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プロローグ ──夜空の大三角──
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静かな波の音が響く中、海面ではぼやけた月明りがゆっくりと揺蕩う。忙しなく揺れるコートは白い地面にうっすらと影を落とした。
冷えた夜風が揺らす少し長めの前髪は鬱陶しいが、仄かに鼻腔をくすぐる汐の香はどうしようもなく淀んだ気持ちを少しだけ落ち着かせてくれた。それでも微かに震える体はきっとこの風のせいじゃない。それでも今この瞬間だけは、この光景を素直に綺麗だと思うことが出来た。僕はそれらをカメラに収めることも忘れてただ澄んだ空気の向こうを眺めていた。
「どう?綺麗でしょ?」
彼はそう笑顔を浮かべた、ように見える。暗くて表情はうまく読めないけれど、さっきからずっと星も海もそっちのけでずっと僕の方を見つめているのはわかった。きっと、とても優しい表情をしている。声色がそう言っていた。
「綺麗やね」
僕は海面に視線を落としたまま静かに返した。もしこれが“本物のカップル”なのであれば、どんな会話をするのだろう。そんなことを考えながら。
頬を撫でる風は優しく、けれど確実に僕を凍えさせる。まるで、彼みたいだ。
冷たい風につい目を細めると、ふいに頬をぬくもりが包む。それは最愛の人の掌だった。暖かいとか、幸せだとか、そんな恥ずかしい感情が頭に浮かぶ。しかし、それはすぐに複雑な感情に置き換えられることとなる。
次の瞬間には彼の綺麗な瞳は目の前にあって。そして彼の唇がそっと、僕の唇へ触れていた。僕はゆっくりと目を瞑る。
ぬくもりを感じたのはほんの刹那。それでも僕は、この口づけを一生忘れないだろう。
幸せだった。本気でそう思う。
「ええんやで、そういうの」
僕は何でもない風に夜の空へ向き直り、ほんのり積もった雪を踏みしめる。冷たい柵を強く握ると冷えた指先がじんじんと痛んだ。
僕は知っていた。このキスは嘘だった。僕が彼へ抱く恋心を彼もわかっているからこそ、気を遣ってくれたに過ぎない。
そういうのはもういらない。最後の思い出くらい、本物の彼を見たい。
「信用されてないね、俺」
彼は苦笑すると僕の隣に並んで、柵に体重を預けながら空を見上げる。
当たり前だ、と僕は思う。だって、確かに隣にいる彼が今、夜空を見上げて想うのは恋人であるはずの僕ではないのだから。
空には名も知らない星々がこっちの気も知らずに美しく輝いている。まるで、子供が金平糖でもばらまいたみたいだ、と僕は思う。
「あれはこいぬ座だよ。んで、あっちがおおいぬ座。あっちがオリオン座」
彼は無邪気に空へ向かって身を乗り出し指をさした。もちろん、彼がどれを指さしたかなんてわからないし別に興味もない。ただ、彼が星に興味があるだなんて話は聞いたことがなかった僕は奇妙に思いながらも「ふーん?」と小首を傾げる。
「そのみっつの星座の一等星を結んだら、冬の大三角になるんだ」
そう言う彼の表情は、星よりもずっと綺麗で輝いて見えた。
目の前の星がぼやけてぐちゃぐちゃになる。
何も言わない僕を不思議に思った彼は、やっと僕の方へ視線をくれる。
いつもそうだった。彼は僕よりも他の何かに夢中だった。まるであの一等星のように輝くひなたの隣でくすんだ僕を、彼は確かに目ざとく見つけてくれた。けれど、それはいつもひなたの次で。いつだって二番目だった。でも。
二番目でも、嬉しい。……嬉しかった。
僕はやっと彼の瞳に映れた幸せを嚙みしめるように、ゆっくりと彼の方へ顔を向ける。それはそれは、きっと最高の笑顔だったことだろう。
彼は、僕の顔を見て目を丸くした。
「泣いてる……?」
もう、慰めなんていらない。余計に惨めだから。
「別れよう、詩音くん」
僕は、彼らには敵わない。一茶もひなたも、詩音くんもなにか輝くものを持っているのに。
僕は、あの輝く三角形にはふさわしくない。
