蜜空間

ぬるあまい

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そして翌日。
俺は神田さんと二人で柔軟体操をしていた。だが何だかいつもと様子が違う。いや、神田さんではなく、周りの人達が。いつもならば俺達の様子を遠目で見てくるだけだ。神田さんには憧れからか熱い眼差しを、俺には嫌悪と嫉妬から冷ややかな眼差しを。だけど今日はそんな視線は全くなく、傍目から見ても彼達がどことなくソワソワしているのが見て取れる。…いったい、何故?

しかし、その理由はすぐに分かることになった。

「神田さん今日は俺達と一緒にバスケしませんか?」
「人数集まっているんですぐに試合も出来ますよ」
「お願いします、神田さん!」

誘っても誘っても断り続ける神田さんに、暫くは話し掛けることさえもなかったというのに、どうやら今日は本気らしい。柔軟体操の途中で大勢の人達に囲まれて気まずいのだが、どうやら今の彼らには俺は視界にすら入っていないようだ。そうだよな、やっぱり一流スターに話し掛けるだけでも興奮物だよな。すっかり慣れて軽口すらも叩く自分は割りと柔軟性が高いのかもしれない。

「ごめん。今日も先約があるんだ」

そして案の定その誘いを断る神田さん。猫を被って優しい声色で申し訳なさそうに謝る彼の姿は、本性を知っている俺からすればお笑い物でしかない。抑えきれなかった笑いが漏れて、ぷぷっと笑えば背中を強く抓られた。ちょ、ちょっと、痛い痛いッ。彼らには分からぬようにサラリと苛めてくるから大した物だ。

「先約って、…この人ですか?」

背中の痛みに顔を顰めていたら、一人から指をさされた。それに伴うように、皆が一様に俺の方を見る。
え?…もしかしなくても、矛先が俺の方へ向いたのか?

「そうだよ」

ちょっと、神田さん!そこは否定してくださいよ。もしかしたら先程笑った仕返しですか?そう言いたかったものの、発言出来るような状況ではないことは痛いほど分かるから、俺は何を言わずただ俯いた。

「何か問題があるかな?」

だからそういう相手を煽る発言をしないでくださいってば。後ろを向いてこっそりジロリと睨めば、神田さんは口角を上げて笑った。…あ、やっぱり先程の件を根に持っているのか。

「問題というか、…ずるいというか」
「厚かましいと思われるかもしれませんが、たまには俺達とも一緒にスポーツしてくれませんか?」

いや、厚かましくないよ。正論ですよ。そう伝えられればどれほど楽になるだろうか。
それに神田さんはなぜ俺とばかり一緒に組んでくれるんだろうか。俺のような鈍い奴よりも、スポーツ得意な人達と身体を動かした方が絶対楽しいに決まっている。同室者のよしみということで良くしてくれているのかな。確かに人見知りが激しくて神田さんが相手してくれないと俺は確実に一人ぼっちになるから嬉しいけれど神田さんのためを思ったら、それは良くない考えかもしれない。
…それにこのままいけば、本当に此処を出る時に刺されそうだ。

「あ、あの…神田さん?」
「何?」
「俺は大丈夫なんで、どうぞ構わず行ってください」

あ、目が細くなった。どうやら神田さんの機嫌を損ねてしまったようだ。
此処に俺しかいなければ、おもいきり叩かれていたかもしれない。

「神田さん、その人もそう言ってるし一緒にバスケしましょうよ」
「…それならこいつも一緒に」
「い、いえ、俺は遠慮しておきます。神田さんも知っている通り、俺下手くそだし…」

