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魔女と呼ばれる第三皇女は、最初で最後の騎士を飼う
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*****
――真新しい赤絨毯が敷かれた壇上。
ピンと張り詰めた場の空気は、冷たく洗練されている。
帝国の第三皇女である彼女――シルヴィア・エル・ミカエリスは、片膝をついて頭《こうべ》を垂れている男の左肩に剣の刃を置き、叙任の旨を厳かに宣言した。剣を男に返却する。男は剣を腰の鞘に収めるとすっくと立ち上がり、身を翻した。貴族からなる出席者たちは一斉に拍手し、喝采する。
かくして、男――ヴィンセント・バロウズは、シルヴィアの騎士となったのだった。
*****
皇族の人間は二十歳になると専属の騎士を選定する。しかし、シルヴィアはそのルールを頑として守らなかった。自分の身くらい自分で守れるという強い自負があるからだ。今年に入り、二十七を迎えたところで、心配性の父からいよいよ懇願されたため、その旨を受け容れた。やむなくのことでしかない。とはいえ、もう選んでしまったわけだ。空気のように扱うわけにもいかない。
――シルヴィアの執務室。
バロウズは今日も今日とて、部屋の外に立っている。そうそう起こりうることではないと思いたいが、賊の侵入を想定して警備に当たっている。特になにもない日々が続くようであれば、この先もずっとこの調子だろう。
いい加減、奴さんも暇を持て余しているのではないか。
そんなふうに考えたものだから、実際に「バロウズ!」と名を呼んだ。優しいことだなと、シルヴィアは自らの思いやりに少し感心した。
コンコンコンとノックがあり、「いいぞ」と告げると静かに入ってきた。
ヴィンセント・バロウズ。一言で言ってしまうと類稀な美丈夫だ。波打つ黒い長髪は艶やかで、琥珀色の瞳は大きく、顎のラインはきれいな鋭角。姿勢もいい。匂い立つような凛々しさが華やかな佇まいに花を添えている。前開きの純白のロングコートも長身によく似合う。
「ヴィンセント・バロウズ、参りました」透明感を持つ声はよく通る。「姫様、いかがなさいましたか?」
緑の革が張られた椅子の上で、シルヴィアは鼻から短い息を漏らした。
「戦狂《いくさぐる》いをつかまえて姫様はよせ」
「しかし、みながみな、そうお呼びしておりますゆえ」
「わかっている。言ってみただけだ」
「紅茶をお持ちいたしましょうか?」
「いや、いい」
「では、何用でございましょう?」
「おまえと話がしてみたいと思った」
バロウズは目礼し、「なんなりと」と承諾した。
「年齢は私と同じだったな。恋人は?」
「またいきなりなにをおっしゃるのか」
「いるのか? いないのか?」
「おりません」
「鬼畜だからか?」
「やはり、その評判はご存じでしたか」
シルヴィアは紅色の前髪を右手掻き上げつつ「まあな」と答え、それから樫を用いた執務机に左の頬杖をついた。机の向こうに立っているバロウズのことを上目で観察する。騎士として採用するにあたり友人や仕事仲間に聞き込み調査を行ったところ、彼らの口から次々に飛び出してきたのがその単語――鬼畜だったらしい。
「なぜ鬼畜と呼ばれるのか、興味がある。無慈悲かつ残忍なまでの強さを誇るということか?」
「軟弱ではないつもりではありますが、姫様」
「なんだ?」
「姫様はドブスでいらっしゃいますね」
突拍子もなく予想だにしないセリフが飛び出してきたので、シルヴィアは言葉を失った。耳を疑いもした。唖然となったのち、目をしばたいた。バロウズはというと、邪な感も露わにニヤァと笑んでいる。
「おまえ、いまなんと言った?」
「ですから、姫様はドブスだ、と」
どうやら聞き間違いではないらしい。シルヴィアは自らの外見に無頓着だ。そもそも興味がない。ただ、世間一般において「美貌の姫君」と謳われていることくらいは知っている。
バロウズの口角の上げ方は、絶妙に気持ちが悪い。万人に訊けば万人が「癪に障る」と答えるだろう。こいつは間違いなくタチの悪い男だ。他人を見下ろすでも見下すでもなく、ただ単純にひどく性格のひん曲がった男だ。こういった類の、ある種の愉快犯はたまにいる。ここまで極端な――面と向かって皇族の人間に暴言を吐く輩は見たことがないが。
「わかった。ドブスでいい。かまわない」
「激高していただいたほうが喜ばしいのですが」
「そういうことなら、なおさら怒らん。なるほど、鬼畜か。その片鱗を垣間見た気がするぞ」
「姫様の魔女なる二つ名も、十二分に悪名では?」
眉根を寄せたシルヴィアは「そんなことで張り合ってどうする」と呆れ、「やれやれ。見た目は真面目そうなんだがな」と肩を落とした。
バロウズはまたニヤァと笑んだ。もはや瞬きすら慇懃無礼に映る。
「私がなぜ姫様の騎士に手を挙げたのか、おわかりですか?」
「多様な経験を積むことで、騎士として、ひいては人間として成長したい。面接の折にはそう話していたな」
