砂漠の女王が愛した星【完結】

藤沢はなび

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本編

愛する民の声

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 イフラスとアビドに、マリクをしばらく1人にさせてやって欲しいと伝えると、マリクのただならぬ様子を知っていたのか、2人はすんなりと承諾してくれた。
 しかし少しの間ナジュムと外に出ると伝えると――話は少し違ってくるようだった。

 イフラスは「危険です!」といつものように酷く反対をしたが、「案ずるな。そこらの兵より私の方が断然強い。ユージンが亡き今、私の顔を知るエプト軍も少ないだろうし」と荒れるイフラスをなだめて、何とか納得をさせた。
 アビドは、私とナジュムとの間に何かあるのではないかと疑うような視線を私に向けたが「必ずお戻りください。マリクも待っておりますから」と複雑そうに笑みを浮かべる。

「戻ったらすぐにここを発つから準備を頼んだ」
「はい。馬は……用意いたしましょうか?」
「……いや、馬を使えば目立つだろう。とりあえずは用意しなくていい」
「承知致しました」

「……いってくる」
「いってらっしゃいませ。お帰りをお待ちしております」



 マントを羽織り、通りに面する店の外まで出る。
 そこではナジュムが不安げな面持ちと共に、どこか落ち着かない様子で私を待っていた。
「絶対に、私のそばを離れないでくださいね。一人にならないでください」
「――――」

 忠告するような、まるで私がすぐ逃げ出すかのような言い草のナジュムに反論しようと口を開いたが、彼と初めて出会った日も私は一人だったことを思い出し、その口をぎこちなく閉じる。
 18年前のあの日の出来事を今まで1秒たりとも忘れたことはない。――忘れられるわけがない。
 世界の色を変えていくようなあの時の記憶は、まだこの胸の中でちゃんと光り続けているのだから。

「分かっている」
 私は自分の気持ちを隠すように彼から顔を背け、そそくさと歩き出した。

 店から出た瞬間から分かっていた事だが、街は昨日よりもかなり騒々しくなっていた。
 城門前に見せしめに晒されたタリクの首のこと、エプトの侵略が始まっていること。
 そして女王は何をしているんだと責め立てる声も――。
 歩いていても、有象無象の噂話がありとあらゆる場所で聞こえ、内心穏やかな心境ではいられなかった。
 とりあえず、先代がこれまで守り通してきた民が、シェバの文化が無事ならよい。
 行き場のない不安な気持ちを王にぶつけて民の心が晴れるのならば、辛くともそれらを受け止めなければならない。
 それがこの国の王である私の責任だ。
 そう心に留め置きながら、無意識のうちに唇を強く噛み締めていた。

 すると突然、ナジュムが私の顔を覗き込んできた。
「……何かお考えごとですか」
「あ? ……いや」

 ナジュムとふと目が合った瞬間、私は彼の憂いを含んだ悲しそうな表情しか見てないことに気付く。
 ……そうか、噂話が私の耳に入ってるということはナジュムもその噂を共に聞いているということ。
 彼が不安に思うのは至極当然で、王である私はそれを気遣わなければならない。

「大丈夫だから、別にお前が気にすることでは無い」
 私はナジュムを安心させたい思いから、できる限り口角を上げて気丈に前を向き、歩くスピードを早めた。
「……私も少しは気にしたいのです」
 しかし、ナジュムの瞳からまた悲しみが透けて見えたような気がして私は少し焦る。
「なら、勝手に気にしていればいい」
「………はい」
 しばらく二人の間には気まずい空気が流れ、無言の時が続いた。


 そしてそのまま数分が過ぎた頃、私は分かれ道でふと足を止めた。
 自然とナジュムも私に合わせて足を止める。
 この分かれ道を右に曲がれば城門前へと続く大通りへと出てしまう。

 果たして、タリクの晒し首を目にしても私は冷静を保っていられるだろうか。
 様々な自分の感情の予測が巡り巡って胸をざわつかせ、冷や汗が額から一筋垂れる。
 麻痺したように動かない身体と、強ばる表情に、らしくない……と自分でも戸惑った。