第一に俺の居場所なんてないじゃないか。神田さんを含めて十人居る。俺が入っても邪魔にしかならない上、疎まれるだけに違いない。

「行って来てください。俺、神田さんの勇姿を遠目で見ておきますから」

ね?と当たり障りのない言葉を重ねれば、神田さんはハァと溜息を吐いた。どうやら一応納得してくれたらしい。

「…あまり一人でうろちょろするなよ」
「はい、いってらっしゃい」

そして渋々と俺から離れて、神田さんは彼らとバスケコートへと向かって行った。

しかし、あれだな。

「…過保護だな」

今の神田さんにはこの言葉がしっくり来る。
もしかしたら自分が思っている以上に神田さんに気に入ってもらえているのかもしれない、そう思って俺は一人クスリと笑った。

……この選択の結果、後にとんでもない事件を引き起こすとは知らずに。


俺は膝を抱えて体育座りをする。バスケコートからは皆の楽しそうな声が聞こえてきて、俺はそんな様子をボーっと眺めた。神田さんは神田さんで笑みを浮かべて対応しているが、本性を知っている俺からしてみれば嫌々受け答えしているのがバレバレだ。他の皆はそれに気付くこともなく興奮しているようだけど。

「はぁー」

部屋に戻ったらストレス発散と称して嫌がらせされそうだ。というか、絶対にされるよな。まあ、少しならば文句も言わずに我慢するけれどあんまり過激なことはされたくない。
自然に漏れる溜息を繰り返しながら芝生の草を毟り千切ることに夢中になっていると、ふと強い視線を感じた。
ゆっくりと顔を上げれば、神田さんとバチリと視線がぶつかって…、いるような気がする。遠目だからよく分からないけれども。うん、でも神田さんも俺の方を見ていると思う。
違ったら恥ずかしいけれど目が合ったまま何もしないのも後々気まずいので、神田さんの機嫌を損ねないように、にへらと自分なりの精一杯の笑みを浮かべながら軽く手を振ってみた。神田さんの性格上、手を振り返すことはまず無いだろうし、どうせ視線を逸らされて無視されると思っていた。

だけどその予想は見事外れてしまったようで。

「…わ、っ」

まるで俺に見せつけるように神田さんは華麗なドリブル捌きを繰り出した後、激しいダンクシュートをやってみせたのだ。
俺は驚いたのと同時に感嘆の声を上げたのだが、神田さんにそれが届くわけもなく、それよりも大きい悲鳴で打ち消された。どうやらバスケをやっていなかった人達さえも先程の一連の流れを見て興奮のあまり叫んでいる様子。そりゃあそうだ。あの神田皇紀がダンクだもん。皆興奮するよな。
だけど神田さんは一向に動じない。むしろギャラリーなど相手にすらしていないのか、こちらだけを見ている。俺はそれに応えるように、パチパチと胸元で拍手を繰り返した。表情までは遠くて窺えないが、きっと彼は今ニヤリと笑っているのだろう。なんとなくそれが手に取るように分かった。

そして熱気冷めないまま試合が始まることになった。
意気揚々と試合に参加している様子を見ると、どうやらそこまで機嫌を損ねていないようで少し安心する。この様子なら、後で「お前だけ逃げやがって。裏切り者」なんて言われもしないだろう。やっぱり神田さんも俺のような鈍い奴とスポーツするよりも、運動が得意な人と組んだ方が楽しいのかもしれない。もしかしたらこれを機に、神田さんも彼らと組むことになるかもな。

「…うーん。それはそれで、俺は少し寂しい、かも」

たまにでいいから相手をしてくれたら嬉しいな、なんて思ってみる。強要はしないし、この想いを神田さんに伝えることはしないけれど。
さて。これからどうやって時間を潰そうか。そんなことを思いながらも一人で身体を動かす気は一切起きず、再び芝生の草をプチッと一本抜く。

「寂しいの?」
「…、っ!?」

すると急に背後から声を掛けられて、俺の身体は大袈裟な程にビクリッと飛び跳ねた。

「ごめんごめん、驚かしちゃったね」
「あ、…あの時の、」
「うん。久しぶり」

振り返って見てみれば、前に俺に声を掛けてくれた二人のお兄さんが居た。
黒髪で男前な端正な顔をしている人の方が「隣いいか?」と低い声で訊ねてきたので、俺は深く考えずに咄嗟に首を振る。別に深く考えたからといって断る事はしないけれど。
そしてそれに続くように茶髪で好青年なお兄さんも俺の逆隣に腰を下ろした。

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