「あれは嘘でございます。じつは姫様をからかって遊ぼうと考えたのです。より高い給金が得られるようになることも利点ではありましたが」
なんとも言い表しがたい俗物さ加減に目眩を覚えた。呆れの二乗だ。ため息までついてしまう。
「相手が私でなければ、首を刎ねられてもしょうがないぞ」
「ひととの距離感を掴むことには、長けているつもりでございます」
事もなげに言ってのけた。たしかに空気が読めなければ、あるいはひとの感情の機微を感じ取ることに聡くなければ、他人をからかったところで面白くもなんともないだろう。
「まあいい。おまえは聡明なのだろう。戦闘においても簡単に後れを取ったりはせんだろう。我が国を取り巻く昨今の情勢は予断を許さんということもある。私とともに働いてほしい。以上だ」
バロウズが胸の前で右の人差し指をピンと立てた。
「その情勢にまつわることとして、一点、よろしいでしょうか?」
「ああ。言ってみろ」
「皇族の方々の脱出経路は確保されているのですか?」
口をへの字にして、バロウズを睨みつける。
一秒、二秒、三秒……十秒。
「質問の意図を聞かせろ」
「この国はいずれ滅びます。ですが、王がいれば再興も――」
「国家は民だ。民こそ国家だ。王などなんの役にも立たん。気休めくらいの機能しかない」
バロウズは「失礼いたしました。そのとおりかと存じます」と言い、また卑屈そうにニヤァと笑った。きれいな顔が台無しだ。ひとに負の印象しか与えないのだから控えたらいいだろうに――というのは、凡人の発想でしかないのかもしれない。
「いかがですか? 私の笑みは邪悪でございましょう?」
「わからんな。なにがおまえにそうさせる?」
「他人の不幸が嬉しくて楽しくてしょうがないのです」
「それでも、一度決めたことだ。外そうとは思わん」
「理由をお聞かせ願えますか?」
「おまえはいざというときにはやる男だよ」
そう答えてやると、バロウズの表情がにわかに硬くなった。
「期待しているぞ、鬼畜の騎士よ」
シルヴィアは右手を左から右に払うように動かし、「さあ、出ていけ」と促した。
*****
バロウズは使える。書類の処理等のちまちました雑務には適切なかたちで手を貸してくれるし、剣の鍛錬の相手としても申し分ない。紅茶を淹れる腕も達者というおまけつきだ。こんなことならもっと早く騎士を飼っていればよかったなと感じさせられた。だが、相変わらず口は悪い。サディスティックさを表出させることで悦を得ている感もある。しばしば彼一流の悪態をついてはニヤァと笑うのだ。気味が悪いことこの上ない。それでも、一緒にいる時間が長くなれば自然と慣れてしまうものだ。
感心させられたことはもう一つある。先日、公務で外に出ていた際、馬車の列が賊に襲われた。そのときバロウズはいち早く馬車から飛び出し、ばっさばっさと相手を斬って回ったのだ。鮮やかな手並みだった。捕縛は頭にないようだった。その場でみなにきちんと引導を渡すという徹底ぶりだった。「鬼畜」ではなく「鬼神」ではないかと思い知らされた。
自分よりずっと強い。そう認めざるを得なかった。騎士の採用試験で剣を交えたときは適当に手を抜いていたのだろう。その事実を知っても怒ろうとは思わなかったし、傷ついたりもしなかった。バロウズに対する興味だけが増した。男とは総じてつまらないものだと定義し、かと言って女との付き合いもさほど愉快とは言えず、だから気がつけばいつも孤独でしかなかった。むしろ、そうあることに心地よさすら感じていた。しかし、バロウズなる存在は、決して細くはない境界線をひょいとまたいで、胸の内に飛び込んでこようとしている。そうすることを許すつもりはない。寄り添ってほしいとも考えていない。とりあえず暇潰しにはなっているし、以前よりは退屈しないで済んでいる。それでよいのだと思うことにしている。
*****
――シルヴィア邸の衣裳部屋。
オフショルダーのドレスは漆黒。
大きな姿見の前で、くるっと回った。
「まるで似合わんな。我ながら気色が悪い」
シルヴィアは自らの装いを見て顔をしかめ、ふんと鼻を鳴らす。後ろに控えているバロウズが、「いえいえ、なんと見事な。とても美しいではありませんか。比肩する者などいようはずもございません」と彼女を持ち上げた。
「心にもないことを言うな」
「滅相もない」
「嫌なものは嫌なものだ。とはいえ、兄上の結婚式だからな」
姿見にバロウズのニヤァが映る。「皇族の方が再婚とは。しかも政略結婚など」と皮肉たっぷりに言った。シルヴィアは「仕方あるまい。国のためだ」と肩をすくめる。表情には苦笑が浮かんでいた。
――馬車の中。
はす向かいに座っているバロウズが、なんの前触れもなく「私はお役に立てていますか?」などと訊ねてきた。
「なんだ、おまえらしくもない。鬼畜の名はどこに行った?」
「姫様は意地悪でございます。からかい甲斐もまるでございません」
シルヴィアは「はっは」と笑い、「私にも母性のようなものがあるのかもしれないな」と悪戯っぽく言った。
「母性でございますか?」
「物言いが飛躍した。包容力のことを言いたかった」
