取り扱う商品に過ぎない」

 顧客の依頼に応じて執筆するなら商品性が強くなるがな、とユリウスは注釈をつけた。

「大切な作品が軽く扱われるのに、耐えられないってことか」

「『お前の子供が可愛いのはお前だけ』」

「なんだそれ」

 唐突に告げられた言葉に、アランは目を瞬かせた。

「絵でも小説でも音楽でも。自分が作り上げたものには思い入れがある。だが他人にとってはそうじゃない。同じ熱量で愛せというのは無理な話だ」

「温度差に耐えられないのか」

「作品によってはそうでもない。俺の執筆スタンスは一律じゃなく、作品ごとだ。大衆にウケたくて、あわよくば金を稼ぎたくて書く作品。誰に認められなくても構わない自慰行為のような作品。粗雑に扱われる可能性があるなら、誰にも見せたくない大切な作品……」

「これは最後のヤツなんだな」

「そう。前の二つは出版の際に商品になったと割り切れるが、最後のは無理だ。だから読ませるのはお前とセドリックだけ」

「光栄だよ」

 同じ生徒会の仲間であるユリウスは、周囲には寛容なイメージを抱かれているが本性は真逆だ。

 彼はとても気性が激しい。
 気心知れた相手の前だとバンバン過激な発言をするし、決断が早すぎてアラン達が止めようとした時には手遅れということが多々ある。
 本人も素のままだとマズイという自覚があるので、よそ行きの仮面で自分を制しているから、生徒会役員に相応しい優等生に仕上がっているに過ぎない。
 物腰柔らかく微笑んでいても、腹の底ではマグマのような激情が煮えたぎり、気に食わない相手を脳内で千の言葉で罵倒するのが、ユリウス・アムンゼンという男だ。

「オレは書評とか論文とか、テーマを与えられてそれに対する意見を述べることはできるんだがな。物語となると全く書けない。これが才能ってヤツなのかな」

 ユリウス達と過ごすようになり、自分も試しに何か書いてみるかと思ったが、いざノートを広げても全く書けなかった。

「俺は逆にそっちは無理だ」
「うそだろ!?」
「子供の頃から、読書感想文とか作文は全部ボイコットしてる。何も思い浮かばないし、ストレスが半端ない」

 だが小説なら何万文字でも書ける。それこそ本一冊分の文章を、半年程度で書きあげるくらい。

「どちらも同じ文章を作成する能力だけど、頭を使う場所が違うのかな」
「同じ『喋る』であっても、会話と演説は別。それを口でやるか、筆でやるかの違いだ」
「ああ。じゃあオレは会話はできるけど、演説はダメってことか」
「俺はお前の反対だ。手紙も無理だな。あんなもの書くくらいなら、疎遠になった方がマシだ。便りが無いくらいで切れる友情など要らん」

 キッパリ言い切る友人にアランは笑った。

「極端だな。ユリウスらしいと言えばそうだけど」

 このピーキーなところも含めて、アランはこの過激で才能豊かな友人が好きだ。
 穏やかなセドリックとは心地よい沈黙を共有し、ユリウスとは刺激的な会話を楽しむ。
 贔屓目なしに二人とも突出した才能を持っている。まだ学生だが、その才能を金にかえて身を立てられる者達だ。

 時折、自分は場違いなのではないかと気後れすることがある。
 仲間面して一緒にいるが、釣り合っていないのではないかと。
 そんなことを気にしているのはアランだけで、二人は対等な友人だと――仲間だと思ってくれている、と頭ではわかっている。
 だからこの劣等感は、アランが勝手に抱え込んでいるものだ。
 気持ちの問題なので、頭で理解していても、完全に消化できるものではない。
 ふとした瞬間に劣等感が肥大化して不安になったり、苦しくなる時もあるけれど、それでも一緒にいたかった。

 意見や感想を求められて、資料探しを手伝って、誤字脱字のチェックや、画材の買い出しに付き合って。
 そんな日々が楽しかった――。

***

 力一杯投げられた本が、壁にぶつかって落ちた。

「どうなってるんだッ!!!!」

 生徒会室にユリウスの怒鳴り声が響く。
 新聞を読んだときから嫌な予感はしていた。
 先日いつも広告を打たれているスペースに、新刊の紹介文が載っていた。

 著者のリカルド・ベーリングは、ユリウスのルームメイトだ。
 彼が小説を書いていたというのは初耳だった。だがユリウスのように他人に内緒でこっそり書いていた、という可能性は否定できない。

