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本編
惨劇の始まり
しおりを挟む重怠い瞼と締め付けられる頭に眉をひそめた。
少し寝すぎたのだろうか。ベッドがいつもより硬いせいか、体の節々も痛い。
――あぁそうだった。ここはヤーコプの隠し部屋だったな。
嘲笑を浮かべた。
いっその事このまま深い眠りに落ちて、目覚めないという世界があってもいいかもしれない。
冗談で思うにはあまりにも切実に思い浮かべてしまった。
張り付いた瞼をゆっくり開けると、そこには見知らぬ天井があることを知る。
鉛のように重い身体を起こし、右手で額を抑え、ひとつ深い溜息をつく。
エプト軍はもう城に侵入している頃だろうか。だとしたら、民は不安な気持ちでいっぱいだろう。
――どうすればいい。私は一体どうすれば――
考えを巡らせようとすればするほど、昨晩のユージンの死の直前の涙やユリウスからの手紙、ユリウスへの手紙、そしてナジュムの言葉、ナジュムへの願いが次々と脳裏に蘇り、女王である理由を消し去ろうとしてきた。
まだ冷静を保っていられるものの、ナジュムが現れてからの私の心はすっかり柔くなってしまっていた。
――全く、これほどまで心が弱かったとはなんと情けない。
「セイル様、朝食です」
イフラスが教育した若い女官、テラサがドアを開け、パンとスープとサラダをお盆に乗せて持ってきた。
「質素なものになってしまいますが……」
私の顔色を伺うように、恐る恐るベッドまで運ぶ。
「よい。気にするな。食べたら出発だから、テラサも早く食べなさい」
私はなるべくテラサに恐れを抱かせないように優しく笑顔で声を掛けた。
「は、はい! ありがとうございます」
なにやら照れた様子のテラサが部屋から出ていくのを確認すると、その作った笑顔は途端に崩れていく。
周りの者が諦めていないのに、私がどうして自らの命を軽く扱うことが出来ようか。
そしてそれは、自らを縛り付ける鎖のように痛いほど心にくい込んでくるのだった。
食べなければ心配させてしまうと分かっていても食は進まなかった。
気持ち悪くなると分かっていて、無理やり硬いパンを口に放り込む。
すると、ドタドタドタと駆ける音が聞こえドアが激しくノックされた。
「セイル様!」
あまりにも切迫した様子の声に、私は食事をベッドの端に置き、急いでそのドアを開けた。
「……マリクか。どうした?」
血の気が引いた顔で、マリクはどこか様子がおかしく、わなわなと震える口を懸命に動かし始めた。
「……エプト軍が、父上を……」
背筋が一気に凍りつき、嫌な予感が胸をざわつかせる。
「タリクが……! どうした!?」
「城門前に、首が……父上の首が」
膝から崩れ落ち意識が身体から抜けそうになる感覚を、必死に耐えた。
父を失ったマリクが、今目の前にいて、懸命に私に伝えようとしているのに、私が取り乱すような事が、あってはならないと――。
「……なんと、言う、ことだ。……エプトは何か声明を出してるのか」
マリクはしばらく口を噤んだ後、苦虫を噛み潰したような表情で静かに呟いた。
「………シェバの女王を出さなければ、1人ずつ首を落としていくと」
ああ――。自責の念と共に、前後から槍が何本も胸を貫いていくような感覚に、思わず目を閉じ眉をひそめた。
私は昨日、ナジュムと会えた事に一瞬でも喜びを感じた。一瞬でも縋りたいと思ってしまった。それを恥だと今感じた。
国がこのような事態の時に、私は一体何を考えていた。
大地震が起こった日のデジャヴのような感覚に、逃げ場のない震えと自らに対する怒りが全身を襲った。
これは罪なのか。
国を守り切れなかった私への罰なのだろうか。
震える手で額を抑え、必死に感情を抑えた。
「……行くぞ」
私はマリクを押しやり、部屋から飛び出そうとした。
「どこへ行かれるのですか」
「城だ」
するとマリクは慌てて私の前に飛び出し、私を通すまいと両手を横に広げた。
「なりません!」
両目に悲しげな光を溜めては今にも崩れ落ちそうな悲哀な姿に、その場の空気と共に吐き出す息さえ凍り付くようだった。
「……っ」
分かっている。
両親が亡くなり嘆き悲しむ暇もなく女王に即位したあの日、私も目の前のマリクのような目をしていた。
あのような目を生んだのは、
「マリク、私の部屋を貸すから。しばらく休みなさい」
他の誰でもなく私だ。
「え……? いや、ですが」