「戦争の折にはみなが姫様に続くのです。要するに、そういうことなのでございましょう」
「私は私のために死んでくれた兵の一人一人を知りたい」
「思い詰められるのは、らしくない」
「そうか?」
「はい」
ふぅぅと長い吐息をついた、シルヴィア。
「ついに帝国を名乗るのもおこがましいところまで来てしまったな」
「そうでございますね。協力を仰ぎたいがためとはいえ、第一皇子が小国の姫を娶《めと》るのですから」
「それでも、なんとかやっていかねばならん」
「姫様もいずれは……」
「いずれは、なんだ?」
「いえ。いずこかへ嫁ぐことができれば、それは幸福なことだと考えます」
「かも、しれないな」
――式の最中。
シルヴィアはずっと花嫁のほうを見ていた。話には聞いていたが、ほんとうにまだ子どもではないか。十五になったばかりらしい。明らかに怖がっている。この日を迎えるにあたり、どれほど怯えて暮らしてきたことだろう。なにせ相手は五十がらみの強面だ。利害が一致したというのは国家間の話であり、当人たちからすれば不本意な契りに違いない。――いや。好色の兄は夜の相手が少女でもよいのだろうか。――いや。むしろ、よいのだろう。
*****
――シルヴィアの執務室。
頭が痛い。錯覚ではなく現象だ。そのためシルヴィアは三人掛けのソファに引っくり返っている。向かいのソファに腰を下ろしているバロウズが、テーブルの上のグラスに水を注いでくれた。
「昨晩はどうしてあれほどお飲みに?」
「幼い花嫁を見ているうちに、なんともやり切れない気持ちになった」
「言わば、憂さ晴らしでございますか」
「そんなところだ」
シルヴィアは額に右手の甲をやった。
「これが二日酔いか。なるほど。面白い体験ができた」
「いまなら組み伏せることができますね」
目をやると、バロウズはニヤァと笑っていた。
「素面でもおまえには敵わんだろう。あるいは好きにしてくれたってかまわんさ」
すると今度は一転、バロウズは真面目な顔をして。
「私はただの犬でございます」
「飼われている実感はあるのか」
「間違っていますか?」
「いいや。正しい認識だ」
バロウズは目を閉じ大きく息を吸った――ように見えた。
なにか言いたそうに口を開こうとした――ように見えた。
そのときだった。
「姫様、姫様っ!」
執事長を務めている老翁の声だ。ドアが激しくノックされる。許しを告げると慌ただしく入ってきた。その顔は真っ青だった。
*****
急速に勢力を強めている東の隣国が、宣戦布告もなしに攻め入ってきたという。シルヴィアとともにそれを聞いたバロウズは、明らかに苦々しい顔をした。舌打ちまでした。いつもは見せない感情的な様を目の当たりにし、その不思議さから「どうした?」と訊ねると、「東国との境となると、襲われているのは私の故郷でございましょう」と返事があった。そのときにはもう、バロウズの表情は苦笑じみたものへと変わっていた。
シルヴィアはすぐに「ゆくぞ」と告げた。バロウズは「お待ちください。それだけはいけない」と首を横に振った。しかし、矢も楯もたまらず、あらためて「ついてこい」とだけ伝えると、不承不承といった感じではあるものの、「承知いたしました」と応えてくれた。
――現地に到着した頃には、すっかり夜になっていた。
戦闘は続いていた。それだけでもう、ほっとさせられた。少なくともまだ全滅はしていない。なんとか持ちこたえている。しかし、当然士気は低く、指揮系統もがたがただ。
なにせ急事だ。編成できた部隊など限られている。それでも簡単に侵略を許すわけにはいかない。これまで脈々と受け継がれてきた帝国の歴史に泥を塗るなど、あってはならないことなのだから。
馬を駆りながら剣を抜く。馬の背に立ち、敵兵を目がけて跳ねる、襲いかかる。迅速かつ確実に獲物を料理して回る。月明かりの下にこだまするのは、剣の交わる音、低い怒声、高い悲鳴。下卑た大声が聞こえる。民間人も被害に遭っている。女は侵した土地で犯せ。とことん犯せ。好きなだけ犯せ。そんなふうに教えられてきたのだろう。教えられなくとも、あたりまえの理ではある。蛮族ならなおのこと。
「バロウズ、いるか!!」
存分に斬ったのち、振り返って叫んだ。
ぞっとなった。
すぐ後ろにまで来ていたことに――その気配にまったく気づかなかった。
左手で敵兵の首を鷲掴みにし、腕一本で身体ごと引きずってくる。相手はまだ生きていて、バロウズはその顔面に剣を突き立てた。怒っている――それこそ、らしくもなく。故郷を汚されたことが許せないに違いない。
「姫様、退きます。ここはもう支えようがありません」
「馬鹿を言うな! まだやれる!」
「退くと言ったんです!!」
怒気を孕んだバロウズの声が、負け戦の戦場にむなしく響き渡った。
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二週間と経たずして、首都を包囲されてしまった。向こうは話し合いには応じないの一点張り。皇族はすべて斬首刑に処すという。早期に降伏する手は議論された。脱出を図り、それを実現する方法もあるにはあった。そこは皇帝陛下が「最後まで戦い抜く」と男を見せた。弱気の虫を抱えている父にしてはよく言ったものだと、正直、感動させられた。
