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1章 覚悟のとき
27話 こたえ
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「俺さ、手術受けないことにする」
それはそれは、穏やかな声だった。
体重を預けて手を握り、僕を見上げる姿はまるで、ただ甘えているような雰囲気だった。
もしかしたら、ただの聞き間違えかも知れないと思った。でも。
いつもは眠たそうな彼の瞳が、あまりにもしっかりしているから。僕はその言葉の存在を受け入れるしか無かった。
「どうして」と呟く。「どうしていきなり、そんなこと言うんですか……?」
声が、震えた。
なにかの冗談だと言って欲しくて上げた語尾は、あまりに不格好だった。
そんな滑稽な僕を見た彼は、一緒に笑ってはくれなかった。ただ苦虫を噛み潰したような顔をして目をそらすものだから、そんな顔をするなら言わなければいいのに、と。そう思った。
「手術はちゃんと受けましょう……? そのうえで、どうやったら記憶が無くならないか、一緒に考えるんです。あの薬を飲んだら、確率も上がるじゃないですか。曲とゲームが完成してからですけど……それでも間に合うはずです。きっと大丈夫です」
彼の両肩を掴み、早口にまくし立てる。無意識に手に篭もる力が強くなり、衣服に深いシワが寄っていた。
聖也くんは、そんな僕を見ても首を縦に振ってはくれなかった。ただ困ったように苦笑を浮かべる彼の様子が怖くって、思わず口ごもる。
その様子を見て満足したとでも受け取ったのか、彼はようやく口を開いた。
「薬飲んだって、記憶が無くならない確率は微々たるもんだよ。忘れないって約束なんて、俺はしてやれない。だから……いっその事手術受けなかったら、少なくとも死ぬまでは覚えていられるじゃん」
その言葉は、冗談だと解釈するにはあまりに現実的過ぎた。思わず息を呑み、彼の言葉を脳内で反芻する。
しかし、出た結論はあまりに僕の想定からは外れているもので、息が詰まった。
「なん、で」
声が掠れる。
僕が発した問の答えは既に彼の言葉にあったが、その事では無い。
掴んだ肩を大きく揺するが、彼はそれに抵抗もせずにゆらゆらと揺すられながら口を開いた。
「その方が、橙花のためになると思った」
「そんなわけない!」
思ったより、大きな声が口に出た。
だって、それではまるで、僕が彼の死を望んでいるようだったから。
「でも」と、彼は言った。「俺が病気だって分かっただけでバイト行けなくなるやつが、俺に忘れられて生きていけるわけないじゃん」
彼の手が、僕の依然真っ白な髪へ置かれる。
確かに。彼の言うとおり、彼に忘れられる未来なんて1ミリ足りとも考えたくもない。むしろ、彼が忘れないと約束してくれたから、積極的に考えることは避けていた。
でも、だからといって。
「でも……聖也くんが死んじゃったら、もっと生きていけるわけないです……! 考え直してください……!」
大きく声を上げ、涙を拭う。聖也くんはそんな僕の涙を拭うべく両手で僕の頬をつつみ、ふっと笑って見せた。
「じゃあさ」と、彼は言った。「俺がお前のこと忘れて他人になるのと、俺が死ぬの。どっちがいい?」
意地悪な質問だった。そんなの、二つに一つだった。今答えるべきは前者だった。気持ちとしても、聖也くんが死ぬなんて考えられなかった。なのに。
息が詰まって、声が出なかった。
彼にとっては、それが僕の答えだった。
「俺は、最期までお前の隣にいれるならそれもありかなって思った」
そう語る聖也くんの表情は、出会って1番幸せそうだった。
胸の奥がザワザワと騒いでうるさい。深く息を吸っても、吐いても、腕に爪を立てても。この気持ち悪い感覚は消えてくれない。
これが、人を殺すという感覚なのかと、そう思った。
「ねぇ、やだ……バイトちゃんと行くから……ちゃんと頼れる彼氏になるから……もう泣かないから……ッ」
泣かないと、そう泣きながら懺悔する僕のその言葉はあまりに説得力がない。