詩音くんを好きになるだなんて、ましてや付き合いたいだなんて思ってはいけなかった。
風が頬を撫で上げる。涙の痕が寒かった。
冷えた夜風が揺らす少し長めの前髪は鬱陶しいが、仄かに鼻腔をくすぐる汐の香はどうしようもなく淀んだ気持ちを少しだけ落ち着かせてくれた。それでも微かに震える体はきっとこの風のせいじゃない。それでも今この瞬間だけは、この光景を素直に綺麗だと思うことが出来た。僕はそれらをカメラに収めることも忘れてただ澄んだ空気の向こうを眺めていた。
「どう?綺麗でしょ?」
彼はそう笑顔を浮かべた、ように見える。暗くて表情はうまく読めないけれど、さっきからずっと星も海もそっちのけでずっと僕の方を見つめているのはわかった。きっと、とても優しい表情をしている。声色がそう言っていた。
「綺麗やね」
僕は海面に視線を落としたまま静かに返した。もしこれが“本物のカップル”なのであれば、どんな会話をするのだろう。そんなことを考えながら。
頬を撫でる風は優しく、けれど確実に僕を凍えさせる。まるで、彼みたいだ。
冷たい風につい目を細めると、ふいに頬をぬくもりが包む。それは最愛の人の掌だった。暖かいとか、幸せだとか、そんな恥ずかしい感情が頭に浮かぶ。しかし、それはすぐに複雑な感情に置き換えられることとなる。
次の瞬間には彼の綺麗な瞳は目の前にあって。そして彼の唇がそっと、僕の唇へ触れていた。僕はゆっくりと目を瞑る。
ぬくもりを感じたのはほんの刹那。それでも僕は、この口づけを一生忘れないだろう。
幸せだった。本気でそう思う。
「ええんやで、そういうの」
僕は何でもない風に夜の空へ向き直り、ほんのり積もった雪を踏みしめる。冷たい柵を強く握ると冷えた指先がじんじんと痛んだ。
僕は知っていた。このキスは嘘だった。僕が彼へ抱く恋心を彼もわかっているからこそ、気を遣ってくれたに過ぎない。
そういうのはもういらない。最後の思い出くらい、本物の彼を見たい。
「信用されてないね、俺」
彼は苦笑すると僕の隣に並んで、柵に体重を預けながら空を見上げる。
当たり前だ、と僕は思う。だって、確かに隣にいる彼が今、夜空を見上げて想うのは恋人であるはずの僕ではないのだから。
空には名も知らない星々がこっちの気も知らずに美しく輝いている。まるで、子供が金平糖でもばらまいたみたいだ、と僕は思う。
「あれはこいぬ座だよ。んで、あっちがおおいぬ座。あっちがオリオン座」
彼は無邪気に空へ向かって身を乗り出し指をさした。もちろん、彼がどれを指さしたかなんてわからないし別に興味もない。ただ、彼が星に興味があるだなんて話は聞いたことがなかった僕は奇妙に思いながらも「ふーん?」と小首を傾げる。
「そのみっつの星座の一等星を結んだら、冬の大三角になるんだ」
そう言う彼の表情は、星よりもずっと綺麗で輝いて見えた。
目の前の星がぼやけてぐちゃぐちゃになる。
何も言わない僕を不思議に思った彼は、やっと僕の方へ視線をくれる。
いつもそうだった。彼は僕よりも他の何かに夢中だった。まるであの一等星のように輝くひなたの隣でくすんだ僕を、彼は確かに目ざとく見つけてくれた。けれど、それはいつもひなたの次で。いつだって二番目だった。でも。
二番目でも、嬉しい。……嬉しかった。
僕はやっと彼の瞳に映れた幸せを嚙みしめるように、ゆっくりと彼の方へ顔を向ける。それはそれは、きっと最高の笑顔だったことだろう。
彼は、僕の顔を見て目を丸くした。
「泣いてる……?」
もう、慰めなんていらない。余計に惨めだから。
「別れよう、詩音くん」
僕は、彼らには敵わない。一茶もひなたも、詩音くんもなにか輝くものを持っているのに。
僕は、あの輝く三角形にはふさわしくない。
詩音くんを好きになるだなんて、ましてや付き合いたいだなんて思ってはいけなかった。
風が頬を撫で上げる。涙の痕が寒かった。
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