――シルヴィアの執務室。
椅子の上のシルヴィアは執務机に両肘をつき、両手の指を絡ませ合っている。机の向こうに立っているバロウズが、「戦わなければ国民を救うことだけはできたはずですが」と意見した。
「皇帝陛下のご意志だ。責められんよ。そうでなくとも、蟻の子一匹通さない態勢を敷かれてしまってはどうしようもない。占領は二つ目の目的だ。虐殺と凌辱が一つ目だ。やれやれだよ。よりにもよって、下賤な東国にこの地を明け渡すことになるとはな」
指を解き、腕を組む、瞼を閉じる。
のんきなくらい、さっぱりとした気分だった。
「バロウズ。現時刻をもって任を解く。おまえだけなら逃げられるはずだ」
「姫様と二人でも逃げられます」
「私も一応、皇女なんだよ」
静かな声で「姫様」と呼ばれ、シルヴィアはバロウズと目を合わせた。
「私にももう、ゆくあてなどございません」
「その美丈夫ぶりを活用してどこかで女でも引っかけて、健康的かつ楽天的に暮らせと私は言っている」
「私にも騎士の誇りくらいはあります。そして私は姫様の騎士なのです」
しっかりとした言葉、泰然とした態度、面持ち。
その雄々しさと立派さに、つい微笑みを向けてしまう。
そういえば最近笑っていなかったなと、いまになって気がついた。
「おまえは私の最初で最後の騎士になるかもしれないな」
「元よりその覚悟でございます」
シルヴィアはゆっくりと、反抗の意欲をもって、立ち上がった。
「では、ゆくか、我が騎士バロウズよ」
「イエス、ユア・ハイネス」
右の拳を胸に当て、バロウズは力強く応えた。
*****
――市街地にて接敵。
右腕をまっすぐ上に伸ばして、剣先を天に向けた。
「我が名はシルヴィア! シルヴィア・エル・ミカエリス! 『戦狂いの姫』とは私のことだ! 存分に剣を振るってみせよう! 死にたい者からかかってくるがいい!!」
彼我の戦力差は火を見るよりも明らかだが、両手に剣を持ち、前傾姿勢で真っ向から突進する。しょっぱなの男の槍の一突きをかわし、顔面に右の飛び蹴りを見舞ってやって、仰向けに倒したところで喉を貫く。剣を振って血を飛ばし、にやりと笑ってやる。怖気づいたようにして敵兵らが揃って身を引く。
怯えろ、怯えろ、最後に怯えて死んでゆけ。
それは心の中でくり返す、はなむけの言葉。
取り囲まれても二本の剣を自在に操り、まるで舞でも踊るようにくるくると回転しながら、どんどん相手に剣撃を浴びせる。鎧の隙間を突き、ときには腕を切り落とし、隙あらば首を刎ねる。数少ない――すっかり少なくなってしまった味方の兵が、鬨の声を上げる。戦闘が激化する。死にたくないなら殺すしかない。戦場の真理だ。
戦え。
ずっと戦え
死ぬまでずっと戦い続けろ。
人間の生は、戦争に似ている。
胸に衝撃。
太い矢を受けた。
深く刺さっている。
機動力を重視した身軽な装備では、一撃もらえば致命傷になりうる。
力ずくで矢を引っこ抜く。
それを地面に叩きつけて前を向く。
ぎりりと歯を食いしばって敵を睨む。
手も足も止めるな。
動け動け、動け、動け。
本能が限界を凌駕し、身体を突き動かす。
長くは続かない。
荒い息、自らの息づかい。
脂汗が止まらず、血を吐いた。
膝をつきそうになる。
右方から腰に腕が巻きついてきた。
身体を支えられる。
バロウズだ。
バロウズはシルヴィアの腰を左腕で抱えながら、右手の剣を前に向けた。そのままの姿勢でゆぅっくりと左方に回転――無言の圧力で周囲の敵を威嚇、圧倒した。あたりは水を打ったように静まり返った。
「姫様、私はそろそろ腹が減ってまいりました」
「私はそろそろ死にそうだよ……」
「弱気なことですね。らしくない。ああ。まったくもって、らしくない」
「逃げ、ろ……」
「お断りいたします」
剣を地面に突き立てると、抱きすくめてきた。なにをするのかされるのかと思いながら弱々しく目をしばたくと、とろけるような口づけに遭った。その間、シルヴィアはバロウズに身をゆだねていた。このまま死ぬのも悪くないな。そんなふうにすら考えていた。
だが、バロウズにそのつもりは毛頭ないらしく。
「さあ、姫様、お立ちを。突破しますよ」
バロウズは例によってニヤァと笑った。
相も変わらず邪悪な顔だ。
完全無欠の快楽主義者の表情だ。
シルヴィアは口元だけ笑んだ。
足を踏ん張って、一人で立った。
腰から、新しい剣を抜く。
「まさに飼い犬に手を噛まれた気分だが、まあいい。魔女の唇はどうだった?」
「甘美な味わいだったからこそ、ここで死ぬわけにはいかない」
言ってくれる。
カッと目を見開く。
なにもかもが見える。
脳が活性し、精神が研ぎ澄まされている。
首を左に傾けて矢をよけた――造作もないことだった。
大丈夫。
問題ない。
まだ舞おう。
まだまだ舞ってみせよう。
「ゆくぞ、ヴィンセント!」
「ようやく名前で呼んでくださいましたね」
押し寄せてくる敵兵の波に、シルヴィアは笑いながら突っ込んだ。
