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第1章

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 目覚まし時計が、カチリと小さな音がした。
 俺の使っている目覚まし時計は、親父からのお下がり。どんだけ使ってるんだよ、と、ツッコミを入れられそうなくらい、古いヤツだ。
 このカチリという音は、目覚ましが鳴る前に聞こえる音。俺はその音だけで目が覚めてしまう。目覚ましが鳴り響く前に、布団に潜り込んでいる俺の右手が伸び、タイマーを止める。時計の針は午前五時を指していた。

 十一月ももう終わり。古い一戸建てのせいもあって、結構寒い。
 カーテンの隙間からは、まだ外の明かりも入って来ない。俺はグレーのジャージの上下のまま、二階にある自分の部屋から出ると、爪先立ちしながら足音を立てないように静かに階段を降りる。この時間なら、まだ誰も起きてこないからだ。
 俺は飯野晴真いいのはるま。高校三年。
 すでに大学の推薦をもらっているおかげで、受験勉強に追われることもない。しいていえば、学校帰りにコンビニでバイトをするくらい。彼女でもいれば、デートだのなんだのと、楽しいことでもあるんだろうが、今は、そんな相手はいない。

 家族は両親と五歳年下の妹。俺と妹はあんまり似ていない。というか、両親とも、あまりに似ていない。
 よく『蚤の夫婦』と言われるように、母親のほうが大柄ではあるものの、それでもせいぜい百六十ちょっとくらい。親父はそれよりも小さいのに、俺は家族の中で一番でかくて、百七十八センチ。
 それに似た者夫婦というか、二人とも顔つきはなんだか鼠みたい。顎が小さくて、口も小さいせいかもしれない。当然、妹は、両親そっくりだ。おちょぼ口に、黒目がちの目が可愛い、と、両親は褒め捲ってる。
 俺は残念ながら、大きめな口の上に、可愛げのない三白眼だけどな。
 唯一、俺がこの家族の一員だと思えるのは、直毛の黒髪くらいだろう。

 親父はしがない中小企業で課長をやっていて、母親は専業主婦。昔は親父よりも稼いでいたらしいけど、今ではその影も形もない。
 専業主婦といっても、たいした家事ができるわけでもない。朝だって、親父のことなど放っておいて、妹の世話ばかりやいている。まさに溺愛というヤツだ。
 その妹は、何を勘違いしたのか、俺は自分の兄じゃない、とかいって、猛アプローチしてくる中学一年。猛アプローチと言っても、たかだか中学一年の夢見るお子ちゃま。アホか、と言って何度も言い聞かせて拒否っているのに、それがわかっていない。

 静かな台所で、湯を沸かしてインスタントのコーヒーを淹れる。
 冷蔵庫に入っている昨夜自分で買ってきた菓子パンを手にすると、立ったままそれを口に突っ込む。さっさと食ったら、身支度を整えて家を出る。
 できるだけ家族に会わないように、特に、ウザい妹からの干渉から逃れるべく、俺はこうして朝早くから家を出て行かなければならないのだ。

 午前六時。
 母親の目覚ましが鳴る音が、かすかに上の部屋から聞こえてくる。その頃には、俺は濃紺のブレザーに臙脂のネクタイ、グレーのスラックスという、高校指定の制服に、黒のハーフコートにキャメル色のマフラーをかけて玄関に立っている。
 階段の上のほうで、パタパタと小さな足音が聞こえてくる。振り返ってみれば、パジャマ姿のまま降りてきている母親のスリッパを履いた足元だけが目に入った。
 俺は声をかけるまでもなく玄関のドアを開け、そのまま家を出ていった。
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