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本編
いつまでも元気で 【後編】
しおりを挟む東の街にも近づいてくる頃、馬の列を見たという情報が入った。
その中には幼い少年も居たという。
周りの者達はどこかの富豪貴族が首都から逃げてきたのだろう、とそう噂をしていたが、幼い少年とはユリウスの事ではないだろうかと、私は内心気が気ではなかった。
東の街から1番近い街を抜けた後、先の東の街へ向かう際に広い砂漠を通らなければならなかった。
日が照りつける乾いた大地を何時間も歩いていくうちに、地面を蹴る足には疲労が溜まり限界も近づいて来た頃、突然バシーラが興奮気味に声を挙げた。
「ねぇセイル様! あれ――!」
「――ん、なんだ?」
彼女は勢いよく斜め右前を指し、私はその先を視線で追った。
――これは。
急激に胸は高鳴る。
その先には、風で消えかけた馬の足跡が確かにあった。
「……バシーラ! ユリウスかもしれない!」
宝物を見つけ出したかのように目を輝かせ、私は一人駆け出した。
「あー! お待ちください!」
誰の声も聞こえないほど、久しぶりに全速力で走った。
――ユリウス!――
息も切れかけてくる頃、馬が5頭、僅か遠くの方に見えてきた。
そしてその真ん中の馬に乗る幼い少年は――――
ああ母なら分かる。
あの少年は私の息子だと。
この奇跡を……神よありがとう、と何度唱えたことだろう。
「……っ。ユリウス!!」
私はこれまでしまい込んできた様々な思いごと目一杯叫んだ。
声など枯れても、捨てても構わないというくらいに。
すると、少年はその声に気付いて振り向く。
「ユリウス!!」
私はもう一度その愛しい名を叫んだ。
まだ遠すぎて顔はよく見えなかったが、
「母上!?」
その愛らしい鈴声は、私の鼓膜と胸を激しく震わせる。
「ああ、ユリウス」
馬を走らせ私に向かってくる少年を見つめていると――ふと体に雷が落ちてきたようなドーンという衝撃が全身を貫いた。
「……っ。あ…………」
その見知った笑顔が鮮明になるにつれ、ユリウスの王の器を予見してしまった。
この幼き少年は――将来王となる――と神のお告げが降りてきたかのように、確信的にそう感じた。
と同時に、その時やっと自身の終わりを受け入れ運命を悟ることが出来た気がした。
穏やかなものが胸に流れ込んでくるのが分かり、肩の荷がスっと降りた感覚を覚えた。
――そうか。ユリウス。お前は生き延びるのか――
「ああユリウス! 大丈夫だったか」
私が嬉々としてそう声を掛けると、ユリウスはすぐさま馬から飛び降り、勢いよく私に抱きついてきた。
「母上! 会いたかったです!」
「母もだ。ユリウス」
懐かしい香りが胸を熱くさせ、もう離したくないと小さき命を力の限り抱きしめた。
「そういえば、ユージンはどこですか? 母上も一緒に行かれるのでしょう? 父上に会うのでしょう?」
ユリウスは抱きしめていた腕を解くと、キョロキョロと辺りを見回したり私の後ろの様子を伺ったりして、ユージンを探し始めた。
――ユリウスは一体どこまで知っているのだろうか。
道中女王の噂を一言も耳に入れずに移動するのは困難だろう。
しかし私の目に映る愛しい息子は、争いなど何も知らないとでも言うような、そんな純粋な瞳を持っていた。
普段なら微笑ましい光景だったはずだ。そう、今の状況でなければ。
母の手で殺されたとも知らずに"友人"を探す1人の子供に、罪悪感と悔しさが私を覆い尽していく。
「は、母上?」
微笑むことが出来なくなってしまった母を不思議そうに見つめるユリウスの表情が瞳を通した途端に、私は我に返った。
「あ、は、母は、今は行けない。……これを」
私は震える手を悟られないように、胸元からユリウスへの手紙を取りだし、ほのかに熱を持つ小さなその手に握らせる。
「……母上?」
涙を溜める私にユリウスは何かを予感したようにその表情を曇らせていく。
息子にこんな顔をさせるとは――母失格だな。
眉を寄せて微笑んだ。
ユリウスとの別れはもう間近に迫っている。
別れたくない、別れなければ、相反する想いとの戦いで押し潰されていく胸に、私の表情も徐々に歪んでいった。
「ユリウス。よく、聞きなさい」
地面に膝を付き、ユリウスの光る瞳を見て、これが最後かもしれないと噛み締めながらゆっくりと愛する息子を抱きしめた。
こうすれば、息子に惨めな母の顔を見せずに済むだろうと。
「お前はエレムの王ソロと、この私との息子だ。誰よりも賢く聡明であると同時に、それによって敵を作る事もきっとあるだろう。辛く寂しくなった時は、母を思い出してほしい。私は王であるのと同時に、ユリウスの母だ。いつでも味方だ。たった1人の母としていつでもお前を見守っているよ」
なんと惨めな最後だろう。本当にこれが最後なのだろうか。
愛する息子との別れがこんなに早く来るなんて、ユリウスを産んだ時はそんな事思いもしなかった。
「……母上? それじゃあまるで、お別れのような、言葉じゃないですか! 嫌です! 離れ離れは嫌です!」
手足をモゾモゾと動かし私の腕から離れようとするユリウスを、更に強く抱きしめた。
「お前は……必ず、偉大な王となるだろう。……だが、こ、これだけは、忘れないで欲しい」
切なく揺れる母の声にユリウスは動かしていた手を止め、泣かないでとでも言うように、私の背中の服を小さき手で掴んだ。