 すると隣に居たナジュムがやや緊張した雰囲気をまといながら視線を前に向け、
「大丈夫です。行きましょう。何かあったら……頼ってください」
 そう言うと熱い掌が私の手をそっと取り、大通りへと続く曲がり角へと進んでくれる。
 その行動に驚きながらも、彼に手を引かれながらその背中を見つめていると、私にとってあまりも都合の良すぎる幻想を抱いてしまうことに気付く。
 彼の行動に深い意味などないのだろう。
 でも、たったこれだけの熱で救われる自分が居ることを否定したくはなかった。

 長年の想いを伝えたい気持ちと、伝えられない気持ちとのせめぎあいから、その手の熱を強く握ると、また彼も無言で握り返してくれる。
 ーーそして、すぐにそれを後悔したのだった。


 足早に駆けていたその足が急に止まり、思わずナジュムの背中にぶつかりそうになる。
「どうした――」と声を掛けようとしたが、その背中越しに見えたあまりにも惨い光景に、息を飲んだ。

「これ、は……」

 人だかりのその奥で、タリクだけではない、他の臣下たちの首が私の瞳を突き刺した。
 絶望という瘴気が私だけを飲み込んでいくような、あまりにも衝撃的な、残酷で惨い景色――。
 それは、城門前に無惨に晒される槍に刺さった、見知った……4人の首で。
 乱れた頭髪に、血にまみれた苦悶に歪む表情から察するに、恐らく残忍な拷問の末に首を切られたのだろう。

 ――私の、私の居場所を言わなかったから。――言えば、いいものを。
 込み上げる涙を隠したくて両手で額を抑えた。

 タリク……マカドナ……ハマーン……アレク……
 心の中でその者たちの名を呼ぶ。
 私にとってそのあまりにも残酷な光景に、思わず目を覆い、やめろ! と叫びたくなる。

 ――止まりそうになる呼吸を懸命に動かした。
 強く握られているナジュムの手を振り払い、首を切られた一人一人に思いを馳せながら人だかりまで駆ける。

「お嬢様!」とナジュムはその後ろを追いかけてきたが、今、今この瞬間、ナジュムの事含め何も考えられなかった。

 人々がざわめいている雑踏も、全ての音が鼓膜から遠ざかっていく。

 昨日まで、共に話し合い国の為に尽くした大切な仲間だった。
 悔しい。とても許せない――。
 鉄の棒で頭を何度も殴られたような衝撃と、鋭い槍で胸を何度も突き刺されるような悲しみを、まともに感じることさえ憚るほど、彼らの肉体的な痛みは想像を絶するものであっただろう。
 私は何も、出来なかった。尽くしてくれた彼らに。

「本当に、すまない」

 私は震える手を胸に当て、弔いの言葉を小声で唱えた。
 私はこれでもシェバ国に伝えられる神の分霊として崇められてきた。
 神殿での儀式や、舞なども務め、私の唱える祈りや弔いの言葉は神の言葉と同じ格で扱われる。
 このような誰にも聞かれない状況なのがやるせないが、せめてあの4人にだけでも届いてほしいと、表情を歪ませながらも懸命に唱えた。
 怒りや憎しみ、それはいずれ自らを滅ぼすと父から教わっていたのに、それでもふつふつと湧いてくるその感情。

 この場にいるのも辛くなってきた頃、ナジュムの気配を後ろに感じ、そろそろヤーコプの店へ戻ろうかと声を掛けようとしたその時、城門からエプト軍の1人が現れた。

「…………っ」

 私は怒りと悔しさから咄嗟に短剣に手を当てる。

「なりません」
 私の耳元でナジュムが呟き、惨い景色を隠すようにサッと前に立ちはだかって私に背を向ける。
「……っ。分かってる……!」
「ここは耐えてください! 刀を出してはなりません」
「……分かっているから!」

 エプト軍は新たな声明文を用意していた。
 そして、その様子を不安そうに見つめる民の前で、その声明文を読み始めた。

「城は占拠した。この街が炎に包まれるのも時間の問題だろう。この者達は、女王の居場所を吐かなかった哀れな者達だ。……愚かなシェバの女王よ! よく聞け! 女王自身の命を差し出さなければ、城内に残る者たち、そしてこの国の民一人一人を串刺しにする」

 ハッと息を飲む音、ザワつく民の悲鳴が心を抉る。

「お前たちも自分の身を守りたくば、この国の女王を差し出すのだ。すでにこの国はエプトのものだ。エプトの神が定める地となった。命が惜しければ今すぐ女王を探せ」
 そしてその声明文を城門前に貼り付けると、エプト軍の男は城の中へと消えていく。
 我ながら、私の弱点をつく見事な作戦だと思った。私の弱さをユージンが報告でもしていたのかと思うほどに。