何度もしゃくりあげて彼の肩へ涙を押し付ける中。聖也くんは「大丈夫」と、僕の背中を擦りながら、そっと頭頂へキスをした。
それはそれは、穏やかな声だった。
体重を預けて手を握り、僕を見上げる姿はまるで、ただ甘えているような雰囲気だった。
もしかしたら、ただの聞き間違えかも知れないと思った。でも。
いつもは眠たそうな彼の瞳が、あまりにもしっかりしているから。僕はその言葉の存在を受け入れるしか無かった。
「どうして」と呟く。「どうしていきなり、そんなこと言うんですか……?」
声が、震えた。
なにかの冗談だと言って欲しくて上げた語尾は、あまりに不格好だった。
そんな滑稽な僕を見た彼は、一緒に笑ってはくれなかった。ただ苦虫を噛み潰したような顔をして目をそらすものだから、そんな顔をするなら言わなければいいのに、と。そう思った。
「手術はちゃんと受けましょう……? そのうえで、どうやったら記憶が無くならないか、一緒に考えるんです。あの薬を飲んだら、確率も上がるじゃないですか。曲とゲームが完成してからですけど……それでも間に合うはずです。きっと大丈夫です」
彼の両肩を掴み、早口にまくし立てる。無意識に手に篭もる力が強くなり、衣服に深いシワが寄っていた。
聖也くんは、そんな僕を見ても首を縦に振ってはくれなかった。ただ困ったように苦笑を浮かべる彼の様子が怖くって、思わず口ごもる。
その様子を見て満足したとでも受け取ったのか、彼はようやく口を開いた。
「薬飲んだって、記憶が無くならない確率は微々たるもんだよ。忘れないって約束なんて、俺はしてやれない。だから……いっその事手術受けなかったら、少なくとも死ぬまでは覚えていられるじゃん」
その言葉は、冗談だと解釈するにはあまりに現実的過ぎた。思わず息を呑み、彼の言葉を脳内で反芻する。
しかし、出た結論はあまりに僕の想定からは外れているもので、息が詰まった。
「なん、で」
声が掠れる。
僕が発した問の答えは既に彼の言葉にあったが、その事では無い。
掴んだ肩を大きく揺するが、彼はそれに抵抗もせずにゆらゆらと揺すられながら口を開いた。
「その方が、橙花のためになると思った」
「そんなわけない!」
思ったより、大きな声が口に出た。
だって、それではまるで、僕が彼の死を望んでいるようだったから。
「でも」と、彼は言った。「俺が病気だって分かっただけでバイト行けなくなるやつが、俺に忘れられて生きていけるわけないじゃん」
彼の手が、僕の依然真っ白な髪へ置かれる。
確かに。彼の言うとおり、彼に忘れられる未来なんて1ミリ足りとも考えたくもない。むしろ、彼が忘れないと約束してくれたから、積極的に考えることは避けていた。
でも、だからといって。
「でも……聖也くんが死んじゃったら、もっと生きていけるわけないです……! 考え直してください……!」
大きく声を上げ、涙を拭う。聖也くんはそんな僕の涙を拭うべく両手で僕の頬をつつみ、ふっと笑って見せた。
「じゃあさ」と、彼は言った。「俺がお前のこと忘れて他人になるのと、俺が死ぬの。どっちがいい?」
意地悪な質問だった。そんなの、二つに一つだった。今答えるべきは前者だった。気持ちとしても、聖也くんが死ぬなんて考えられなかった。なのに。
息が詰まって、声が出なかった。
彼にとっては、それが僕の答えだった。
「俺は、最期までお前の隣にいれるならそれもありかなって思った」
そう語る聖也くんの表情は、出会って1番幸せそうだった。
胸の奥がザワザワと騒いでうるさい。深く息を吸っても、吐いても、腕に爪を立てても。この気持ち悪い感覚は消えてくれない。
これが、人を殺すという感覚なのかと、そう思った。
「ねぇ、やだ……バイトちゃんと行くから……ちゃんと頼れる彼氏になるから……もう泣かないから……ッ」
泣かないと、そう泣きながら懺悔する僕のその言葉はあまりに説得力がない。
何度もしゃくりあげて彼の肩へ涙を押し付ける中。聖也くんは「大丈夫」と、僕の背中を擦りながら、そっと頭頂へキスをした。
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