 ユリウスもセドリックも新聞を読む習慣がない。

 ユリウスは「いたずらに神経を刺激されるだけだから読まないようにしている」と主張していた。
 さもありなん。彼の性格だと逐次書かれたニュースに憤るのが目に見えている。自分の性格を熟知しているが故に自衛しているのだ。

 逆にセドリックの方は、外の世界に関心が薄い。
 国の政治に参加しようとは思わない、逆に文句を言うつもりも無い。もし国が荒れたら移住する、という開き直ったスタンスだ。

 つまりあの記事を読んだのはアランだけだった。

 タイトルが違う。
 よく知らない相手を疑うなんて良くない。
 そう自分に言い聞かせながら、じりじりとした焦燥をやり過ごして、外出日に町で手に入れた本はユリウスの作品そのものだった。

(丸々盗作したくせに、タイトルだけは変えたのか――!)

 それが売り上げを伸ばすために出版社が提案したことなのか、ユリウスが気付くのを遅らせるためにリカルドから申し出たのかはわからない。
 だが他人の作品を弄んだことに変わりは無い。
 案の定アランが購入した本を読んだユリウスは激怒した。これはユリウスでなくても許せないだろう。

「オレが立ち会うから、まずベーリングから話を聞こう。呼んでくるから待っててくれ」
「俺の部屋だ。自分で行く」
「駄目だ。絶対に手が出る。オレが戻るまでに、何を話すか整理しておけ」

 生徒会室から出ようとするユリウスを押しとどめて、アランは寮まで走った。



「ああ、アレね。あんた達も読んだのか。いい小遣い稼ぎになったよ」

 自分がとんでもないことをした自覚がないのか、リカルドはいけしゃあしゃあと認めた。

「テメェ――「待て!」」

 暴力は駄目だ。手を出したらこちらが不利になる。
 今はリカルドが十割有責だが、怒りに任せて彼を私刑リンチしたら、「確かに悪いことをしたけど、そこまでするか」とユリウスを責める声が出てくるだろう。

「ベーリング。君は良心が痛まなかったのか」
「ちょっとした出来心だって。編集部のオッサン達が舞い上がっちゃって、こっちも引くに引けなくなっちゃってさぁ。困ったよほんと」
「――――!」

 掴んだ手からユリウスの怒りが伝わる。
 アランだって悔しい、今すぐコイツを殴り殺してやりたい。
 どうして自分はユリウスを押さえつけなければいけないのか。彼は被害者なのに。
 とうして加害者が笑っているんだ。

「――どうやってユリウスが小説を書いていることを知ったんだ?」

 新聞を読んだアランが、リカルドを疑う心を制したのはそれだ。

 ユリウスは自分の活動を隠していた。知っているのは、セドリックとアランだけ。
 執筆するのは部外者が入れない生徒会室か、人気の無い温室に限定していた。
 他の生徒会役員が部屋にいるときにはノートを取り出さなかったし、温室だってよほど近づかなければ勉強しているようにしか見えないだろう。

「……あー。もしかして聞いてないのか?」
「なんのことだ」

 リカルドは考えるような仕草をした後、もったいぶるように話し始めた。

「出版社に送るときに破ったけど、ノートに三人の名前が書いてあったからさ。てっきり友達だと思ったんだけど、アイツ何も言ってなかったんだな」
「だから! 一体何を言いたいんだ! もったいぶるな!!」

 ユリウスが拳を握りなら声を荒らげる。
 友を制しながら、アランは背中に嫌な汗をかいた。
 この場にいないもう一人の仲間。ユリウスが指しているのはセドリックしかいない。

「まあ、本当に友達だったらこんなことするわけないもんな。お前がノートに小説を書いてることを教えたのも、それを送ったら面白いことになるんじゃないかって提案したのもセドリック・ロスだよ」

「そんなわけあるか!!」

「あるんだよ。オレたち兄弟だからな」

「――――は?」と、声を出したのはどちらだったか。
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