マリクは私の言葉に戸惑った様子で、広げていた両手をゆっくりと閉じる。
なんと言葉を掛ければよいのか分からないその心情さえ、私には罪深いものに感じた。
マリクの嘆きが悔しさが痛いほど身に染みて分かるからだ。
「お前の父に安らかな死を与える事が出来なかった……。私の責任だ。すまない」
ぎこちなく眉をひそめながら、マリクの肩をそっと撫でると、俯いた彼の瞳から涙がこぼれ落ちる。
「そんなことは……」
やっとの思いで吐き出したであろう小さな呟き。
心の中では様々な感情が渦巻いているだろうに、酷く取り乱す姿も見せず、なんと強い子だろうか。
「しばらく、1人になって……涙でも流せ。私は隣の部屋で皆と休むから」
こうなる事を予想できなかったといえば、それは嘘になる。
最悪の結果も考慮した上で私はタリクを城内に残した。
「今の私にはそれくらいしかしてあげる事が出来ない」
つまり、私のせいだ。
今にも見透かされそうな潤む瞳を見る事に耐えられず、咄嗟にマリクの腕を掴み、先程まで休んだ部屋に押し込んだ。
「……セイル様!」
「すまない。お前はよく頑張った。しばらく休め」
心の底から染みでるような、そんな罪悪感から目を逸らし両手でドアを閉めた。
そして、その数秒後すすり泣く声が耳に届くのを確認すると、震える手を隠すように拳を握りしめ、狭い廊下へと1歩踏み出した。
昨日から私は、誰かを泣かせてばかりだということに気付いていく時ーー
「セイル様?」
少し先でナジュムが立ち留まっているのが見えて、私は反射的に立ち止まった。
そして咄嗟に目を背けるように俯く。
そんな様子を見てかナジュムは急いで私に駆け寄ってきて何か言いかけようと口を開いたが、歪みかけた私の表情に気づいたのか言葉を詰まらせた。
私の言葉を待つようなナジュムの眼差しに、やっとの思いで私は口を開いた。
「……タリクが、エプトにやられた。私が戻らなければ恐らく他の者の首も容赦なく切り落とすだろう」
「どうか、ご自分をお責めにならないよう。決して――」
焦りから早口になるナジュムに、私はその言葉を激しく遮った。
「私のせいだ! 全て!」
「それは違います!」
その表情は恐ろしい程真剣で嘘が無く、彼の本心を表していると分かっていながらも、それが更に自責の念を大きくさせた。
「ナジュム……」
たった一日で言い慣れたその名前。
手を伸ばし、その頬に触れ、心の内を全て吐き出せたら。
そんな儚い思いを抱くのは、もう、今日で最後にしたいと何度思ったことだろう。
「なんでしょう……!」
「私を、城門まで連れて行ってほしい」
震える声で女王として騎士に縋った。そして彼の目には私が女王として映っている事を祈った。
でなければ、疑われてしまうだろう。
「それは、どういうこと、でしょうか――」
祈りも虚しく、ナジュムは何かに気付いたように、疑いの視線を私に向けた。
「……タリクの顔を見たいのだ。私が王になる前から、この国に仕えてくれた者に労いの言葉ひとつもかけてやれない、この悔しさを昇華するまでは、この場所を離れることなど、出来ない。――これは命令だ」
発する声は震えていたが、その一言一言は真剣に伝えた。
自分の罪や愚かさを責め立てる事は容易だ。
しかし、それを受け入れ前に進まない限り、私はいつまでたってもこの苦しみと戦い続けることになる。
今私が戦うべきは自分の弱さではない、と自分の心から目を逸らした。
……ここまで不意にやられては現時点での勝算は皆無だろう。
だからこの国を信じ、時が来るまでユリウスを必ず守り通し、そしてそれまでシェバの文化と民を守り通すことが王である未熟な私に出来る事だと。
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愛など、惜しくない、とそう思った。
その思いを見透かしたかのように、目の前の瞳は切なげに揺れた。
「セイル様、決して。決してご自身の命を諦めないと、お約束してください」
そう言い終わったあとに、芯のある優しい色を映し出す彼の瞳。
想い焦がれたものが、ずっと望んでやまなかったものが、今私の目の前で生きている。それだけで十分ではないか。
これ以上何を望むというのだろうか。
この者の為に私は一体何が出来るというのだろうか。
「分かった。約束しよう」
嘘を悟られないよう、そっと目を伏せた。
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