――真新しい赤絨毯が敷かれた壇上。
ピンと張り詰めた場の空気は、冷たく洗練されている。
帝国の第三皇女である彼女――シルヴィア・エル・ミカエリスは、片膝をついて頭《こうべ》を垂れている男の左肩に剣の刃を置き、叙任の旨を厳かに宣言した。剣を男に返却する。男は剣を腰の鞘に収めるとすっくと立ち上がり、身を翻した。貴族からなる出席者たちは一斉に拍手し、喝采する。
かくして、男――ヴィンセント・バロウズは、シルヴィアの騎士となったのだった。
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皇族の人間は二十歳になると専属の騎士を選定する。しかし、シルヴィアはそのルールを頑として守らなかった。自分の身くらい自分で守れるという強い自負があるからだ。今年に入り、二十七を迎えたところで、心配性の父からいよいよ懇願されたため、その旨を受け容れた。やむなくのことでしかない。とはいえ、もう選んでしまったわけだ。空気のように扱うわけにもいかない。
――シルヴィアの執務室。
バロウズは今日も今日とて、部屋の外に立っている。そうそう起こりうることではないと思いたいが、賊の侵入を想定して警備に当たっている。特になにもない日々が続くようであれば、この先もずっとこの調子だろう。
いい加減、奴さんも暇を持て余しているのではないか。
そんなふうに考えたものだから、実際に「バロウズ!」と名を呼んだ。優しいことだなと、シルヴィアは自らの思いやりに少し感心した。
コンコンコンとノックがあり、「いいぞ」と告げると静かに入ってきた。
ヴィンセント・バロウズ。一言で言ってしまうと類稀な美丈夫だ。波打つ黒い長髪は艶やかで、琥珀色の瞳は大きく、顎のラインはきれいな鋭角。姿勢もいい。匂い立つような凛々しさが華やかな佇まいに花を添えている。前開きの純白のロングコートも長身によく似合う。
「ヴィンセント・バロウズ、参りました」透明感を持つ声はよく通る。「姫様、いかがなさいましたか?」
緑の革が張られた椅子の上で、シルヴィアは鼻から短い息を漏らした。
「戦狂《いくさぐる》いをつかまえて姫様はよせ」
「しかし、みながみな、そうお呼びしておりますゆえ」
「わかっている。言ってみただけだ」
「紅茶をお持ちいたしましょうか?」
「いや、いい」
「では、何用でございましょう?」
「おまえと話がしてみたいと思った」
バロウズは目礼し、「なんなりと」と承諾した。
「年齢は私と同じだったな。恋人は?」
「またいきなりなにをおっしゃるのか」
「いるのか? いないのか?」
「おりません」
「鬼畜だからか?」
「やはり、その評判はご存じでしたか」
シルヴィアは紅色の前髪を右手掻き上げつつ「まあな」と答え、それから樫を用いた執務机に左の頬杖をついた。机の向こうに立っているバロウズのことを上目で観察する。騎士として採用するにあたり友人や仕事仲間に聞き込み調査を行ったところ、彼らの口から次々に飛び出してきたのがその単語――鬼畜だったらしい。
「なぜ鬼畜と呼ばれるのか、興味がある。無慈悲かつ残忍なまでの強さを誇るということか?」
「軟弱ではないつもりではありますが、姫様」
「なんだ?」
「姫様はドブスでいらっしゃいますね」
突拍子もなく予想だにしないセリフが飛び出してきたので、シルヴィアは言葉を失った。耳を疑いもした。唖然となったのち、目をしばたいた。バロウズはというと、邪な感も露わにニヤァと笑んでいる。
「おまえ、いまなんと言った?」
「ですから、姫様はドブスだ、と」
どうやら聞き間違いではないらしい。シルヴィアは自らの外見に無頓着だ。そもそも興味がない。ただ、世間一般において「美貌の姫君」と謳われていることくらいは知っている。
バロウズの口角の上げ方は、絶妙に気持ちが悪い。万人に訊けば万人が「癪に障る」と答えるだろう。こいつは間違いなくタチの悪い男だ。他人を見下ろすでも見下すでもなく、ただ単純にひどく性格のひん曲がった男だ。こういった類の、ある種の愉快犯はたまにいる。ここまで極端な――面と向かって皇族の人間に暴言を吐く輩は見たことがないが。
「わかった。ドブスでいい。かまわない」
「激高していただいたほうが喜ばしいのですが」
「そういうことなら、なおさら怒らん。なるほど、鬼畜か。その片鱗を垣間見た気がするぞ」
「姫様の魔女なる二つ名も、十二分に悪名では?」
眉根を寄せたシルヴィアは「そんなことで張り合ってどうする」と呆れ、「やれやれ。見た目は真面目そうなんだがな」と肩を落とした。
バロウズはまたニヤァと笑んだ。もはや瞬きすら慇懃無礼に映る。
「私がなぜ姫様の騎士に手を挙げたのか、おわかりですか?」
「多様な経験を積むことで、騎士として、ひいては人間として成長したい。面接の折にはそう話していたな」
「あれは嘘でございます。じつは姫様をからかって遊ぼうと考えたのです。より高い給金が得られるようになることも利点ではありましたが」
なんとも言い表しがたい俗物さ加減に目眩を覚えた。呆れの二乗だ。ため息までついてしまう。