その温もりに、あぁこの手を離したくない――と強く目を閉じた。
「私が過去どんな称えられた女王でも、どんな悪者でも、どんな愚かな王だとしても、1人の母として私はユリウスを心から愛し、これからもずっと見守ると」
私はユリウスの肩に手を当て体を引き剥がすと、最後かもしれない愛しきその面差し全てを見つめた。
目、耳、鼻、口……と私のたった1人の息子の顔を魂に焼き付けるように。
私の顔を見て驚くユリウスの表情に、涙と共に思わず笑みがこぼれる。
――そうか、ユリウスは母が泣く姿を見るのは初めてか。
「だから、しばらくの別れだ」
「母上、また、会えますよね?」
心細い心を隠すように不安な眼差しで私の腕を掴んだ。
我が子のこの切実な問いかけに、私はなんと答えれば良かったのだろうか。
ふとユリウス越しに、ユージンが用意したエラムの遣いと目が合う。
その遣いは首を縦に振る。
急げ、時間が無いという事と私は理解した。
「……ユリウス。父上が待っておられるから」
なんともか細い声で告げ、頬に伝っていた涙を手で拭い私はそのままユリウスを抱き上げ馬に乗せた。
「母上! また、会えるのですよね!?」
ユリウスに手綱を握らせると、堰を切ったように泣き出す我が子。
嗚咽混じりに涙を拭うこともせずに、母と離れたくない、その純粋な思いだけで泣くこの子は、まだ8歳の幼き少年だ。
最後まで守ってあげられなくて、本当にごめんなさい。
思わずそう伝えたくなってしまうけれど、その言葉は幼い小さな心には余りにも残酷だろうか。
「ああ。いつか必ず会える」
それが偽りだと知っているかのように、愛しい息子は更に激しく泣き出した。
「……っ。ユリウスがずっと幸せで、元気でいることを母はいつでも祈ってる。……いつでも優しく、勇敢でありなさい」
泣きじゃくるユリウスの頭を撫で、数分後には訪れてしまう別れを噛み締めるように惜しんだ。
すると見知ったエレムの遣いが私の元までやってきて一礼をすると、小声で耳打ちをしてきた。
「ソロ王からは、シェバの女王様も共にお連れするようにと……」
「ああ、なるほどな……」
ソロの焦りようが目に浮かびそれはそれで面白いが、シェバの女王として誤った判断はしたくないし、エレムの偉大な王と呼ばれているソロにも誤った判断をさせたくはなかった。
気持ちは嬉しい。
けれど、私がその選択を選ばない事を誰よりもソロは知っているはずだ。
「私はあとから行くから。――今はユリウスを優先してくれ、と伝えて欲しい」
もちろん遣いは、その言葉が嘘だと言うことも分かっているだろう。
「ですが……!」
遣いの酷く反対する様子に、心が痛みながらも気丈に告げた。
「お前も分かっているだろう。今はユリウスが第一優先だと。私がエレムへ行けば、エレムは穏やかではいられない。主君を思うなら、誤った選択をさせるな」
「……っ。かしこまりました。……ユリウス様が船に乗られたら必ずお迎えにあがります」
遣いは真剣な面立ちで眉をひそめ一礼すると、ユリウスの馬の手綱を持ち、本来の道へと戻っていく。
「母上……! 母上!!」
その手はしっかりと手綱を握りながらも、振り返っては涙に濡れた表情を浮かべて私を叫んでいた。
「母上!!!」
「ユリウス……」
駆け出したい足を必死に止めた。
「……ユリウス!」
崩れ落ちそうになる気持ちを必死に堪えた。
「ユリ、ウス……」
遠くなる愛しい影に手を伸ばし、もう二度と触れることの出来ない柔らかな肌を思い出した。
それは夕方。憎らしい程に夕日が美しい日の事だった。
その一部始終を見ていた女官達は涙を流し、マリクとアビドもまた悔しそうに俯く。
確か……8歳といえば、私がナジュムに初めて会った日も彼は8歳だった事をふと思い出す。
遠くなっていくユリウスの背中を見つめながら、ユリウスとの想い出ひとつひとつが胸を掠めて、自分で拭ったはずの涙がまた頬に伝っていく。
ユリウスが初めてこの世界に命を落とした日、なんて小さく可愛い命だと、この世界で今一番感動しているのは私だと、本気でそう思った。
そしてその数ヵ月後には両親が亡くなり私の希望の指針となった我が息子。
ユリウスが歩いたと報告を受けた日、言葉を話したと報告を受けすぐさまユリウスの元まで駆けた日、そして膝に抱えて数々の物語を聞かせた日々。
「母上! 今日はこんな事が出来たんですよ!」
「母上! 見てください!」
目を閉じればすぐそばで鈴のようなその声が聞こえるようだ。
これから歩んで行く長い人生の中、ユリウスは私の事を忘れてしまうだろうか。
自分で決めた事なのに、それを寂しいと感じてしまう私は愚かだろうか。
覚悟はしていた。
これでいいと言い聞かせてきた。これが現時点で最善の選択だと。
それなのに何故だろう。
胸が、押し潰されるように……とても苦しかった。
「………」
ふと左隣に懐かしい気配を感じる。
孤独を感じていた私の背中を、無言でさする優しい温もりを持つその手。
この状況とこの温もりとの差異に、静かに涙がこぼれ落ちて乾いた地面を僅かに濡らした。
両手で顔を覆い、私は皆の前で泣きじゃくった。
「……っ。ユリウス……」
どんな王になろうとも、どんな国を築こうとも、どうか、いつまでも元気で。
かけがえのない、私のたった1人の息子よ。
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