 ここから離れなければいけない私の足は呆然と立ち尽くしたまま、動いてはくれなかった。
 きっと、私が愛する民達の声が、鮮明に聞こえてきたからだろう。

「女王……を差し出せば俺らは助かるのか……?」
「元はと言えば全部女王が悪いんじゃないか。この国が平和でいられたのも先代が築いてきたものと、側近が優秀だっただけだ」
「いや、でも女王は視察も多く、私たち平民の声にも寄り添ってくれたわ」
「私も女王に貧しく生活がままならないと勇気を出し声をかけたら、私の手を握り温かい言葉をかけて下さったわ。その後無利子の貸付金制度がすぐ出来たのよ」
「私も安定した雇用先を紹介して貰えたわ」
「だからなんなんだ! 今この状況を見て女王は何をしてくれている!!」
「そうだ! 部下が殺され、そして俺達も殺されるかもしれない。この街も燃やされてしまうかもしれない。この街で生きる為には女王の首が必要なんだ」
「……私はこの街から出ていくわ。女王から頂いた恩を忘れられないもの。シェバの神に祈りましょう」
「俺は残る。こんな状態の国を見て何もしない女王などエプトに渡した方がマシだ!」
「この状況で逃げるなんて神ではなかったんだ! 悪魔だ!」
「悪魔だ!」


「お、お嬢様! 行きましょう! っ! ……さぁ!」
 立ち尽くし、耐えず繰り返される民の声を聞く私に、ナジュムはもの凄い剣幕で私の手を引っ張りこの場から離れさせようとする。

「……っ!!」
 しかし私はその手を同じ剣幕で振り払った。
「部下も、国も、民も、息子も離れた私に一体何が残るというの……!!」
 周りに聞こえないよう忍び声で言ったが、荒む心を押さえつける事を望めなくなった私は、いっその事周りに聞こえてこのまま私の身を差し出し、民さえ無事に守れれば良いとさえ思った。
 この状況を生んでしまった自分が何より憎い。自分に向けた憎悪が心を蝕んでとても痛かった。

「取り戻すのです! そしてまだ離れていない者もおります」
 ナジュムは酷く険しい眼差しを真っ直ぐに私へと差し出し、そのまま抱き締める勢いで私の両腕を力強く掴む。
 ――取り戻せるわけ……ないだろう。
 周りの雑踏から目の前に視線を移せば、それはそれは悲しく潤んだ瞳が私を我に返した。

「……取り乱して……すまなかった」
「……決して1人じゃないこと。そして私だけは何があろうと、お傍を離れないこと。それだけはどうかお分かりください」
 私の両腕を掴むその手は更に強くなり、諦めを知らない彼の必死な眼差しが私の身体を熱くさせる。

 ――このまま抱き締めてはくれないだろうか。逃げよう、と、逃げてもよいと、誰か私に言ってはくれないだろうか。
 都合の良い幻想は、儚く消え去っていく。

 私は、なるべく彼を傷つけないよう優しく、壊れやすいものに触れるかのように片腕ずつナジュムの手を引き剥がした。
「……心に留めておこう」
 その時の困惑と絶望を同時に映し出したような、そんな彼の表情が私の胸を痛いほど突き刺した。
 ユージンもナジュム程までは行かなくとも似たような眼差しで、似たような言葉を私にかけた事を思い出したのだ。

 その結果、これだ。


 ナジュムはユージンとは違うと分かっていても、民の思いだけで精一杯だった未熟なこの時の私では彼の想いを受け止めることなど、とても出来なかった。
 あの苦悶に歪む4つの首が脳裏に浮かび離れないのだ。
 今すぐにでも泣き叫びたい。謝りたい。
 神の分霊とは笑わせる。
 王女であった時から国民の支持は厚く、儀式や舞、視察や政治や外交なども完璧にこなし、私はシェバの女王となった。
 ついこの間まで、この国はどこよりも幸せで豊かな国であったはずなのだ。
 私が愚かなばかりに、この国の民たちが、私に仕えてきた者達があまりにも……可哀想で、申し訳なくて。
 この時は自らの心に光を灯すことさえ憚られた。希望を与えるはずの光が、悲しみを生んでしまうことがとても恐ろしかった。


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