「相手が私でなければ、首を刎ねられてもしょうがないぞ」
「ひととの距離感を掴むことには、長けているつもりでございます」
事もなげに言ってのけた。たしかに空気が読めなければ、あるいはひとの感情の機微を感じ取ることに聡くなければ、他人をからかったところで面白くもなんともないだろう。
「まあいい。おまえは聡明なのだろう。戦闘においても簡単に後れを取ったりはせんだろう。我が国を取り巻く昨今の情勢は予断を許さんということもある。私とともに働いてほしい。以上だ」
バロウズが胸の前で右の人差し指をピンと立てた。
「その情勢にまつわることとして、一点、よろしいでしょうか?」
「ああ。言ってみろ」
「皇族の方々の脱出経路は確保されているのですか?」
口をへの字にして、バロウズを睨みつける。
一秒、二秒、三秒……十秒。
「質問の意図を聞かせろ」
「この国はいずれ滅びます。ですが、王がいれば再興も――」
「国家は民だ。民こそ国家だ。王などなんの役にも立たん。気休めくらいの機能しかない」
バロウズは「失礼いたしました。そのとおりかと存じます」と言い、また卑屈そうにニヤァと笑った。きれいな顔が台無しだ。ひとに負の印象しか与えないのだから控えたらいいだろうに――というのは、凡人の発想でしかないのかもしれない。
「いかがですか? 私の笑みは邪悪でございましょう?」
「わからんな。なにがおまえにそうさせる?」
「他人の不幸が嬉しくて楽しくてしょうがないのです」
「それでも、一度決めたことだ。外そうとは思わん」
「理由をお聞かせ願えますか?」
「おまえはいざというときにはやる男だよ」
そう答えてやると、バロウズの表情がにわかに硬くなった。
「期待しているぞ、鬼畜の騎士よ」
シルヴィアは右手を左から右に払うように動かし、「さあ、出ていけ」と促した。
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バロウズは使える。書類の処理等のちまちました雑務には適切なかたちで手を貸してくれるし、剣の鍛錬の相手としても申し分ない。紅茶を淹れる腕も達者というおまけつきだ。こんなことならもっと早く騎士を飼っていればよかったなと感じさせられた。だが、相変わらず口は悪い。サディスティックさを表出させることで悦を得ている感もある。しばしば彼一流の悪態をついてはニヤァと笑うのだ。気味が悪いことこの上ない。それでも、一緒にいる時間が長くなれば自然と慣れてしまうものだ。
感心させられたことはもう一つある。先日、公務で外に出ていた際、馬車の列が賊に襲われた。そのときバロウズはいち早く馬車から飛び出し、ばっさばっさと相手を斬って回ったのだ。鮮やかな手並みだった。捕縛は頭にないようだった。その場でみなにきちんと引導を渡すという徹底ぶりだった。「鬼畜」ではなく「鬼神」ではないかと思い知らされた。
自分よりずっと強い。そう認めざるを得なかった。騎士の採用試験で剣を交えたときは適当に手を抜いていたのだろう。その事実を知っても怒ろうとは思わなかったし、傷ついたりもしなかった。バロウズに対する興味だけが増した。男とは総じてつまらないものだと定義し、かと言って女との付き合いもさほど愉快とは言えず、だから気がつけばいつも孤独でしかなかった。むしろ、そうあることに心地よさすら感じていた。しかし、バロウズなる存在は、決して細くはない境界線をひょいとまたいで、胸の内に飛び込んでこようとしている。そうすることを許すつもりはない。寄り添ってほしいとも考えていない。とりあえず暇潰しにはなっているし、以前よりは退屈しないで済んでいる。それでよいのだと思うことにしている。
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――シルヴィア邸の衣裳部屋。
オフショルダーのドレスは漆黒。
大きな姿見の前で、くるっと回った。
「まるで似合わんな。我ながら気色が悪い」
シルヴィアは自らの装いを見て顔をしかめ、ふんと鼻を鳴らす。後ろに控えているバロウズが、「いえいえ、なんと見事な。とても美しいではありませんか。比肩する者などいようはずもございません」と彼女を持ち上げた。
「心にもないことを言うな」
「滅相もない」
「嫌なものは嫌なものだ。とはいえ、兄上の結婚式だからな」
姿見にバロウズのニヤァが映る。「皇族の方が再婚とは。しかも政略結婚など」と皮肉たっぷりに言った。シルヴィアは「仕方あるまい。国のためだ」と肩をすくめる。表情には苦笑が浮かんでいた。
――馬車の中。
はす向かいに座っているバロウズが、なんの前触れもなく「私はお役に立てていますか?」などと訊ねてきた。
「なんだ、おまえらしくもない。鬼畜の名はどこに行った?」
「姫様は意地悪でございます。からかい甲斐もまるでございません」
シルヴィアは「はっは」と笑い、「私にも母性のようなものがあるのかもしれないな」と悪戯っぽく言った。
「母性でございますか?」
「物言いが飛躍した。包容力のことを言いたかった」
「戦争の折にはみなが姫様に続くのです。要するに、そういうことなのでございましょう」
「私は私のために死んでくれた兵の一人一人を知りたい」
「思い詰められるのは、らしくない」
「そうか?」
「はい」
ふぅぅと長い吐息をついた、シルヴィア。
「ついに帝国を名乗るのもおこがましいところまで来てしまったな」
「そうでございますね。協力を仰ぎたいがためとはいえ、第一皇子が小国の姫を娶《めと》るのですから」
「それでも、なんとかやっていかねばならん」
「姫様もいずれは……」
「いずれは、なんだ?」
「いえ。いずこかへ嫁ぐことができれば、それは幸福なことだと考えます」
「かも、しれないな」
――式の最中。
シルヴィアはずっと花嫁のほうを見ていた。話には聞いていたが、ほんとうにまだ子どもではないか。十五になったばかりらしい。明らかに怖がっている。この日を迎えるにあたり、どれほど怯えて暮らしてきたことだろう。なにせ相手は五十がらみの強面だ。利害が一致したというのは国家間の話であり、当人たちからすれば不本意な契りに違いない。――いや。好色の兄は夜の相手が少女でもよいのだろうか。――いや。むしろ、よいのだろう。
*****
――シルヴィアの執務室。
頭が痛い。錯覚ではなく現象だ。そのためシルヴィアは三人掛けのソファに引っくり返っている。向かいのソファに腰を下ろしているバロウズが、テーブルの上のグラスに水を注いでくれた。
「昨晩はどうしてあれほどお飲みに?」
「幼い花嫁を見ているうちに、なんともやり切れない気持ちになった」
「言わば、憂さ晴らしでございますか」
「そんなところだ」
シルヴィアは額に右手の甲をやった。
「これが二日酔いか。なるほど。面白い体験ができた」
「いまなら組み伏せることができますね」
目をやると、バロウズはニヤァと笑っていた。
「素面でもおまえには敵わんだろう。あるいは好きにしてくれたってかまわんさ」
すると今度は一転、バロウズは真面目な顔をして。
「私はただの犬でございます」
「飼われている実感はあるのか」
「間違っていますか?」
「いいや。正しい認識だ」
バロウズは目を閉じ大きく息を吸った――ように見えた。
なにか言いたそうに口を開こうとした――ように見えた。
そのときだった。
「姫様、姫様っ!」
執事長を務めている老翁の声だ。ドアが激しくノックされる。許しを告げると慌ただしく入ってきた。その顔は真っ青だった。
*****
急速に勢力を強めている東の隣国が、宣戦布告もなしに攻め入ってきたという。シルヴィアとともにそれを聞いたバロウズは、明らかに苦々しい顔をした。舌打ちまでした。いつもは見せない感情的な様を目の当たりにし、その不思議さから「どうした?」と訊ねると、「東国との境となると、襲われているのは私の故郷でございましょう」と返事があった。そのときにはもう、バロウズの表情は苦笑じみたものへと変わっていた。
シルヴィアはすぐに「ゆくぞ」と告げた。バロウズは「お待ちください。それだけはいけない」と首を横に振った。しかし、矢も楯もたまらず、あらためて「ついてこい」とだけ伝えると、不承不承といった感じではあるものの、「承知いたしました」と応えてくれた。
――現地に到着した頃には、すっかり夜になっていた。
戦闘は続いていた。それだけでもう、ほっとさせられた。少なくともまだ全滅はしていない。なんとか持ちこたえている。しかし、当然士気は低く、指揮系統もがたがただ。
なにせ急事だ。編成できた部隊など限られている。それでも簡単に侵略を許すわけにはいかない。これまで脈々と受け継がれてきた帝国の歴史に泥を塗るなど、あってはならないことなのだから。
馬を駆りながら剣を抜く。馬の背に立ち、敵兵を目がけて跳ねる、襲いかかる。迅速かつ確実に獲物を料理して回る。月明かりの下にこだまするのは、剣の交わる音、低い怒声、高い悲鳴。下卑た大声が聞こえる。民間人も被害に遭っている。女は侵した土地で犯せ。とことん犯せ。好きなだけ犯せ。そんなふうに教えられてきたのだろう。教えられなくとも、あたりまえの理ではある。蛮族ならなおのこと。
「バロウズ、いるか!!」
存分に斬ったのち、振り返って叫んだ。
ぞっとなった。
すぐ後ろにまで来ていたことに――その気配にまったく気づかなかった。
左手で敵兵の首を鷲掴みにし、腕一本で身体ごと引きずってくる。相手はまだ生きていて、バロウズはその顔面に剣を突き立てた。怒っている――それこそ、らしくもなく。故郷を汚されたことが許せないに違いない。
「姫様、退きます。ここはもう支えようがありません」
「馬鹿を言うな! まだやれる!」
「退くと言ったんです!!」
怒気を孕んだバロウズの声が、負け戦の戦場にむなしく響き渡った。
*****
二週間と経たずして、首都を包囲されてしまった。向こうは話し合いには応じないの一点張り。皇族はすべて斬首刑に処すという。早期に降伏する手は議論された。脱出を図り、それを実現する方法もあるにはあった。そこは皇帝陛下が「最後まで戦い抜く」と男を見せた。弱気の虫を抱えている父にしてはよく言ったものだと、正直、感動させられた。
――シルヴィアの執務室。
椅子の上のシルヴィアは執務机に両肘をつき、両手の指を絡ませ合っている。机の向こうに立っているバロウズが、「戦わなければ国民を救うことだけはできたはずですが」と意見した。
「皇帝陛下のご意志だ。責められんよ。そうでなくとも、蟻の子一匹通さない態勢を敷かれてしまってはどうしようもない。占領は二つ目の目的だ。虐殺と凌辱が一つ目だ。やれやれだよ。よりにもよって、下賤な東国にこの地を明け渡すことになるとはな」
指を解き、腕を組む、瞼を閉じる。
のんきなくらい、さっぱりとした気分だった。
「バロウズ。現時刻をもって任を解く。おまえだけなら逃げられるはずだ」
「姫様と二人でも逃げられます」
「私も一応、皇女なんだよ」
静かな声で「姫様」と呼ばれ、シルヴィアはバロウズと目を合わせた。
「私にももう、ゆくあてなどございません」
「その美丈夫ぶりを活用してどこかで女でも引っかけて、健康的かつ楽天的に暮らせと私は言っている」
「私にも騎士の誇りくらいはあります。そして私は姫様の騎士なのです」
しっかりとした言葉、泰然とした態度、面持ち。
その雄々しさと立派さに、つい微笑みを向けてしまう。
そういえば最近笑っていなかったなと、いまになって気がついた。
「おまえは私の最初で最後の騎士になるかもしれないな」
「元よりその覚悟でございます」
シルヴィアはゆっくりと、反抗の意欲をもって、立ち上がった。
「では、ゆくか、我が騎士バロウズよ」
「イエス、ユア・ハイネス」
右の拳を胸に当て、バロウズは力強く応えた。
*****
――市街地にて接敵。
右腕をまっすぐ上に伸ばして、剣先を天に向けた。
「我が名はシルヴィア! シルヴィア・エル・ミカエリス! 『戦狂いの姫』とは私のことだ! 存分に剣を振るってみせよう! 死にたい者からかかってくるがいい!!」
彼我の戦力差は火を見るよりも明らかだが、両手に剣を持ち、前傾姿勢で真っ向から突進する。しょっぱなの男の槍の一突きをかわし、顔面に右の飛び蹴りを見舞ってやって、仰向けに倒したところで喉を貫く。剣を振って血を飛ばし、にやりと笑ってやる。怖気づいたようにして敵兵らが揃って身を引く。
怯えろ、怯えろ、最後に怯えて死んでゆけ。
それは心の中でくり返す、はなむけの言葉。
取り囲まれても二本の剣を自在に操り、まるで舞でも踊るようにくるくると回転しながら、どんどん相手に剣撃を浴びせる。鎧の隙間を突き、ときには腕を切り落とし、隙あらば首を刎ねる。数少ない――すっかり少なくなってしまった味方の兵が、鬨の声を上げる。戦闘が激化する。死にたくないなら殺すしかない。戦場の真理だ。
戦え。
ずっと戦え
死ぬまでずっと戦い続けろ。
人間の生は、戦争に似ている。
胸に衝撃。
太い矢を受けた。
深く刺さっている。
機動力を重視した身軽な装備では、一撃もらえば致命傷になりうる。
力ずくで矢を引っこ抜く。
それを地面に叩きつけて前を向く。
ぎりりと歯を食いしばって敵を睨む。
手も足も止めるな。
動け動け、動け、動け。
本能が限界を凌駕し、身体を突き動かす。
長くは続かない。
荒い息、自らの息づかい。
脂汗が止まらず、血を吐いた。
膝をつきそうになる。
右方から腰に腕が巻きついてきた。
身体を支えられる。
バロウズだ。
バロウズはシルヴィアの腰を左腕で抱えながら、右手の剣を前に向けた。そのままの姿勢でゆぅっくりと左方に回転――無言の圧力で周囲の敵を威嚇、圧倒した。あたりは水を打ったように静まり返った。
「姫様、私はそろそろ腹が減ってまいりました」
「私はそろそろ死にそうだよ……」
「弱気なことですね。らしくない。ああ。まったくもって、らしくない」
「逃げ、ろ……」
「お断りいたします」
剣を地面に突き立てると、抱きすくめてきた。なにをするのかされるのかと思いながら弱々しく目をしばたくと、とろけるような口づけに遭った。その間、シルヴィアはバロウズに身をゆだねていた。このまま死ぬのも悪くないな。そんなふうにすら考えていた。
だが、バロウズにそのつもりは毛頭ないらしく。
「さあ、姫様、お立ちを。突破しますよ」
バロウズは例によってニヤァと笑った。
相も変わらず邪悪な顔だ。
完全無欠の快楽主義者の表情だ。
シルヴィアは口元だけ笑んだ。
足を踏ん張って、一人で立った。
腰から、新しい剣を抜く。
「まさに飼い犬に手を噛まれた気分だが、まあいい。魔女の唇はどうだった?」
「甘美な味わいだったからこそ、ここで死ぬわけにはいかない」
言ってくれる。
カッと目を見開く。
なにもかもが見える。
脳が活性し、精神が研ぎ澄まされている。
首を左に傾けて矢をよけた――造作もないことだった。
大丈夫。
問題ない。
まだ舞おう。
まだまだ舞ってみせよう。
「ゆくぞ、ヴィンセント!」
「ようやく名前で呼んでくださいましたね」
押し寄せてくる敵兵の波に、シルヴィアは笑いながら突っ込んだ。
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